天空の要塞狩り 作・クラリオン
俺が其れを初めて見たのは、終戦の数か月前の事だった。あの忌まわしき悪夢の日、初めて見た敵が其れだった。ああそうとも、今から考えればあのコードネームも納得できるさ。あれはまさしく俺達にとっての『ジェイソン』だったのだ。
そして、これからも俺にとっては『ジェイソン』であり続けるだろう。俺が見る悪夢は大抵、ナイト・マーメイドの機関砲座でソイツと顔を合わせる時から――もちろん比喩だぜ、機首がこっち向いてるように見えるからな――始まる。
僕が其れを初めて見たのは、終戦の数か月前の事だった。神風の吹いた奇跡の日の一週間ほど前か。そのころは〈閃電〉や〈疾風〉、五式戦が辛うじて迎撃に上がってたくらいで、勿論空爆の阻止なんて出来ない、まさに敗色濃厚な戦況だった。燃料はあっても迎撃が出来る機種が居ない、そんな状況なもんだから、今更新型機なんて、と思っていたんだ。
でも、まあ今思い返せば、あの機体こそが、僕らに吹いた最初の神風だったのかもしれない。
「これが、新型機、ですか?」
「そうだ。君達には次の出撃からこれに乗ってもらう」
全開の正面扉から光が差し込む格納庫。そこに佇む四機の航空機を指して聞いてみた。これは何かの冗談だろうと思ったからだ。
「……あの、この機体、格納庫に入れる向きが逆じゃないですか?」
恐る恐る、といった感じで杉田二飛曹が答えのわかりきっている疑問を呈した。僕と同じで、目の前の機体が本当に新型機なのか半信半疑なのだろう。
「いいや。向きはコレで合っている。〈閃電〉と同じだと考えてもらいたい」
これのどこが〈閃電〉と一緒なんだ。
なるほど、確かに〈閃電〉もプロペラは後ろ向きについていた。だが逆に言ってしまえば〈閃電〉で異常だと思った点はそれだけだ。双胴機という形についても『メザシ』という見慣れた先例を知っているがゆえに大して驚かされることでもなかった。
だがこいつは違う。二飛曹が言った通り、こいつはまるで普通の飛行機の前後を入れ替えたような形をしている。
何もついていない丸みを帯びた機首。その中央よりやや下面から左右に小さく飛び出す安定翼らしき翼。そのかなり後ろから盛り上がる操縦席。その形状は機体最後尾までなめらかに繋がっている。そして操縦席後部直下の機体下面から延びる主翼。前後ともに明らかな後退角がつけられている。そして左右の主翼後端中央部にそれぞれ突き刺さるようにして存在する垂直尾翼。その下端には宙に浮く形で小さな車輪がついている。目算だと高さとしてはちょうどプロペラの羽根より少し長いくらいか。
そして主翼が後部にあるという事は当然ながら車輪の配置も通常と異なり、〈閃電〉と同じように機首直下に前脚、左右主翼から主脚が伸びている。いわゆる前輪配置と呼ばれる配置だ。その脚の長さもかなりアンバランスで、前輪が長い上に、すべて後ろに傾いている。正直後ろにこけないのが不思議なくらいだ。
「形はともかく、性能は保証しよう。〈閃電〉と性能はほとんど変わらない。上昇力は上がっている。兵装は〈閃電〉より上だ」
「〈閃電〉より?」
「機首に五式三十粍機関砲一型乙を四門、集中装備している」
絶句した。〈閃電〉の兵装は機首に三十ミリ一門に二十ミリ二門。それを上回る重装備という事と、比較対象が〈閃電〉である事、比較項目が上昇力である事、そして何より戦況を踏まえると、コイツは。
「重爆狩り専用機ですか」
「その通りだ。基本的には今まで通りというわけだ。諸君には一週間、この機体で訓練してもらい、来週から迎撃番に復帰してもらう。そこから交代で最終的には部隊全員が機種転換してもらうことになる」
一週間。長いようで短い。新型への機種転換には短すぎる。短すぎるがしかし、それが限度なのだろう。誰も明言しないが、敗戦は近い。我々に求められているのは、もう戦果ではなく、どれだけ空襲の被害を少なくできるかだ。
奇跡の迎撃戦から一週間が過ぎた。あの日から、しばらく日本全国各地へのB29による空爆はなりを潜めている。
今日から機種転換の完了した第二戦闘機小隊も迎撃に加わる事が可能となる。戦力は倍に増えて八機。これに加え陸軍からも三式戦や五式戦の高高度型、双発の高高度戦闘機も加わるという。
流石に奇跡の迎撃戦程の戦果は期待できないが、場合によっては空爆の阻止すら可能だろう。
やれる。戦争の行方は確定していても被害は抑えられる。
「————敵襲!」
小笠原の対空電探が北上する敵を捉えたらしい。さあ、出撃だ。やってやろう、相棒。
「……おかしい」
高度が低すぎる。前回同様直上から分散しての一撃離脱を行うべく、B29編隊の上空に出たのだが、相手の高度が低すぎる。現在のこちらの高度は一万メートル。相手の高度は五千から六千あたりか。
『小隊長、右下方に』
「あれは……陸軍機か」
『いえ、そちらではなく、その後ろです』
「……待て、何で疾風が飛燕に追われて……違う、敵戦闘機か!」
パッと見た程度では見間違うほど機体の形状が似通っている。おそらく米軍機でも最強と言えるノースアメリカンP51〈マスタング〉だろう。陸軍三式戦闘機〈飛燕〉と同じく液冷発動機搭載の単発機。
やられた。おそらく硫黄島の飛行場の再建が完了したのだろう。陸軍機と夜間戦闘機が返り討ちにされている。敵の高度が低いからと出せる戦力全てを出したことが裏目に出た。
陸軍の単発戦闘機は態勢さえ立て直せればP51が相手だろうと一対一であれば勝機はある。ただ双発機や海軍の夜戦は単発戦闘機が相手では厳しい。
「田代一番より震電分隊各機、二機ごとに分かれて降下する。一小隊は味方機を援護、二小隊は爆撃機を狙え。降下速度は〈閃電〉の比じゃない、間違ってぶつけるなよ」
『杉田了解』
『上島了解』
『谷本了解』
『二小隊松本了解』
「杉田、続け」
操縦桿を倒し、次いで引き付ける。くるりと視界が回ったと思えば、機首は真下を向き、降下を開始している。ちょうど右前方に味方の戦闘機——おそらく陸軍の四式戦〈疾風〉を追撃している二機のP51を見つけた。二機で連携を取りながら追い詰めているが〈疾風〉もうまく躱しながら主戦場から離脱しつつある。翼を軽く振り、操縦桿を少しだけ左に倒す。
「もらった」
照準環中央に敵が映る。少しだけ照準を前にずらしつつ、軽く、一瞬だけ射撃釦を押し込む。機関砲弾が綺麗に敵機に吸い込まれたと思った時には交錯。バックミラーに二つの爆炎が躍る。高度千メートル辺りで操縦桿を引き付け上昇に転じる。
『後ろに付かれました』
「このまま上昇を続ける」
目一杯吹かして急上昇。B29の編隊を横目に見ながら上昇を続けると、最初は付いてきていたP51は途中で引き離され始めた。やがて追撃を諦めたのか機体を翻し降下に移った。今だ。
スロットルを引き絞る。上昇速度が急激に衰えていく。やがて重力に耐え切れなくなる直前に操縦桿を引けばすぐさま機首は下を向く。スロットルを戻す。
楽々と追い付き、距離を詰めて機関砲弾を送り込む。尾部がはじけ飛んでそのままの姿勢で落ちていった。杉田が撃った敵二番機は弾薬か燃料に引火したのか爆散した。そのまま水平飛行に移る。
「このまま味方機の援護を続行するぞ」
『はい』
戦場を見渡せば、かなりの敵戦闘機が目に入る。夜戦組が出ていたせいで、味方の被害もかなり大きいように思われた。〈彗星〉夜戦は持ち前の速力で逃げ切れている機体もいるようだが、双発機である〈月光〉はかなりの被害を受けているようだ。
敵が爆撃機だけだと思い、単機で突撃した機体が多かったのだろう。実際それは間違ってはいない。直上からの急降下以外、編隊での攻撃は先頭機の軌道からほかの機体の進路を先読みされ撃墜されやすくなるからだ。
そして単機で突入したところで敵戦闘機に迎撃された。相手は編隊のまま、しかも相手はこちらのほとんどの戦闘機より総合性能で勝るP51だ。数でも性能でも容易く押しつぶされるだろう。
逆に同時多数の単機突撃によって相手の迎撃も分散し、超熟練組や運が良い連中は押し通るか逃げ切る事も出来ているが、当然ながら戦果は芳しくない。
『隊長、右下方、味方の夜戦が追われてます』
「援護する、続け」
操縦桿を右に倒し、急降下を開始。追われているのは双発の旧式夜戦〈月光〉。P51に追われているが、間一髪の差で攻撃を避け続けている。上手いが、じり貧の状態だ。
P51の前方へ牽制射撃を叩き込む。それでようやく気付いたか慌てて急旋回、こちらの照準から逃れる。針路を維持してそのまま通過。そして再びバックミラーに爆炎が映る。旋回してこちらの射界からは逃れたが杉田が二番機としての役割をきっちり果たしてくれたらしい。
〈月光〉は軽くバンクしつつそのまま降下、増速し離脱していった。敵戦闘機もいる戦場では夜間戦闘機は美味しい獲物でしかない。帰還するのが最善だ。
離脱を確認したところで上昇に転ずる。右前方上空から〈彗星〉が数機急降下で離脱しているのが見えた。もともと高速艦偵/艦爆として作られた機体なだけあって、その速度は戦闘機と比べ遜色ない。その後方にぴったり張り付く機影が見えたが、そのさらに後ろに〈飛燕〉が見えたため、援護の要無しと判断して上昇を続ける。
敵編隊上方に来たところで水平飛行に戻る。再び空戦場全体を見渡せば、夜戦の姿は見えなかった。喰われたか離脱したかのどちらかだろう。
同時に先ほどまで押されていた味方機が反撃に転じていた。
あちらこちらでP51と味方機の空戦が始まっている。その間を抜けて、他の味方機が敵爆撃機編隊へ向かう。
敵編隊に存在するいくつかの不自然な空位と弾幕の隙間を潜って三式戦やキ100、初見参の新型単発機が射撃を叩き込む。三式戦の射弾ではそこまで大きな損害は与えられていないが、新型機の射撃はかなり威力が高い。〈震電〉同様に口径三〇ミリ級の機関砲を装備しているのだろうか。
周囲の攻撃に対応すべく、弾幕が各所に向けられた。何機か欠けながらも周囲に絶えず弾幕を張りながら一見何事も無かったかのように前進する敵編隊はまるでこちらの事を歯牙にもかけていないように見える。大きな動物の周りを羽虫が飛び回っているような感じだ。
その大編隊の正面上空を飛ぶ複数の機影。こちらも初めて見る双発機だ。恐らく話に聞いていた陸軍の新型高高度戦闘機。しかしそれらは敵編隊前方上空を旋回し続けていた。見覚えのある動きだ。
「田代一番より各機、至急敵編隊より離脱しろ、陸軍機が三号弾を投下するようだ」
『了解』
二分隊や陸軍の単発戦闘機が離脱を開始、同時に双発機が敵編隊上空へ移動を開始する。上島と谷本に合流を命じて双発機の少し上の高度に上がり、敵編隊の追撃を開始する。
敵編隊の直上手前で、双発機から何かが離れた。しばらくして敵の上空に火の傘が広がった。広がった火の粉が敵機にまとわりつく。そのうち何機かが煙を引き始めた。
「田代一番より全機、一分隊も重爆迎撃に当たる。先ほどと同じように二機一組でかかれ」
『了解!』
最初と同じように操縦桿を倒し、引き付ける。視界が反転、身体は浮かびそうになる中で敵編隊の直上から降下を開始した。狙うは孤立気味の端に位置する機体のエンジンだ。
すぐに気付かれ、防御砲火がこちらを向くが、先程より編隊内の空白が増え、かつ指向しにくい直上では無いも同然。向かってきた火箭は途中で上下左右に逸れていく。時を同じくして数機同高度に上がってきていた陸軍機も突入を開始した。
右翼の外側のエンジンを照準環に捉えた。若干進行方向にずらす。急速に拡大する機影。まだ、まだ——ここだ。
照準環一杯に敵影が広がったところで軽く釦を押しこみ、すぐさま機体を捻って離脱。三〇ミリ機関砲は弾が大きい分、威力は高いが弾数は限られる。本当は対戦闘機戦闘に使う弾数さえも惜しかった程にこの機体の搭載弾数は少ない。
『一機撃墜!』
弾んだ声が聞こえる。無理もない。二分隊は〈震電〉への転換後、初の戦闘となる。〈雷電〉や〈閃電〉でさえ苦労したB29をこうも容易く墜とせる事に気分が高揚しているのだろう。
だが一機程度で喜んでもいられないのが現実だ。次は真下から叩く。操縦桿を力いっぱい引きつけた。
「——長機より三一二空全機へ。全機高度一万まで上昇後降下、散開しつつ攻撃に入る。敵編隊には三〇二空をはじめ味方機がとりついている。誤射には気をつけろ」
『了解!』
操縦席後部から響く爆音。未だ不調は感じられない。高度計の針は恐ろしい速さで動き続けている。その勢いは高度を上げても変わらない。
従来機とは比較にならない程の速さで高度一万に到達。燃料は全部合わせても数分しか運転できない程の代物だ、一滴一秒たりとも無駄には出来ない。すぐ攻撃に移る。
「三一二空全機、攻撃を開始せよ!」
くるりと回る機体。機首を下に向け、滑空を開始した。同時にエンジンを切る。さあ、新兵器の初陣だ。
「頼むぞ」
秋水。
上空から、前触れもなく火箭が突き刺さる。直後に音もなくこちらを掠めながら降下していく小柄な機体。その機体にプロペラはない。
それに気づいた誰かが、反射的に叫んだ。
「ナチのロケット戦闘機だ!」
『全機上空と下方を警戒! ナイト・マーメイドよりリトルフレンズ、ロケットを叩け!』
『ナチのロケット戦闘機』。それが指し示すのはメッサーシュミットMe 163〈コメート〉。ドイツにより世界で初めて実用化された、ロケット推進戦闘機であり、欧州戦線においても米軍の爆撃機を迎撃した超高速迎撃機だ。
搭載するロケットエンジンで高空まで駆け上がり、そこで一度エンジンを切り、滑空しつつ一撃を加え、十分に降下したところでエンジンに再点火、上昇しつつ一撃を加え、燃料を使い切れば滑空で基地まで帰投する。
ナイト・マーメイドを含め、爆撃隊には欧州戦線から転戦してきた者達もいる。彼らはB17を用いたドイツ爆撃行において、度々これらに襲われなす術も無く叩き落される僚機を目にしてきていた。そのせいで最早トラウマレベルと言っていいほどに、彼らの脳裏にその機影が焼き付いている。
今、B29の編隊を襲っていたのは、それと全く同じ機影だった。
帝国海軍第三一二航空隊に配備されていたのは、ドイツから日本に譲渡された、〈コメート〉機体外面三面図及び燃料の説明から日本で新しく設計された、十九試——呂式局地戦闘機〈秋水〉。オリジナルの〈コメート〉と外見はほぼ同じであるが、本来参考資料となるはずだった実機は潜水艦と共に沈んだため、性能はかなり異なる。
エンジンはロケットであるため空気は不要。したがって高高度においても速度性能は衰える事無く、高度一〇〇〇〇メートルまで約三分で駆け上がる上昇力、高度一〇〇〇〇における最高速度九〇〇キロ毎時という驚異的な高速を誇る。兵装は機首部の三十ミリ機関砲二挺。迎撃機としては最上級の性能を誇る。
しかしながら致命的な欠点も存在する。
オリジナル〈コメート〉はおよそ八分、〈秋水〉に至っては補助として小型ロケットをつけても五分半。それがこの機体の稼働時間である。燃料を使い切り、滑空するだけになった時、この機体は無力となる。盟邦ドイツにおいてはその時を狙って襲われ、大損害を被った事もあるという。
さらに、この機体の排炎は非常に高温であるため、それに対応した飛行場でなければ地面が溶けてしまう。この二つの性質を利用し、欧州戦線においてはこの機体が配備された飛行場を避けたルートを通る事で無力化に成功していた。
ただし今回は状況が悪すぎた。〈秋水〉は既に戦闘機動に入っている上、ここは日本機も相当数存在する空域だ。例え降下中の〈秋水〉にP51が喰らいついても、日本機が援護に入る。後ろに付かれ、あるいは牽制の射撃を叩き込まれては注意を向けるしかなく、その一瞬の隙があれば〈秋水〉はロケットに点火、瞬く間に駆け上がっていく。そして行きがけに銃弾をB29に叩き込む。
海軍第三一二航空隊が迎撃に当たったのは五分程度。最高高度までの急上昇に使った三分を引き、降下の際はエンジンを切った自然滑空に任せてもなお、燃料の残りはわずか二分半程度しか残らない。
加えられた攻撃は最初の降下しながらの一撃、エンジン再点火後に上昇しながら一撃、再度降下しながら一撃の合計一機当たり僅か三撃。生産が遅れた事もあり、戦闘に参加した〈秋水〉はわずかに八機。総数たった二十四回の攻撃は、その全てが三〇ミリという大口径機関砲によるものだったために一撃でさえも致命傷に至る損傷を与えた。結果、五分程度の短時間の交戦で、B29の編隊は実に十九機を喪失した。
リトルフレンズ——護衛として追随していたP51による追撃があったものの、友軍機の援護を受けた三一二空は一機を喪うのみであった。
〈コメート〉の襲撃とほぼ同じタイミングで隊長機〈スキニー・アンクル〉は上昇の命令を下した。日本の戦闘機は基本的に高高度性能が劣る。先日会敵した〈ジェイソン〉——〈震電〉及び〈フーファイター〉は例外だが、それでも機数は少なかった。〈コメート〉は今襲撃を掛けてきており、つまり高高度でこちらを脅かすのは〈ジェイソン〉と〈フーファイター〉だけであると考えて良い。
どちらにしろ通常機体だけでも振り切るのは重要だ。
高度を上げていく途中で敵戦闘機の襲撃が止んだ。〈ジェイソン〉でさえ襲撃を掛けてこない。この選択は正しかった。
そう考えていた〈スキニー・アンクル〉を軽い衝撃が襲う。
「……なんだ?」
「機長! ジャック・ナイトメアが!」
指さした先には本来、僚機が飛んでいるはずだった。そこにあるのは、燃えながら落ちていくただの残骸。
「対空砲です!」
その答えを裏付けるように、編隊の内外に急速に黒煙が増えていく。機首を粉砕された機体がゆっくりと落ちていく。エンジンの消火に失敗し片翼が火に包まれた機体が落伍する。
「対空(フラック)回廊(ルート)……!」
呻くように声が漏れた。ジャップの迎撃機が退いたのは、高空性能が足りないからではない。誘い込まれた。
ここは対空砲によって築かれた籠の中(キル・ゾーン)。迎撃機を釣るために低高度で飛んできたことが裏目に出ている。
「全機へ! さらに上昇しろ!」
ジャップの戦闘機も、高射砲も届かないであろうはるか上空、実用最大上昇限度に近い高度四〇〇〇〇フィートへ。
高度四〇〇〇〇フィート、つまり高度約一二〇〇〇メートル。ここまで届く高射砲、高角砲は多くない。例えば帝國陸軍で一般的な高射砲と言えば、八八式七糎野戦高射砲や、九九式八糎高射砲であり、どちらも最大射高は一〇〇〇〇メートル以下である。これは帝國海軍においても同様で、主力艦載高角砲である八九式十二糎七高角砲は最大射高は八〇〇〇メートルであった。
ここまで詳しい事は爆撃隊の隊長には分からない。しかし今までの爆撃行の経験則から、一定以上の高度に届きうる対空砲は日本側には無かった事は分かる。
果たして想定通り、撃てる対空砲の数が少なくなったために、高度を上げる過程で周囲に広がる爆炎は一瞬少なくなる。
そして次の瞬間。先ほどより大きな衝撃が隊長機を襲う。振り向いた先に飛んでいたはずの僚機は、左主翼が半分からへし折られていた。
「観測班より通報、初弾命中、一機撃墜確実!」
歓声が沸きあがる。その彼らの前で、たった今奇跡的な戦果を確認した高角砲が再び咆哮する。五式十二糎七単装高角砲。五〇口径、すなわち約六メートルの砲身が、天空を見あげ直角に近い仰角八十五度、毎秒八九〇メートルの初速で以て二七キロの砲弾を送り出していた。
五式の名が示す通り、今年に入ってから制式化された帝國海軍最新鋭の高角砲は、八九式を原型として射高の増大を目的に砲身長を延長されている。その最大射高は一六〇〇〇、彼らが知る由もないがB29の実用上昇限度を大きく上回る。
この砲台の射撃を皮切りに、敵編隊を射界に入れた対空砲台が次々と射撃を開始した。艦載高角砲としては帝國海軍最高峰といってもいい性能を誇る九八式十糎連装高角砲が砲身を完全に垂直に掲げ、五式十二糎七を上回る初速毎秒一〇〇〇メートルで撃ち放つ。負けじと帝國陸軍三式十二糎高射砲が九八式を上回る間隔で咆哮を上げる。
さらに一際巨大な轟音が轟く。九メートルの長砲身から六秒に一発という驚異的な速度で対空砲としては珍しい大口径砲弾を撃ち上げるのは、帝國陸軍五式十五糎高射砲。B29に対応するために計画され作成されたこの高角砲は一九〇〇〇メートルという最大射高を実現した。
ここの対空砲群は全て、B29の飛行高度を完全に射程に収める事ができる対空砲のみで構成されている。それは偶然ではない。
ドイツから潜水艦が〈コメート〉と共に持ち込んだのは、Me 262などの資料だけではなかった。
対空回廊(フラック・ルート)。
英語でそう呼ばれるその戦術は、爆撃機編隊の進路を予測、その進路上に対空砲群を配置し、頭上に現れた敵のみに対し集中的に対空射撃を行うという物。綿密な対空砲火によって編まれる籠。
しかしそのためには重爆群の飛行高度まで砲弾が届く必要がある。現状帝國軍の対空砲でB29単独の飛行高度に届く射程を持つのは、海軍においては九八式と五式、帝国陸軍においては三式と五式のみ。いずれも今年に入ってから制式化された新兵器であり、数を揃えるのに時間を要した。九八式に至っては建造中止された秋月型に搭載予定だったものを持ってきている。
そしてようやく完成した回廊は、本迎撃戦においてその能力を十分に発揮した。直撃した砲弾はその部位を消し飛ばし、至近で起爆した砲弾は機体を刻む。回廊内にB29の逃げ場は無い。
そして回廊から脱した時、再びB29に戦闘機がとりついた。
「畜生! 今日はジャップの新兵器展覧会か!」
奇しくも一週間前に同じ東京爆撃行の途中で散った機銃手と同じ言葉を吐いた。今まで確認されなかった大口径対空砲による射撃。一週間前に確認された新型迎撃機(ジェイソン)に加え、ナチのロケット戦闘機(コメート)、見た事のない双発機と単発機も混じる。それだけではなく、今まで報告には無かった三式戦(トニー)が当然のように飛んでいる。改修でも受けた新型か。〈フーファイター〉がいないだけマシ、などとは到底言えない。
ロケット戦闘機と対空回廊により梯団陣形は総崩れとなっている。味方との連携が出来ず穴だらけとなった防御砲火を容易く潜り日本機が襲い掛かってくる。
「スキニー・アンクルより全機! 梯団を組み直せ!」
了解の返事は散発的だ。既にかなりの数が墜とされている。これでは爆撃を続行したところであまり効果的な戦果は得られないだろう。重爆による絨毯爆撃は数を揃えてこそ最大の効果を発揮する。
「……スキニー・アンクルより全機へ! 爆装を投棄しろ! 作戦は中止、撤退するぞ、本機に続け!」
「了解!」
少し考え、すぐに結論を出した。爆撃手が応じて爆弾を投棄する。眼下にあるのはどこかの街か。標的である東京ではないが、仕方あるまい。機体が少し軽くなったことを確認して旋回に入る。
対空回廊を避ける帰投ルートを選択する。梯団を組み直す。きっと自分には何かしらの処分が下される事だろう。それでも生きて帰り、情報を司令部に伝えなければならない。少なくとも今生存している爆撃機の乗員の命は自分にかかっている。気を引き締めて操縦桿を握り直した。
「皆、えらい喜びようだったな、杉田上飛曹」
「一週間ぶりの空襲をあれだけ叩きのめしたんですから」
「しかし護衛機が付いていたという事は」
「硫黄島の飛行場が、稼働し出したという事だ。これからが本番だ」
「なぁに、何機来たって撃ち落としてやりますよ。実際、新戦術は当たりだったじゃないですか」
電探基地からの誘導と、対空砲陣地との共闘は実際に上手くいった、と確かに思う。だが、それだけで抑えられる敵ではない、次はきっと対策を立ててくる。それを防ぐには敵に情報を渡さない、つまり襲来した敵を完全に殲滅するしかないが、悔しい事に、今の僕達には全力を出してもなおそこには届かない。
「……次は恐らく数が増える。今回から陸軍からも戦闘機が出ているのはありがたい事だが、其れもいつまで持ち堪えきれるか分かったものじゃない。今回の迎撃でさえ、被害が出た上にあてずっぽうだろうけれども投弾を許してしまった。いつまで続ける気なんだ」
「少尉、あまり言い過ぎると……」
「——それでも堪えねばならんのだ、田代少尉」
「隊長」
「飛行隊司令も分かっている。それが軍上層部まで伝わるかは分からない。しかし我々にできるのはそれだけなのだ。今日は良くやった、休んでくれ」
「はっ」
答礼した手を下ろし、拳を握り締めた。持ち堪えなければならない。いつか来る、終りの日まで。それは僕達の力が完全に届かなくなる日か、それとも、この国が全て焼け野原になる日か。
【解説】
以下に史実には存在しない兵器、史実と異なる扱いをされている兵器を挙げる。
・航空機
海軍:五式局地戦闘機〈震電〉、呂式局地戦闘機〈秋水〉、四式局地戦闘機〈閃電〉
陸軍:三式戦〈飛燕〉二型(キ61―Ⅱ改)、キ100Ⅱ型(キ61の発動機を空冷発動機〈ハ112―Ⅱル〉・海軍側呼称〈金星〉に換装した機体)、五式双発戦闘機(キ108改)、五式戦闘機(キ94Ⅱ)
・対空砲
海軍:五式十二糎七単装高角砲
陸軍:五式十五糎高射砲
※この物語はフィクションです。
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