地獄から来た男

悪魔に抗う男

 鉛弾は正確に悪魔カルマの額に直撃した。

 だがそれは表皮を傷つける事さえなく、自身の破壊力に押しつぶされるようにコインほどの平らな形状に変形したのち、自重で地面へと落ちていった。

「人間の武器が、この我に通じると思っていたのか?」

 にたり、と悪魔の表情が厭らしく歪む。

 そうすると同時に――悪魔を中心とした周囲の大地が突如として隆起する。彼がそう認識した時には既に、大地は錐状に変形しながら鋭い槍のような形をもって前後左右、四方八方からその身を串刺しにしてみせた。

 が、やはりその穂先も悪魔に衝撃を加えた途端に力負けする。自身の破壊力をそのまま撃ち返され、総身に亀裂を入れ、砕けていった。

 悪魔は笑みを湛えたまま、リヒトを見下ろしている。だがその表情には侮蔑以外にも一つ、新たな感情が生まれていた。

「やはり貴様は逸材だよ。今までに持ち得なかった魔力。これを既に理解し、これほどまで扱えているとはな」

 純粋な賛辞。

 既にリヒトの力、単純な能力はカルマの想定を遥かに超えている。

 実際、あの肉体を取り戻している時点でその異常性には気づいていたが、しかしこれほどまでとは彼自身思っても居なかった。

「良い気がしねえよ、てめえに褒められてもな」

 互いに一歩も動かず、睨みあう。

 カルマは手を下せば一撃でリヒトを屠れると慢心しているし、また同様に、リヒトは現状を鑑みて動けない。

 唯一の有効打足りえるのは恐らくあの『魔力の爆撃』と『漆黒の弾丸』くらいなものだろうが、どちらもカルマを相手に易々と使わせてくれるとは思えない。

「生きるつもりもないならば、なぜ抗う? いつものように我に地獄へ落とされれば良いものを」

 ――大人しく殺されてやれば全てが済むのだろうか。

 ふと頭の中に過った疑問が、小さく、だが強く心の隅に食らいついた。

 なぜ自分は抗うのか。

 この男が仮に他の同じ境遇の者に執着して似たような事をしていたとしても、自分には興味のない事だ。

 このまま己が殺され、ついでとばかりにカインまで殺されたとしても、それは飽くまでただの悲劇。それ以上の感想はない。

 今ここにある命に執着する理由はない。

 繰り返してきた人生などもう飽き飽きしている。このまま消えてなくなったとしても後悔などの余念はとうに失っている。

 自問自答を繰り返し、やがて単純な回答に至った。

「気に入らねえからな」

「……どういうことだ?」

「結局、てめえの思い通りにならなけりゃ、てめえの思い通りに殺される。気に入らねえんだよ……腐って死んでた俺を呼び起こしたのはこの世界だ。それがてめえの誤算だったってわけだな」

 今までなら、抗う事すらせずに諦めて死んでいただろう。もう終わりで良いと自暴自棄になり怒りや憎しみも半ばに、それを受け入れる準備は生きている時から出来ていた。

 リチャードとして死んだ時だってそうだ。もう少し生き汚くあれば、あの状況は打破出来た。少なくとも今ならばそう思う。

 冷めた鉄が熱を宿したのだ。

 今の己が諦観する事は、もはや難しい。

 どれほどの力量差を目の当たりにしたとしても、この命尽きるまで。

 誰の為でもなく、己の為に。

 悪魔は理解に困っているように顎に手をやった。

「心境の変化、というものか。くだらぬ感情に突き動かされ愚かなものよ」

「わからねえだろうな。わかってたまるかよ。人間ってのはそういうもんなんだよ」

「ふ、くだらぬ――」

 声が、途切れた。

 その時、頬を撫でるような一陣の風が吹いていた。

 その直後、悪魔は突如としてその身をよじるようにして後方へ吹き飛ばされていた。

 何が起きたのか。

 それを理解するまでもなく、悪魔が立っていた場所に着地したのは、引きつった笑みを浮かべたカイン・アルバートだった。

「はあ、やっちゃった。言う通りにしてれば、僕だけは生きて帰れたような気はしてたんだけどな」

 呟きながら片手で顔を覆う。それもそこそこに、割り切ったように首を振って雑念を払った。

 やがて振り返った彼は、表情を引き締めてリヒトへと告げる。

「恩人だとか、借りがあるとか、関係ないんだ。ほんとはね」

「……」

「僕はキミに死んでほしくない。言っただろ、一度はこの肉体はキミの物だった。一心同体さ、僕だけむざむざ生きて帰って何事もなく元の生活に戻ることなんて出来ない」

「そうか」

「ああ。死ぬつもりもない」

 リヒトを見るカインの背に、気配もなく悪魔が出現した。

 それを警告するように口を開いた時にはすでに、振り下ろされた拳がその肉体を真上から垂直に叩き潰していた。

 が、それはその場に残された幻影だった。

 手ごたえのなさを理解して即座に悪魔は飛びのく。直後に、その横っ腹を蹴り飛ばそうとしていたカインの足が、空中で制止した。

「どうせ生きてるんだ。他にもっと別な、楽しい事をしたいじゃないか。僕にとっては命は一度きりだ」

 また悪魔が背後に肉薄した。同時に飛び上がったカインはそのまま悪魔の首筋へと、痛烈な蹴撃を叩き込む。

 肉を叩く快音と共に地響きのような振動を起こして悪魔は地面に叩きつけられていた。

「だから、悪魔おまえの好きにはさせない」

 また地面に降り立つ。

 刹那、今度は正面にその巨体が出現した。

 ――わかっている。

 カインは弾速に近い拳撃を容易く回避してみせると、またぐらを潜り抜けて背後に回った。

 風のような身軽さで、その背部に拳を叩き込む。直後、その衝撃だけが無数に複製され、全身を強かに撃ち抜いていた。

 短い呻きを残して悪魔がにわかに膝をつく。それでも容赦なく、カインは腰だめに置いた拳を弾丸のように振り抜いた。

 悪魔は顔面の半分ほどを陥没させながら、声もなく仰向けに倒れていく。

 間もなく訪れる激震。

 巨体が倒れ、地が揺れる。まるで家屋が倒壊したような振動に、音が響く。

 この境地に至って、カインはまたリヒトから残されていた能力の開花を得ていた。

 『予知』は次に自身の肉体に受ける強い衝撃があった時、その部分が鈍く痛む。

 『快速』は身体能力に関わらず瞬時に目線の先へと移動することが出来る。

 『想起』。己の記憶の中から今最も必要とする”物”を引き出せる。

 故に彼が強く意識した途端に輝きだした右手。直後に現れたのは、一振りの刀剣だった。

 父親の形見として、リヒトが現れるまで持ち歩いていたものだ。結局ウルスに襲撃されてから、それが見つかることはなかった。

 今になってこれをまた手に出来るとは……そんな感慨もそこそこに、カインは倒れた悪魔の喉元に剣先で触れた。

 刹那、まるで全身に電撃を受けたような痛みが走る――理解と同時に咄嗟に後ろへ飛び退る。

 その直後、不可視の衝撃の塊が頭上から降り注いだ。

 爆発音と共に地面は深く抉れ、それに伴って巻き起こる衝撃波は暴風を起こして地表を舐めた。

「くくく……面白い」

 巻き起こる砂煙の中で、悪魔の巨体が起き上がるのが見えた。

 カインは少し慌てた様子で『快速』を使ってリヒトの隣へと移動する。

 煙の中で悪魔はそれを確認する術はない――だがそれを理解するように、そいつは振り返り、ゆっくりと彼らへと歩みを進めていた。

「貴様には分不相応。得意になってはいるが、結局この程度だ」

 煙を払い、出て来た悪魔。

 その総身には傷一つなく、また痛みを負っている様子すらない。

 悪魔は右腕を前に突き出す。

 途端にその先の空間がにわかに暗く、重く、冷たくなっていく。やがてそれが円状に形を整え、完全な闇と化す。

 穴のようなそれからゆっくりと鋭い刃が顔を出す。それを理解した時には既に、その全容を悪魔は引き抜いていた。

 それは身の丈ほどの両剣だった。

 上下共に携えている鋭く長い刃は禍々しく黒い。その中心に一本の赤い装飾と、両方の刃の中心に赤い宝玉が埋め込まれている。

 持ち手となっている柄には汚れボロボロになった黒ずんだ布。それを見るだけで、その武器がかなり使い込まれているのが見て取れた。

「貴様らが抗うというのならば、叩き潰してやろう。なぜこの我が地獄の門に鎮座出来ているのか――もはや後悔する暇などさせぬ」

 始まる。

 終わりが、始まる。

 無意識に二人はそれを感じていた。

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