第9話 バイト先の彼と贈り相手のその後

 あれからというもの、学校の彼とは本を貸し借りする関係になった。

 彼の本を読むスピードは凄まじく、毎日本を読み終わって新しい本を借りに来るので、必然と彼と話す回数は増えていった。


 話せば話すほど彼は不思議な人だった。私に興味を示さず、ただ本を楽しそうに読んで感想を聞かせてくれる人で、感想を語る時に目を輝かせて嬉しそうに表情を緩める姿が凄く印象的だった。そんな人だったので今では話すことが嫌なんてことはなく、むしろ心地良いくらい。


 本を読むスピードが速いそんな彼であるけれど、並の人なら1日で読み終わらないはずの本を読み終えているのだから寝不足になるのは当然だ。

 そのせいで目の下に隈をつくってくるのでそこだけが心配。毎回きちんと止めるように注意しているのだけれど、まったく言うことを聞いてくれないのでそれが最近の唯一の悩みだ。

 

 そんなわけで最近は寝不足の人というのに見慣れている。だからバイト先の田中くんが寝不足気味なのは一目で分かった。


「随分と眠そうですね」


 全然お客さんが来なくて暇だからだろう。ふわぁと目尻に涙を浮かべてあくびをしていたので、思わず声をかけてしまう。


「ええ、最近ハマっているものがありまして、少し寝不足で……」


 口元を手で隠しながら目尻を拭う田中くん。いつものようなはっきりとした口調ではなく、どこかふわふわした柔らかい口調だった。


 学校の彼のせいで寝不足には最近うるさくなっていたので、彼に注意するように田中くんに思わず注意してしまう。


「そうなんですか、でも身体には気をつけたほうがいいですよ?若くても体調を崩すときは崩しますから」


「同じようなことをこの前も別な人に言われました」


「きっと、その人もあなたのことが心配なんでしょうね」


 注意してもどこか他人事のように言う姿が学校の彼と被って見えて、その注意してくれた人の苦労が伺えた。きっとその人も私と同じような悩みを抱えているに違いない。


「そうなんでしょうね。少し口うるさいと思いはしますが、大人しく聞いていますよ」


「どうせ、聞くだけで反省はしないんでしょう?」


 なんとなく学校の彼と同じ雰囲気なので、田中くんが話を聞いてはいるけど反省する気はないことが分かり、思わずため息が漏れ出る。

 まったく、心配しているから注意しているというのに、少しくらいは反省をして欲しい、とここにはいない学校の彼への愚痴が心に浮かんだ。


「まあまあ、そういえばお礼のプレゼントは気に入ってもらえましたか?」


 そんな呆れた私を宥めるように、話題を変えてくる。これ以上私が言うのもなんなのでその話題に乗ることにした。


「ええ、その節はありがとうございました。美味しいと言って頂けたので、多分気に入ってはくれたと思います」


「そうですか、それならよかった」


 田中くんのアドバイスのおかげで学校の彼に気に入ってもらえた。私だけだったらあそこまで喜んでもらえなかっただろう。

 それにもし上手くいっていなかったら、彼と親交を持つことも出来なかったかもしれない。そう思うと田中くんは感謝してもしきれない。礼を告げて頭を下げると、田中くんはほっと安心したように表情を少し緩めた。


「それで拾ってくれた人って一体どんな人だったんですか?」


「いい人でしたよ。実はあれから多少交流を持つようになったんですが、素直で優しい人といった感じですかね。……たまに聞く耳を持たない時はありますが」


 相変わらず素っ気ないところはあるけれど、本はきちんと返してくれるし、その際にちゃんと礼も言ってくれる。それに話も合うし、良い人だと思う。


 唯一のダメなところは注意してもまったく反省しないことくらい。まあ、これは私もたまに本が面白すぎて夜更かししてしまうことがあるので仕方ないとは思う。それにそんな少し世話が焼ける部分も最近は悪くないなと思う自分もいる。

 彼と話している時のことを思い出して少し心が温かくなり、つい口元が緩んだ。


 そんな私の表情が可笑しかったのか、どこか不思議そうに田中くんが眺めてくる。


「……なんですか?」


「いや、意外と男の人と交流を持つんだなと思いまして。てっきり人との関わりとか毛嫌いしているかと思ってました」


 意外そうな声。田中くんに学校でのことをあまり話したことがなかったけれど、おそらく雰囲気で私の男子嫌いを感じていたのだろう。

 察しの良さそうな人なので、そこら辺に気付くのも頷けた。


「あー、なるほど。確かに基本的に異性との関わりは苦手で断ってますから、田中さんの言う通りですよ。ただあの人はなんていうか下心がないといいますか、私自身にはあまり興味を持っていないので安心して話せるんですよね」


 口にしてみて、ああ、自分はそう感じていたんだ、と腑に落ちた。彼はそういう異性の下心というのがないので、裏を考える必要がない。だから話していて心地よく、ストレスだったり疲れたりしないのだろう。

 学校で初めての少しだけ気を抜ける人、そんな彼に出会えてよかったな、とふと思った。


「それは、よかったですね。いい友人が出来たようで何よりです」


 どこか羨むような柔らかい声。彼の意外な言葉に一瞬固まってしまう。


「友人……。こういうのを友人というのですね」


 彼に言われて初めて『友人』という言葉が頭に浮かんだ。

 これまで私が思っていた友人とはまったく違う、優しく楽しい関係性。ああ、こういうのを友人というのか、と感慨深く嬉しさが胸の内にじんわりと広がっていく。初めて感じる本当の意味での友人というものに、心が温かくなった。

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