第89話 激突
喫茶店の前には、もう住民はいなかった。
正確に言うと、普通の住民はいない。ティターンとオリンポスの構成員と、双方のボスであるリヴィオとニコ、そしてハーミスとクレアだけだ。
騒々しさすら、もうなくなっていた。ここにあるのは、殺意を孕んだ目線と、ぶつかり合う殺意と、長きに渡って溜め込まれた憎悪。どちらも今、互いを殺しかねない。
「……喚くな、豚め。よくもやってくれたな」
「それはこっちのセリフじゃ。よくも、よくもわしの子分を!」
ハーミスとクレアは、双方のトップを諫めようと必死になっている。
「落ち着けって、ニコ! どう考えてもおかしいだろ、この状況は……って、クレア!? なんでここにいるんだ!?」
その最中でようやく、ハーミスはクレアの存在に気付いた。
「街市場でリヴィオといる時に、変なマントを羽織った奴に襲われたのよ! そいつらを追いかけたんだけど、消えたみたいにいなくなって……」
「おい、聞いたか! 俺達を襲った奴と同じ格好だ、やっぱり誰かが!」
二つの組織を襲ったのに、同じ格好をしている。誰がどう考えても異常な事態だというのは明らかだったが、ニコは肩に乗ったハーミスの手を払った。
「関係ない。勧誘などして悪かったな、もうその必要もない」
「ニコ……?」
彼は、ハーミスを一瞥すらしなかった。敵とも、味方とも見ていなかった。
「君達は今日にでもこの街を去れ――抗争に巻き込まれる前にな」
いまやニコの頭の中にあったのは、どうやってこの抗争に勝つか、ただそれだけだった。理知的な少年の面影は消え去り、抗争によってティターンとリヴィオを完全に滅する、そのことだけを考えている。
「よせよ、冗談でも笑えねえぞ!」
だとしても、と説得を続けるハーミスに、今度はリヴィオがきつい言葉をぶつける。
「言ってることが分からんか? 済まんが、お前は部外者ってことじゃ」
「リヴィオ、あんたも冷静になってよ! おかしいじゃないの、こんなの!」
彼女もまた、思考はニコと同じだった。どうあっても邪魔を続け、人死にを出し続ける悪鬼共を獣人街から叩き出そうと考える彼女に、クレアの言葉は届かない。
「黙っとれ。ここまで来たなら、決着をつける方法は一つしかないんじゃ。この街にギャングは二つもいらん、一つで十分じゃ」
「同意だな。そして残るのは僕達オリンポスだ」
「オリンポスは皆殺しじゃ。獣人街を守るんはわしらティターンじゃ」
もう、会話には何の意味も、価値もない。戦い、死に、残るのみ。
ニコは言った。
「……明日の明朝、大広場に来い。そこで決着をつけよう」
リヴィオが答えた。
「上等じゃ。お前ら、行くぞ! 武器を集めろ!」
そうして、二組のギャングは真逆の方向に去っていった。
明日の朝には、街市場の奥にある大広場――獣人街で最も大きな憩いの場で、血みどろの決戦が始まる。どちらかが息絶えるまで続く、地獄の戦いが。
おずおずと顔を出し始める住民達の視線を感じながら、残された二人は話し合う。
「……まずいぞ、これじゃ街を守るどころか、街の中で死人が出る。それも一人や二人じゃねえ、どっちかが滅びるまでやりかねねえ」
「どっちかが滅びる時は、獣人街が駄目になる時よ。ハーミス、あたし……」
今回ばかりは、クレアも恐るべき戦いから逃げようとは提案しなかった。ハーミスは少しだけ驚いたが、彼女の思いが伝わったような気がして、少し安心した。
「珍しいな、俺じゃなくてクレアから首を突っ込みたがるとは」
「だって、見てられないじゃない! 明らかに仕組まれてるって分かってるのに、獣人がたくさん死ぬって分かってるのに、止められないなんて!」
「俺も同じ意見だ。さっさと襲撃者を捕まえるぞ」
二人の意見が合致した時、宿がある方角から、エルとルビーが奔ってきた。
「ハーミス、クレア! 聞きましたよ、ギャングが大規模な決闘をすると!」
どうやら、二人も明日の決闘について噂を聞いたらしい。ついさっきの話だというのに、情報の伝搬とは恐ろしいほど早いものである。
「ああ、明日の朝には戦いが始まる。俺とクレアは――」
ハーミスが戦いを止めると宣言するより先に、二人が口を開いた。
「ルビー、戦いなんてやだよ! どうにかして、喧嘩を止めようよ!」
「短い間ですが、お世話になった街です。争いを止められるよう、何かできれば……」
ルビーも、エルも、獣人街を捨てて逃げるなんて発想には微塵も至らなかった。
四人の考えが一緒ならば、話は早い。成すべきことも、既に解っている。
「……俺達も、そう思ってたんだ。絶対に止めるぞ、この抗争を」
獣人街を守るべく、獣人街の外からやって来た彼らは、決意を固める。
「とりあえずは情報収集ね。説得は……もう、できそうにないから」
タイムリミットは、明日の朝まで。
血で血を洗う戦いを回避する希望は、もう、彼らしかいないのだ。
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