第141話 自由


 夜闇はすっかり世界を包み、月明かりだけが、とある浜辺を照らしていた。

 『霧の島』でも、ロディーノ海岸の周辺でもない。どこなのか、誰も知らない場所に、バイクが半分ほど線を作って埋まっていた。

 その周囲には、ハーミス達が投げ飛ばされたかのように転がっていた。あの船から脱出してから、制御の効かないフルパワー稼働でバイクが爆走した結果、どことも知れない砂浜に乗り上がり、一同は勢いに負けて吹っ飛んだのだ。

 尤も、上陸したのは暫く前。体力が尽き、ずっと寝転んでいるのだ。


「……づがれだ……もう一歩も動けないわよ、無事に帰れたのが奇跡よ……」


「ルビー、へとへとー……」


 寝転がっているだけのクレアとルビーに対し、エルはようやく起き上がる。


「倒れ込んでいる場合ではありません、早急に治療を始めなくては。クレア、気を失う前に治療キットを出してください」


 ハーミスもまた、エルと一緒にどうにか立ち上がった。彼の場合は、シャツの内側の傷が開いていないだけ、無事な脱出と同様、運が良かったと言えるだろう。


「だけどまあ、本当に、帰ってこれたのが奇跡だな、クラリッサ……クラリッサ?」


 ただ、この脱出は命を救った、というわけでもない。

 起き上がったハーミスの前で、クラリッサは月の滲んだ海に、半身を浸けていた。まるで、このまま海に溶け込んでしまうかのように。


「……どこ行くんだよ」


 彼に声をかけられ、クラリッサは振り返り、言った。


「島で言った通りよ、ハーミス。私は死ぬ為に自由になったの、役目を果たす時だわ」


「お前を狙ってた奴が死んだんだ、どこかで生きていける。死ぬ為の旅なんて……」


 薄々理解はしていた。していたとしても、希望を抱いてほしかった。


「いいえ、いつどこにいても、誰かが私を欲している。なら、誰にも知られないところで、誰にも触れられないように死ぬ。私の本当の自由は、きっとそこにあるのよ」


 だが、クラリッサにとって、これこそが希望だったのだ。

 怖れ続けていた生が終わる。どんな形であれ、飼い殺しの不自由が終わり、死に至る為の自由が待っている。待ち焦がれていた、最期への旅路が始まるのだ。

 誰にも見られず、知られず、不老不死を与えない、幸福な孤独が。


「あんなところから生き延びたのよ、もうちょっと生きることを愉しみなさいよ」


 体を起こしたクレアにそう言われ、クラリッサは力なく笑った。


「それは……旅路の中で見つけるわ。もし、まだ少しでも生きていたいと思うなら、その時は……その時は、生きてみようと思う」


「……あるといいな、そんな出会いが」


「あるといいわね。ありがとう、皆。一日だけだったけど、幸せだったわ」


 クラリッサは、多くを語らなかった。

 とぷん、と小さな音を立てて、七色の鱗を持つ人魚は海の中へと消えていった。残された一行は、ただ静かに、明るい月と暗い海を見つめていた。


「……行っちゃったわね。あの船と一緒に沈んだ方が、幸せだったのかしら」


 誰にでもないクレアの問いに対し、ハーミスは首を横に振った。


「そりゃねえよ。希望が少しでもある方が、ましってもんさ」


 遠く、遠くを見つめる二人の肩を、エルが叩く。


「二人とも、暗い顔をしている暇があるのなら、治療に専念してください。他人の生き死にで感傷に浸る暇があるのなら、まずは自分のことですよ」


「流石、生きるのを諦めた奴が言うと説得力があるわね」


「いつまで引きずるんですか、その話を……」


「あんたが生意気言わなくなるまでよ、ひひひ」


 彼女に連れられ、クレアは未だに寝転がっているルビーの傍に寄っていく。

 それでもまだ、ハーミスは海を眺めていた。

 いずれ自分が失望し、自分に生きる価値を見出せなくなった時、死を選ぶだろうか。復讐ができなくなれば、自分を諦めるだろうか。

 ――いや、そんな考えこそ、くだらない。何としてでも、谷底での復讐を果たす。


「……そうだな、生きる。生きて、復讐を成し遂げてやらねえとな」


 一人で小さく笑い、彼は海を離れ、仲間達の下へ歩いて行った。

 そこではもう、各々の治療が始まっていた。それに伴い、ようやく気になっていた事柄や、今後について話すこともできた。


「ところでクレア、どうして脱出に遅れたんだ?」


「ああ、これを回収してたのよ。あのシャロンの部屋に置いてあった設計図みたいなの」


 腕に包帯を巻いてもらいながら、クレアがパーカーのポケットから取り出したのは、二枚の古びた紙。ハーミスが受け取って広げてみると、一枚は船の設計図らしいが、もう一枚は何が何やら、さっぱりな物体の図形だ。


「……これよ。船の分と、もう一枚。どうやらこっちの方はバルバ鉱山で作られてるみたいよ。用途は、えっと……『王を呼び出す』? 何のことよ?」


 エルも、ハーミスも。寝そべったルビーも、知らないと首を横に振る。


「で、製造者は……カルロって奴ね。あんたの知り合いでしょ、ハーミス?」


 だが、設計図の下に書かれた名前は知っている。自分を殺した『選ばれし者達』のうちの一人で、彼に対しても、ハーミスは憎むだけの理由がある。


「……知ってるさ、知ってる。それよりもバルバ鉱山ってのは、どこにあるんだ?」


 軟膏を塗りながら、エルが口を挟む。


「この浜辺がどこかは知りませんが、ロディーノ海岸からレギンリオルに向かう途中にあります。ワイバーンの生息地として知られていますが、この様子だと、もう聖伐隊の手に落ちているようですね」


「つまり、この何か知らないブツを作るのを止めるには、レギンリオル――聖伐隊の本拠地に、こっちから近づかないといけないってわけ」


 いよいよか。恐怖や不安よりも、喜びの方が、ハーミスの中で勝っていた。

 ローラや仲間から全てを奪う時が近づいていると知ると、継ぎ接ぎが疼いた。


「聖伐隊に、か。上等だ、出向いてやるさ」


 ぎりりと笑う彼を諫めるように、クレアが肩を叩いた。


「とりあえず、ここがどこかを把握しましょ。生きる為にちゃんと傷を治療して、ご飯を食べて――明日の朝にでも、ね」


 そう言われて、彼は少しばかりの平静を取り戻した。

 どこにいるかも分からない。何が起きるのかも分からない。だが、とにもかくにも、先ずは生きるのだ。ご飯を食べて、眠り、話はそれからだ。


「……そうだな。生きる為に、な」


 あっという間の一日と、あっという間の出会い、別れが終わった。

 いずれにせよ、次の目的地は決まっていた。

 ワイバーンの生息地、バルバ鉱山。


 『王を呼ぶ』何かが待つ場所へと思いを馳せながら、ハーミスは空を仰いだ。

 一筋の星が、きらりと流れていった。

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