二人の男 2

 なるべく急いでタイタン・ヴェナドまで歩いてきたが、そこに人影はなかった。

 アエスタの死骸も、卒倒した仲間たちも、連れてきた馬も、致命傷を負ったスミスも、そこには誰もいなかった。

 扉は重く閉ざされていて、一枚の張り紙が貼ってあるのが見えた。

「……休業中、か」

 ただ一言、なんの色気もなく書きなぐられたそれを見て、リヒトは腰に手をやって嘆息した。

 ここまで手が回っているのなら、既にあの日から数日が経過しているのだろう。

「あっちぃな」

 額に浮かぶ汗を手の甲で拭いながら、つぶやく。

 せっかく得た体だ。久しぶりに酒でも浴びるほど飲んでも良かったが、あいにく持ち合わせがまったくない。

 ついでに言えば拳銃もなく、弾薬もない。

 身体能力も深淵に居た時のように常人そのものだし、悪魔から与えられた能力というのもどうやら使えそうになかった。

 あるのは持ち前の五体満足な健康体と、内から湧き出る魔力だけだ。

 つまりはこの身ひとつ。

 大人しくカインの家に戻って、帰りでも待つか。

 そう考えたのは張り紙を見ながらのことで、

「……ん?」

 身を翻してその場を去ろうとした時、周囲の木陰から現れた人影を見て、彼はその選択を一時保留にしようと考えた。

 現れたのは松葉杖をついた長身の男と、それを介助するように腕を支える凡庸そうな外見の男だった。

「組合の受付……って面じゃねえな」

 リヒトへとゆっくり歩み寄る二人へ、大した警戒もなく戯れる。

 彼らは警戒色に染まった目つきで、やがて一息で詰められる程度の間合いだけを残して立ち止まった。

「見たことない顔だな。見ての通り組合は休業だ、なんの用だ」

 松葉杖の男。よく見ればその顔に見覚えがある。

 名は確かエル=リア・ドレイド。スミスの実の息子だ。

 先日ガイマから助けた恩があった筈だが――と考えた所で、今の己がカインでない事を思い出す。

「人を訪ねて来ただけだ。そう警戒すんな」

 肩をすくめて、わざとらしい笑みを作る。

 エルの傍らの男は常に腰のホルスターに意識を向けながら、間に入るように一歩前に出ていた。

「尋ね人って、誰だ?」

 男はひどく警戒していた。

 まるで答えによってはすぐさま事を大きくしようという顔つきだった。

 一体何が起こっている。

 アエスタを殺害し、スミスが負傷した事がそれほどの大事件なのか? 犯人は明確にアエスタと決めつけても良いほど状況は整っていた筈だ。

 彼らにとって不鮮明なのは、その仲間たちが倒され、アエスタが殺害されていた事。

 もしそうであるなら、第三者がその両名に手を下し、警戒している……という判断なのかもしれない。

 当初はこの連中にカインの居場所を訊こうと思っていたが、どうやらそんな簡単な話ではなさそうだ。

 素直に口にしてやってもいい。だが無闇に問題を大きくするつもりはない。

「タイミングが悪いようだな。問題に巻き込まれるのは御免だし、関与するつもりもない。俺の知人がそれに関係している可能性がある以上、それには答えられない」

「構わない。おれたちはただ親切に訊いているだけだ、答えろよ」

 めんどくせえな。心中で独り言ちながら、腹を括る。

「スミス・ドレイドだ。ここで組合長を務めていると聞いて訪ねて来た。それだけだ」

親父スミスに……? なんの用だ」

 機微に反応したのはエルの方だった。

 リヒトはまるで事情を知らない一般人を装いながら答えた。

「問題が発生したと手紙が届いた。金の話だ。しばらく疎遠だったが、俺の伝手に銀行員が居る。話次第でそいつを仕事にしようと思ってきただけだ」

「随分と遅い到着みたいだな。その話はもう昨日ケリがついたばかりだ」

「ああそうかい。じゃあ俺にもう用はないし、首を突っ込むつもりはない。石橋は叩いて渡るタイプなんでな」

 言いながら片手を上げて別れを告げる。背を向けた途端に、またエルが声を発した。

「待てよ」

 リヒトは足を止める。体を動かさず、鬱陶しそうに首だけを回して彼を睨んだ。

「なんだよ。俺はこう見えても忙しいんだ」

「お前、なんか怪しいんだよ」

 わざとらしく大きくため息をつく。

 うんざりだ。めんどくせえ。

 そういった本性は、この体になってより顕著になってきた気がする。

 カインで居た頃はもう少しうまく立ち回ろうとする気概があったものだが。

「なんか、で足止め喰らわされちゃたまんねえなぁ、オイ」

 リヒトはようやく踵を返す。

 そうしてずんずんと構わず歩みを進めた。

 傍らの男は怯えたように即座に銃を抜いて、リヒトへと照準する。だがその時には既に彼は懐まで潜り込まれていて、拳銃を握られ身動きを封じ込まれていた。

 手を伸ばせば触れられる距離までリヒトはエルへ接近したところで、ようやく止まる。

 額には青筋を浮かべ、眉間には深い皺を寄せる。

 歯牙を向いて、だが静かに言い放った。

「てめえ、気に入らねえな」

 言いながら男が把握する拳銃を、その腕ごと振ってエルへと突き出した。

 銃口はエルの額を打つ。

 途端に男の腕が小刻みに震え始めていた。

 リヒトはそのまま、撃鉄を上げてやる。かちり、と金属のパーツがかみ合う小気味良い音が、静まり返った辺りに響く。

 だがエルはその強い眼差しをリヒトから離さない。

 恐れ、震えることはない。

 しばらくの沈黙が続いた後、先に口を開いたのはエルだった。

「おれは一度死んだ男だ。そんな脅し、怖くもない」

「脅しじゃねえよ。てめえの返答次第じゃ引き金を引く」

 怒りに任せて全てをぶち壊すのは十八番とくいだ。

 今までそうして生きて、そして故に死んで来た。

「ならそれでもいい。敵が見つかったなら、この捨てた命も拾いもんだ」

「敵、だと?」

「スミスは殺されかけた。ケリはついたが、おれはこれ以上の問題ごとは御免なんだよ。だから先に手を打つ」

 そこまで聞いて、リヒトは鼻を鳴らす。

 呆れるように軽く笑ってから、軽く松葉杖を蹴り飛ばしてやった。

「うわっ」

 エルは瞬く間にバランスを崩してそのまま尻餅をつく。それを眺めながら、もう一人の男の腹部へと痛烈な打撃を見舞ってやった。

 男は腹を抑えながらうずくまる。だがもはや敵愾心は失せ、拳銃を向ける気力すらなさそうだった。

「その身体で、どうやって?」

「この身体だからこそ、だろ」

 エルは強い決意を持ったように、力強く言った。

「頭を冷やせ、クソガキ。てめえだけの問題じゃ済まなくなるんだよ」

 命さえあれば、必要のない復讐をせずに済む。

 悲しみに暮れる事無く、虚無に襲われる事無く、過ごすことが出来る。

 何かを恨むことなく、自壊することもなく。

 こいつも仲間を殺されている。だからこそ身を挺してまで何かをしようともがいているのかもしれない。

 だがそれには余りにも非力すぎ、感情に走りすぎていた。

「ったく、相手してらんねえな。一人じゃ立てねえガキがよ」

 吐き捨てて、リヒトはポケットに手を突っ込んで身を翻す。

 それに対する返答も待たないまま、彼はうんざりしたようにその場から離れていった。


 まったく最低な気分だった。

 尻の青い子供の自己犠牲。それによって物事が良い方向へ運ぶことなど決してない。

 奴は奴なりに何かを考え、抱え、思い込んでいるのだろうが、あまりにも浅はかすぎる。

「にしても、どこに居やがんだあのバカは」

 お陰でひどく気分を害した。

 そもそもカインがまともにあの肉体に戻ったとするならば、己はもうこれ以上彼に執着する必要はないのだ。

 今はただ状況を知りたいだけだ。

 事と次第によっては、カインの元を去る。まだ力が必要であるならば――気分次第だが――協力しても良い。そう考えていた。

 だがカインはエルよりも年下だ。

 もしまともに対話して、彼と似たような返答があるようならば最早相手をしてやる価値はないだろう。

 考えながら家路につく。

 やがてカインの自宅の前まで来た時、ちょうど赤髪の女が同様にこの家へ向かっているのが見えた。

 彼女はリヒトがそこに立ち止まったのを見て、少し慌てた様子で駆け寄ってくる。

「こんにちは。あなた、この家の主人と知り合い?」

 ロラは少し遠慮がちにリヒトを見ていた。

 まったく今日はよく人に会う――気だるげな反応を隠そうともせず、リヒトは短く頷いた。

「ああ。居ないみたいだが」

「そうなのよね。私も昨日来た時も居なかったし……妹さんも居るハズなんだけど、その子も居ないから」

 ――あれだけ疑われ、詰められていた時とはまるで違う対応だ。

 しおらしく、どこか弱弱しい。

 きっとそれはカインが居ないから、というだけではないのだろう。

 彼女にとってこの対応が通常なのだ。

 随分と嫌な印象ばかりだった。最も、正体を明かせばそれも元に戻るのだろうが。

「どこに居るか知ってる? って、知ってたらここに来ないわよね」

「あんた、心当たりはないのか?」

「うん、ない。あはは」

 軽く笑うロラだったが、どこか元気が感じられない。

「彼の知人が今病院で寝かされてるけど、見舞いに来た様子はないっていうし。もうしばらく会えてないのよ、私も怪我して見舞いに来てもらって、それっきり」

「引っ越したんじゃないのか?」

「彼に限って、急にそんなさみしい事しないと思うけど……」

 私、しばらくの間彼にキツく当たってたから。

 そういったロラの視線は、所在なさげに揺れていた。

 しかし、ロラもカインの所在を知らないとなるといよいよ手探りだな、とリヒトは思った。

 どうしたもんか。腰に手をやって考えていると、途端にロラが隣に居る事を忘れてしまった。

「あの」

 だから彼女が不意に声を発した時に、少し驚いたように体を弾ませた。

 それにロラもまた驚いたように目を丸くしてから、それが随分とおかしかったのか肩を震わせながら、押し殺そうとしていた笑いを零す。

「なんだか、変ね。あなた……初めて会った感じがしないし」

「なんだよ、口説いてんのか?」

「ちっ、違うわよ! っていうか、カインの知り合いって誰? 付き合い長いけど、見たことないわよ」

「最近知り合ったんだ」

 顔を髪のように真っ赤にして否定するロラへ、リヒトは何でもないように言葉を返す。

 へえ、という相槌と共に彼女は不躾にもリヒトを足から頭まで、舐めるように見回した。

「どんな関係で?」

「あんたに説明する必要があるのか?」

「ない。けど気になるから」

「はん、素直だな。まあいい」

 こうして話してみれば、随分と可愛げのある女だ。ケニーはそんなギャップにやられたのだろうか。

 リヒトは依然として気だるげな態度を崩さないまま、言葉を続ける。

「奴は最近、法執行官と行動している。だがその法執行官との連絡が取れなくなってな、何か関係があると睨んでここに来たわけだ」

「……うん、で? あなたは何者?」

「法執行官の知人だ」

「ふーん。その割には銃も持ってないのね?」

「ああ。昨日ポーカーで持ってかれたんだ。だから無一文だし、困ってる」

「あら、そう。わかった、じゃあね」

 あわよくば。そう思って告げると、ロラはそっけなく踵を返した。

「おい待てよ。なにも恵んでくれって言ってるわけじゃねえ」

 慌てて去っていく彼女の隣に並ぶ。それも構わず歩を進めるロラへ、歩幅を合わせた。

 それを横目でにらみながら、ロラは拒絶するように口を開く。

「なによ、ついてこないでヘンタイ」

「なんなんだよ急に」

「あなたが急に怪しく見えてきたから帰るのよ。わかるでしょ?」

「ああわかる。だが少し金を貸してくれ」

「いやよ。持ってないもの」

 つっけんどんな返しに、取り付く島もない。

 最も、彼女の反応は正しい。

 エルらの対応も、本能が警鐘をかき鳴らしていたのだとすれば正しい。

 その程度には、リヒトは自分の事を理解しているつもりだ。

「それに、あなたの魔力……ヘンだもの」

「ヘン?」

「大きく力強い。それだけでも珍しいのに、なんかこう、重くて苦しい感じがする」

 禍々しさはないが、感じたことのない魔力だ。

 彼女はそう言った。

「ともかく、面倒ごとはイヤ」

「お互い様だ。こっちだってカインが見つかればあんたに用なんてない」

「それに関しては意見があうわね。……ともかくもう離れて、お金も貸さないし、あげない」

 鋭い眼差しは、なまじその容姿が整っているだけあってひどく強いものを感じた。

 リヒトは思わずそれに気圧されて足を止める。

 それを一瞥しながら、ロラは足早にその場を去っていった。

「厄介な奴」

 呟く言葉は捨て台詞ではなかった。

 カイン以外でこの町に知人を作るつもりはない。あれだけ不愉快に付き纏えば、またどこかですれ違ったとしても向こうから関わってこようとはしないだろう。

 まだ見定める時間が必要だ。

 まだ透明人間でいるほうが都合がいい。

 無意識に感じていたそんな予感が、かつての知人たちの距離を意図的に離していた。

 ともかく、家で待機しよう。自宅になら多少の食料はあるし、エミリーを連れ出しているなら帰ってこない筈がない。

 今はそれが、最善のはずだ。

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