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ここ、丘野木美術大学の就職課は、本館二階の奥にある。
存在は認識していたものの、四年の春になるまで、俺は場所すら知らなかった。つまり、
俺は四年の春まで、就職課に足を向けたことがなかった。これは遅い。かなり遅い。四年の春といえば、一般的にはもう内定が出ていてもおかしくはない時期だ。どの『就活ガイ
ドブック』を読んでも、だいたい「本格的な就職活動は三年の秋から始まり、 四年の春まで続きます」と記載されている。本格的ってなんだ。本格的じゃない就活はもっと前から始まっているのか。四年の春までって、始めないうちに終わっちゃったよ俺。
もっとも、企業や業界によって、採用日程はまちまちだ。だから、まだ遅くはない。ま
だ、俺は終わってはいないはずだ。美大というのは鷹揚で個性的な人間の宝庫だから、型
にはまっていなくて当然なのだ。事実、クラスの仲間で内定をもらった奴の話など聞いて
いない。だからこその夢の田舎暮らしだ。
俺は就職課の扉を開け、そのまま受付に向かう。求人票が貼られた掲示板も、セミナー
や講座のチラシが並んだ棚も、パーテーションで区切られた個別指導室も通り過ぎる。
いつもは求人票を五、六枚手にして帰ってくるだけなのだが、それでは就職課を十分に
活用できていないことはわかっていた。面接すらしてもらえない。履歴書だけで落とされ
る。今の行き詰まった状況を、なんとか打開したい。
藁にも縋る思いでカウンター越しのお姉さんに声をかけた。
「あの、ちょっと相談したいんですが…、俺、就職できなくて、面接、すらしてもらえ
なくて…」
「どういった職種を希望してるんですか?」
しどろもどろな言葉に、やけに明瞭な質間で返され、俺は内心戸惑う。職種……?
そりゃあ仮にも美大生。映像アート学科に在籍している身だ。映像の編集作業は出来る
し、古い映画を艦賞、分析し、その音響効果やカットバック効果など諸々をひたすら勉強
してきた。だから、やはり映像関係の仕事に就きたいというのが本望ではあるが、そうい
った仕事のめぼしい会社には、すでに履歴書やらエントリーシートやらを出している。
ここはもう妥協して、違う職種まで手を広げてみるべきか。
答えを探すように視線を動かしていると、ちょうどカウンターの上に置かれた、いくつ
かの箱が目に入った。個々に色分けされ、「技術・生産系」「営業・販売系」「広報・出版系」との張り紙がされている。
「……え〜っと……、 出版系、とか?」
「出版業界は募集が早いんです。ほとんど、閉め切られてますけど」
こいつ、 今頃何しに来やがったんだよ。就職活動なめてんのか。四年の九月であたふたしたって遅いんだよ。
もちろん、受付のお姉さんはそんなこと言わない。そんなことは言わないが、目が、
かもす空気がそう発しているように思えた。
結局、俺は何枚かの求人票を引っ掴み、就職課を後にしたのだった。
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