第一話 異世界に落ちた男

灰から蘇る男

 目が覚めた時、自分が火刑に遭っているのかと思った。

 肉体が燃えているのだ。ひどく熱いし、痛いし、すぐ死ぬんじゃないかと思った。

 チャールズ・A・ブロンソンはひどく落ち着いた様子であたりを見渡してみた。

 体は動かない。なぜならば自分は上半身から下と、両肘から先が存在していないからだ。

 おまけに体は燃えている。

 一体何が起こったのか。

 時間がない――悪魔カルマはそう言っていたが、もしかすると手遅れだったのかもしれない。

 因縁をつけていた自分を悔いるが、だが自分がこの状態でこの体に――どうやら赤子などではなく、すでに成長した男の体――生まれる事が出来たというのには、何か理由があるはずだと考えた。

 チャールズは冷静だった。

 地獄はこの身を焼いている炎よりよっぽど苦痛だったからだ。

 とは言え、現世も地獄という評価に間違いはなさそうだったが。


《もしもし、カルマだ。聞こえるか》


 突如、声が聞こえた。

 轟々と唸る炎の中で、いやに鮮明に響いていた。

「ああ」

 腹の先が焦げ落ちているのを眺めながら返事をした。

 声はいつもの自分のものではなかったが、チャールズはすでにそれを

 炎の勢いが少し弱くなる。

 あたりの状況が少し見えてきた。

 森が炎に飲まれている。昼間のように明るい周囲には、複数の巨大な熊が炎を取り巻くように陣取っていた。

 女がいた。何かを叫んだ瞬間、彼女の目の前に落雷が発生したのがわかった。

 男がいた。何かをがなりたてながら、散弾をぶっ放しているのがわかった。

 彼らは、この肉体の持ち主と共に何か――おそらくその巨大な熊――に襲われているらしかった。

 普通ではなさそうだ。そして劣勢でいるようだった。


《平静なようだな。結構》


 声は続き、


《貴様に七度の命と力をくれてやろう》


 最も、今死にかけてしまっているから、残り六度だが。

 悪魔は言った。

 その直ぐ後に、切断されたの先が、損失した腹から下が、炎より強い猛烈な熱を宿し始めた事に気が付いた。

 肉が蠢いて増殖している。ひどく気色の悪い光景だった。

 一つ大きく呼吸をする。その間に、早くもそれは終えていた。

 蠢いた肉が人の形を成型して、失われた部分を復元していた。肘から先はしっかりと腕を伸ばしているし、腹から先は最初から存在していたように下半身を備えている。

 悪魔が言うには、あと六回はこうして肉体を復元させられるということなのだろう。

 さっさとあと六回死んだらなんて顔をするんだろうな、なんて思いながらチャールズはゆっくりと立ち上がる。

 炎は燻ぶったように未だ肌を焼いているが、その先から細胞が再生している。痛みは遮断されているわけではないから、ここはやっぱり地獄なのだろう。

 考えている内に、熊の一匹が獰猛に動き出した。

 鼓膜を破らんばかりの咆哮の後、暴走列車を思わせるはやさでケニーへ肉薄する。

 逡巡の余地もない。


《力とはつまり――》


 声が聞こえる。

 だがそれより先に、体が動く。

 それは彼の意志ではなかった。

 腿に力を籠め、地面を弾く。

 瞬間、すべての景色が怒涛となって流れ、

っている」

 言葉と同時に、弾丸のように飛来したチャールズの拳は寸分の狂いもなくウルスの横っ面を殴りぬけていた。

 にわかにその巨岩のような肉体が浮かび上がる。その肢体は、まるで機嫌の悪い子供に投げられたぬいぐるみのように吹き飛んで、何本かの樹木をへし折りながらやがて遠くの方で動きを止めたようだった。

 ――そんな状況に驚いた。

 目を丸くしている二人の様子は、恐らくそれだけではないのだろう。

「か、カイン……なのか?」

 ケニーがややあってから口を開いた。

 あたりを険しい表情で警戒しているチャールズは、そんな言葉を受けながらもその視線を彼に移すことはしなかった。

「ああ」

 ぶっきらぼうに――彼にとってはいつも通りの――返事をしながら、周囲のウルスの気配を確認する。

 グルル、と唸り声は聞こえてくる。だがつい先ほどまでの勢いはない。

 おびえているのが、よくわかった。

 すでに何匹かは自らの意志で遠くへ逃げている。気配が遠ざかっていくのと、断続的な足音が小さくなっていくのでそれを理解した。

「おれがカインかどうか、そんなに心配か?」

 そうしてから、チャールズはようやく振り返る。同時に、近づいてきたロラが自身が羽織っていた外套を突き出した。

 そこでようやく、己が全裸であることに気が付く。それもその筈だ、カインは炎に包まれていたし、そもそも肉体のほとんどは損失していたのだ。

 さすがに肌にくすぶっていた炎も、飛び出した時の勢いで消火されているようだが。

「ありがとう」

 簡単に言いながら、オリーブ色のそれを羽織る。

 それを見守っていたロラが、ケニーに続くように言った。

「あんたはカインじゃないね」

「かもな」

 カインにはなかった眉間の皺を一瞥しながら、そんななんでもないように返事をする彼にロラはひどく警戒したように身構える。

「あんたは、誰なの……?」


《もしもし、カルマだ。貴様は存外話を聞かない奴だな》


「うるせえな」

「う、うるさいって」

「いや、こっちの話だ」


《そこは貴様が居た世界とは異なる場所だ。貴様自身わかっているようだが、その肉体はカイン・アルバートのもので、その人生を生きてもらう》


 わかっている。この世界で意識を取り戻した瞬間、今まで知らなかったことが、初めから知っているかのように知識が、記憶が流れ込んできていた。

 カイン・アルバートがこの世に生まれ、そしてついさっき死ぬまでの記憶、感覚、感情までその総てが。

「まずはここから離れるのが先決だろ。奴らに餌付けするのは危険なようだ」

「あ、ああ、それは、そうだが」

 ケニーは何か言い淀んでいるようだった。忙しなくチャールズとロラとに視線を移して、自分が何をすべきかを理解していない。


《貴様はチャールズではない。理解しろ》


 悪魔は構わず言葉を続けた。

 

《それを違えた瞬間、貴様の命を剥奪する》


「ああ、そうかい」

 悪魔の目的や意図はまったくわからない。だがそう言われるのならば仕方がない。従うしかない。

 少なくとも、今は。

 だから、チャールズは改めてケニーとロラとを冷めた目で見ながら口を開いた。

「おれはカイン・アルバートだ。今までは。これからは」

 ただ違う所があるとするならば、

「地獄から戻ってきた男だ。頭にそうつけてくれれば、あんたらには理解しやすいかも――」

 と、言葉は中途半端な所で途切れた。

 遮られたというのが最も正しい。


《あまり舐めるな》


 カインのすぐ背後で突如として地面が爆ぜた。言葉を遮ったのはそれだった。

 何かが空から飛来したのだ。それが隕石のように地面に叩きつけられていた。

 地面が揺れ、煙が上がる。

 猛烈な強い気配が、そこから溢れていた。

「ちっ」

 カインが舌を鳴らす。大きく地面に穴を穿った何かが、その中心から飛び出してきた気配を知る。

 即座に地面を蹴り距離をとる。

 だがそれは、カインを上回る速度で接敵、肉薄、やがて間もなくその喉元を掴んで地面に叩きつけた。

 ――肉体的に本調子ではない。

 力の使い方もいまいち把握できていない。

 そんな事を取っ払ったとしても、敵いそうにない。

 本能的にそれはカインに理解させる。

 はまるで焼けただれた焼死体のような姿だった。肌は炭のように黒く、皮膚が所々焦げ落ちている。顔はもはや何の面影もないし、瞳は存在せずに不気味な眼窩が深淵をのぞかせている。

 唯一特徴があるとすれば、その額には風穴が空いていた。

 首を絞めつけられたまま動けない。かなり本意気で身をよじっているのに、馬乗りになっているソレはびくともしない。

「くっ――がぁっ!」

 全身の力を腹部に溜める。残った空気を肺腑からすべて吐き出しながら、勢いよくカインは起き上がった。

 全身全霊を込めた頭突きが、その何かに直撃する。言葉にならない短い悲鳴と共に、ソレはカインから引きはがされて吹き飛んだ。

 低い放物線の着地点は樹木の幹だった。叩きつけられ、そして何事もなかったかのように着地する。

 ぜえぜえと呼吸を乱しながらカインは立ち上がり、睨みつける。

「悪い冗談だな、オイ」

 怒り、というよりは鈍い恐怖に似ていた。

 おそらく、きっと、多分あれは――。


《貴様もまだ来たばかりだ。今回は警告で済ますが……今までの生き方が通用すると思うなよ》


 悪魔の言葉が終える。同時にその焼死体はパチン、と指を鳴らした。そんなほんの瞬きの間に、その姿は跡形もなく消えていた。

 気配はまるで存在しておらず、まるで最初から居なかったかのような自然さで消失していた。

「か、カイン……?」

 ケニーは何度目かになるそれを口にする。

 カインは呼ばれてからようやく二人の存在を思い出して、立ち直った。

 ゆっくり二本の足で地面を踏みしめようとした瞬間、不意に膝の力が抜けて倒れこむ。

「お、おい! 大丈夫かよ⁉」

 ケニーが駆け寄ってくるのがわかる。だがどうしたことか、地面に伏した途端に力が溶けていくように体中が弛緩しだしたのだ。

 彼が体をゆすり出した時にはすでに意識もうつろになり、間もなくして淀んだ闇の中に落ちていった。

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