第二話 意志を継ぐ男

ガイマ狩りの男

 翌日訪れた場所は、最後の記憶とは打って変わって随分ひらけている様子だった。

 というのも、ロラの術によって森が焼き払われてしまっているのだ。町一つ分入るほどの大きさの森は影もなく、その焼け落ちて炭化した木々だけが点々としている。

 地面も真っ黒に焦げていて、周囲の空気も未だ焼け焦げた匂いで充満していた。

「環境破壊、だね」

 カインが言った。

 ロラはむすっとした顔でそっぽを向く。

「仕方ないじゃない」

「まあまあ、あん時はロラがああしてくれなきゃ皆死んでたかもしれねえんだ、な?」

 ケニーはロラをなだめながら、カインをたしなめる。

 癖っ毛の栗毛を軽く撫でつける様にして書き上げながら、素朴で純朴そうというどこにでも居そうな気の良い青年。それがケニーだ。外見同様に裏表がなく、組合に入って一番最初に仲良くなった男だ。

 一行は馬を降りて中へと進むことにした。

 あれほどの火事だったが、ガイマが居たという事もあってか誰かが立ち入った様子はない。

「……ねえ」

「ん?」

 先頭にカイン。後ろを二人で周囲を警戒しながら歩く。そんな折、ロラはすぐ近くまで歩み寄ると、肩越しに囁くように言った。

「あなたが最後に気絶する前、何か……人型のものに襲われてたわよね。あれ、なに?」

「こっちが訊きたいよ」

「でもあなた、何か知ってるような――ったぁ! もう、急に止まら……」

「ウルスだ」

 不意に足を止めたカインの背に、ロラは全身をぶつける。悪態をついてすぐにその意図を知って、言葉をやめた。

 彼の視線の先を見る。大きな岩かと空目するほどの肉の塊があった。焦げた毛皮は見事に焼け落ちていて、近づけば鼻がまがるような腐臭がしてくる。

 ウルスの死骸には何羽かの鳥がとまっていて、その死肉をつついているようだった。

 三人が近づけば鳥たちは蹴散らされたように、バサバサと風を叩いて空へと消えていく。

「……周囲にはガイマの気配はないわ」

「あ、ああ……やっぱアレ、現実だったんだ、よな」

 ケニーは信じられないものをみるように目を見開いてウルスを見る。釘付けになって離れないようだった。

 二人がウルスの死骸を確認している間に、カインはさらに周囲を見渡す。

 ウルスがここに居るならば近い筈だ――考えている間に、また見つけた。

「ここに居たか」

 馬の形をした炭のすぐ近くに、骨をむき出しにしながら地面と同化しかけているヤンマの焼死体を見つける。

 持っていた弾薬が熱で暴発したのか、左足が損失しているようだった。

 ヤンマ――年頃はカインに最も近い少年だった。二つほど年上で先輩風を吹かせたうざったい奴だったが、そのくせ面倒見がよく、都合があえば二人で狩りに出かけることはよくあった。

 彼は老舗であるタイタン・ヴェナドにはるばるアダマン州から来た。列車を使っても何日もかかる距離だ。両親はまだ、彼が死んでしまったことをしらないだろう。

 カインはためらいもなく彼の衣服を破く。その先、胸にある鈍い輝きを持つ焦げたネックレスを優しく外してやった。

 他に何かと探るものの、どうやら持ち帰られそうなものはなさそうだった。

 そして――彼の焼死体の額には、風穴は開いてはいなかった。

「そっちは何かあった――」

 振り返りながら口を開く。少し離れた先、ガイマの死骸を背にして何かと対峙していた。

 ケニーは腰のホルスターに手をかけていて、ロラは腰に交差するように備えている短剣を引き抜いていた。

 なんだなんだとカインは近づく。ケニーの斜め後ろほどまでやってくると、ようやく相手が何かわかった。

 それは男だった。ただならぬ雰囲気の男だった。全身から殺気があふれ出しているような、鋭い目つきの男だった。目深に被ったカウボーイハットと、鼻から下を覆うスカーフのせいで顔はよくわからない。

 ボロボロの外套を纏い、目の前に伸びた腕には指先まで包帯が巻かれていた。その手には身の丈ほどの長さの棒が握られ、彼に対して垂直に――つまり穂先は二人へと向けられている。

「……知り合いか?」

「んなわけねぇだろ」

 ケニーに小声で尋ねると、いらだったような口調で返される。彼は額いっぱいに汗を浮かべていて、隣のロラすら汗を一筋流している。ここが暑いから、という理由ではないだろう。

 最もロラに関しては、彼女はヒステリックだ。何かを勘違いして勝手に暴走して、ケニーもそれにつられてしまっているに違いない――カインは彼らを簡単にそう評して、二人より一歩前に出た。

「僕はカイン・アルバート。タイタン・ヴェナドから派遣されてこの二人とここに居る。先日ガイマに襲われた為、その調査に、だ。あんたは?」

「……」

 何かを喋る様子はない。だからと言って、何かをしてこようとする風もない。

 カインは少し警戒した足取りで、二人と男とを遮るように前に出た。棒の丸い穂先は、胸にすれすれで当たりはしなかった。

「二人とも、一度武器をしまってくれ。俺たちを奇襲するつもりなら彼はとっくにやってるはずだ」

 そしてこの緊迫感は、己が圧倒的弱者であるその証左となってしまっている。

 一昨日の事で神経過敏になってしまっているのだろうから、仕方のない話だが。

 カインの言葉に躊躇いはあったが、二人ともそれに従う。危険がないわけではないが、確かに攻撃するつもりなら最初からそうする筈だと。

「さあ、こちらに敵意はない。こちらとしてもあんたに敵意が無いなら別にそれ以上詮索する理由もない。それでいいか」

 言葉はまるで虚空に投げられたかのように、男の反応はなかった。

 さてどうしたものか――額の汗を拭いながら考えていると、ゆっくりと目の前に突き付けられた棒が引いていくのがわかった。

 やがてそれが三本に分かれて折りたたまれ、彼の腰のバッグに収められるのを見届ける。

「貴様達は何者だ」

 まだ若そうな男の声が不意に放たれた。

 カインは少し戸惑って、

「ホグランド州にある狩猟組合の人間だ。一昨日ここの熊の狩猟に来たが、報告にないガイマに襲われて仲間が一人殺された。依頼主を訴えるためにその残骸を調べに来ただけだ――さっき言った筈だ」

「……そうは、言ってなかった筈だが」

「そこまで言う必要があったなら言ってほしかったな」

「ああ、だから言った」

「――足んねえのか?」

 悪態は反射的なものだった。カインの自我が過去の人格に凌駕されたが故のものだった。

 ケニーが思わず絶句して息を止める。ぴり、と空気が張り詰めたのがカインにもわかった。

 ああ面倒くさい。

 どちらかの意思疎通が不自由でケンカになるのは当然だ。結果的に痛い思いをするのは頭よりも腕っぷしの弱い奴だが。

「後ろの二人は頭が回っているようだが、貴様だけだな。わかっていないらしいのは」

「こっちは素性を明かしてるんだ。あんたも教えてくれても良いとは思うけどね」

「明かしたと言っても証拠などないだろう」

「悪いけど、あんたに妙な因縁つけられて応えられるほど暇じゃないんだ。僕らは帰らせてもらう。あんたは好きにしろ」

 妙に自信に溢れた物言いは、悪魔から力を得たからという理由ではない。こういった妙な手合いには慣れているからだ。

 そもそも悪魔がくれた力なんてのは、このカイン・アルバートに順応する事と、先日のような超常的な身体能力以外には知らない。知っていると息巻いたが、それだけだと思っていたからだ。

 まだ何かありそうだ、と思ったのはつい今朝起きた時になんとはなしに思ったことだったが。

 最も――無闇にこの人並み以上の身体能力さえ、人に知られれば面倒だ。

 ちょうど後ろにいるロラを一瞥してから、カインは肩をすくめた。

「行こう」

 カインは男から二人を遮るようにしながら、ケニーたちを先に行かせる。彼らは心配そうにカインを伺いながら、徐々に森の外に待たせている馬へと近づいて行った。

 それに伴うようにカインも男から少しずつ距離を放す。

 男も同様にカインだけを警戒するように、視線を外さずに居た。

 やがて二人が馬に乗った時、

「貴様はここに残れ」

 不意に男は手を腰にやった。そう認識した次の瞬間には棒は組み立てられていて、その穂先はカインの遥か後ろに居る二人に向けられていた。

 カインはうんざりしたように嘆息してから、

「悪い二人とも、先に行ってて大丈夫だよ」

「――え、でも」

「いいから!」

 そんなカインの言葉に二人は逡巡する。少しして――二人はまた、馬を降りてカインのもとへとやってきた。

「……私は誰が居ようと構わん。その二人に興味はない」

「ああ、そうかい」

 二人との距離はまだある。カインはなんとなく、会話を急いだ。

「で、何の用だ?」

「普通、私に出会った者は一様に彼らのような反応をする。貴様は違ったが」

「それが気に入らねえって?」

「そんな程度の低い話ではない――貴様の内から漏れる、禍々しい魔力が問題だ」

「僕は術は使ったことがない。魔力の性質がどうのだなんて言われてもわからない」

「つまり貴様は――人の皮を被ったバケモノだという話だ!」

 男は語気を荒げ、身体を大きく動かす。それを知覚した次の瞬間、棒の穂先は鋭くカインの喉元を穿っていた。

「……どいつもこいつも」

 だが、カインの体はぴくりとも動かない。涼し気だった表情にはゆっくりと皺が刻まれていき、深い溝をつくった眉間の下、両の眼は大きく見開かれていた。

 男が腕を引くより先に棒を掴む。予断の隙も無く引っ張れば、油断していた男はわずかに姿勢を崩した。

「お前が先に手を出したんだからな」

 それに合わせる様に深く踏み込む。振りぬいた拳はやや低い位置から弾丸のような速度で、男の顔面を殴りつけていた。

「ぐっ――」

 うめき声すらろくに残さず、男が吹き飛んだ。

 森を抜けた先の荒野に、小さく砂ぼこりがあがったのが見えた。

「……なんだったんだ、あいつ」

 少しすっきりした。そんな風に胸の中の空気を勢いよく鼻から抜いた時、すぐ近くまで駆け寄ってきていたロラは勢いよくカインの頭をひっぱたいた。

「いてっ! 何を」

「何やってんのよ!」

「何って……」

「あいつは多分ガイマ――」

 詰問するように胸倉を掴むロラの罵声が耳につんざく。

 だから気が付くのが遅かった。カインは慌ててロラを思い切り突き飛ばし――。

 刹那――黒い影が放つ拳がすでに、鼻先に触れようとしていた。

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