故ある男

 タイタン・ヴェナドが休業している。

 それはすなわち極度に生活が困窮することを示していた。

 スミスの見舞いから帰ってきたカインへ提示した代替案は二つあった。

「賞金首を捕まえるか、自分たちの為だけに狩りをするか、だな」

 自宅だから当然、といった具合にどっかり椅子に腰かけ、テーブルに足を乗せたリヒトは腕を組みながらそう言った。

 エミリーはそれをじとっと不愉快そうに眺めながら、パンを齧っている。

 妙な光景にカインはどうしたものかと間を置いてから答えた。

「ま、無難に狩りだよね」

「無難に考えりゃ賞金首だろ。お前、獲物の処理できんのか?」

「で、出来るよ……やってるの、見たことあるし」

「話になんねえな。何が狩猟組合だ、何のために何を狩ってんだよ」

 リヒトは呆れたように肩をすくめる。

 カインはむっとした顔で、だが言い返せずに黙り込んだ。

 確かに動物を狩る技術は一定以上だ。

 だが仕留めた獲物を持ち帰って納品するだけで、それ以上の事はしたことがない。

 動物の皮を剥ぐだの、捌くだのは肉屋の主人がやっていたのを一度見せてもらったことがあるだけだ。

「まあいい、今後の為に教えてやるよ」

 よっ、と掛け声と共に足を下ろして立ち上がる。傍らのエミリーを一瞥して、仏頂面のままリヒトは声をかけた。

「良い子にしてるんだぞ」

「ご心配なく」

 ぶすっとした顔のままそう返して、エミリーはそっぽを向く。

 リヒトはそれを見て何も言わぬまま、先に家を出た。


 馬は一頭しかいない。だからリヒトが手綱を握り、その尻にカインを乗せて二人は近くの森に向かっていた。

 その近くには川も流れている。

 小動物はもちろん、鹿くらいはいるだろう。

「随分エミリーに嫌われてるね。僕が居ない間、何を言ったんだ?」

「ああ? 別に、何も言ってねえよ」

「でもあの娘が、あんな露骨に態度で示すなんて珍しいからさ」

「ま、綺麗なねーちゃんに追い出されたと思ったら今度は知らねえ男と、いつまでかわからねえ同居生活だ。年頃の娘じゃ納得できねえ所もあるんだろ」

 元々俺はこの世界に存在しない筈の異物だ。それを感覚的に機微に感知したのかもしれねえしな。

 なんでもないように言ってのけるリヒトに、カインは返す言葉も思い浮かばずに黙り込んでいた。

 それからしばらく馬に乗っていた。いつもの道程が、ひどく長く感じるほどカインはその空気を重く感じていたが、リヒトはそれに対して何かを気にしているような感じも全くなかった。

 ある種、対照的な二人だった。

 そういう意味では、このまま二人の関係が続けばいい友人になれるかもしれない――リヒトは妙にそう考えて、「らしくねえな」と独り言ちて笑った。

 そうしている内に遠目に森が見えてきた。

 二人はいよいよ狩りの時間だ、と少し気を引き締める。

 だがその意図とは別に、彼らは肝を冷やすことになった。


 森の前に仁王立ちする人影があった。

 嫌な予感がしていたのは、二人ともだった。

 この世界に来てからこの嫌な予感というものは良く的中するし――今回も御多分に漏れてはいなかった。

 立っていたのはただの男ではない。

 まず第一にそいつは全裸だった。だが肌は白でも黒でも薄橙でもなく、深い藍色をしていた。性器は見当たらず、だが代わりとばかりに下半身は獣のような毛皮に覆われていた。

 足先は牛のような蹄になっている。

 その男の側頭部にはうねるような角が対になって伸びていた。

 何よりその身長は常人からかけ離れていた。単純にリヒトの倍はありそうな巨体であった。

 今すぐ逃げるべきだと何かが語り掛けているようだった。理性が警告しているのだろう。

 だがそうするわけにはいかない。強くそう思うのは、リヒトだった。

 馬から飛び降りた彼はゆっくりとその男へと歩み寄っていくと、やがてその距離が相手の瞳の動きが見える程度まで近づいて、足を止めた。

「テメエが黙ってるとは到底思えなかった。いずれこうなるような気はしてた――ここまで早く来るとは、思わなかったがな」

 リヒトは既に拳銃を抜いていた。手を下げたままだったが、ゆっくりと撃鉄は起こされている。

 男はしばらく間を置いてから、嘆息して、ようやく口を開いた。

「当初の手段とは異なったが、我の目的は変わらない。今ならまだ、引き戻すことは可能だ」

「……何言ってんのか、わかんねえよ」

「貴様をカイン・アルバートの肉体に移し、この世界にとって超常的な力を与える。そうする事による周囲への影響、また死んだはずのカインが引き寄せる死の因果律に貴様がどう抗っていくのか――この世界は暫くすれば、魔獣達により壊滅するだろう。それに対する貴様がどう対応してくれるのか、興味がある」

 説明するように話したその男――悪魔カオスへと、リヒトはうんざりしたように顔をしかめながら大きくため息をついた。

「要するに、テメエの人形遊びだろうが。くだらねえ事に付き合う義理はねえ」

 カインが死のうが、この世界が滅びようが、興味がねえ。

 リヒトは徐々に昂ってくる感情を抑える事無く、言葉を紡ぎ続けた。

「色んな時代で生きて来た。今の年齢だけ見りゃ若造だが、こう見て数百年の歴史を見て来た。テメエはどれほどの時を生きて、何を見て来た?」

「その問答に必要性は感じないな。我の問いにだけ答えよ」

「なら、ノーだよ。くそったれ」

 言いながらリヒトはゆっくりと銃口を悪魔へと向ける。

 それに警戒すらせず、悪魔は余裕を見せるようにほくそ笑んでいた。

「やはり人間、くだらない意地、プライド、捨てきれぬ自尊心に縛り付けられた者よ」

「違うな」

 リヒトは断じるように言った。

「テメエも、俺も、どこの世界にも必要ねえんだよ。俺も年を取りすぎた……道を譲るべきだ、若人によ」

 声は怒りに震える感情とは裏腹に、ひどく冷静に落ち着いて沈んでいた。

 その言葉はまるで自分に言い聞かすようでもあり、

「ああ、そうか」

 悪魔もまた、それを聞いて最早交渉の余地などないと、理解した。

 彼はゆっくりと腰を下ろし、身構える。

 そうした瞬間、

「こいつは俺の問題だ。お前は帰ってろ、カイン」

 背中越しに告げたリヒトは即座に、引金を絞って弾丸を解き放った。

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