第92話 洞穴


 外は誰も歩いていない。明日は抗争になると知ってか、家屋は厳重に封鎖されていて、飲み屋ですら閉まっている。

 そんな街を、ハーミスはひた走る。後ろからクレアが、ばたばたとついてくる。


「ど、どこまで走るつもりよ、あんたは!?」


「俺は調べなかったんだ、いや、調べはしたが甘かったんだ! 『通販』オーダーで買ったアイテムが足跡を見つけられないからって、俺自身が諦めてたんだ!」


「だから何の話をしてるのよ、本当に……って、ここは!」


 ハーミスがようやく足を止めたのは、クレアが襲撃者を追い、見つけられなかった路地裏だ。つまり、両隣を空き家に挟まれた場所だ。

 昼間ですら薄暗いのに、真夜中となった今はもう、目を凝らさないと両端が見えないくらい真っ暗だ。そんな暗闇に、二人は足を踏み入れてゆく。


「……足跡と、襲撃者が消えた路地裏ね。けど、何もないって……」


「そうだ、足跡はなかった。両隣も空き家で、入り口は錆付いてた。だから俺は、こんなところを使うはずがないだろって思い込んでたんだ。けど、今は違う」


 ぶつぶつと呟きながら、ハーミスは右側の家の、木製の壁を叩いていく。


「……ここは、違う……ここも……あった、ここだ!」


 そして、真ん中あたりでようやく、彼は求めていたものを見つけたようだ。


「ハーミス、あったって何が?」


「これだ、壁に細い切れ目がある。それにこの周囲の壁だけ、ちょっとだけ色が違う」


 ハーミスが指差したのは、ただの壁。

 そう思ったのは、ほんの僅かな間だけ。クレアが触ってみると、木目ではない、別のへこみがある。紛れもなく、他の壁とは意図的に分けられた切れ目は、まるで扉を模しているかのように、長方形に彫り込まれていた。


「ほんとだ、あの時はちっとも気づかなかった!」


 もし扉ならば開くはずなのだが、押しても動かない。引きたくても、取手がない。


「押しても、引いても動きそうにねえな。だったら、こうだ!」


 どうにも動かせないと判断したハーミスは、ポーチの中からぬるりと魔導散弾銃を取り出すと、片手で壁に向かって引き金を引いた。

 すると、凄まじい音と共に、壁の一部が紫の弾丸で吹き飛んだ。くるくると散弾銃を回したハーミスは、銃身に備え付けられたベルトを肩にかけ、壁の残骸を蹴り飛ばす。


「散弾銃って、万能の鍵みたいよね……というか、げほ、埃っぽいわね!」


「蜘蛛の巣と埃、あとはテーブルとカーペットしかねえか――いや、これがあるな」


 埃と蜘蛛の巣、古びた家具以外にあるのは、足元にある、自分達以外の足跡。

 それは床に敷き詰められた埃の上にくっきりと、点々とテーブルの方に向かっていた。誰の足跡かは明白で、間違いなく襲撃者のものだろう。


「壁に見せかけた扉を使って、この中に入ってたんだ。そりゃあ、足跡が途中で消えるわけだぜ。走って逃げるふりして、ここに隠れてたんだからな」


「三人も、壁が動いた跡も残さずに入り込むって、そんなこと有り得るの?」


「潜入のプロか何かじゃねえかな。尤も、今の俺達にとって重要なのは、こっちだぜ」


 ハーミスはどかどかと家の中心に歩き、テーブルとカーペットをどかした。

 家具を脇に退かせた二人の目に入ったのは、ぽっかりと開いた、大きな穴だ。おまけに端には、ご丁寧に梯子まで備え付けられている。

 人間が横に並んで三人は入れる穴を前にして、クレアはこれが何か、考えを巡らせる。


「何、これ? わざわざカーペットの下に、こんな大穴を開けて……まさか!」


 そしてたちまち、答えを導き出した。ハーミスもまた、答えに気付いていた。


「恐らくな。ワームを倒した時、助けた人が言ってたんだ。この獣人街には昔、地下通路があったって。今は塞がれてるらしいが――もしも、もしも街の外から誰かが通路を掘り当てて、それを使っているとしたら?」


 ここに来て直ぐに出てきた、井戸を詰まらせたワーム。

 話によれば、過去に存在した地下通路から迷い込んだのではないかと言われていた。その通路は既に塞がれているとも言っていたが、もし、まだだれか使っているとすれば。


「……外から誰かが忍び込んで、ずっと通路を使って獣人街に潜伏してたってわけ? 確かにこんな大穴、自然にできたとは思えないけど、考えすぎじゃない?」


「それはこれから、確かめるさ。ほら、行くぞ」


「待って、せめてエル達を「そんな余裕はねえよ」……うー、分かったわよ」


 真実を前に急ぐハーミスを止められるのはクレアだけだったが、彼の妙な威圧に呑まれてしまい、クレアは彼と一緒に、梯子を伝って洞穴の中に潜入した。

 梯子自体はそう長くなく、地に足はすぐに着いた。予想通りと言えばそうなのだが、地上よりも中は暗く、視界は完全に閉ざされている。これでは進みようがないとクレアが言おうとした時、ぱっと前方が明るくなった。

 土の色まではっきりと見えるほど目の前を照らしたのは、ハーミスが手にしている緑色の、これまたレンズらしいものがついた筒だ。その先端から、光が出ているのだ。


「なんだか随分明るい松明を持ってるわね、あんた」


 すたすたと歩きながら、ハーミスは『通販』で買った商品について話す。


「『懐中電灯』って言うんだよ、三千ウルで買った。使い捨てだけど連続で一か月は明るいままなんだと……お、他の出口みたいだな、あれ」


 ハーミスが開いた手で指差した先には、入り口と同じ梯子がある。

 二人が何も言わず、梯子を上ってゆくと、先に上ったハーミスの頭に、こつんと何かが当たった。彼がそれに触れると、壁よりも硬い木の感触があった。

 ハーミスが乱暴にその何かを押し出すと、ごとん、と音を立ててそれは転がった。そうして地上に出た彼が見たのは、山のように積まれた木箱。


「……ここは、えっと、木箱の裏?」


 同じく、ひょいと顔を出したクレアの問いに、ハーミスが答えた。


「間違いないな。この迷路を使ってる連中は、街の至る所に出口を作ったんだ。町中をこっそり動いて、襲撃の度に、いつでも逃げられるように」


 これだけの木箱の裏に穴があっても、誰も気づかないだろう。つまり、この通路を使っている何者かは、複数の出口をこの獣人街に作っているのだ。その出口を使って、さも消えたかのように逃げおおせていたのだ。

 梯子を下りて、二人はもう一度通路に戻る。そして、戻りつつも話を続ける。


「こんな隠し方をした穴に、見られないように逃げ込めるなんて……あんたの言う通り、相手は間違いなくプロね。それこそ特殊工作員とか?」


「有り得るな。大頭が死んでから今日まで、ずっと潜伏して双方を煽り続けてたんだ。相当タフな奴じゃねえとやってけねえよ……まさか、ワームもそいつらが飼ってたとか?」


「ないない、そりゃないわよ。ワームを飼い慣らして、追手を丸呑みにしてたって?」


「ねえよな、そりゃねえよ。いくら何でも、死体を残さない為に丸呑みになんて――」


 とても、とても有り得ない。ワームは偶然迷い込んだだけだ。

 空想話に花を咲かせてしまうほど通路に慣れた二人だったが、不意にハーミスが、クレアの行く先を手で阻んだ。そして、懐中電灯の明かりを消した。


「どうしたのよ、急に? 真っ暗で何も見えないじゃない」


「……明かりは必要ない。あいつらが照らしてるからな」


 そう言われて初めて、クレアは通路の先が、広い空間になっているのに気付いた。

 そしてそこからは、ぼんやりと明かりが見える。なるべく足音を立てないように、二人は壁沿いにこそこそと歩き、広間を覗き込んだ。

 自分達に背を向けてひそひそと話し込んでいるのは、黒装束を纏った人間。併せて七人はいる彼らは、フードを被っていないが、紛れもなく襲撃者だ。聖伐隊かどうかは不明だが、ニコとリヴィオを狙った敵に違いない。

 彼らを睨みつける二人は、その奥にある、とんでもないものにも気づいた。


「マジかよ」「冗談で言ったのよ、あたし」


 黒装束に懐いた様子で蠢くそれは、どどめ色のワームだった。

 二人の予測は当たっていた。襲撃者が、証拠隠滅の為にワームを飼っていたのだ。

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