西川流

 ツバサ先生が西川流を嫌いというか犬猿の仲なのは良く知ってるけど、どうして嫌っているのか良く知らなかったんだ。だから聞いてみた。


「西川流を全面否定しているわけじゃない、たとえばだ、マドカが小学生から通っていた写真教室は西川流だし、赤坂迎賓館スタジオは西川大蔵の愛弟子の竜ケ崎学が開いたものだ」


 へぇ、マドカさんって西川流だったんだ。


「西川大蔵は一流のプロだった」

「どんな写真を撮ってたのですか」

「マドカの写真だ」


 はぁ? ここも話をよく聞くと西川先生は自分の撮影法を詳細に分析したそうなんだ。これを写真理論としてまとめ上げたぐらいかな。アカネには到底出来そうにないことだけど。


「西川は自分の写真理論から撮影法をマニュアル化して行ったんだよ。写真を覚えようとする者のレベルはマチマチだから、レベルに応じてプログラムを作ったのだ」

「なんか学校の教科書みたいですね」

「そうだ、アカネなら絶対落第してた」


 ウルサイわいと思ったけど、アタリの気がする。


「欠点はそれじゃ上達しないとか」

「いやする。初心者を効率よくレベル・アップするには優れてる。アカネじゃ無理だが」


 いちいちアカネを引き合いに出すな。


「どこが欠点なのですか」

「到達点さ。アカネ、西川流を極めたらどうなると思う」

「えっ、そりゃ、師匠の写真に限りなく近づいて行く」

「こりゃ、明日は雨かな。ロケだから困る。でもしかたがないか・・・それで正解だ」


 たまに当たったら、そこまで言うか。ツバサ先生は昔を思い出すように、


「西川のデビューは鮮烈だったんだよ。写真の革命とまで呼ばれてたよ」

「そんなに凄かったのですか」

「ああ、一世を風靡したとして良い。いや風靡しすぎたのかもしれない。あまりの成功に西川はこんな事を唱え出したんだ。


『写真の行き着くところは必然的に収束する』


 つまり答えは一つってことさ」

「なんか数学とか、物理の話みたいですね」

「そんな理解で良いかもしれない。でもな、そうなれば西川の写真が究極になるじゃないか」


 ツバサ先生が西川先生を嫌う理由がわかってきた。


「ある会合の時に大喧嘩になっちゃってな」

「ホテル浦島の時ですか」

「加納志織時代だ」


 これはなんとなく聞いたことがある。たしか、


『テメエの写真が究極とはなにかの冗談か』


 これを相当どころやない過激な表現で言い放ったとか。


「でも西川流は人気あったんでしょ」

「今でもな。アカネ良く聞け、プロとして食うためにはある一定ラインの水準を越えないといけない」

「ツバサ先生がいうプロの壁ですね」

「そうだ。この越え方は未だに具体的な手順や方法は不明だ。さらに時代によってレベルも変わる。だからサキもカツオも弾き返されて挫折した」


 そうだった。


「でも西川流は壁の越え方を学べると思われてるから人気がある」

「越えれるのですか」

「西川の世界だけならな。あの世界では西川への近づき方が評価のすべてで、ある一定以上になればプロとして認められ、それなりに食えるようになる」

「どれぐらいが合格点なのですか」

「マドカの写真だ」


 えっ、あの程度で。


「でもな、写真の世界はそんなに狭いものじゃない。だから西川流写真は加納志織に圧倒されたし、今もわたしやサトル、さらにアカネにも圧迫され続けてる。そうだよ、西川の写真は究極でもなんでもなく、単に高みの一つに過ぎないってこと」


 やっと褒められる喩えにしてくれた、


「加納志織に押された頃から西川は完全に守りに入った。そう、西川流写真以外の評価を貶めて回ったんだよ。あれは邪道ってな。さらにマニュアルの強化をやりまくった。その結果、育てた弟子は西川流以外の写真を撮れなくなってしまっている」

「そんなに」

「ああそうだ。西川一門って世間で言うが、あの連中が食ってくためには、西川流の写真以外に価値を認めちゃならないのだ。それしか撮れないからな。だから結束しているぐらいさ」


 なるほど、うん、うん、うん、


「ツバサ先生もしかして」

「さすがはアカネだな、写真の事だけなら鋭い」


 ウルサイわ、当たってるのが悔しいけど。


「西川は西川流を広めることによって写真のレベルをあげたのは間違いない功績だ。だから西川大蔵のレベルにはプログラムで到達することは可能になった。そういう世界で食うためには、西川のレベルを越えないと食えないってことさ」

「それがプロの壁」

「そういうこと」


 だったら、


「どうしてツバサ先生はマニュアル化しなかったのですか?」

「あははは、西川流のプログラムは良く出来てるよ。あれ以上のプログラムを作るのは面倒だ」


 ツバサ先生も理論派じゃないからね。


「アカネ、西川流の最大の欠点はゴールを決めてしまっていること。でもね、わたしはゴールをひたすら目指してるのだ。それがフォトグファーだよ。写真学校の校長なんてする気もないよ」


 そっか西川先生はもうゴールに着いたと考えてるから、ゴールへの到達手順の作成に傾き、ツバサ先生はゴールは遥か先と考えてアーティスイトとしてそこを目指してるぐらいかな。



 ツバサ先生と西川流の関係はだいたいわかった。マドカさんは西川流の申し子みたいなもので良さそう。その西川流がマニュアル至上主義なのもわかった。その枠を越えさせれば良いんだよ。


「ツバサ先生。マドカさんの指導の方向性が見えてきた気がします」

「ほぅ、楽しみにしてるぞ。アカネなら必ず成功するさ」


 なんだかんだと言いながら、ツバサ先生がアカネに置いている信頼は絶対なんだよな。なんとかしてこの期待に応えてみせなきゃ。

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