第35話 開戦
十万ウルという大金は、ハーミスにとってはとてもありがたかった。巨人を召喚してからの金欠とおさらばできると思うと、クレアの犯罪行為を肯定したい気にもなった。
「これだけあれば、追加で何か買えそうだな。昨日はマントと『あれ』を二着だけ、追加でライセンスしか買えなかったし……」
「お金、お金、すっごいお金! ねえねえ、また何か買おうよ!」
積極的に買い物をしたがる二人と違い、盗んだ本人は使い方に対しては冷静だ。
「必要最低限でいいじゃない、稼ぐ度に稼いだ分使ってちゃキリがないわ」
クレアの言い分は正しい。十万ウルを使い切ってしまうと、もう一度窃盗に手を染める羽目になってしまう。
このスキルが無敵である為には余裕も必要だと、ハーミスは思い知らされた。
「それもそうか。とにかく、子供達がもう売買に出されてるなら悠長にはしてられねえな。早いところ、作戦通りに聖伐隊をおびき出して――」
店主の話通りなら、作戦が長引けば長引くほど、エルフ達が危機に晒される。
子供達の情報が集まったのだから、次はジョゴがどこにいるかだ。聖伐隊の駐屯所から少し離れて、引き続き情報を集めようと一行が動き出した時だった。
「――見つけたぞ、奴隷共っ! よくも逃げ出してくれたな!」
野太い声が、道の真ん中で響き渡った。
何事かと思ってハーミスが声のした方を見ると、そこにはでっぷりと太った、豪奢な格好をした男がいて、倒れ込んだぼろ切れに向かって鞭を振るっていた。隣には剣を携えた従者らしい男が二人、太った男を護衛するように立っている。
「あれは……!」
いや、ぼろ切れではない。ぼろ切れを着せられた、ぼろぼろの格好の女の子だ。
金色の髪は泥や土汚れだらけで、布切れの隙間から見える手足は切り傷や擦り傷だらけ。食事をとっていないのかと思えるほど痩せこけっている。何より、耳が長い。
つまり、あれはエルフの少女だ。それも、酷い扱いを受けている。四人は群衆の中に紛れながら、目立たないようにその光景を見つめた。
「シャスティ、あれはエルフ族ってことで、間違いねえよな?」
「間違いない。それにしてもあの傷……!」
「落ち着け、冷静になれって。武具屋の店主の話が正しければ、あいつが唯一の奴隷商人、ジョゴだ。一先ず様子を見るぞ」
弓に手をかけたシャスティを、ハーミスが宥めた。
でっぷりと肥えたあの人相の悪い商人を射殺すのは簡単だが、それでは子供達を探す目的を果たせない。今はシャスティに矢を撃たせないようにしなければ。
そんなハーミス達の悩みなどお構いなしに、ジョゴは手にした鞭で、奴隷を打つ。
「『収容所』のどこから逃げ出したんだ、こいつは、このっ!」
「ひいっ! ごめんなさい、許して、許して……!」
肌に赤い痣を作り、泣きながら許しを請う二人だったが、ジョゴは顔を真っ赤にして怒っていた。あんな顔をした相手が、奴隷を許すとは到底思えない。
「いいや、許さん! 他の奴隷共の見せしめに、両手足を斬り落として晒してやる! お前達、やってしまえ!」
ジョゴの命令に従い、従者二人が前に出て、剣を抜いた。
このままでは、ジョゴの言う通り、両手足を斬られて晒される。自分達のあまりに悍ましい最期を創造したのか、一人の奴隷は小便を漏らしている。
「だ、誰か、誰か助けて……!」
もう一人は必死に周囲に助けを請うが、周りも亜人や魔物を嫌う人間ばかりで、到底助けなど望めない。中には処刑を楽しんでいる者もいる始末だ。それはジョゴも同様で、従者の後ろでふんぞり返り、愚か者の末路を愉しんでいる。
彼女達がぎらりと光る刃に絶望し、とうとう我が身を縮こめるしか策がなくなった時。
「おぶごっ」
二人の従者、その両方の眼球を、矢が射抜いていた。
矢で目と脳を射抜かれた従者は即死したようで、立ち尽くした後に、ばたりと倒れ込んだ。周囲の誰もが状況を理解できない中、ハーミスだけが気づいていた。
「シャスティ……っ!」
怒りが臨界点を超えたシャスティが、フードを脱ぎ、黒い弓で矢を放ったのに。
「貴様ら、よくも、よくもッ!」
「な、なんだあいつらは! 聖伐隊、聖伐隊はいないのか!」
目を爛々と輝かせてシャスティが吼えたのと、奴隷が好機とばかりに逃げたのと、従者を殺されたジョゴがしりもちをつきながら聖伐隊を呼んだのは、ほぼ同時だった。
周囲が悲鳴と逃げ惑う人で埋め尽くされる中、白い服を着た聖伐隊の隊員だけが、その場に残ったハーミス達に向かって来た。
「あの女、エルフか! それに隣にいる奴らは、まさか……」
「間違いない、聖女様が捕えるよう命令された連中だ! 他の隊員を呼んで来い、俺達二人で奴らを追う!」
しかも、やはりハーミス達の顔は割れていて、指名手配されているらしい。
「最悪だな……仕方ねえ、予定とは違うが、予定通りに行くぞ!」
シャスティを責めるよりも先に、一行は一番近い、店裏の狭い通路に逃げ出した。
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