第5話 感性が若いうちにとにかく遊べ
筆者は自身のことをオッサンと言うだけあってそこそこ歳をとっている。それ故の最近の悩みは若い人が感動すると言われている映画やドラマを見ても感動しなくなったことだ。昔からあるものは今でも感動できる。
感動、つまり、感情が動くこと。感動しないとは感情が動くほどの価値が見出せないこと。これには非常に危機感を覚える。たかが作り話。そういう見方もあるが、価値が見出せないとその分野においてビジネスチャンスが見出せないことを意味する。映画やドラマそのものも重要だが、使用される技術、歴史や背景、演技者をはじめとしたスタッフの努力、そして題材が重要なのだ。それぞれに莫大なコストがかかっている。映画やドラマに感動できないと、最終成果物や過程で発生するビジネスチャンスに価値なんて見出せない。意味がないものに思えてしまうからだ。
よく言われることで言い換えるのであれば、ゲームだ。「ゲームばかりしてないで勉強しなさい」と叱る親がいる。それは将来において役に立たないものと決め付けているからだ。しかし、今はeスポーツがある。プロ選手であれば生活することができる。それに動画配信。題材が面白ければ十分稼ぐことができる。そしてゲームクリエイター。何が面白いのかわかるのであれば作ることができなくても企画を練ることでビジネスとできる。巨大な市場がそこにはある。役に立たないわけがない。
ここで筆者の話に戻るが、映画やドラマで感動できないのなら、同じ作り物であるゲームやアニメでも感動できない可能性がある。つまりだ、筆者はもうクリエイターにはなれないのだ。ただでさえモノよりもコトが重要になってきている現代において、コトの真髄ともいえる便利さ、または、感動の2個のうち、その片方が通用しないのは選択肢が狭められすぎて辛いのだ。若者に比べれば先が短いとはいえ筆者にも未来はある。会社をクビになる不安もある。転職の可能性は狭めたくはない。が、クリエイティブな職業は面白いとか感動できると思えない人間が作ったものは絶対に面白くないのだ。面白いものをよく知っていなければ面白いものは作れないし、感動できるものは何かよく知っていなければ感動できる話は作れない。一言で言えば、心に響かないのだ。一般的にこれを『感性』と呼んでいる。
この感性、必要だと思うのは大人になってからの方が多い。にもかかわらず、大人になってから感性が豊かになるかと言われればかなり難しい。ではいつと聞かれれば若いうち、それも子供であればあるほどいい。好き嫌い関係なくどんなものでも吸収できるだけの器がある。子供であればあるほどいい理由は、自発的な遊びの中からの体験が感性を磨いてくれるからだ。失敗しようが成功しようが結果はあまり関係ない。やったという過程が重要でなのだ。それが多ければ多いほど感性が磨かれていく。楽しければそれでいいのだから。子供のうちで結果がどうこう言われるのはテストくらいだ。勉学なんて後からでも取り戻せる(必要となる時間は劇的に増えるため疎かにすることはお勧めしない)。
これからの時代、AIが進化すればするほど人が不要となる。その時に絶対になくならないものは娯楽。そこに作る側で飛び込めるようになるにはいろんな面白いこと、感動できることを体験するしかない。それは若いうちにしかできない。年老いてから後悔することが無い様にしっかりと遊んでおいて欲しい。
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