法執行官の女 2

 フリメラはその玄関口を示すように、フリメラと書かれた看板を立てていた。

 その文字は彼には読み取れない見たこともない形をしていたが、カイン・アルバートの記憶と知識がその読み書きを可能にさせていた。

 今関係ない事だったが、ふとそんな不思議な感覚に囚われていた。知らないのに、理解できる。元々知っているカイン・アルバートとして生きているのだから、当然と言われればそうかもしれないのだが。

 馬をその看板の前で止めて、暫く待つ。

 だがそれでも、法執行官は後ろから降りようとしなかった。

「おい、近くの町に着いたぞ。もう勘弁してくれよ」

「ああ。だがまずは貴様の調査からだ」

 昼過ぎにここを出てエイジの自宅へ向かった。ようやく戻ってきた今ではもう、西日が差し始めている。

 ただでさえ徒労に終わって参っているというのに、新たな問題まで抱える余裕は彼にはなかった。

「僕の調査だと? 何が理由だ」

 少しでも冷静さを保つために、彼はカイン・アルバートの仮面を心に被る。

 言いながら馬から降りて、改めて女を睨むように見た。

 彼女はそれに倣うように馬から降りる。そうして彼女は肩をすくめた。

「貴様は強い。尋常でないほどな……その貴様が、よりにもよって私の調査対象の所に居た。無視することは出来ない」

「それはもう説明したはずだ。運が悪かったんだよ」

 あんたか。あるいは自分が。

「そう思っても良いのだが、何か必然性を感じる」

「どう捉えるかはあんたの好きにしてくれ。今日は色々あって疲れたんだ、また後日にしてくれないか?」

 彼女に対して負い目は何もない。だからとことん調べて潔白を証明しても良かったが、今日に限ってはやたらと疲れた。特にアエスタの事と、この目の前の女との事で。

 彼女は腕を組んで首をひねって少し考える。

 法執行官の制服を脱いで、まともな言葉遣いをすれば上等すぎる外見だ。

 肌は透き通るほど白く、衣服の上からでもわかるほどに胸は膨らんでいる。女性的な体つきは顕著だったが、今のカインにとってはそれで彼女の印象を覆すことは出来なかった。

「ま、いいだろう。では明日だな」

 彼女はひどくマイペースにそう言い放つと、カインの返答も待たずに先へ歩き出した。

 最初から決めていたかのような迷いのない足取りで手近の酒場に入っていくのを見ながら、カインは疲れ切ったように大きなため息をついた。

「……帰ろう」

 帰路につく頃、西の空は早くも藍色の宵闇が迫り始めていた。


 翌朝、エミリーと共に朝食をとっていると不意に玄関をノックする音がした。

「だれ? こんな朝から……」

 エミリーが不審そうな、不安げな顔をする。

「不届き者かもしれないね」

 なんて言いながら、カインが席を立つ。

 嫌な予感がする。

 考えながら扉を開くと――やはり昨日の法執行官の女が、腰に手をやりそこに立っていた。

「エミリー、やっぱり不届き者だったよ」

 振り返ってエミリーに告げると、

「法執行官を捕まえて何を言う」

 彼女はむっとした顔をしながら、何の遠慮も許可もなくずかずかと室内に足を踏み入れてきた。

 やがて彼女はエミリーの傍らまで歩みを進めて室内を不躾に見回してみてから、ようやくその隣に居る少女に気が付いたように目を向けた。

 顔の筋肉など存在していないような仏頂面が、瞬く間に笑顔を作る。

「おはようエミリー・アルバートさん。朝から失礼するよ」

「え、は、はい……」

 不意に名前を呼ばれ、美しい笑顔を向けられたエミリーは少したじろぎ困惑する。握ったままのフォークすら離せず硬直している姿のまま、少ししてから助けを求める様にカインへと顔を向けた。

「兄さん、こちらの方は……?」

「ああ、昨日知り合った法執行官だ。付き纏われて困ってる」

法執行官レンジャー? 何か悪い事したの?」

「少なくともその人よりは悪い事してないよ」

 言いながら、カインは先ほどまで座っていた席に腰を下ろし、エミリーが用意した食事を平らげていく。

 平然としているカインを見て、これが何でもない事だと理解したのだろう。エミリーの表情から警戒心が徐々に消え、やがてそれが好奇心になっていくのが見えた。

「あ、あの」

 後ろ手を組んでカインを見つめる女へ、エミリーは恐る恐る声をかける。

 彼女はすぐにエミリーへと顔を向け、首を傾げた。

「どうしたの? エミリー」

「あの、兄さんとはどういうご関係なんですか?」

「昨日ちょっと馬で運んでもらってね。そのお礼がしたくて来たのよ」

 自宅を教えた覚えはないが――そんな口を挟みたくなったが、エミリーに余計な心配をさせるわけにもいかず、咀嚼以外に口を動かさずにおこうとカインは決めた。

「そうだったんですね! もう兄さん、言ってよーびっくりしたじゃない」

「ああ、ごめん。大した事じゃないと思ってたし、わざわざ家まで来てくださるとは思ってもなかったからさ」

「ふふ、そう簡単な話じゃないのよ? カインくん」

「ご丁寧にどうも。えーと……なんて言ったっけ?」

「兄さん! 失礼だよ、もー」

「クラリスよ。カインくん、食べ終わったら少し外でお話できないかしら?」

「……ああ、そうしよう」

 少し前に空になった皿と、エミリーとを見てから、彼女の提案に頷いた。


 クラリス、と名乗った法執行官の女と外に出る。どこへ向かうわけでもなくただ外をぶらぶらと歩く。

「良い妹だな、関係も良好そうだ。大事にすると良い」

「ああ。あの娘に手を出したら殺すからな」

 静かで、落ち着いた声。年齢とは見合わないその冷静な声に、クラリスは少しだけ驚いたような顔をして、言葉を返す。

「脅しのつもりか?」

「ただの警告だよ」

「どちらにせよ、私も貴様が変な気を起こさない限り手を出すつもりはない。お互い様だな」

「んな事ぁどうでもいい。なぜわざわざ家にまで来た?」

「ああ。アエスタ、という男の存在が気がかりだ。貴様の話が全て真実だとするなら、そいつがエイジの殺害に関連している事は間違いない」

「エイジはあんたにとってなんなんだ? ただの金貸しが殺されて、わざわざ法執行官が単独で調査するような事か?」

「ふん、安心しろ。特別な仲ではない」

「そういう話じゃねえよ」

 冷たくあしらわれ、クラリスは肩をすくめた。

「エイジは元々私の上司だった。貴様の知っての通り粗野で暴力的な男だ、あまり好ましくはなかったが……奴なりの正義感を持ち、それを貫いている姿勢は素直に尊敬していた」

 カインはただそれに静かに耳を傾けていた。

 クラリスはまるで思い出したことを呟くように、言葉を紡ぐ。

「奴はある男に金を貸した。いや、肩代わりしたと言う方が正しいか」

 百数十サンという額を借りた男が暴利に貪られ、途方に暮れていた。元々顔見知りだったエイジは利息ごと借金取りに一括で返済してやり、男から少額ずつの返済を受けていた。

 だがしばらくして、再び同じ相手から今度は途方もない額を吹っ掛けられたという。借りていない筈だったが、借用書を突き付けられてどうにもならなかったらしい。

 これ以上エイジや周囲の人に迷惑はかけられなかったのだろう。男は夫婦共々首を括り、人生を終わらせたのだ。

「その男には子供がいたらしいが――」

「偶然、って訳じゃなさそうだな」

 エイジ。

 借金。

 自殺。

 たった三つの情報だけでさえ、それが己へ繋がるものだとわかる。

 なにが、とは言わなかったカインだが、クラリスはそれに対して頷いていた。

「貴様が狩猟組合に入り、エイジはその組合長に後は任せた。それ以上の事は私も知らなかったが……色々話は聞かせてもらっている。恐らく貴様の父親をハメたのはアエスタだ。どんな因果で貴様を狙っているのかまではわからないがな」

 まったく――カイン・アルバートは前世でどれほどの悪行を働いていたのだろうか。

 どれほどの業を背負えば、これほどの出来事が次々に舞い込んでくるのか。

 ウルスに殺され、そこで奇跡的に生き残ったとしてもフェルディに殺される。そこを生き抜いた所で、今度はアエスタだ。

 仮にこの力を授かっていたとしても、まともな精神力では乗り越えられないものばかりだ。

「で、敵討ちってわけか?」

「言っただろう、私はエイジの信念以外は好いていない。奴の遺志を継ぐ理由などない」

 だが、と言葉を翻す。

「同僚を殺されて、黙っていられる程腐ってもいない」

「立派だな」

 そう口をついて出たのは本心だった。

 今まででこれほど仕事を全うしている執行官や保安官は少なかった。最低限の範囲の仕事で生涯を終える者が大半だった。

 わざわざ自分の領分を超えてまで何かをしてやろうという奴は今までで一人だけだったし、そいつも志半ばで死んでいった。

 素直に、心の底から純粋に尊敬する。人として、ため息が出るほど綺麗な部分なのだろうと思う。

 自分には決して手が届かない、手に入らないものだ。

 それがわかっているから、そうなりたいとも思わないし、眺めているだけで胸がいっぱいになる。

 自分を卑下するわけではない。自分は自分で、思った通りに、やりたいようにやって、なりたいようになっている。

 だがそれがあまりに対照的だから、たまに珍しくて、足を止めてしまう事がある。

 それだけだった。

「貴様もな。両親を失い、その年で危険な仕事をして生計を立てている。エミリーの様子を見れば、貴様も、彼女も真っ当に成長しているのがわかる」

 聞いて、カインは鼻を鳴らす。

 目の裏側に居る幻影に一瞥くれてやると、彼は誉め言葉を素直に受け入れて恥ずかしそうに頭を掻いていた。

「さて」

 彼女はそうして足を止めた。

 クラリスはちょうど目と鼻の先にある酒場に顎をやり、示す。

「利害は一致したようだな。作戦会議だ」

「してねえし、そんな金ねえよ」

「心配するな」

 彼女はそれだけ言い残して、好き勝手に歩みを進めていく。

 カインは肩をすくめながら、その後を追っていった。

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