第91話 深夜
「……おかしい、絶対におかしい」
夕食を経ても、シャワーを浴びても、パジャマに着替えても、答えは出なかった。
街の皆が寝静まる夜になっても、ハーミスはそれでも、宿の休憩所で頭を捻っていた。映像を何度も見返し、街の地図を取り出し、様々な情報を照らし合わせる。
何十回も見返したのに、手掛かりは一つも見つからなかった。自分の足で現地へ向かって、アイテムを使って観察しても、やはり何も出てこなかった。
「何かがあるはずなんだよ、何かが、絶対に……クソ、俺の頭がもうちょっと良けりゃあ、簡単に謎も解けるはずなのに……」
大きなため息をついたハーミスの後ろから、ふと、青く温かい紅茶が差し出された。
「まだ起きてたの、あんたは。ほら、青紅茶よ」
黄色のパジャマに着替えたクレアが、紅茶をテーブルの上に置いた。
「クレア……ありがとな」
ハーミスが青いパジャマの裾を汚さないようにカップを掴み、一口啜る。クレアは彼の捜査の痕跡を見つめながら、彼の隣に座り、残念な事実を告げた。
「ルビーとエルはもう寝たわよ。明日の朝一で獣人街を出る予定を伝えてあるから、あんたも支度だけはしておきなさい」
明日の朝、抗争が始まる前に獣人街を出る方向で、意見は一致していた。
ルビーもエルも、最初は反対したが、ここまで何も手掛かりが見つからない現状では、本来なら今晩にでも出て行くのが正解だったのだ。それを明日の朝まで引き延ばしたのだから、相当譲歩した提案であると言える。
「…………」
ただ、ハーミスはカップを置き、無言で地図を眺めていた。
クレアも決して、嬉しそうな顔をしていなかった。誰一人として、同意した決定ではないのだが、同意せざるを得ない結果だというのは、クレアの言葉からも察せた。
「……このまま街を出たくないって、そう言いたいんでしょ。気持ちは分かるし、あたしだって街を出る気になんてなれない。けど、明日も残るのは、危険すぎる」
彼女の場合は、リヴィオと話し合っただけに猶更だろう。ハーミスもまた、ニコへの感情もあるし、何より聖伐隊が絡んでいると思うと、放っておけるはずがない。
「ニコ達の言う通り、互いに命を狙い合った結果かもしれない。憎み合って、争いを望んだ結果かもしれない。だけど、もしそうじゃなかったら」
彼の頭に浮かぶのは、獣人ではなく、白い服を着た人間が支配する獣人街。
「聖伐隊が裏で糸を引いてて、操っていたら。そうなれば、漁夫の利を得るのはあいつらだ。俺はローラの、聖伐隊の悪事を知ってて見過ごしたことになる」
もう、あの隊服にどこも支配させない。自分の故郷のような苦しみを与えさせない。
「ジュエイル村でユーゴーを殺した時に、俺は決めたんだ。聖伐隊の好きになんて、何一つさせてやらねえって。あいつらの策謀を全部ぶっ潰すってな」
燃えるような復讐心を瞳に秘めたハーミスを見て、クレアは母親のような気分になった。彼の意志を汲みながらも、諫める必要があると思った彼女は、彼の頭を撫でた。
「……あんたはもう、十分やったわよ。街の皆の為に動いて、ギャングの仲を取り持とうと説得して、こうして必死に襲撃者について調べた。これ以上は――」
「十分なんて、あるわけねえだろ!」
しかし、その手を払い、彼は立ち上がった。そして、誰もいないロビーに、ハーミスは聖伐隊と自分のふがいなさに対する声を響かせた。
「明日の朝にはギャングが殺し合うんだぞ、黙ってられねえよ! お前達が街を出ても、俺が一人でも抗争を止めてみせる、絶対に……」
そうして直ぐに、自分が声を荒げ、クレアを驚かせてしまっているのに気付いた。
怯えてはいないが驚いた顔の彼女を見て、ハーミスは椅子に座った。
「……ごめん、つい……」
「いいわよ、あんたの性格なら分かってるつもりだから」
クレアは首を横に振って、ハーミスの肩を叩く。
「正直言って、あたしも悔しいのよ。聖伐隊がざまあ見ろって笑ってるみたいで、目の前で悪事が止められないのって。あたし、盗賊なのにね、あはは」
話を変えるかのように、クレアは地図と映像を見比べて、何気なく言った。
「それにしても、襲撃者ってのも大したもんね。影か何かみたいに消えていなくなるなんて――土に潜ったのか、壁に溶け込むかでもしたのかしら」
瞬間、ハーミスのモヤモヤした思考に、一筋の光が射した。
影のように消えた襲撃者。どうやって逃げたのか。
記録装置では何も追えなかった。だからハーミスは、何もないのだと勘違いしていた。
「――それだ」
「は?」
「それだ、クレア!
もう一度立ち上がったハーミスは、テーブルに置いてあったコートとポーチ、そして『特定痕跡探知式追跡録画装置』のカメラ部分を掴み、宿を飛び出した。
「あ、ちょ、待ちなさいよハーミス!」
クレアは黒いパーカーすら羽織らず、ハーミスの後を追って、同じく宿を出た。
外は灯りも殆どない、漆黒の闇であった。
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