第3話 バイト先の彼は礼儀正しい
生徒手帳を拾ってもらった日の夜、いつものようにバイトをして働いていた。
手帳を渡してきてくれたあの人のことは気になったけれど、考えても仕方ないものは仕方ない。何かが変わるわけでもないのだから。
ただ、一言お礼だけは言いたいな、と思いながら、とりあえずはその問題を頭の片隅に追いやって仕事に集中し続ける。
「斎藤さん、俺が下ろしますよ」
紙の補充をするため店裏の棚の上から段ボールを下ろそうしていると、後ろから声をかけられた。振り向かなくても分かる。この声は田中くんだろう。
「ありがとうございます」
「いえ、自分も卓の紙がなくなっているの気付いて取りに来ただけなので」
身体をずらしてさっきまでいた場所を譲ると、スッとその場所に入り私に代わって段ボールを下ろしてくれる。自分では重くて中々下ろせなかった段ボールを軽々と下ろす姿を見ると、なんとも頼もしい。
「自分がやっておくので、斎藤さんはレジ締めお願いします」
重くて少しだけ困っていたので助けてもらったことに感謝していると、彼はそれだけ言い残してさっさと行ってしまった。
それにしても本当に優しい人だ。あれから何度か田中さんのことを指導したけれど、彼は初めて受けた印象通りの人だった。基本的に物腰柔らかく話しやすい人で、私みたいに口調強く多少冷たい接し方をしても嫌な顔せず、指示したことをきちんとやってくれる人だった。
今の私はそれほど見た目が優れているとは言えない格好だし無愛想な対応をしていたけれど、それにも関わらず優しくしてくれるあたり根から優しい人なのだろう。
そんな男の人は初めてで、人として多少信頼し始めていることを自覚していた。皮肉にもこの格好をしたことで、初めて見た目のしがらみから離れることが出来、息がしやすかった。
「斎藤さん」
バイトが終わり、更衣室を出ると田中さんが待っていた。
「どうかしましたか?」
「今日も助けていただいてありがとうございました」
「……私、何かしましたか?」
頭を下げて礼をしてくるが、そんな感謝されるようなことをした覚えがない。むしろ、さっきなんかはこっちが助けてもらったばっかりだ。
彼の態度に戸惑いつつも理由を尋ねる。
「今日来たクレーマーの人の対応で困っていたとき、代わって対応してくれたので」
「……ああ、そんなこともありましたね。別に気にしないでください。仕事ですから」
彼に言われてバイト中にあった出来事を思い出す。確かにそんなこともあったなぁ、とぼんやりとその時のことが蘇った。
彼が食器を下げる時に皿を落として、そのことでお客様があれこれ文句を言っていたのでその対応をしたのだ。
入ってそれなりの日が経ったとはいえ、まだ慣れない部分も多いだろうし、自分の方が経験もあったので助けにいった。まあ、元々店長から指導係として任命されているので、その役割を果たしたにすぎないのだけれど。
自分の仕事の一つとしてしか捉えていなかったので気にしないよう言うが、彼はどこか不満げだった。
「そんな、気にしないなんて出来ないです!何か、困ってることとかありませんか?よければ力になりますよ」
じっと真剣な表情で見つめてくる。おそらく、彼なりに義理を果たそうとしているのだろう。これまでも何度か礼を言われることはあったので、その分も含まれているのかもしれない。
その分もあってか、私の言葉に一歩も引かないことには多少戸惑うけれど、その誠実さはなんというか新鮮で少しだけ嬉しかった。
彼の提案をすげなくするのも悪いし、どうしたらいいか少し考えると、ちょうど悩んでいたことがあったことを思い出す。
今の自分の知識だけではあまり参考にならないし、異性の意見の方が頼りになりそうな問題でもあったので、一つここは彼の提案に乗ってみることにした。
「……じゃあ、一つ相談にのってもらえますか?」
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