ガイマ狩りの男 2

 鼻っ柱をへし折る拳撃は、さしものカインさえわずかにたたらを踏んだ。

 じわり、という強い熱を鼻の奥に覚える。垂れ始めた鼻血を手の甲で拭って、目の前の男を睨んだ。

「これでおあいこ――って訳には、いかないよな」

「無論」

「馬鹿げてる」

「その言葉、そのまま貴様自身に返してやる」

 そんなセリフを皮切りに、男は再び肉薄した。顔面目掛けて拳が飛び、カインは即座に腕で防御する。だが拳は数寸手前で停止して、逆の拳が鳩尾に食らいついた。

「――っ」

 驚いたのは男の方だった。一撃で意識を刈り取るつもりで急所を突いたつもりだったが、痛めたのはこちらの拳だった。

 まるで素手で鋼鉄を殴ったかのような感触。鈍い衝撃が肉を通して骨を震わせる。

 そんな数舜の隙が命取りだった。

 たった今まで目の前に居た姿が、瞬きした次の瞬間には消えていた。動くより先に背後に猛烈な殺気を覚えた時にはもう遅い。

 後ろから腕を絡ませるように首を締め付けられ、半ば強制的にしりもちをつくように倒れこまされる。

「僕がカイブツだろうがお前が何者だろうが、お前が仕掛けた事だ。このまま首をへし折る――何か言い残す事があれば手で地面を叩け」

 男の手がカインの腕を必死に引きはがそうとする。鋭く引っかかれた腕が皮膚を裂かれ鮮血をにじませるが、カインは微動だにしない。

 今度は立ち上がろうと試みているようだが、微動だにしない。まるで大人と子供のような力量の差と、徐々に頸椎を締め付けられていく苦痛、強制的に血流を遮断され抗う余地なく意識が薄れていくのを、男は感じていた。

 間もなく腕から力が抜けて地面へと垂れる。

 男の体が完全に自身へともたれかかったのを確認してから、カインはようやく力を緩めた。

 殺してはいない。意識をこそげ落としただけだ。

「結局なんなんだ、こいつ」

「こ、殺したの……?」

 恐る恐るといった様子で近づいてきたのはロラだった。

 顔を上げれば不安という言葉を具象化したような顔のロラと、遠くの方で銃を構えてスコープを覗いているケニーの姿があった。

「いや。そこまでする必要はないと思ったけど――怯えてるようだけど、何か知ってるのか?」

「たぶん……なんだけど」

 ロラがぽつりぽつりと話し出す。

 その間、カインは男を外套ごと簀巻きにした。

 ――ロラが言うには、こいつもまた別の組合の人間だという。しかも恐らく、ガイマ専門だ、とも。

 特定有害魔獣ガイマを専門とする狩猟組合は極めて少ない。戦闘に特化していて尚、一定以上の実績を持たなければ採用さえされないからだ。

 だから絶対数が少ない。故にその殆どは、ロラのような討伐隊出身者が多いという。

「なんでわざわざ討伐隊を抜けるんだ?」

 よっ、と声で勢いをつけて男を担ぎ上げる。肩に乗せて立ち直ると、訝し気な顔でカインを見ながらロラは続けた。

「外に出た方が稼げるからね……動きやすいし。安定はしないけど、人も少ないから危険な事が多いけど、それ以上の対価もあるし」

 確かに噂に聞く限りではガイマ専門の組合チームへの報酬は破格だ。たとえ対象が一匹だとしても、恐らくカインの一月の収入を上回る。

 そして何より、誰もが己を恐れ、敬う。つまり名声だ。

「ねえ、どうするつもり? それ」

 二人はゆっくりとケニーの元へと歩みを進める。

 ロラは不安そうな声で訊いた。

「さあ? どうしようか」

 おどけて肩をすくめてみせると、ロラはむっとした顔で肩を力任せに殴ってきた。

「ねえ! やめてよ! そいつの仲間が襲ってきたらどうするの⁉」

「そん時は返してやるよ。たださ、舐められっぱなしじゃ腹立つだろ、あんたも」

「でも」

「それに、こいつだって何も知らない訳がない筈だ。この場所には誰も立ち入ってない様だし、ガイマが出たって話も僕らと、依頼主くらいしか知らない。なのにそのガイマの狩猟組合チームがなぜかここに出張ってきた。不思議じゃないか?」

「……でも」

「大丈夫、責任は僕が持つ」

「でも……」

「おいケニー! 早くこっち来い!」

 でもでもでも。納得がいかないのか言い知れぬ不安が拭えないのか、ロラは囀る小鳥のようにうっとうしい。

 カインはたまらず声を上げると、ケニーは馬を連れて走ってやってきた。

「ロラがうるさい。慰めてやってくれ」

「ああ……だがよ」

 自分の馬に男を乗せる。ようやく馬に乗るという時に、ケニーが言った。

「いつか、いつでもいいから、話してくれよな。お前がそんな風に急に強くなった理由をさ」

「……ああ」

 カインはケニーを一瞥してから、短く返事をした。

 ケニーとの間にはそれ以上の言葉は必要ない。そうする程度の仲ではないのは、お互いに理解していた。

 

                  ❖❖❖


 男は気が付いた時、同時にその身体の自由が奪われている事に気が付いた。

 外ではないようだ。座らされている尻の下は板のようだった。

 両腕は後ろに引っ張られるように縛り付けられている。足は胡坐をかいた形で縛られ、そんな不自由すぎる姿勢のせいかろくに力も入らない。

「起きたか」

 声が後ろから聞こえた。


 男を連れてきたのは、タイタン・ヴェナドからほどほどに離れた廃屋だった。いい具合に部屋の中央に柱があったので、縄を調達してそこに縛り付けてやった。

 後でタイタン・ヴェナドへこいつを連れていく――そう言ってケニー達とは別れたから、この場所に居るのは誰も知らない。

 外が暗くなってきて、いい加減暇で眠くなってきた。思わず漏れるあくびをかみ殺した矢先に、目の前の男が身動きするのがわかった。

 息を殺して一度深呼吸をする。眠気を一度吹き飛ばして、口を開いた。

「起きたか」

 言いながら、回り込む。少し先、扉の近くに置いたランタンに火をつけてから、改めて男の前に近づいた。あらかじめ設置しておいた椅子に腰かけ、足を組む。

 鈍い明りがあたりを照らす。男の素顔がちらちらと影に揺れながら見え隠れしていた。

 二十代前半といった様子だった。顔や肌の質感はまだ若い。帽子の中に収まっていた長い髪は今ではほどかれてぼさぼさに散っている。左目を貫くような縦一閃の傷が印象的な顔だった。

「あんたがケンカっ早いんで、縛らせてもらった。別に拷問や何かをしようって訳じゃない。僕はただ話がしたいだけだ」

「……何が目的だ」

「へえ、できるじゃないか、会話が」

 ふん、と鼻を鳴らすと男は勢いよく飛びかかろうと動く。が、縛られているせいでまともな事は何一つできていなかった。

「そういうとこだよ」

「――いずれ私を探しに仲間が来るだろう。貴様など……」

 男はそこで、言葉を止める。己がなぜ、どうやってここに来たのかをようやく思い出したのだろう。

 短く息を吐き、男はようやく言葉を続けた。

「何が目的だ」

 複雑なのか単純なのか。ともあれ、まだ話やすそうな手合いだ、とカインは思った。

「僕はカイン・アルバート。あんたは?」

「……アグルだ。ただの、アグル」

「ガイマの狩猟組合の人間だな? どこの組合だ」

「貴様に教える必要はない」

「じゃあ質問を変えよう――あんたはあそこで、何をしていた?」

「それも同じだ」

「ああ、そう」

 カインは肩をすくめて、椅子から立ち上がった。

 またランタンの方までいくと、その隣に置いたアグルのカバンを手にして、その場ためらいもなく逆さにして見せる。

 どさどさと中身が床に落ちて転がる。カバンを投げ捨てて、しゃがみ込んで床に散らばった荷物を一つ一つ確認していった。

「あんたが起きるまで手をつけなかったんだ。誠実だろ?」

 三つに折りたたまれた棒。中心に細いワイヤ―が仕込まれているようで、手元の簡易的なスイッチでそれを締め付けたり緩めたりできるようだ。

 あとは大したものは入っていない。

 乾燥しきって石のようになった肉。果物の缶詰がいくつか。短いナイフに、その研磨剤。とりあえず、とナイフを拾い上げポケットに収める。

 その中に紛れていた地図を広げてみる。どうやらここら一帯のものらしいが、特にこれといった書き込みはないようだ。

 念のためにランタンの灯りで透かしてみるが、変わりはない。

 あとは小銭の入った袋と、五〇枚程度の紙幣。ざっと六〇サンくらいはありそうだ。少なくとも贅沢しなければ二、三か月は食うのに困らなくなる――が、卑しい盗みを働くためにこんな事をしているわけではない。

 残っているのは小物ばかりだ。

 銀のペンダントに、宝石の原石のような小さい石がいくつか。

 特にヒントになりそうなものはない。

 アグルはそれを黙って見ていた。挑発に乗ってくると思っていたが、意外と冷静なようだった。

「あんたは、仲間たちの為に死ねるみたいだな」

 ペンダントを男の足元に投げる。特にこれといって意味はない行為だった。

 カインはつまらなそうな顔で、再び椅子に座った。

「それがどうした」

 殺してみろ。そう言いたげな挑発的な顔をしていた。

「あんたの仲間は、仲間を殺されて黙っていられるほどに冷徹か?」

 一転、男は目を剥く。歯を食いしばり、瞬間的に沸騰した怒りを押し殺しているようだった。

 たった一言で意図を察したようだった。黙っているからただの呆けかと思っていたが、頭は回るようだ。

「僕は無理なんだよ」

 そしてまた一転、話の流れが変わったのも肌で感じたようだった。

「何が言いたい」

「僕らは純粋にデカい熊を狩りにあそこまで行った。だが居たのはウルスだった。油断していた仲間が殺された――どうやらそこに裏がありそうだ。そんな所に、あんたが現れた。そのあとは知っての通りだ」

「……なるほど、な。そこまでは理解した」

 アグルは納得したように頷いた。

 そのうえで、

「私から話せることは何もない。恐らく貴様が求めるような事は何も知らない」

 アグルがそういったことは、恐らく真実なのだろう。命乞いをするようなタイプではなさそうだし、ウソをついてまで現状を切り抜けるつもりもなさそうだ。

 少なくともカインは彼をそう評価していた。

「ガイマのチームってのは、みんなそう秘密主義なのか? 理由は?」

「……」

 アグルは小さく首を振った。それさえも言えない様だった。

「ちっ、結局手掛かりなしか――」

 舌打ちをして、カインは彼の後ろへ回り込む。ポケットからアグルのナイフを取り出して、縄を切って解放してやる。

 腕が自由になったアグルの前にナイフを投げ捨て、またカインは椅子に座った。

「じゃあ今度は、あんたを専門家だと見て質問だ」

 アグルは静かに足を縛る縄を切っている。声は届いているようだが、返事はしなかった。

「今まで生息すらしていなかった場所に突然ガイマが出現するって事はあり得るのか? 理由は?」

「ふう……ま、この私をここまでしたんだ。それだけ答えてやる」

 手首を締め付ける縄をほどいて床に捨てる。腕を覆っている包帯がたわんでいるのを見て、それを改めて締めなおした。

「あり得ない。それだけだ」

「あんたはそれを調査しに来たのか?」

「それだけだ、と言ったはずだ」

「ケチくさいな、また縛り付けるぞ」

「代わりに一つだ。貴様はなんなんだ?」

「なんだって言われてもな……」

 困った質問だ、とカインは頭を掻く。その横を通り過ぎて、アグルは自分のバッグにばら撒かれた荷物を一つ一つ丁寧にしまっていく。

「答えられないなら構わないが、なら私も答えられないな」

「はぁ、仕方ないか」

「ああ。だが――またいつか、会うことになるだろう。その時の立場はわからないが」

 アグルはそれだけ言って、扉を蹴り開けて外に出ていった。少しして馬が嘶く声と、蹄鉄の音が遠ざかっていくのを知って慌てて後を追う。

 扉を出た先に、一頭だけ居たカインの馬は存在していなかった。

「……一枚上手だったな、あいつ」

 ま、これだけの事をされて馬を盗むだけで済んだと言えば、僥倖なのだろうか。

 短く息を吐いて空を見上げる。

 もうすでに、視界を埋め尽くすほどの星が満遍なく輝いていた。

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