第5話 学校の彼は変な人

 バイト先の田中くんに相談に乗ってもらった次の日、彼の意見を参考にして選んだ贈り物を持ってあの人が現れるのを待つ。


(ちゃんと受け取ってもらえるだろうか?)


 不安な気持ちを誤魔化すように手に持った紙袋を開いて中身を確認すると、中にはきちんと包装され、申し訳程度に赤い紐であしらわれたリボン飾りが右隅に付いている箱があった。

 これは買った店の店員さんに頼んで、贈り物用として包んでもらったのだ。おかげで見た目は良いけれど、あの人からの私の印象は最悪なはずなので、見る間もなく断られるかもしれない。そう思うと少しだけ胸が痛くなる。その時はお礼と謝罪だけして帰ろうと思い、小さく息を零した。

 

 放課後になってすぐに下駄箱のところで待ち始めたけれども、未だに彼は現れない。途中、何人か知り合いに話しかけられたりしたが、上手くはぐらかしながらやり過ごした。


 おそらく、かれこれ1時間は経っただろう。帰る人も減り、学校の喧騒は鳴りを潜め部活の声だけしか聞こえてこない。

 人気も少なくなってきた。ここまで現れないとだんだん不安になってくる。もしかしたら見過ごしたかもしれない。そう焦り始めた時だった。昨日見た特徴的なボサボサ頭と、やる気がなさそうな感じの彼がやってきた。

 

 人の気配を感じたらしい彼が顔を上げ、パチリと目が合う。昨日も思ったけれど、やはり透き通るような綺麗な瞳は印象的で目を惹かれた。

 覚悟を決めたとはいえ、いざ本人が現れると緊張してどうやって話しかけたらいいかわからなくなる。話しかけるのを躊躇っていると、彼はふいっと目を逸らした。そのままスタスタと横を通り過ぎようとするので、慌てて声をかける。


「あ、あの、少しいいですか?」


「え、俺?」


 自分に声をかけられるとは思っていなかったのか、きょとんと不思議そうな間抜けな声を出して固まった。そのまま何を思ったのかつらつらと訳の分からないことを言い始める。


「言っておくが俺はお前の生徒手帳を破ったりしていないからな。傷がついていたんだとしたらそれは落としたときについた傷だ。俺はつけてない」


「はい?生徒手帳はちゃんと綺麗なままでしたよ?」


 何か焦るような、そんな物言いだったけれど彼の言いたいことが分からない。

 手帳は綺麗だったし、仮に傷がついていたとしてもそんなことで文句を言いに行くほど心は狭くない。唐突な彼の弁明に思わず首を傾げてしまった。


「え、そう?じゃあなんの用事?」


 彼の言葉を否定するとそれ以上思い当たることはないようで、心底不思議そうに見つめてくる。

 

 ……どうやら昨日の私の対応についてあまり気にしていなかったみたいだ。それはそれで少し心が軽くなるけれど、やはり酷い対応をしたことには違いないので、お礼と謝罪の意味を込めてこれは渡さないといけない。

 そこまで気にしていないようなので、受け取ってくれそうなのは救いだ。


 コクリッと唾を飲み込んで覚悟を決め、彼のことを正面から向き合う。緊張して少し腕を震えてしまったが、持っていた紙袋を差し出した。

 

「えっと……これ、あげます」


 一瞬断られるかもしれない、と不安が頭を過ぎる。だけどそんな心配は一切要らなかった。

 特に気にした様子もなく、あっさりと差し出した袋を受け取ってくれた。無事、受け取ってもらえたことに心の中でほっと安堵する。


「なにこれ?」


「昨日は落とし物を届けてくれてありがとうございました。それはそのお礼です」


 本当に昨日のことは気にしていなかったらしく、説明すると紙袋を眺めながら納得したように頷いた。


「ああ、なるほど。ありがとう」


「……いえ」


 無事受け取ってもらえたことは安心したけれども、まだ不安は拭いきれない。お礼の品として渡したので、ちゃんと気に入って欲しい。

 一応バイト先の田中くんの意見も参考にしたので、失敗ということはないはずだけれど、それでも不安なものは不安で、つい彼が手に持つ紙袋をじっと見つめてしまった。


「開けていいか?」


「え?はい……」


 そんな私の視線に気付いたのか、カサリと音を立てながら中身を開けていく。ゆっくりと丁寧に包装を解いて中身を取り出すと、黒を基調としたオレンジのラインが入った箱が包装の中から姿を現した。


 今回選んだのは、オレンジソース入りのチョコチップクッキー。一口試食させてもらったけれど、とても美味しかった。一見ただのチョコチップクッキーかのように思えるが、ほんのりと柑橘系のソースが間に入っていてとてもさっぱりしている。

 外はサクサク、中はふわふわでもう一枚食べたくなってくるような魅惑に富んだ食感。甘さも控えめで、バイト先の田中くんが言っていた条件を満たしているので、男の人でも美味しく食べてくれるはず。

 

 とうとう気に入ってもらえるかの正念場がやってきて、つい緊張して口元に力が入ってしまう。そんな私を他所に彼は蓋を開けたかと思えば、パクリと一口食べた。


「ん!?」


 驚いたように目を見開き、声を漏らして一瞬固まる。

 もぐもぐと口の中のクッキーを飲み込んだかと思うと、柔らかい少し弾んだ声で感想を漏らした。昨日とは違う温かな含みがあった。


「これ、めっちゃうまいな」


 難しそうに顰めた顔は溶け、どこかあどけないような柔らかい顔になる。子供っぽい、だけど優しい表情は少しだけ意外だった。


「!?そ、そうですか。お口にあったならよかったです」


 気に入ってもらえたようでよかった。

 張り詰めた緊張が一気にほぐれ、強張っていた表情も少し緩む。つい声まで漏れ出てしまった。


 ほっと内心で胸を撫で下ろしていると、彼が固まって私のことをじっと凝視しているのに気がついた。驚いたような興味深げなような不思議な表情。そんなに見つめてどうしたのだろうか?


 もしかしたら、贈り物をしたことでなにか勘違いしたのかもしれない、と遅まきながら気付く。

 確かに昨日のことは申し訳ないと思ってこうやって接しているけれど、そんなまじまじと見てくることを許した覚えはない。あまり見られることは好きじゃないので、やめてほしい。

 お礼に託けて連絡先とか聞かれるかもしれない、と警戒して少し素っ気なく言う。


「なんですか?」


「いや、なんでもない。これはありがたく貰ってくよ。じゃあな」


「あ、はい、さようなら」


 予想外にも肩を窄めるだけで特に何か言ってくることはなく、呆気ないまま去っていってしまった。今までの男子だとしつこくしてくることが多かったので、なんというか拍子抜けだ。


 まあ、何も起きなかったんだからよしとしよう。これでもう彼と関わることはないだろうし、これ以上深く関わって好意を向けられても困る。万が一何か変な噂がたったら私の平穏な学園生活が変わってしまうし。

 偶然の結果、関わっただけ。これで終わり。そう思っていた。この時までは。


 色々肩の荷が降りてせいせいした私は、足取り軽く帰路につく。変わった男子だったな、とそれだけが頭の隅に残り続けた。

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