第4話 復活

 

 ゆっくりと開いた目は、光を取り込むのに少しだけ時間がかかった。

 埃を被った体は何時間も、いや、もっとずっと眠っていたかのように思える。呼吸を取り込む器官も同様で、息を吸うと、少しだけ喉が痛い。古びた糸車を久々に使ったかのようだ。

 二、三度、わざとらしいくらい大きな呼吸をしていると、脳に酸素が行き渡ってきた。細胞が活性化していくにつれて、ハーミスは自分が置かれた状況を思い出してきた。


 どうして自分は、空も見えないほど深い谷底で、仰向けになっているのか。

 どうして自分の体は、まだ感覚もないのだろうか。

 どうして自分は、そもそもこんなところに――。


「――ローラっ!」


 思案の途中で全てを思い出したハーミスは、乱暴なくらいの勢いで体を起こした。

 記憶が蘇り、彼に告げた。自分は五年前、神託を与えられなかったから迫害を受けたこと。それでも仲間の為に尽力しようとしたが、ローラを止めようとして魔法の犠牲になったこと。彼の死を、侮蔑や嫌悪と共に仲間が偽装したこと。

 そして、ジュエイル村から少し離れた谷底、つまりここに蹴落としたこと。


「……あ、え? なんで、生きて? 俺、死んだんじゃ?」


 彼の記憶は、ハーミス自身が死んだ点までをも思い出したが、そこから先が問題だった。自分が死んだなら、今こうして体を起こした自分は、一体何なのか。


「おはようございます、お客様。早速ですが、『通販』オーダーの説明をさせていただきます」


 記憶の後に混乱が去来したハーミスに、誰かが声をかけた。

 ばっ、と振り返ると、どう見ても人間どころか魔物すら近寄らないような、鬱屈した色しか存在しない谷底なのに、自分以外の――しかも生きているらしい女性がいた。

 背丈はハーミスと同じくらい。黒のロングヘアーで前髪は切り揃えられている。黒い虚ろな目は細く、唇は青白い。骨に肌が密着しているかのように細身。黒いスーツと黒の革靴、黒のシャツに黒のネクタイを着用しているので、病的な肌の白さが一層際立つ。

 その後ろには、奇妙な乗り物。車輪が細い車体に二つ付いていて、馬や魔物が曳いている様子もない。動力も不明だが、車輪が付いている以上、きっと乗り物だ。

 とにかく彼女は、自分を迎えに来た死の神であると、ハーミスは直感した。


「……あの世へのお迎えですか? 俺、やっぱ死んだんですか?」


 当然の疑問をぶつけた彼に、女性は表情一つ変えずに答えた。


「はい、死亡しています。ですが、この度『ラーク・ティーン四次元通販サービス』にご登録いただきましたので、蘇生措置を施させていただきました」


「……蘇生? 何言ってんだ、誰を?」


 誰を、などは分かり切っているが、ハーミスは念の為に聞いた。


「お客様です。落下時に四肢が吹き飛び、九割近い内臓が破裂し、頭部が砕け散っておりました。そのままでは通販サービスが使用できませんので、繋げなおしました」


「つな……げ……?」


 焼け焦げた肌が元に戻っているのには気づいていたが、よくよく考えてみれば真上が闇に染まって見えないくらい高い所から落とされて、体が無事とは思えない。女性が言う通り、手足が千切れ飛んでもおかしくない。

 ならば、この手はどうなっているのか。あまり見たくはなかったが、まさかと思いつつ、彼は何年も着たままのような古ぼけたシャツの袖を捲った。


「……なんじゃ、こりゃあ」


 手首と肘にそれぞれ、関節を覆うような焦げ茶色の傷痕が奔っていた。

 いや、傷痕ではない。無理矢理繋ぎ合わせた痕跡であるとハーミスが察した時、これは千切れ飛んだ手の部位を繋ぎ合わせたのだとも気づいた。

 まさか、と思ってズボンを捲ると、やはり足首や膝にも。ここだけは勘弁してくれ、と願いながら首や耳、頭皮をなぞると、他の肌と違う、抉れたような感触。

 慌てて立ち上がり、近くの水たまりに自分の顔を映すと、幸い、顔にはそんな傷はなかった。ただ、理屈はさっぱりだが、瞳の色が真っ青になっていた。


「お、おい、これって、俺、本当に?」


 涙目で、恐る恐るハーミスが聞くと、女性は頷いた。


「はい、死亡しております。ステータスを確認していただければお分かりかと」


 くどいくらい聞き返すハーミスへの対応に疲れたのか、女性の言い分は投げやりな様子だった。言われるがままステータスを開いたハーミスは、またも驚愕した。

 ステータスを表示する橙色の四角形と、白い文字の全てが、黒く塗り潰されていた。

 上から黒の絵の具をぶちまけたかのように、体力や筋力、あらゆるステータスが見られなくなっている。唯一見えたのは、職業の項目に黒字で書かれた、『死人』の文字。

 おまけに、名前の後ろに『プライム』の文字。


「……俺の名前、変わってるんだけど」


「登録者の証として、名前の後ろに付けさせていただく決まりでございます」


「…………」


 もう、驚く内容など何一つないはず。


「ちなみにお客様は待ち時間の都合上、蘇生までに三年かかりました」


「三年ン!?」


 まだ、喉が潰れるほどの大声を張り上げないといけないのか。


「他の登録者との兼ね合いで、お客様の蘇生の順番が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。三年経過しましたが、肉体の保存状況は万全です、ご安心ください」


 こればかりはここを出てみないと――出られるかはともかく――不明だが、ここまでしてもらっておきながら、それだけが嘘とは思えない。無表情で語る女性の表情が、三年の時を経ているのだと、確かに告げているような気がしてならなかった。

 死亡して蘇生。体中は人形のように繋ぎ合わせられ、ステータスは黒塗り。挙句の果てに、待ち時間とかいう訳の分からない理屈で、目覚めたのは三年後。

 封印された魔王や、伝説の勇者が目を覚ました時、きっとこんな気分なのだろうか。尤も、ここにいるのはスキルも何もない、ただのハーミスである。


「……もう、わけわかんねえ……」


 今度こそ己の死を確信したハーミスは、項垂れながら、次の疑問を投げかけた。


「……俺が死んだってのは分かった。で、生き返らせてくれたのも分かった。ただ分からないのはだ、あんたがどうして俺を生き返らせてくれたんだってとこだが?」


 譲歩に譲歩を重ねた譲歩だ。

 正直に言って、ハーミスはどうして自分が生き返ったのか、さっぱり見当がつかなかった。というより、そもそも、死んだ人間が生き返るとすればもっと腐臭に満ちていたり、死んだ時の格好をしていたり、というのが定石だ。

 なのに、ハーミスは継ぎ接ぎと目の色を除き、元の姿に戻っていた。その説明はしてもらったが、そこまでしてくれた理由を、彼は聞きたいのである。


「はい、貴方がお客様となったからです。右手のそれを起動させ、スキル『通販』を獲得された方は、『ラーク・ティーン四次元通販サービス』の会員となります」


 彼女はそう言って、ハーミスの右腕を指差した。

 彼の腕には、いつの間にか、黒く四角い何かが取り付けられていた。

 ブレスレットのようなもの。中心部分が淡く光っているそれを、ハーミスは生まれてこの方一度だって見たことがなかった。


「『通販』? 『ラーク・ティーン』? なんだ、そりゃ?」


 そんな名前のスキルは、聞いたことがない。

 ようやく物事の説明に入ることができると思ったらしい女性が言った。


「お客様が右腕に装着された『注文器』ショップを用いて、商品を購入できるサービスです」


 一歩歩み寄り、彼女は告げた。


「改めまして、自己紹介をさせていただきます。私はキャリアー。『ラーク・ティーン四次元通販サービス』の配送員でございます」


「は、はぁ」


「お客様は『会員』となり、スキルを得ました。購入の権利が与えられたのです」


 聞き慣れない言葉の羅列で、ハーミスの脳はもう一度破裂したようだった。

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