法執行官の女

 アグルに盗まれた馬は結局返ってくることはなかった。

 スミスに借りっぱなしで乗っている馬に跨りながら、ふとそんな事を思い出した。

 助けてやらなければよかった。と思うのは、冗談半分で――地図を睨みながら、カインは道を進んでいく。

 普段あまり近寄らない方角だ。タイタン・ヴェナドから西に進み、市街を抜けてしばらく先に表れた三叉路を南側へ。

 やがて右手側に見えてくる大きな河。その河沿いに一軒家があるという話だったが。

「あーあ、こりゃ予想以上だ」

 ようやく見つけたのは、焼け焦げた草地の中心に木炭と化して崩れ落ちている廃屋だった残骸だった。

 馬から降りて草地を進む。草は踏みしめたその先から粉々に砕け散っていく。

 やがてたどり着いた焼け焦げた残骸の手前で足を止める。

 何がどこにあったか、なんて形跡すら焼けていてよくわからない。そのうえ、そもそも天井が崩れて全てがその下敷きになっているせいで、探す気すら失せた。

「……ん」

 建物の中心部、折り重なる木材の隙間に人の腕のようなものが見える。

 仕方ない。カインは短く息を吐いて屈みこむと、両手で手始めに一番上に転がっている大きく長い建材を引きはがすように持ち上げた。焼けたそれは途中でへし折れて炭の粉を舞わせたが、目的となる部分は少しだけ開けた。

 同じ要領で木材を排除して、邪魔にならないよう少しだけ遠くに投げる。

 ガイマとの戦闘に比べれば、ひどく容易いものだった。数分足らずで、気になったソレを目の当たりにする。

 それは大柄な人間の焼死体だった。

 恐らくエイジなのだろう。仰向けに両腕を広げて倒れているようだ。

 焼死体、というには奇妙な態勢だった。火や煙から逃れようとした様子には見えないし、そもそも平屋の一軒家だ。火の手が回るより、外に出る方が遅い筈がない。

 しゃがんでよく見れば、どうやら額に弾痕のような穴が空いているのが見えた。すでに顔の判別はつかないが、額と、他に右肩や左の腹部にも似たような跡が見える。

 こいつは先に殺され、証拠隠滅とばかりに燃やされたとみていいだろう。

「めちゃくちゃやりやがるな」

 最も、この現状はそれほどまで想定外という訳ではないのだが。

 だがアエスタが行った証拠はない。というより、彼自身に関して知っていることの方が圧倒的に少ないため、何か残っていたとしてカインにはそれをアエスタと関連付ける事は難しい。

 それに、労してそれをする理由も多くはない。

「さて、どうしたもんか」

 五〇万サンなんて馬鹿げた額を支払うつもりは毛頭ない。

 アエスタの居所さえわかれば、仲間もろとも痛い目を見せてやってもいいのだが――。

 火災現場から離れて馬の元へと身を翻した時、その馬の元に誰かが立ってこちらをじっと見つめていることに気が付いた。

 カインは咄嗟に腰のホルスターに手を伸ばしながら、声を荒げる。

「おい、馬から離れろ」

 ちょうど逆光になっていて、そいつの人影しか判別することが出来ない。

 性別すら不鮮明の中、そいつはカインの警告に従うようにゆっくりと諸手を上げながら、馬から離れていく。だが離れた分、同時にカインへと近づいてきていた。

「こっちに来るな。それ以上近づけば撃つぞ」

 より明確に敵意を向けながら警告する。

 ソレはまた、言われたとおりに立ち止まっていた。

 言葉を発することはない。カインは警戒するように、そいつを中心に半円を描くように馬の元へゆっくり歩みを進める。その中で、影が消え、ソレの姿が徐々にあらわになり始めた。

 そいつは女だった。アエスタのような正装で、だが明確に違うのはその胸元に星形のバッジがついている事だった。

 珍しいシルバーブロンドの長髪を、おさげのように結んでいた。彼女がカインへと視線を合わせようと動くたびに、その毛先が揺れる。

 琥珀の瞳が強い敵意を持ってカインを睨んでいる。そこに警告による怯えは一切見えなかった。その強気に合わせる様に、目じりは釣りあがっている。

 警戒していなくても高飛車そうな顔だった。綺麗に整ってはいるが、あのバッジ――法執行官の証――をしている時点で、関わり合いたくはない。

「法執行官だな、お前は何しにここに来た?」

 やがて馬の元へとやってきた頃に、カインはようやくそう言葉を紡ぐ。

 彼女はそうして、ようやく口を開いた。

「調べに来た。それだけだ」

「何をだ」

「貴様が調べていた場所だ」

 声色は低く、口調は強かった。

 カインは肩をすくめながら「そうかい」とだけ言い、馬に飛び乗った。

「待て」

 手綱を握った瞬間――知覚するより先に肉薄していた女は、気が付いた時にはカインの後ろに居た。馬の尻に乗ったまま、その後頭部に拳銃を突き付けていたのだ。

「今度はこちらの番だな」

「おいおい、冗談でそんなモン向けんなよ。なんでもありか、あんたらは」

「冗談ではないから向けてる」

 次いで、

「貴様はなぜあそこに居た。そして何を見て、知った? すべてを話せ」

 冷静で酷薄な尋問が始まる気配が顔を覗かせる。

 このまま形勢を逆転させる事は容易いだろうが――この己が、この距離で見せていた隙を縫うようにして接近し、あまつさえ気づく前に馬に乗られていた。その事実は、少なからず彼女自身の高い身体能力と、踏み抜いてきた場数を見せつけていた。

 カインはようやく両手を上に挙げてから、これまでの事を包み隠さず話してやった。

 あそこの家の主に借金を負っていた事。

 そしてついさっき、そいつから債権を買い取ったという男に桁外れの額を請求された事。

 何があったのか知るためにここを訪れたら、家の主は額を撃ち抜かれた様子で、さらに家ごと燃やされていた事。

 簡潔に話し終えて、カインは短く嘆息した。

「それだけだ。事情を知っている奴も居る、裏付けが必要なら紹介するが――いい加減銃を納めてくれないか、生きた気がしねえよ」

「ああ。真実のようだな、必要ない」

 女はそれだけ簡単に言うと、カインが求めた通り銃を納めた。

 そうして――それ以上の言葉もなく、だが同時に、動きもなかった。

「……降りろよ、これ以上は用はないだろ」

「……? 何故だ」

「あぁ⁉ 付き纏うつもりか⁉」

「そのつもりはない」

 首だけ回して後ろを見ると、先ほどのような強い敵意は瞳に宿ってはいなかった。あるのは無邪気さというか、何も考えていないような、その思考が読み取れないような表情だけだった。

「じゃあなんのつもりだよ!」

「近くの町まで送って行ってくれないか?」

「ふざけんな、てめえどうやってここまで来たんだよ!」

「歩いて、だ。だが貴様のせいで神経を削って疲れた。それくらいはしてくれてもいいじゃないか」

「てめえ半殺しにしてギャングの前に放り出すぞ」

「ほう」

 感心したような相槌を打ちつつ、今度は堅い何かが左の腰辺りに強く突き付けられる。頭より先に、それが銃であることは体が理解していた。

「これ以上の厄介ごとは御免だ。お互いにな?」

「だーかーらぁッ!」

 カインは声を荒げ、馬から飛び降りる。

 それをきょとんとした顔で見ている女へ、カインは睨みつけながら静かに言った。

「そいつは脅しの玩具じゃねえだろ」

 脅すような声色は低い。だが少年の声帯は、その本来のセリフの意図のような怒りは表現しきれなかった。

 彼女はそれを聞いて、また怒ったように眉を吊り上げたカインの少年然とした顔を見て、くつくつと笑いだす。

「なんだ、まだ子供だったのか」

「話を逸らすんじゃねえよ」

「ああ、わかったよ。貴様の言うとおりにしよう――その代わりに、私の条件も呑め。いいな?」

 結局のところ、傍若無人には変わりない。

 彼女にリードを握られたような感覚が癪で、怒りは驚くほどすぐに収まっていく。血の引いた頭は冷え、やがてこの女と言い合ったところでなんの意味もないことを理解した。また、それ以上にひどく疲れ、時間も食う事も。

 カインはまた馬にまたがって、ようやく手綱を握る。

 こいつがどこから来て、何をしにここに居るのかわからない。

 世間話程度に聞き出そうと一瞬思ったが、結果をもたらすには莫大な労力が要る気がして、結局フリメラへ到着するまでの二時間半の間、どちらも口を開くことはなかった。

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