第4話 「もののけ姫」
コロナかの影響で、なんと今映画館ではジブリが再上映している。
しかも、先週の映画ランキング1位は「千と千尋」という、相変わらずの日本人のジブリ好きを示す結果となった。
ちなみにこの映画館ジブリ、1100円で見ることができてリーズナブル、久々にジブリ作品を映画館の大画面でという方も多いのだろう。
というわけで俺も、もののけ姫をおよそ22年ぶりくらいに見ることにしたのだった。
前見た時はたぶん高校生だったと思う。
それ以来、実は一度も見たことがないのである。
うっすら覚えてる内容は、「獅子神」が怖い。
最後に獅子神が巨大化する。
「あの子は人間だぞあの子を解き放て」
くらいである。
このくらいの記憶なので、実質初見レベルでもののけ姫を映画館で見ることができるのだ、いやあ楽しみだねぁ。
というわけで視聴完了!
なるほど、なるほど。
やっぱ映画館で見るジブリっていうのはいいねぇ。何が違うって「音」よ。
久石譲の音楽は映画館で見てこそ、迫力があって、興奮できる。正直映像がどんなでも、あのクラシック調の音楽がかかるだけで、うおっ、少しいいかもしれないって思える。
家のスピーカもそこそこ金をかけてるつもりだが、やっぱ全然ちげぇわ、映画館。
で、宮崎駿っていうのは実はストーリーどうのこうのよりも、徹底的に映画のシーンっていうものにこだわってる人なんだなあって改めて思った。
映画館という空間でどういう演出をすれば観客の心を引き付けてるのかよくわかってる。
ナウシカの巨神兵しかり、ラピュタのラピュタ城が現れた瞬間しかり、画面いっぱいに映るトトロしかり、とにかくでかい造形のモノを必ず描写してる。
もののけ姫の映画後半のでいだらぼっちの巨大さは、やはり映画館でこそ映える。
高校生の頃に見たもののけ姫でも記憶にあるのはでいだらぼっちの巨大さなの だ。それはやはり、大人になった今見ても、強烈に目に残った。
もう一つ宮崎映画に共通するものは、疾走感である。
宮崎映画はたいがい、飛ぶっていうのが共通と言われてるが、(メーヴェ、トトロ、ほうき ラピュタのやつは名まえわからん)、もののけは飛びこそしないものの、疾走感が全編を通して演出されていて見るものを飽きさせない。
だから途中の、えぼしと高下駄はいたやつの会話シーンは少し長尺なので眠くなるという欠点もある。
とにかく映像と音楽というこの二点を取っただけでももののけ姫は最高にエキサイティングな作品だといえるのだ。
そして映画館でもののけ姫見た時に、ああ、やっぱ庵野秀明っていうのは宮崎の影響を受けてるんだあと思う。
とにかく巨大な造形物を出してくるし、エヴァ破で一番好きなシーンはエヴァが疾走するシーンなのだが、とにかく庵野も疾走感のあるシーンを多用する。これは結局そうすることが映画館の客を引き付けることをわかってるからなのだろう。
さて、ネタバレ込みのストーリー面を見ていこう。
批判覚悟でいうけど、もののけ姫ってストーリー的には結構どうでもいいよね。
あまりにも哲学的っていうか、イデオロギーの対立の話過ぎて、ストーリー的な面白さがあるとはいえないのではないだろうか。
宮崎的な、シーンの見せ方のうまさがなければ、ストーリーだけでこの話を成立させるのは難しいのではないかと思う。
大まかにはなしをまとめると。主人公 アシタカが呪われる。→助けを求めて、西へ旅して、鉄を作る街にたどり着く。→鉄を作る街は森を犯そうとしている→サンに出会って恋する→なんだかんだで森の神様が巨大化して暴れる→アシタカとサンが謝る→許された!
とまあこういう話なのだ。
ってまとめるのは良くないんだけどね、その過程にこそ宮崎が伝えたいことがいろいろ込められているので、ストーリーを大まかにまとめることに意味はないとはおもうんだが。まあそんな感じなので、ストーリーについてあんまり覚えてなくても仕方ない。
一方でその込められてるメッセージがいろいろありすぎて、こりゃ高校生の時に見ても、そういう細かい部分については何も思えないよなあ。
まず分かりやすくストーリーの軸を追うと、単純にアシタカの恋の物語軸である。アシタカさんというスーパーイケメン、心優しい、強い男子は、人間嫌いの野生児サンに一目ぼれをする。
「生きろ、そなたは美しい」
というこれほどまでに照れくさくて、きざな愛の言葉がかつてあっただろうか。
これを真顔で言えるアシタカさん……そりゃあ女子が狂いますわ。
しかもサンていうのは顔だけは美形だけど、基本的には粗暴で、声優が下手なせいで、より一層コミュ力ゼロが際立つダメ女。
そういう観点で見ると、実はもののけ姫とはいうものの、サンは姫ではなくて、圧倒的にアシタカが王子側なのである。
王子様が育ちの良くない女の子のためにひたすら頑張るという点を考えれば、これって結構シンデレラストーリーなんだよなあ。というよりは、花より団子か?
今でいうとアシタカさんは、丹次郎ですよね。幼さのない丹治郎。
とまあこの恋愛軸だけでも楽しめる作品である。
そして次の話の軸は、勿論、自然と科学なのだろうが、実はそれは大したテーマになっていない気がする。
あくまで表面的なものである。
実は、この物語の最大のテーマは、旧体制と新体制が対立したときの、古い側の儚さを描いた作品なのだと思う。
個人的に一番面白いシーンは、イノシシ軍団がエボシの火縄銃軍団に突っ込むところであって、なぜ高校生の時の俺はこれに気が付かなかったのかわからなかったが、まんま長篠の戦のトレースなのである。
なぜ、武田軍は死ぬのがわかってて、銃に挑んだのか。
イノシシはなぜ、突っ込んでいったのか。
全く原理が同じであった。
だまっていてもこのまま散りゆくのであるならば、最後の意地で、死をわかっていても突っ込むしかない。
脈々と受け継がれる悲しいまでの日本人の精神がそこには書かれていた。
それは戊辰戦争につながり、最終的には特攻隊にまでつながっていく。
イノシシたちを愚かとみるか、美しいとみるか。
あの散りざまを見て少し美しいと思った俺には、日本人的な特攻精神がどこかにあるんだろうなあ。
イノシシのシーンは一番象徴的ではあるが、この作品は随所で、対立構造を演出して激突させるのである。
エボシとサン。
男と女。
エボシとアシタカ。
エボシという女は科学の象徴でありながら、思想的には保守
アシタカとサンは自然の象徴でありながら、思想はリベラルという。
いろいろな対立構造をぶち込み過ぎて、正直よくわからんぞ、ハヤオ―――!
とまあ、こういう作品なわけで。
最終的には、獅子神さまとあの小さい白い人形たち(名前忘れた)が不気味すぎる実はホラー映画なんじゃないかと思う。
一度もののけ姫を見直しませんか?
来週ナウシカも見てくる予定です、楽しみだなあ。(これは文章化しないけどね
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