第106話 激戦③
戦いの歓声が四方八方から起こり、血が飛び、死体が作られてゆく。そんな戦場で、ハーミスとリオノーレの姿は完全になくなった。
「ハーミス、どこに行ったのよ、ハーミス!」
仲間がどこかに飛ばされ、クレアは我を忘れてハーミスを呼んだが、自分が置かれた状況と戦況を思い出し、たちまちいつもの冷静さを取り戻した。
(いや、落ち着きなさい、クレア・メリルダーク! あの緑髪、『転送』って言ってた……つまりまだ殺されてはないはず!)
クレアは魔法には疎いが、転送の意味くらいは分かる。
ハーミスがどこに飛ばされたのかは分からないが、レギンリオルの中央にでも連れて行かれない限り、彼ならばどうにかなるはずだ。そして仮にそうだとしても、何もできない事柄に神経を向けるより、今この瞬間にできることに集中するべきだ。
(どこに行ったのかは分からないけど、今、あたしがやるべきことは別にある!)
脳を巡る血の流れを研ぎ澄ました彼女は、まずリヴィオとニコに目をやった。
「ニコ、ニコ! 目ぇ開けえ、しっかりせんかい!」
か細い呼吸しかできず、会話すら行えないニコに、リヴィオが必死に声をかけている。クレアも二人に駆け寄るが、身を案じたのは自らも怪我を負った様子のリヴィオだ。
「リヴィオ! あんたの怪我は大丈夫なの!?」
「わしなら大丈夫じゃ、それよりもニコが……息が、どんどん弱くなって……!」
このままリヴィオをニコの傍に置いていても、彼の容態が良くなるわけではない。
戦況としてはこちらが押しているように見えるが、実際は拮抗しているようだ。だとすれば、とクレアは半ば残酷にも思える決断を下した。
「……ニコはあたしと仲間達が連れて行く。あんたはここに残って、皆の指揮を執って」
当然、リヴィオは反対した。自分も行くのだと。
「いかん、わしも行く! ニコを置いて、ここにおるなど――」
「あんたがここを離れたら、誰が皆を纏めるの!?」
だが、クレアは彼女よりもずっと強く、彼女を制した。
両肩を掴まれたリヴィオは、初めて体を震わせた。そこまで心が弱っているのだと気づきながらも、本当は連れて言ってやりたいと思いながらも、クレアは心を鬼にした。
「いい、あんたはギャング達の旗印なの、希望なのよ! 今まで散々ボスを名乗ってたんでしょ、頭を名乗ってたんでしょ! だったらその責務を果たしなさい! あたしもニコを、絶対に医者の元まで送って見せるから!」
そして告げた。リヴィオには、自分には、互いにしかできない役目があるのだと。
ギャングとして生き続けてきた責務を、今果たすべきなのだと。
リヴィオは迷ったが、ニコを案じる気持ちと、クレアの言う旗印の役目とを天秤にかけた彼女は、ニコとの約束も思い出した。どちらかが死んだ時の、約束も。まだ死んでなどいないが、今こそその時なのだ。
目を閉じ、開いたリヴィオの決意は、固まっていた。
「…………頼んだぞ、クレア!」
「頼まれた! ルビー、エル、こっちに来て!」
恐怖を隠すように、歯を見せて笑ったクレアの呼びかけに応え、二人がやってきた。彼女達もまた、ニコの姿を見て、まさかと息を呑んだ。
「ニコ……!」
「ルビー、そんな顔してないで、ニコを街の医者の所まで運ぶわよ! 刺激しないようにゆっくりと飛んで、あたしとエルがあんたを護衛しながら門まで進むから!」
燃え続けるバイクを背に、普段は決して見せない真摯な目に、ルビーもエルも頷いた。
「うん、分かった!」「分かりました!」
クレアがルビーの背にニコを載せると、彼女はゆっくりと翼をはためかせ、静かに飛び始めた。そこまでしてようやく、戦い続ける聖伐隊とギャング達の双方に、ニコが重傷を負ってしまったという情報が漏れた。
「見ろ、ギャングのボスが運ばれていくぞ! 逃がすな、撃ち落とせ……うぎゃあ!」
背負った弓矢で撃ち落とそうとする敵は、クレアが撃ち殺す。剣をもって追いかけようとする聖伐隊は、エルがオーラで包んで遠くに投げ飛ばす。
街までの護衛は二人で十分だが、問題は戦場に残された同志達だ。
「ボス……!」「まさか、ニコさんが!」
街を守る面々は、ギャングのボスが死んだかもしれないと思い、剣を持つ手が鈍る。一方で、ギャングのボスが片方討ち取られたと知り、聖伐隊の闘志は高揚する。
「亜人の頭、その片方が死んだ! 我々に分があるぞ、一気に攻め込め!」
「勝利は我ら聖伐隊の手にあり! 亜人共をこのまま皆殺しにしろ!」
高まった士気が下がっていく。聖伐隊は今こそがとばかりに襲いかかり、ギャング達を切り殺していく。仲間が、ニコが守ろうとしたものが、失われる。
「――させるか」
自分と同様に、半ば委縮しかけた仲間達を見据えながら、リヴィオはゆっくりと立ち上がった。そして、鼓膜が割れんばかりの大声で、戦場に響き渡らせた。
「――皆、ニコがやられたが、死んではおらん、命に別状もない! それよりも、こんなことで気後れしていれば、ニコに怒鳴られるぞ! あいつを傷つけた聖伐隊を絶対に許すな、生かして帰すな!」
嘘すら交えた、同胞たちへのメッセージを。ボスからの、鼓舞の言葉を。
聖伐隊も、ギャング達も、全ての戦士が立ち止まった。
リヴィオは今、獣人街のトップとして、太陽を背に悠然と立っていた。カタナを構え、縞模様の髪を靡かせる彼女の姿は、ボロボロだとしても輝いて見えた。
そんな彼女の勇士を見せられれば、同胞達は嘆いている場合ではないと気づく。
自分達の為すべきことは、戦い、守ること。
そしてニコを傷つけた聖伐隊に、応報すること。
「……ニコさん、死んでないのか!」
「ボスが死ぬわけねえぜ! だけど聖伐隊、よくもボスを傷つけたな!」
さっきまで劣勢に追い込まれそうだった面々が、急に怒りの覇気に包まれてゆく。目に見えない気迫に覆われた獣人達の、闘志に満ち満ちた目が、聖伐隊の兵士を睨む。
「な、な……」「この士気は、いったい……!?」
こうなれば、委縮するのは人間の方。
獣が、怯える餌を――敵を逃すだろうか。有り得ないのだ。
「全軍、突撃じゃあああぁぁ――ッ!」
「「おおぉ――ッ!」」
リヴィオの喊声と共に、獣人達は一斉に、聖伐隊へと襲い掛かった。
彼女のカタナが最も近い敵を斬り殺し、その左頬が血に染まる。
今や彼女の瞳は――獣人達の瞳は、獣のそれだった。
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