学ぶ男
掛かりつけの医師が訪問したタイミングで、彼にエミリーを託して外に出た。
ロラの自宅は町からかなり離れた所にあった。タイタン・ヴェナドからさらに先へ進み、その先にある十字路を北へ進む。
やがて地平線の先に森が見え、その手前にぽつんとした一軒家が建っている。
確かケニーと一緒に暮らしていたようだが、外には馬が一頭しか繋がれていない。どうやら出かけているようだ。
走ってきたカインは軽く額に滲んだ汗を拭いながら、ドアをノックする。
「カイン・アルバートだ。ロラ、居る?」
声はややあってからした。
「入って」
少し弱弱しい声だった。カインは躊躇いもなくドアを開け、中に入った。
室内は質素なものだった。部屋の区切りもないワンルームで、奥に寝台があり、入り口の左手側にキッチンがある。あとは壁沿いにクローゼットや、生活用品などが並んでいるだけの家だった。
ロラは寝台で上肢を起こしていた。膝の上には本が開いていた。
彼女はカインを見るなり、少し複雑そうな表情をした。眉根をひそめ、バツが悪そうな顔だとカインは思った。
身体は簡単な部屋着を纏っていて、包帯などでおおわれているような傷は特に見当たらなそうだった。
「ケニーがね、まだ休んでろって。もう元気なのよ、ほんとはね」
「大げさに休むのも大事なことだよ」
カインは少し進んだ先にあるテーブルのあたりまで近づくと、その椅子を引いて静かに座った。
それ以上は、互いに口を開かなかった。
先の戦闘のせいで、カイン自身の人格は今、前世以前までに培ったものが強く出ている。
ロラが何を考えているかはカインにはわからない。だが最も彼を疑っていたのは彼女だ、こうして改めて二人きりになるのはかなり久しぶりだし、単刀直入に聞きたいことを口走って余計な火種を作りたくもない。
しばらくしてから口を開いたのは、ロラだった。
「ホントはあの時の事、覚えてるの。ケニーを心配させたくないから言わなかったけど、あなたも黙っててくれたんでしょ?」
「……ただの気紛れだよ。そういう配慮は考えなかった」
「でも、感謝してる。ケニーも今の状況でさえ混乱してるし、自分の力のなさを毎日嘆いてる。そんな中で、ほんとは私が胸に風穴を開けられてほとんど死んでたなんで知られたらどうなるか……」
「そうかい」
「それで、そんな話を聞きに来たわけじゃないのも知ってる」
ロラの赤い瞳が、わずかに揺れた。
ぼんやりと視線を漂わせていただけのカインは、不意にそう言われて彼女を見据える。
「それも、術の扱いが長けていればそうなるのか?」
「ふふ、女の勘ってやつ」
彼女は穏やかに笑った。
「あなたは前より強くなった。魔力がより一層濃くなってるのに、その揺らぎは大人しくなってきている。前みたいなガイマに似た荒々しさを感じないから」
落ち着いた声色。穏やかな表情。消えてなくなりそうな薄幸ささえ覚える彼女の輪郭は、窓から差し込む光によって曖昧になってきた気がした。
「私はもう、怖気づいちゃったわ。あの時の事を思い出すと、怖くて仕方がないのよ。今まであんなガイマ見たこともなかったから、幼稚な万能感に包まれてたのかもね。それがガラスのように砕け散って……自信喪失」
また軽く笑う。
彼女自身、笑うしかないのだろう。そうでもなければ精神を保てないのだろう。
そんな内面が表出しているのだと、今になってカインは気が付いた。
「あなたは強いわ。急激に。超大に。アレを倒したんでしょ?」
「ああ」
「素直ね。最初からそうしてれば、もっと早く、頼ってたのに」
「……ごめん」
「ううん、私こそごめん。意地悪だよね、今更こんな事言って。助けてもらったのに」
「いや……」
ひどく気まずい。カインが思うのはそれだけだった。
余計に用件を切り出しにくくなった。
この世で誰よりも愛した女の戯言ならまだしも、ただの仲間のパートナーだ。しかもここ最近で誰よりも警戒していた張本人だ。
同情こそすれ、同調することは彼には随分と難しい行為だった。
端的に言えば興味がないのだろう。だが内なるカイン・アルバートは酷く落ち込んでいる様子が感じ取れる。
こいつの存在も随分と大きくなったものだ、と思いながら、次にかける言葉を頭の中で必死に探っていると、またロラが口を開いた。
「こんな話、しにきたんじゃないのよね?」
助け舟だった。
カインはそう返されて、少しもったいぶって間を開けてから、
「魔力を扱うようになった。そのご教授を願いに来たんだ」
「ふふ、飾らなくなったわね。そういうさっぱりした性格、彼にはなかったもの」
「そういう話は、しに来ていないんだけどな」
かぶりをふって、立ち上がる。
彼女は少し慌てた様子で手を伸ばして、その行動を制止した。
「ごめん。冗談。茶化したかったわけじゃないのよ。ほら座って、お話しましょ?」
「……いずれ説明する。ケニーにも約束してる。だが僕はカイン・アルバートだ。それは間違いない事実だ。わかってくれ」
「ええ、ええ、わかった。もうおしまい」
彼女は軽く手を叩く。
優しく微笑みかけるその姿は、親しい少年に対する年上の女性の包容力を感じさせた。
「魔力ね。それで、何が訊きたいの?」
「魔力について。そもそもそれがなんなのかがわからない。僕みたいに急に強くなるものなのか?」
「いえ、あり得ないわね。魔獣みたいに遺伝したり、変異したりすることは人間には起こらない事よ。人にとってそもそもその力は毒のようなもので、扱い方を間違えれば自らを滅ぼしかねない」
彼女は続ける。
人がその力を強めるには、ただひたすら鍛えるしかない。それは筋力と似たようなものだが、素質さえあれば筋肉より遥かに早く成長する。
「魔力があれば、なんでも出来るのか?」
「なんでも、ではないわね。多くは現象を起こすだけ。炎を生んだり、雷を落としたり、上手く使えば地面や水を動かしたりなんて出来るけど。でも結局それも、本来起こる物を魔力を経由して増幅して大袈裟にしてるだけ。無から有は生み出せないのが、一番大きいかな?」
魔力について。
彼女はそこまで言って、改めて説明を始めた。
それは誰しもがその身に宿している力だ。大小の違いはあるし、それを強くするにも素質が必要だ。
その身に保有できる量の違いもある。それが大きければ大きいほど、彼女のように強い術を扱う事も可能になる。
そして普段は――ラウダが説明していたように――一定以上の魔力は体から放出されている。そうしなければ肉体は魔力に侵され、その姿を保てなくなる。理性を失いガイマのようになってしまうのだ。
また、術を扱う時には意識的に魔力を増幅しているという。一時的になら肉体は耐えられるし、また術の行使によってすぐさま放出が可能だからだ。
あるいはそれを逆手にとって、身体能力を増強することも出来る。
「術ってのは、どうやって使うんだ?」
「そうね……それはもう感覚的な話でしかないんだけど――思い込む事が、一番かな」
想像する。それが可能である、というレベルではない。
実際にそれが当然のように発生する。人が無意識に呼吸をするように、そうなって当然だと思い込む。そしてそうする為に、必要な場所に必要な量の魔力を流し込み、あるいは溜め込み、強く意識する。
「人によっては決められた文言を唱えたり、術名を叫んだり、自分にとって使いやすいようにしてるわ。ある意味、それをスイッチにしてるみたいな感じかな」
「なるほど」
「もちろん、使えば使っただけ疲れる。集中する必要があるから、本当に必要じゃない限りは普通に武器や道具を使った方が楽だけどね」
そういえば、とロラが思い出して言った。
「アグルね。あの人は腕に巻いた包帯に紋様を刻んでたわね」
「へえ。そうすると、何かあるのか?」
「うん。そこに魔力を流し込むだけで、決まった術が発動するのよ。強い魔力を使ってそれを作ることで、わずかな魔力でもそれが扱えるようになる。そういうのもあるわね」
最も、それを作れるだけの人間はほんの一握りだろうけど。
彼女はそう付け足した。
「私にだってそんな代物作れないもの。さすがガイマの狩猟組合、すごい人を匿ってるわ」
「ただ買ったり、拾ったりしただけじゃないのか?」
「壊れて使えなくなるものをアテにする? そういうの使ってるって事は、近くにそれを作れたり、直せたりする人がいるってことよ」
「言われてみればそれもそうか」
「ええ」
それで? と彼女は付け足した。
促されて、カインは少し考える。説明されたものを反芻して飲み込む時間はなかったが、大まかな事はなんとなく理解した。
「最後に一つ。禍々しいなんて言葉は呪いや神話なんてので良く聞くけど、それみたいに他人に影響するような事はあるのか?」
「うーん……」
問いをなげられ、彼女は初めて即答できずに考えた。
顎に手をやり、首を傾げる。考えているというよりは、少し迷っているようなそぶりだった。
だから、
「今までに例はない。だから断言出来るわけじゃないんだけど」
そう言った時に、意外性はなかった。
「理論上は可能、ってとこかしら」
「魔力を溜めこむと、ガイマみたいになる。なら人に許容量以上の魔力を流し込んだら?」
「普通は放出する。溜めておく力が、普通の人にはないもの。意味がないわ」
ただ、と彼女は続けた。
「最初に言ったように、魔力は毒のような性質もある。それが積み重なれば、蓄積してしまう可能性もある」
カインは眉根をしかめ、黙り込む。
考えるのは、脳裏に浮かぶのはエミリーの顔だった。
なんとなく、そんな予感はしていた。自分が――カインが死ぬ前までは彼女は順調に元気になっていた。だが己がここに生まれ、その力を強めるほどに弱まっていった。
ここ最近の様子はさらに顕著だ。
だが、もしそうなら、そもそも幼い頃から体が弱かった理由がわからない。
しかし、違うとも断言できない。
カインの難しい顔を見た彼女もまた、ここを訪れた時のようにバツが悪そうな顔をした。
言いたくはなかったのだろうが、問いを誤魔化す事も出来なかった。そう訊く理由を察して、だがそれを裏切る事は彼女自身出来なかった。
だからすぐに、言葉を継いでカインへ聞かせていた。
「エミリーがそうであるとは限らないわ」
「……僕は別に、そんな話をしているんじゃ」
「顔に出てるわ」
ロラは強く訴えかけるような鋭く、強い眼差しでカインを見ていた。
考えていることはわかる。だがそれをすべきではない、と。
「エミリーはあなたを愛しているわ。この世の誰よりも」
「……悪いが、知ってる」
「なら、まだ決断しないで。そうする必要が出来たなら、私に相談して。お願い、約束よ。絶対に」
一瞬、エミリーの元を去る事を考えた。
頭の中のカインが即座に怒鳴りつけ、がなりたて始めたのを感じる。
それと同時に、懇願するようなロラの顔を見て、カインは観念するように大きくため息をついた。
「わかった。約束だ、絶対に」
そうして席を立つ。
「僕は約束を守る男だ。僕の何を疑おうがかまわないが、それだけは信じて、安心してほしい」
「……わかった」
ロラはカインを見据えて、頷く。
ここ最近、まるで人生を失敗した中年男性のような困った顔ばかり見ている。
その表情に今までのカインの面影はない。
だがこうして話している彼が仮にカインでなかったとしても――その表情に表れているように、何かに躓き、困っているのだろう。
あれほど強い力を持っても、何かに悩んでいる。恐らく自分の力ではもちろん、他者の手を借りても解決できない何かに。
彼はカインではない。そうなじってきたが、であればそれを受け止めていた彼自身を否定してきたのだ。
エミリーは彼を信じているし、彼もまたロラや他の仲間を手を尽くして命がけで助けているというのに。
自分は彼にとんでもなく酷い事をしてきたんじゃないか――そう思い始めた頃には、カインは既にその家を後にしていた。
せっかくカインと話し、少しだけ気が紛れていたのに。
ぎゅっと胸を締め付ける罪悪感に押しつぶされそうになる――そんな時に、再び扉が開く音を聞いた。
ケニーが帰ってきたのかと思って、慌てて顔中の筋肉を吊り上げさせて、そっちを向いた。
そこには先ほどと同じようにしかめっ面のカインが、半分ほど開けた扉の隙間から顔だけをのぞかせていた。
「礼を言い忘れたけど、言わないぞ。お互い様、これでチャラにしてやる」
それだけ言い放つと、また乱雑に扉が閉まった。
ぎこちない笑顔のまま唖然としていたロラだったが、ややあってから、妙にそんな不器用な慰めが可笑しくなってきた。
「なにそれ」
ケンカした子供みたいな言い草に、くつくつと笑う。
笑うと、不思議とついさっきまで勝手に自分を追い詰めていた感情が消えてなくなっていた。
ああ――そうだな。
そろそろ本格的にケニーを説得して、外に出よう。
気が滅入っている暇なんてないのだ。
❖❖❖
食卓についたエミリーは、ひどく疲れた顔でパンを齧っていた。
ネズミに齧られた程度だけ口に含んで、飲み込んで、そうしてパンをテーブルに置く。
「もう食べないのか?」
「うん……ちょっと、疲れちゃって」
カインは立ち上がり、彼女の横に回り込む。前髪を上げて額に手をやる。
少しだけ熱があるようだが、食欲がなくなるほどではなさそうだ。
「熱はない、みたいだね」
言いながら集中する。
カインの藍色の瞳が、さらにその色を濃くする。やがて己の身に纏わりつく、よく耳にしていた禍々しい魔力というものが感じられるようになってきた。
生ぬるい湯が全身を覆っているような感覚。それをようやく自覚する。
カインは手の先だけそれを払い除けるようにイメージする。すると途端に指先が、冬に手袋を脱いだ時のようにすぐに冷えていくような感覚があった。
さらに集中する。
エミリーの頭、あるいは心臓、下腹部に淀んだ何かがある――そう想像する。そして瞬く間にそれが吸い上げられ、手の中に収まるように。
ゆっくりと手の温度があがっていく感覚。
エミリーの中にある力が上昇し、喉元を通り吐き出される感覚。
それを強くイメージする。
藍色の瞳が鈍い輝きを放つ。
呼応するように手がにわかに光を生む。
瞬間――ドクン、と心臓が跳ねた。
刹那。
エミリーの中から何かが飛び出し、手の中に吸い込まれていった。
それと同時に、彼女は唐突に脱力する。
カインは彼女の倒れる上肢を慌てて支え、椅子の背もたれへと体を預けさせた。
ややあってから、エミリーは急に眼を見開いて、驚いたように自分の手を見て、身体をまさぐって、そうして大きく深呼吸をしてみせた。
「ねえ! 兄さん、なにしたの⁉」
「……ろ、ロラから教わったおまじない、だよ」
「おまじない? おまじないで、こんな急に治るの?」
「なに、どうしたんだよ。急に元気になって」
エミリーは立ち上がり、カインを正面に捉えて――何度もその場で飛び上がってみせた。
そこに先ほどまでの疲弊しきって食べ物すらろくに喉を通らなかった彼女の姿はない。
ハツラツとした笑顔で、今まで見たことのない少女然とした無邪気さで、それをカインに見せつけていた。
「すごいよ、今までで一番調子いいよ! ありがとう兄さん! 明日ロラさんにお礼しに行かなきゃ――」
――そんな台詞を聞きながら、カインの中での疑惑は確信へと変わっていた。
なんだ、やっぱり俺じゃねえか。
心の中で独り言ちる彼へ、内なるカインは何も言わなかった。
ゆっくりと落ち着き、心の中はやがて冷え切っていく。
それとは対照的に元気になったエミリーに悟られまいと、カインは心にカイン・アルバートの仮面を被せて言葉を返す。
そうして最低で最悪な気分のまま、これまでにないくらい賑やかな夕食が始まった。
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