第3話 大人に個性を殺されるな

多くの若者は今小学校中学校高等学校などに通っているだろう。そこでは日々みんなで同じように登校して同じように勉強して同じように部活をやって同じように帰っていく。代わり映えしない日常であることだろう。しかし、そこに波乱が1個でもあると教師たちが一斉にその波乱を無かったことにしようとしてこないだろうか。これは多くの場合はイジメだ。何故それを無かったことにしたいのかは周知の事実だろう。だからここでは言及しない。では、少ない場合。それは大人である教師たちよりも優秀な存在が現れた時だ。いわゆる『出る杭は打たれる』だ。大人、特に教師は劣等生を出してしまうのを嫌う。マイナス評価を受けてしまうから。それと同じくらい優等生を嫌う。より優秀に導けないと教師として無能の烙印を押されてしまうから。優等生がどんなに優秀な成績を実績を残しても担任はマイナス評価を受ける。そういうものなのだ。だから教師は平準化した生徒を作り出そうとする。そうなると個性は邪魔なのだ。個性は杭のように飛び出たり突き抜けたりするものだ。平準化し、無個性を量産する事こそ評価される教師とは真っ向から対立する。しかし社会に出て最も必要になるのは実は個性なのだ。自分の得意とする分野で自分で考えて自分のために行動して、周囲の人間を巻き込みながらも自分の夢を掴む。それが最終的に社会にとって必要とされる人間になる。もちろん、そのためには生半端ではない努力と行動力が必要になる。高い意識も維持しなくてはならなくなる。結果が出るまでの長い時間耐え続ける精神力も必要になる。けど、その根底にあるのはその人の個性なのだ。学校の大人たちはそれを潰しに来る。しかし、学校教育自体はとても重要だからタチが悪い。人間社会において学校教育は基盤としての位置づけであり、それを基にシステムが構築されている。特に日本ではこの傾向が強い。学校が平均値の高い突出しているものがない無個性を重んじるように、社会では平均的に高く突出しているものがない無個性な存在が重宝される。

しかし、そんな社会は成長がない。いずれ衰退して消えていく。そうならない為には突出した強い個性が必要になる。強い個性は無個性の存在を駆逐する劇薬となり、新しい社会システムを構築する礎となる。スマホの普及がいい例だろう。今は誰でも使えることを前提に色々な企業のシステムが構築されている。病院やお店の各種サービス、電車の切符などのインフラ、健康管理、ゲーム。制限はあれど出来ないことを探す方が難しい。だが、一世代前はそんな事まるで考えていなかった。せいぜい携帯電話の固有インターネットくらいだ。さらにその前はアナログで未だにスマホを使えない世代が多数いるはずだ(もちろん、今のシステムに適応した人々もいるのは分かっている)。それでも、元を正せば、有用であることをすぐに認識して使い始めた若者の功績だ。その有用性にいち早く気づくのも好奇心というなの個性であると筆者は考えている。

これから先、社会システムは目まぐるしく変化していくだろう。それでも、礎となるのは若者の個性であることを願っている。筆者が淘汰される側であったとしても。

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