悪魔に抗う男 2
最初に動いたのは悪魔だった。
姿が消えた――そう認識した時には既に、リヒトへと大上段からの神速に至る一閃が振り下ろされていた。
だがリヒトも同時に動いていた。
姿が消えると認識する寸前に本能的に身を翻しており、
「――っ」
刹那、爆音が耳につんざく。
次いで衝撃。
大量の爆薬が炸裂したような激しい衝撃と音と共に、大地は深く、鋭く、その斬撃によって切り裂かれていた。
それに伴って発生した斬撃の衝撃が刃の形をもって地平線へと疾走して、やがて消える。その威力は少なくとも彼が視認出来なくなるまで衰えている様子は見えなかった。
腹の奥底に怒りと憎しみを滾らせる。
ふつふつと湧き上がる感情の波と共に、胸の内に湛えている深淵がにわかに増幅するのを感じた。
自身の魔力に禍々しい力が加わるのがわかる。ガイマとは異なる、深く、重く、冷たい強大な力。
だがそれを纏めて相手にぶつけるためのモノへ変える時間はなかった。
また肉薄してくる悪魔へとたまらず後退を選択。
それと共に、カインが間に割って入るように飛び込んで来た。
振り下ろされる鋭い刃に、大上段で剣を構えたカインが対応。
目の前で爆発に似た強烈な火花が散った。
カインはだがそれ以上の力を込めずに、刀身に触れた刃をそのまま後ろへ受け流す。
そうして一閃――受け流した勢いと共に振り抜かれた横一文字の斬撃が、稲妻に似た速度で悪魔の腿あたりを切り抜いていた。
皮膚が裂け、肉が露出する。ややあって鮮血が迸り、湧き水のように溢れ出る。
悪魔は表情を変える事無く不発に終わった斬撃によって大地に突き刺さった己の武器を引き抜きながら、傷跡を一瞥。
やがて、それは愉悦するように笑った。
「ほう、リヒトから奪った
声を掛けられ、振り返りながらカインは言った。
「はっ、奪った……ね。確かにそうだ、だけど彼の知らなかった
剣を構えなおし、油断することなく悪魔の動きを細かに見定めながら、言葉を続ける。
「僕の為の力に感じる。カイン・アルバートへ授けたものだ……意外とあんたは、色々な事を大して深く考えてないようだ」
宿っている魂はリヒト。だが肉体はカイン。
その能力はこの世界と、カインとして生きる為に与えられたものだ。
であるならば、カインがそれを容易く順応するのは不思議な事ではないだろう。
悪魔はリヒトとカイン。この二人を明確に別個体として判断できているわけではないように感じる。
だがそれは仕方のない事だろう。彼は悪魔で、我々は人間だ。
猫が人間を全く別の存在だと認識できないように、それは認知や想像力の限界だ。
得意げに言葉を返したリヒトに対し、悪魔は何かを含むような微笑を浮かべていた。
「それもそうか。カイン・アルバート……貴様も興味深い対象だ」
両剣を構えていた腕を下ろし、悪魔はゆっくりとカインへと歩み寄る。
その姿に敵意や威圧感はなかったが、だがここで悪魔が手を止めるとは思えない。
そう考えた所で不意に、悪魔の足先が地面を抉り――掬った乾いた土が、砂煙を上げながらつぶてのようにカインへと急襲する。
しまった。
考える間に、本能的にまぶたが下りる。
――違う、そうするべきじゃない。
理性がそれに抗いながら目を見開かせる。だがそうした所で顔に降りかかった土が瞳を汚し、その異物から眼球を保護しようと再びまぶたがソレを覆う。
身悶えするように腕を振り払いながら、カインはすぐさま後ろへ飛び退る。
だがそれも間もなく、背中が絶対的な強度の何かに強烈に衝突した。
「⁉」
一瞬、それは壁だと思った。
だがここは開けた平原。近くに森はあるが、一度の跳躍で近づけるほどの距離でもないし、その感触は樹木に類するものではないと経験が叫んでいた。
振り返るが、目を開けられない。
逃れようとするが、まだ体は空中にあって身動きは出来ない。
すべての行動が悪手だった。
考えている間に、右肩が何かに強く掴まれ、にわかに落下し始めた体がその空中で繋ぎ止められた。
何か。思考する余地もなく、それは悪魔だ。
やがて答え合わせでもするように、それは口を開いた。
「貴様の力は十分に強い。だが余りにも経験不足だ。そして――」
一度、銃声が鳴り響く。乾いた破裂音と共に音速で迫る漆黒の弾丸は寸分の狂いもなく悪魔のこめかみを狙っていた。
が、わずかに首を反らす。ただそれだけで弾丸は虚空を穿ち、やがて視界から消えていった。
目だけを動かして銃を構えているリヒトを一瞥し、
「多少の経験はあるが、力が圧倒的に足りない」
そう言うと、悪魔は力任せにカインを地面に叩きつける。鈍い音と共に右腕が可動域を超えた方向へと曲がり、少年は短く叫ぶように喘いだ。
それを眺めて嘆息する悪魔は、さらに続ける。
「貴様らが分かれたのは、愚策という他ない」
個を尊重した結果、こうして殺されてしまうのだからそこに意味などなかったのだ。
彼は卑下たように見下した視線を双方へ送り、また嘆息した。
多少は楽しませてくれるかと思ったが、想定内の結果だったな、と。
そう考えている内に、再び漆黒の弾丸が音もなく飛来した。
悪魔はただそれを首を軽く横に反らすだけで回避する――が、目測を誤ったのか、側頭部の角に僅かに掠る。
極微小の衝撃。ほとんど何も起こらなかった事と、同義だったが……。
「昔にな、読んだことがある本を思い出した。読んだのは俺のガキだったが」
不意にリヒトはそう呟くように口を開いた。
悪魔の眼下では、へし折れた腕を既に回復させながらカインは立ち上がろうとしている。
時間を稼ぐ。そういった魂胆はなく、ただリヒトは頭の中に浮かんだ言葉をただ口走っているだけのようだった。
「中世の頃に現れたバケモノを、騎士が討つおとぎ話だ。まだこの国が出来るずっと前の、遠くの場所で……今と、同じ事をしてたわけだ」
「はっ――なら、僕らは、勇者ってわけかい」
傷は癒えた。だが立ち上がり、吼えたカインの姿は満身創痍だった。尋常でない体力の消耗と、恐怖とがその肉体から全ての力を奪い去ろうとしている。
全身が小刻みに震え、悪魔を睨む瞳の焦点はぶれている。
だがその魂に宿る熱量だけは失われていない。
口にした言葉が、それを物語っていた。
カインの言葉をリヒトが鼻で笑った。
「ガキとギャング崩れが勇者ってのは、夢をぶち壊す寝物語だな」
「それがなんだと言うのだ。ただの蛮勇と思い上がりで、力がなくとも物語性だけでこの我を倒せるとでも?」
悪魔は挑発するように笑う。
まるでそれに呼応するように、二人も笑みを浮かべた。
理解が出来ない。
それを見て、にわかに悪魔は困惑する。
気でも狂ったのか。人間はやはり脆弱な存在。結局は圧倒的な力の前では瞬く間に果てるか、気を狂わせるかしか出来ない――。
「倒せるさ」
眼下のカインが悪魔を指さし、そう言った。
その指先が、先ほど弾丸を掠め薄く表面を削られた、悪魔の角を指していた。
なるほど――たったこれだけの事で。
愚弄にも似た指摘に、ほんの僅かではあったが、悪魔の心が鈍く歪み怒りを湛え始めていた。だが彼自身、それを認知してはいなかったが。
「いいだろう。ならば、この無慈悲と言える力の差を地獄でもがき苦しみながら理解するのだな」
悪魔はゆっくりと両剣を前に突き出すように構える。
瞬間――この世界を覆いつくした、と思われる程の莫大な瘴気が、悪魔の全身から放たれた。
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