第四話 伝説の男

知らない男

 あの日の夜、エミリーの魔力を吸い取ってから、不意に自覚した力が一つあった。

 ここ最近日課となっている深夜の喫煙をしながら、一つ試してみる事にした。

 手の中に薬莢を握る。そこに意識を集中させ、魔力を込める――次の瞬間、手の中の質量が増えたのを理解した。

 手を開けば薬莢が二つに増えている。

 カインは紫煙を鼻から吐き出して、相変わらず隣に居るかつての己の幻影へと苦笑してみせた。

「なんでもありだな、これ」

 馬鹿げている。そんな嘲笑にも似た表情に、だが幻影カインは嬉しそうに手を叩いてはしゃいでいた。

 まるで手品でも見た子供のようだ。

「ははっ、親父かよ俺は」

 ふと、古の記憶がよみがえる。

 あれは何度か前の人生だ。人並みに家族を築いた時もあった。その時には、息子と娘が一人ずつ居て、それなりに幸せを実感しながら暮らしていた。

 結局、ろくでなしの自分はそれを維持する事すら出来ずにぶち壊してしまったのだが。

 確か最後に子供たちに会ったのは、カインくらいの年頃だっただろうか。もはや顔も朧気だし、よく思い出せない。

 センチメンタルな気分になるわけでもない。人生を跨いで、過去の痕跡を探そうと思ったことも、今まで一度たりとてなかった。

 今となってはそれも全く出来なくなってしまったが、惜しいと思う事はない。

「にしても、まだ何かありそうだな」

 力を持て余している感覚はある。

 同調。複製。身体能力はともかくとして、人ならざる回復能力を加えれば、あのガイマに言わせる能力クラヴィスという力は三つになる。

 感覚的なものだが、まだ何かある。出し切っていない何かが眠っているような気がする。

 あの漆黒の弾丸にしたってそうだ。魔術だと言われればそれまでだが、土壇場であれほどの術を無知な己が行使できるわけがない。

 ま、慌てる必要はない。

 カインはそう切り捨てる。

 こんな力を使う時が来ないのが一番だ。それに、これ以上の力を自覚したとして、自分にそれを使いこなす頭があるとは思えない。

 そうして夜は更けていく。

 深夜だというのに、吹き抜ける一陣の風はひどく生ぬるかった。


              ❖❖❖


 拍子抜けのように、何事もなく夏が来た。

 あれから一か月近くが経って、アグル達との接触もなく、またガイマとの交戦はおろか、目撃情報もこの近辺ではなかった。

 あれから半月程度でロラはタイタン・ヴェナドに顔を出すようになって、またここ数日、松葉杖をついたエルを見かけるようになった。

 最近では人間関係もそう悪くはない。

 この前の事があってから人望が生まれたのか、スミスやロラの態度はかなり緩和されたし、エルやケニーは前とは少し違って子ども扱いしてこなくなった。前、というのはカイン・アルバートが存命の頃だ。

 一部の人間――エルの仲間たちや、そこまで交流のなかった組合員たち――は忌避するような視線を向けてくるが、元々関わり合いがない連中だから気にはしていない。

 だからその日も、いつものようにタイタン・ヴェナドに顔を出して簡単な仕事を受けようとその扉を開いたのだが――。

「……ん」

 めずらしく室内にはほとんど人はいなかった。

 まだ昼前だというのに、そこにはスミスと、見知らぬ正装の男が居るだけだった。二人は何か言い合っているようだったが、扉が開いたのに気づいて互いにカインへと視線を移していた。

「先月の依頼者からの違約金でも――」

 入ったのか? そういい終える前に、正装の男が諸手を広げながら歩み寄って声を上げていた。

「おやおや、おやおやおや。君がカインくん、だね。聞いているよ、前任者からね」

「不躾だね。先に名乗ったらどうだい?」

 袖を捲った白シャツに、黒いベスト。派手な赤いネクタイが特徴的な格好だった。ポマードで固められた短髪は後ろへ撫でつけられていて、ちょび髭を生やした中年男性だ。

 互いに歩み寄り、やがて室内の中央辺りで対峙する。

 カインは怪訝そうな顔で男を睨み、対して男はにこやかな笑みを讃えたまま、やがて勢いよく目の前で一度、手を叩いた。

「これは失礼。私はアエスタ・リンドグレンド。君にお金を貸していたエイジくんから債権を買い取ったのだよ」

 ちょび髭を撫でながら、アエスタと名乗った男がなんでもないように言った。

「ああそう。だけど毎月の報酬から月々の返済分はスミスに天引きしてもらってる筈だよ。そんなつまらない債権を買い取った所で、あなたには大した利益にはならないだろう?」

 だから毎月しっかりと仕事をこなさなければ日々の生活は厳しかったが、取り立てに精神を削られるような事もなくなった。

 エイジはひどく強面の巨漢の男だった。平気で人の家の扉を壊すような乱暴者だったが、組合での仕事がうまくいかずに返済に滞るような事があれば、彼はぶっきらぼうに狩猟のコツを教えてくれたり、練習に付き合ってくれたりもした。

 やり方はやはり、ひどく乱暴ではあったが。

 父親とは昔からの付き合いだったという話も飽きるほど聞かされていた。

 あまり好きではなかった印象が強い。乱暴で、恐ろしい男だ。だがたまに優しい。でも結局、あまり関わりたくないという想いが一番強かった。

 そんな記憶もあり、彼が債権を売ったというのは意外な話だったが――実際こうなっているのだから、特別それ以上興味はなかった。

「君は随分と腕っぷしが強いらしいね。評判だよ」

「要件だけ話してくれないか。あんたと仲良くするつもりはないんだ」

 そんな話をしている内に、スミスがようやくその間に入るようにやってきた。

 彼は少し怒ったように眉根をしかめて、アエスタを睨みつけている。

「悪ィがンなバカげた話は聞いてらんねえんだよ。これ以上ふざけた話をするなら、法執行官を呼んでもいいんだぜ」

「おやおや、粗野な狩人には難しいお話でしたかね? 言ったでしょう、法執行官からの手続きを経て私は債権を買い取り、彼に代わってカイン君の借金を返済してもらうのだと」

「一体なんの話をしてたんです?」

 勝手に進む話に割り込んで、カインが訊く。

 スミスは少し困ったように言い淀んでから、やがて口を開いた。

「お前さんの借金、利息を含めて残り五〇万サンだとよ」

「はぁ⁉」

 寝耳に水だ。話に聞く限りでは残り一万程度だと聞いていたし、一万サンだって途方もない大金だ。それだけあればこの国の一等地に大きな家を建てられる。それでも余ってしまうほどだ。

 それが五〇万サンだ。何世代に跨る借金だ。

 カインはスミスを押しのけて、だが男の胸倉を掴もうとする。だが容易くそれを手を叩いて払い除け、彼は薄笑いを浮かべた。

「汚い手で触るのはやめてくれたまえ。私に傷一つつければ、親愛なる執行官殿たちがすぐさま私を保護してくれるのだからね」

「貴様を豚のエサにしてやってもいいんだぞ」

 噛みしめた歯牙をむき出しにして、怒気を孕んだ声で静かに告げる。

 だがアエスタはわずかにさえ感情を動かさずに、涼しい顔で言葉を返した。

「私を殺害しても構わないが、すぐに執行官が動く。君とは違って安くはないのだよ、私の命はね」

「ああ、知ってる」

 そういう奴の賢い殺し方もな。

 言いかけた言葉を理性が抑え込んだ。飲み込んで、大きく息を吸い込む。沸騰する脳みそをすぐに冷却すると共に、まだ状況を理解できていない幻影を隣に一瞥する。

「まあいい、今回はただの挨拶に来ただけだよ。今月の返済額は三万サンだ。しっかりと用意してくれよ」

 男はにっこりと笑って、二人を押しのけて外へと出ていった。

 残された二人は唖然としながらその背を見送ったまま、しばらくの間動けずに居た。


 スミスはいつもの執務机の席について、葉巻をふかす。

 カインはその正面で腕を組みながら、やがて切り出した。

「なんなんです、アイツは」

「知らん。急に来たんだ、いつもだったらエイジが来る頃だと思っていたが……奴からは何の知らせもない」

「知らんで五〇万がひっくり返せますか。全く、信頼して任せてたのに」

「お、おい! オレのせいだってのか⁉ オレだって寝耳に水なんだぞ!」

「まあそれはともかく」

「ああ⁉」

 興奮している様子のスミスを尻目に、嘆息してカインは言葉を継いだ。

「アイツがどう出るか、ですよね。実際、三万なんて額は用意できるわけないでしょう?」

「……ああ。お前、来た時に違約金がどうのって話、してたろ。ちょうど昨日支払いが来たんだよ、ちょうど三万。死者も出てるってんでな」

「へえ、怪しいですね」

「だからといって、三万をそっくりそのまま渡せるワケがねェ。ヤンマの家族に半額、見舞金を送ってやりてえし、残った分は当事者のお前らに振り分けるつもりだったんだ」

「払えないとわかったら、奴がどう来るのか。向こうも素直にそれを渡すとは思ってないでしょうし、いくら法執行官を買収してたとして、現状で彼らが出てくる言い分はない」

「それに、エイジの事も気がかりだ。あいつは乱暴者だが、筋の通らねえことはしねえ。オレが良く知ってる。お前との間にオレが入ったのも、奴の提案だ。お前はアイツが苦手だったしな、それを知ってて言い出したんだ」

「まったく、一難去って……ですね。じゃあこれから様子を見に行ってきますよ、エミリーをお願いしてもいいですか?」

「ああ。悪ィな、今地図を書くから待っててくれ」

 スミスは葉巻を咥えながら、机から羊皮紙とペンを取り出して地図を書き始める。

 それを眺めながら、カインはまた大きくため息をついた。

 ガイマの次は暴利の借金取りか。

 随分と話が現実的になってくる。

 またこれも、いくつか前の人生でアエスタ側として生きた事もある。

 彼がいくら法を盾にしても、それをまったく無視して殺す方法も知っている。だがそれは飽くまで最終手段だ。

 この体で無用な殺人をするわけにはいかない。

 やがて出来上がった地図を片手に、カインは外に出た。

 眩く世界を照らす太陽は、まだその頂点へと昇り始めたばかりだった。

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