辞めた男

 感覚が研ぎ澄まされる。周囲から放たれた弾丸がひどくゆっくり進んできているのが視えていた。

 同時に、身体からあふれ出した莫大な魔力が強い力を伴って、肌をビリビリと震わせている感覚。

 手の甲で鉛弾を薙ぎ払う。それはまるで木製の玩具のように容易く地面に落ちて転がり、手には一切の痛みや熱さは感じられなかった。

 カインは地面を蹴って先へ進む。黒服の集団を掴んで引きはがすように投げ飛ばし、前へ。同様に殴り飛ばし、蹴り飛ばし――そうしている一息の内に、彼らは余すことなく宙へ浮かび上がっていた。

 短く息を吐く。集中を解くと、途端に静止した時が針を進め始めたように、どさどさと音を立てて地面に落ちる。

「なっ、なぁっ――」

 馬に乗る何人かの男たちが怯える様が見て取れる。今にも逃げだしそうな様子を見て、カインは即座に銃を構え、躊躇なく引金を引いた。

 頭部を破壊された男は途端に脱力し、馬から落ちる。興奮して嘶き前足を上げた馬から、エミリーが落ちそうになっていた。

 想定内だ。

 カインは飛ぶように跳躍し、転がり始めるエミリーを抱きかかえて、その向こう側に着地した。

 ――呼吸はある。外傷はない。

 簡単だが、生きている。それが確認できるだけで十分だった。

 これほどの騒ぎだ。クラリスはともかくとして、スミスが意図的に人払いをしていたとしてもロラやケニー、他の組員たちがやってくるだろう。

 考えて、カインはタイタン・ヴェナドの中へ進む。スミスの執務机の上へエミリーを寝かせて、縄を解いてやる。

 本当ならスミスへも早急な処置が必要なのだろうが――どうやらもう、その時間はないようだ。

 逆光になる出入り口に、一つの人影が立っていた。

 上肢はやや前傾で、両腕が垂れている。何より神経を尖らせれば、皆が言っていたような『禍々しい魔力』というのが感じられた。

 だが今となってはそれを深く感じられる。その奥にはガイマよりもさらに深く、重く、冷たい何かが潜んでいる。

 ――前回は瞬殺だった。

 今は知識と特殊な技能が増えただけで、力の差は埋まっていなさそうに見える。

 勝てるか?

 疑問に思う心の声に対して反論する目の裏側の幻影カインの声を、初めて聴いた気がした。

《勝つんだよ、そう決めたんだろ》

「ああ、そうだな」

 人の言葉に素直に感応して頷くのは、いつぶりだろうか。

 勝つ。

 それ以上の選択はもはやない。

 いくらあと何度か蘇れるとは言え、勝てなければその場で何度も殺されるだけだ。

「場所を変えるぞ」

 カインは強く地面を駆る。即座に肉薄したその焼死体の顔面を掴み、走る。

 景色が怒涛となって流れていく。

 馬の疾走よりも数倍速いその速度は、間もなくタイタン・ヴェナドを小さく、やがて点にして、すぐに見えなくしていた。

 道から外れてしばらくした平野にたどり着いた時、カインはその場で足を止め、そのまま焼死体を投げ飛ばした。

 想像とは異なり、ソレはここに来るまで一つの抵抗もなかった。

 前回は一目散にカイン目掛けて襲い掛かってきたが……。

 考えながら焼死体の方を向いていたが、動きはない。

 まさかただの抜け殻だったか? いやそんな筈はない。

 考えていても仕方がない――体を動かそうとした瞬間、右腕がその肩口から先を喪失させ、空中に浮いていたのを見た。

 遅れてきた衝撃波が膨れ上がるようにカインを吹き飛ばし、全身を嬲る。まっすぐ横方向に吹き飛ばされたカインは何度か地面に打ち付けられた後、なんとか二本の足で姿勢を立て直した。

 だが顔を上げた次の瞬間には既に、焼死体の姿が視界を埋め尽くすほどに肉薄していた。

 拳が顔面を貫く。そうした瞬間に、奴が視たそれは影となって消えた。

 同時に下方から鋭い拳撃が顎を打ち砕く。

 焼死体の顔面が空を仰ぐ。

 がら空きになった胴体へ、腰を入れた拳を即座に叩き込んだ。

 さらに複製クローン

 物体を作らずかき集めた魔力だけで、無数の拳を一時的に複製。そして全く同じ威力の拳撃を無数にぶち込んだ。

 焼け焦げた皮膚が切り裂け、表皮が失われて鮮血が飛び散る。複製による鉄拳が飛来している最中にさらなる渾身をぶつけようとしたが、その肉体はやがて勢いに負けたように後方へ吹き飛んだ。

 だがその低空で身を翻した肉体は、しがみつくように地面に手を伸ばして轍を作る。間もなく減速したその身体は、また馬鹿正直に正面へと接近。

 回復の速度が鈍い――もしこの致命傷を治癒する度に”命”を使っていたとするならば、残りはもう半分は過ぎている。

 すべてが致命傷足りえるこの状況で、まともにりあうのは賢明ではなさそうだ。

 焼死体をどうにかする方法があるはずだ。

 まずは動きを止めなければ、何も始まらない。

 奴はそもそも気絶するのか? 意識があるのか? その四肢が落ち心臓を貫かれたとしても、活動し続けるんじゃないのか?

 わからない。

 また、考えている暇もなかった。

「くそっ――‼」

 身体を反らす。飛んできた拳が頬を掠める。足を引っかけて転ばせてやるが、そのまま反転した勢いをバネに跳ね返ってきた。

 屈みこんで頭上でそれをやり過ごす。その最中に拳を振り上げ、上空へ焼死体を吹っ飛ばした。

「まるで獣だな」

 言って、ふとそいつがガイマに似ている事に気づく。

 自分がそう言われていたからこそ、そこに至った。

 だが人間がガイマになることはないという話だ。意図的に魔力を溜めこみ自我を崩壊させでもしなければ無理な話で、そもそもそれ自体が不可能だという。

 前世リチャードは魔力など知らない筈だ。なおさら不可能であるはず。

 そもそもこの無様な姿。悪魔はそれをただ再利用しているだけ――。

「……まさか、な」

 不意に蘇る、断片的で断続的な記憶。

 熱さ。痛み。その中に沈む記憶。

 それは地獄でかつて経験したものだ。あの中ではもがかなければ、さらに強い下の世界へと落ちていく。落ち続けた先には、深く冷たい、光さえない暗がりだけがあった。

 あそこに落ちれば、二度と這い上がれない。獄門がそう言っていた気がする。

 これまでのように転生する事さえできない、その意識が消え去ってもなお落ち続ける『深淵』だ。

 記憶が経験にリンクする。

 以前打ち出した漆黒の弾丸。あれはあの深淵に良く似ていた。魔力も感じず、かといって能力では再現できず。

 深く重い黒色に、破滅的な破壊力。

 悪魔は拾ってきただけだ。傀儡としているだけだ。

 ならばなぜ”そいつ”はこれほどまでの力を有しているのか。

 仮に奴が『深淵』に落ちてその闇を吸い込んだ所で拾い上げられたのだとするのならば。

 仮に奴が本当にリチャード・A・ロビンソンだとするならば。

 これまでの仮定――俺と俺が、カインとカインがこの世界に同時に存在しているその証左が、あの漆黒の弾丸を『深淵』の力だとするならば。

「あとは、手段か」

 焼死体とこの肉体とが繋がっている。深淵の力と、悪魔の力が互いに行き来している。奴の戦闘能力と、あの漆黒の弾丸の理由をそう考えるとするなら。

 悪魔カルマを買いかぶりすぎていた。

 それが猛省すべきことだと、今になってわかる。

 悪魔だから、ここまでの事を出来る奴だから、なんでも出来るのだと思っていた。なんでも知っているのだと思っていた。

 奴は人形遊びをしているだけだ。

 しかしその人形が、どんな機能を備えているか全てを知っているわけではない。

 それだけなのだ。

 弱いと、決して敵う筈がないと思い込ませる。無論、実際に敵うかどうかはわからないが――やってみなければわからない事もある。

 人間の世界ではむしろ、そっちの方が多い。

 落ちてくる焼死体を睨みながら、気分は高揚し始めていた。

 絶望の闇に光が差し始めた、そんな気がしていた。

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