狩猟組合『タイタン・ヴェナド』

 翌日の午後に、カインはとりあえず組合に顔を出してみる事にした。

 彼が所属しているのは狩猟組合で、別名「巨人タイタンヴェナドり」と呼ばれている。なんでも創始者が昔居たという巨人を狩って、その力を示したからだというらしい。

 つまり数多ある狩猟組合の中でもこのフリメラに居を構えるソレは、老舗中の老舗で有名だ。

 最も今はそんな事さえも忘れ去られるほど衰退していて、そっちの方が独り歩きしてしまっているのだが。

 ――頭の中の記憶から、身体に染み付いた癖から、カイン・アルバートになりきることは出来る。このまま本意気でカインになりきっていれば、ロラのもきっと時間が解決してくれるだろう。

 そんな事を考えながら、シャツの袖を捲りポケットに手を突っ込んで気だるげに往来を行くカインは、さんさんと空から降り注ぐ太陽光にいい加減うんざりしていた。

 気温が高い癖に、湿度も高い。肌にまとわりつく熱気が地を這っているのに、上からもこの身を焼くような輝き。

 額に浮かぶ汗を拭いながら、やがて見えてきたあばら屋を遠巻きに見る形で足を止めた。

 さすがにあばら屋とは言いすぎだが――フリメラから南へとかなり歩いた往来の脇にぽつんと大きな馬小屋がある。それは随分と古びていて、所々穴が空いているようだ。

 実際それはもともと廃屋となった馬小屋を改装したものなのだから仕方ないのだが。

 大きな両開きの戸の脇に、数頭の馬が繋がれている。組合とはいうが、実際ここに属している人間はそう多くなく、また毎日足繁く通うような者はさらに少ない。

 組合はノルマをこなせば毎月定額の報酬をくれる。さらに稼ぎたいものには依頼を仲介し、その七割を与える。手が必要なら組合員で協力すればいいが、その分報酬も七割のうちから山分けだ。

 だから優秀な者ほど組合には寄り付かない。それもそうだ、これは弱き者に手を差し伸べるシステムなのだから。

「はてさて、誰が居るのやら」

目の上に手をかざして入り口を見る。大きな両開きの扉は開け放たれているが、誰かが出てくる様子はない。

 昨日ケニーが居たらしい。今日いれば、恐らくロラと一緒のはずだ。

「めんどくせえな」

 悪魔の意図が読めない。それが一番のストレスだった。

 時間がないと言うのならばくだらない話をする前にこの肉体に己を宿せば良かったのだ。そうすれば、こんな面倒な状況にはならなかった。

 そしてなにより、なぜこの男を生かしておく必要があるのかがわからない。

 極めて善人らしいが、ならば己ではなくこの男自身を生き返らせればよかっただけの話だ。命と力を一方的に与えれば、契約がどうのだなんて後からどうにでもなる筈だ。

 考えてもわからない。なによりひたすら滴る汗にイライラしてきた。

 まあいい、ロラが居ようがいまいが、どの道いずれ衝突するのだ。それが早いか遅いかというだけの話で。

 とにかく今は金が必要だ。昨日の夕食のような、あんな貧相で質素な事は繰り返したくない。


「ういっす、どーも」

 そんな声を上げながら、カインは組合の扉をくぐる。薄暗い室内に目が慣れずしばしの暗闇を堪能した後、その中を確認した。

 広い室内のほとんどは、開けた空間だった。

 天井からぶら下がる照明が鈍くあたりを照らしている。まっすぐ目の前を進んだ先は壁で、その左右には階段がある。そこを上った先には吹き抜けの二階部分があるが、壁に天井にまで及ぶ高い本棚とその中身が敷き詰められているばかりで、部屋は存在しない。

 一階も同様で、ただ違うのは右手側階段の横に質素な執務机とここの主が備えられていて、その隣の壁には賞金首よろしく彼が用意した依頼書が張り付けられていた。

「あ、どーもー」

「カイン! 噂をすれば」

 そんな声を上げた数人の男女は、そんな賑やかな声を上げながら溜まっていた依頼書のあたりからカインの元へと駆け寄ってくる。

 女が二人と、男が三人。いつも五人で活動しているチームだ。効率よく稼いでいるらしい。

「昨日の事! 聞いたよー」

 まだ幼さが残る――というより自分と同じか、それより下なんじゃないかと思うような少女が愛らしい笑顔で言ってきた。

 短い茶色の髪に、丸いブラウンの瞳。ちょっとしたドレスのような恰好はいつもの事だった。

「覚えてないんだって。聞いたって言ってたけど、ほんとに聞いてたのか?」

 カナ・チャコはそう返されてバツが悪そうに表情をしかめた。唇を突き出すようにすねた顔は、まるでそこいらを走り回る子供と一緒だ。

「あー、お前も昨日の今日で疲れてるもんな。悪い」

 エル=リア・ドレイド。

 ひときわ背の高い男が申し訳なさそうに言った。短い黒髪に、鋭い目つき。細い体には引き締まった筋肉が纏われている。

 彼はこのチームのリーダーだ。もともと古株で、組合を立て直すために尽力している。

「うん、ごめん。また次の時に話ならするからさ」

「ああ、お前も無理するなよ。またな――みんな、もう行こう」

 エルは肩を叩いて組合を後にする。ほかの者も三者三様にカインへと別れを告げながら、その背を追っていった。

 相変わらず騒がしいな、そう思いながら歩を進める。

 やがてたどり着いた執務机には、脚を乗せて腹の上で手を組む初老の男が居た。

 白髪交じりの男は老いを感じさせぬ武骨な体つきで、威厳なのか機嫌の悪さなのか、いつも不愛想だった。

「来たか、小僧」

 低く渋い声は、その鋭い視線と共に机の前に立ったカインに向けられた。

 組合長スミス・ドレイド。彼は創始者のひ孫で、エル=リア・ドレイドの父親だ。

「まるで来るのがわかってたみたいですね」

「いや、そんな事は知らん。キサマに用があっただけだ」

「用?」

「ああ」

 ふっ、とスミスは短く息を吐く。瞬間、彼は足だけの力で体を持ち上げ、器用にバランスを保ちながらその机の上に立ち上がった。

 その刹那後に鋭く振り投げられた爪先がカインの顔面を狙う。

 咄嗟に顔を庇うように腕を上げる――攻撃は、手のひらに当たる寸前で停止した。

「ふん」

 スミスはそんな風に鼻を鳴らして、机の上から飛び降りた。

「カイン、お前はいつからそれほど強くなった?」

「……」

 カインは答えず、数歩だけ後退って身構えた。

 ――なんなんだ、この世界は。

 ウルスだとかいう害獣はただの獣ではないし、ロラという女は不思議な力を行使する。ついには目の前の初老の男さえ、尋常ならざる身体能力を有している。

 六度の人生の中でこんな事、一度たりとてなかったことだ。

「答えねェのか、答えられねェのか知らねえが――ついてこい」

 スミスは椅子にかかった白いジャケットを引っ張ると肩に担いで、カインの答えも待たずに出口へと歩みを進める。

 彼の行動は半ば強制だった。従わなければ、今後の生活はままならなくなるだろう。

「ちっ」

 何を考えていやがる。

 舌を鳴らしてから、構えをほどいてスミスの背を追う事にした。


                ❖❖❖


「明日、時間あるか?」

「……ええ、まあ。最近エミリーも随分元気なので」

「じゃあ少し付き合え」

 ――川に糸を垂らして獲物を待つ。カインはこれまでの人生で、これほどつまらないことはないと思っていた。

 二人は釣りをしていた。組合からほどほどに離れた大きな河川だが、釣れるのは大物か小物かの二択しかなく、そのほとんどは後者だ。

「ロラは随分とお前を疑っている。お前がいくつかに分かれて死んだのを目の当たりにしてるんだ。それで人格が変わったような言動で、お前とは思えない強さでウルスを蹴散らしたとあっちゃ仕方がない」

「まあ、でしょうね」

 つまらなそうに返事をして竿を揺らす。水面に波紋が生まれるのを眺める。

「おい、そんな揺らしたら魚がビビッて逃げるだろうが」

「釣り、好きじゃないんで」

 日もまだ高い。暑いし、退屈だし、スミスの話も面白くない。

 まだ子供なのだから、こう子供っぽく歯向かっても構わないだろう。

「お前の親父は好きだったんだがな」

「……」

 親父――ドリュー・アルバートは元々狩猟組合に属していた。記憶の中での父親はあまり良い印象はなかった。いつも飲んだくれていて、よく賭博で金を失っていた。

 エミリーと同様にあまり体が強くなかった母は働きに出ていて、両親との思い出もそう多くはない。

 やがてドリューが怪我をして働けなくなった後、そう間も置かず二人は命を絶つ決断をした。

 無責任なものだと思う。

 その後よく世話を焼いてくれたのはスミスだ。カインが自立できるように簡単な仕事から斡旋して、今に至る。借金はまだ四分の三ほど残っているが、順調に返していけばあと十年もかからないだろう。

「お前が悪魔に魅入られたとしても、あるいはまったくの別人だろうと、お前はお前だ。ケニーやロラを助け、エミリーの世話もしている。オレはな、何者だろうがお前はお前だと思ってるよ」

「……ありがとうございます」

 額の汗を手の甲で拭う。

 どうにも、こういったいかにも親子的な信頼のやりとりなんてものが苦手だ。信じるなら信じるで黙って勝手にやってろと思う。

 押しつけがましい。敢えて口に出すことはなかったが。

 短く息を吐く。ふと、手の中の竿が短い間隔で軽く引っ張られるのがわかった。

 軽く竿を引く。針は食いついた魚にひっかかったのか、逃げようと暴れる魚に強く引っ張られて竿がしなった。

「お、食いついてるな」

「ええ」

 リールをゆっくり引きながら、糸が切れないように気を付ける。少し落ち着いた所で竿を引きながらリールを回す速度を上げた。

「よっ、と」

 魚は無事に釣りあがる。地面に落とした小ぶりな魚を拾い上げて、針から外してやる。手の中に収まるほどの小さな魚だ。稚魚というわけではなく、この河でとれる魚のほとんどはコレだ。

 カインはそのまま魚を河へ投げ返す。

「珍しいな、返してやるのか。シブイことしやがって」

「帰り、歩きなんで」

「そうか」

 足元にスミスが用意した袋がある。昆虫の死骸がいくつか入っていて、それを針につけてまた河へ竿を振った。

「まだ、話はなにかあるんですか?」

「はっ、思春期のガキの相手は大変だな」

「話、無いなら帰りますよ。明日また仕事を受けに来ます」

「わかったよ、あるよ」

 うんざりしたように唸って、スミスは言った。

「一昨日のガイマの件だ。もうあらかた聞いてるか?」

「さわりくらいは」

「その件で依頼主のトコによ、昨日郵便を出したんだ。今朝、使いの者が伝言を持って帰ってきた」

「それで?」

「事故だ、とよ。実際、あの近辺でガイマなんて出たのは今回が初めてだそうだ」

「……それで手打ちか? いくら握らされた」

 不意に口調が変わる。それを訝し気にスミスは一瞥するが、構わず続けた。

「金は受け取ってねェよ。手打ちにするつもりもねェ」

「当然です。ヤンマが死んでるんだ」

「ああ。そこでオレからの仕事だ――明日、ケニーとロラと三人でガイマに襲われた場所を調査してきてくれ。ガイマが出たってなら棲家があるはずだ」

「……僕一人か、あの二人だけっていうのは出来ないですか? 今は少しロラとの関係が悪い」

「相場の三倍は出す。一人頭、な。お前だって、親父の剣を忘れてきちまったんじゃねえのか?」

「――明朝出発する。あの二人に伝えてもらっていいですか」

「腕も上がったが話のはええやつになったな、カイン。詳しい話は既にあの二人にはしてある。移動しながらでも聞いてくれ」

「はい」

 ふっ、と鼻を鳴らすスミスの顔はどこか楽し気だった。

 もともとカインのスミスに対する態度は妙に堅苦しくてよそよそしい他人行儀なものだった。それと比べれば、随分と話しやすいのだろうか。

 ――二人はそれからしばらくの間、他愛もない話をした。

 日が暮れるより先にスミスの腹が鳴った。

「腹が減ったな」

 そんな言葉をきっかけにして、二人は帰る事にした。

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