夜色の男 2
外見はカイン・アルバートという十六歳の少年そのものだったが、夜色の男の双眸にはその姿は既になかった。
それは決して少年ではない。
その年の浅さ故の未熟さや甘さは決してなく、数多の場数と修羅場を潜り抜けた鋭い目つきに、軽薄というにはあまりにも無関心な態度、度を越した独りよがりな口ぶり。
引金の軽さとは反してその行為の重さは認識しているようだ。
それは老獪な戦士の様であり、外見通りの年齢では決して達しえない境地。
殺す。そう口にするのは脅しでも自己への激励でもなく、純粋にその目的を遂行する事を端的に伝えただけだ。
――底冷えするように冷めた目を見て、対照的に男の心は揺さぶられていた。
ただ人間を殲滅するだけで終えると思っていた。
歯応えのない、つまらない作業だと。
この身に持て余すほどの力を有してなお、それを発揮する場などないのだと。
それが目の前の少年によって一瞬にして否定されたのだ。
こいつが何者なのかはわからない。
だが互いに、それ自体に興味はなかった。
在るのは、互いの存在を消滅させること。夜色の男にとっては、今ではその手段こそが目的になっているのだが。
きっとロラにもそうしたのだろう鋭い手刀が、眼前へと迫っていた。
カインはそれを難なく腕で払い、後ろ足で地面を蹴り、滑るように肉薄。そうして軸足と入れ替わるように前に躍り出た足で、男の膝を蹴り飛ばす。
にわかに態勢を崩した隙を見て、発砲。発砲。発砲。
叩き込まれた鉛弾は容易く腹部を貫通したが――僅かな出血を許すばかりで、すぐにその傷口は塞がっていく。
唖然とする暇もなく、短く跳躍した男はそのまま縦に回転。その勢いのまま振り下ろされた足は寸分の狂いなくカインへと襲い掛かった。
回避をし損ねて、防御を選択。両腕を交差させて迎える。
衝撃。
腕が痺れる強打と重さが伸し掛かる。それを下方へと受け流しながら、カインはそのまま後方へ飛びのいた。
その最中に牽制のつもりで引金を引く。だが弾丸を二発打ち出した所で、シリンダーが空転し始めた。
弾切れ――リロードを意識した時、男の姿は既にすぐ近くまで肉薄していた。
時間はない。拳銃をホルスターに収めながら、意表を突くつもりでこちらからも距離を詰めようとする。
だがその瞬間に風が鋭く、肩口を切り裂いた。
否。よく見ろ。カインは自身に言い聞かす。
後ろに逃げ、切断は免れる。だが傷は右の肩から鎖骨を砕いてその少し下まで、鋭く、向こう側が見えるほどに切り裂かれていた。
――風ではない。
熱した鉄を押し付けられたような灼熱感。思考を麻痺させ、呼吸を止めるような激痛。出血。
それでも傷は即座に治癒していく。
だが先ほどロラにしたような速度はなく、地から這い出たミミズが傷を繋ぎ止めていくような緩慢さ――それでも異常なほどの回復力なのだが――で塞がっていく。
――手が伸びている。
一度の深呼吸。それで冷静さを取り戻したカインが見たのは、男の右腕。その肘から先が鋭い剣のように変形しているものだった。
「はっ、なんだそりゃ」
アリかよ。と言いかけて、ガイマなのだからあり得ない事はないと思いなおす。
目の前の男を否定すれば己の存在さえも危うい。
どっと溢れた冷や汗を袖口で拭いながら、その間隙を縫うように動かずして伸びて突出する手刀を見た。
速度は弾丸に近い。
たまらずに横に飛べば、薙ぎ払う剣閃が襲い掛かる。
屈んでやり過ごそうとしてみたが、返しの刃が間髪おかずに襲来する。
一瞬その刃を両手で挟み込むように受け止めようと考えたが、その長大で重量と速度の乗った代物が手の中で滑って両断される想像が過り、跳躍へと行動を変更した。
方向は上ではなく、正面。
手刀は足元ぎりぎりの距離で落ち、地面に叩きつけられる。そこからさらに振りあがるが――それより先に到達した拳が、男の顔面を殴りぬけた。
そう確信していた。
だが現実は違う。
拳はその皮膚に触れる前に静止していた。
拳だけではない。その身体そのものが、空中で動きを止められていた。
それからややあって、胸に鋭い痛みが走る。そしてようやく理解する。
男の胸の皮膚が鋭く伸びていた。それはカインの胸を貫き、串刺しにしていたのだ。
「貴様の
腕に力が入らず、無力に垂れる。
鋭く伸びた皮膚が引き抜かれ、自由落下したカインはそのまま着地しようとして、膝に力が入らないのを知った。崩れ落ちるように両膝を地面につき、辛うじて片手で地面を押し返して、顔を上げた。
「我が
こみ上げてくる吐き気。呼吸の余地もなく抑えきれないそれを吐き出すと、すぐに地面が鮮血に侵された。
どうやら胃に大きな穴を開けられたようだ。
心臓でなくてよかった。という安堵と、すぐに動かなければ死ぬという焦燥がせめぎあう。
こんな所で命を散らすわけにはいかない。
また頭の中で、少年が騒ぎ出す。その感情の殆どは怒りに満ちていた。
「貴様がどれほどの力を有していたとしても――」
「くっ、はははっ」
力を振り絞ったわけではない。だが少年の怒りを容易く抑え込むほど、その男の姿が不意に滑稽に見えたのだ。
男は言葉を止め、カインを見下ろす。
そうしてからまた腕を剣状に変え、その切っ先を額に触れるか触れぬかの所で停止させた。
「……何が可笑しい」
男の声は怒りを孕んでいるようだった。
ガイマ、とは言え頭の作りは人間に似ているようだ。侮蔑されれば怒り、興味が湧けば高揚する。
そう思いながら、カインは喘鳴交じりに言葉を返した。
「たった一人の人間殺せるのが、そんなに嬉しいのかよ?」
人類がどうだとか、殺戮がああだとか。
そんな事をのたまっていた割には、カインを追い詰め随分と誇らしそうだ。そんな姿を見て、ふと可笑しくなってしまった。
それほどカインを認めているのかもしれない。
だがそれ以上に、この井の中の蛙といった感じに、笑いがこみ上げてきた。
男はカインの言葉に答えなかった。
「てことはよ、あれがお前の本気だったってわけか?」
腕が動く気配がする。
だがそれより先に、カインが傷の塞がった腕で拳銃を引き抜くほうが早かった。
――ふと、ダニーの顔が脳裏を過ぎる。チャールズだった頃の死に際の光景が思い浮かんだ。。
途端にドス黒い感情が湧き上がる。脳内はしっかりと、カイン自身の怒りで染まりあがっていた。
弾丸は込められていない筈。だがカインはそれが放てる物であると確信していた。
だから迷うことなく引金を弾く。剣先は既に皮膚を切り裂いていた。
衝撃。
発砲。
着弾――撃ち放たれたのは鉛ではない、漆黒の弾丸。
それはまっすぐ男の額に直撃した。
容易く頭蓋を砕き、衝撃が脳を破壊する。大きく態勢を崩した男の腕は、カインの額から右耳を撫でるように切りながら、後ろへ倒れていった。
カインは少しだけ横たわって、傷の治癒に集中した。
五分足らずで終了したそれを確認しながら立ち上がる。
男は起き上がる様子はない。
どうやら生き物として例外なく、脳みそを吹き飛ばせば死ぬようだ。
カインは大きく息を吐きながら、拳銃を虚空へ照準する。引金を引き、またシリンダーが空転するのを見た。
「……わっかんねえな」
どっかりとその場に座り込み、男の死骸を眺める。
ガイマ。その筈なのだが、異形の姿だ。
そして口にしていた
奴は己と同じだと言っていた。
よくわからない、というのが正直なところだ。
己は悪魔にそそのかされて、人智を超越した力と共に死んだ少年に乗り移った。
わかっているのはそれだけだ。
もしかすると、ガイマの言う通り同類の力なのかもしれないし、違うのかもしれない。
それに――そんなバカげた力をもってしても、このガイマとは拮抗する程度だということ。
こんな化け物を相手に、この世界の人間はどう対抗するのだろうか。
考えれば考えるほどに、頭の中がこんがらがる。
まあいい。少し頭をひねった所で、その全部を丸く固めて遠くへ投げた。
わからない事を考えても仕方がない。今は特に、その必要がない。
もう少し待てば、じきケニーが来るだろう。彼を待ち、ロラを回収して帰る。今日はただそれだけの予定だ。
どうやらエルはもう居ないようだし、骨折り損という所だろうか。
なにはともあれ、間に合ったようでよかった。そして切り抜けられたようで安心した。
それだけでいい筈だ。
今はまだ。
カインはゆっくりと寝転がって、空を見上げる。
すべてを焼き尽くす程に容赦のない太陽は、ちょうど空の頂点に到達したところだった。
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