リセプション   作・長尾義明

世界中に死体が転がっています。もう埋めるところがありません。身元不明の遺体もたくさんあります。霊園や墓地はすっかりキャパオーバーで、火葬場だって仕事が間に合いません。

 リビングスキは小さな島に住居を構え、妻を亡くして12年、そこで静かに余生を送る老人でした。島に住んでいるのはリビングスキ、ただ一人です。世界の状況をテレビのニュースで知ったリビングスキは、国の政府に問い合わせました。

 「私の島に死体を持ってきて埋めてしまうというのはどうでしょう。私の島には私しか住んでおりませんから、私が良いと言えば、他の誰の許可も得る必要はないのです。」

 果たして、政府はリビングスキの申し出をここぞとばかりに受け入れました。3日後には、リビングスキの島に何隻もの船がやってきて、青い袋に入った死者たちが続々と上陸しました。日雇いの屈強な男たちが、太陽の照り付ける下でせっせと重機を動かし穴を掘り、袋を並べ、上から土をかけます。これでおしまいです。小さな島でしたが、老人一人が住むには広すぎるほどでしたから、数百の死体を埋めてもまだ十二分に空きがありました。

 「今回は島の周囲の砂浜を掘るだけでだけで事足りたが、いずれ林の木を多少切ることになると思う。それでも良いかい、爺さん。」

 現場監督は汗を拭き拭き言いました。構いません、とリビングスキは答えます。

 現場監督の言葉通り、翌週には林の木を切ることになりました。他のいくつかの国からも、遺体を引き入れて欲しいという連絡があったのです。リビングスキはこれも了承しました。すると、昨日よりもっとたくさんの船がやってきて、袋を島へ届けました。やはり砂浜だけでは埋める場所が足りませんでしたから、林の木は切られることになりました。

 平たい土の地面が露わになると、男たちはまたせっせと重機を動かして穴を掘り、袋を並べ、上から土をかけました。これでおしまいです。

 それからというもの、船は一週に一度やって来て、袋を届けるようになりました。埋めてしまえば臭いもありませんし、多少だだっ広い場所が増えただけでしたから、リビングスキには、住まいの周りの様子は以前とそこまで変わらないように思えました。作業用の重機も毎度船で帰ってしまいます。仕事を終えた男たちが島から出て行った後、リビングスキはまた一人ぼっちです。

 でも、リビングスキは寂しくありませんでした。12年もこの島に住んでいて、しかもほとんど島の外へ出ることがなかったリビングスキにとって、この頃は世界中から集まった死者たちと毎日ホームパーティをしているようなものでしたから(リビングスキはそう考えていました)、寂しいことはありませんでした。いや、寂しくなくなったと言った方が良いでしょう。


 「この島から出る気はないか。」

 現場監督はある日の帰り際、リビングスキに言いました。

 「小さな島だが、こんなにも役に立っている。売れば金になるぜ。」

 「金なんぞ興味はないさ、ウィル。」

 リビングスキはそう言って微笑みました。現場監督はうーんと唸って頭を掻きます。

 「俺はなあ、爺さん、あんたを心配してんだぜ。もうこの島は以前の島じゃない。死人の島だよ。こんなところに一日中住んでいるなんて、普通じゃねえ。」

 「なあに、世の中には一日中墓地にいる連中だっている。墓守なんかがそうだ。」

 「あんたはこの島の墓守になるつもりなのかい。」

 「そう、墓守だよ。墓標のない集団墓地だから、何の手入もする必要ないがね。全く、楽な仕事だよ。」

 あっはっは。リビングスキは笑いました。

 変な爺さんだぜ。

 ウィルは心の中で呟きました。


 島に作業員たちがやって来るようになって、1カ月が経ちました。

 リビングスキと現場監督のウィルは、よく仕事終わりに二人で岬に座り込んで海を眺めながら、話をするようになりました。

 リビングスキとウィルは、父と子ほども歳が離れていました。それで何となく気を許したウィルは、その日、つい身の上を話して聞かせたのでした。

 6歳の娘がいて、妻と3人の慎ましい家庭を持っていることを明かすと、リビングスキはウィルを見つめて言いました。

 「彼女たちは、ウィル、君のことを気にかけていることだろうね。」

 ウィルはリビングスキの言いたいことを察したように、大丈夫さ、と笑った。

 「確かに、リンダも心配している。俺だって思うさ。優秀な市民どもと同じように、家の中で仕事ができればいいのに、って。もっとも、死体は十分日をおいたものをここに運んでくるから、死体に潜伏している“奴ら”は既にくたばっているらしい。だからその点は心配してねえが、奈何せん、アウトワークは避けられねえ。まったく、世の中にはリモートじゃできないワークもあるってこった。ニュースじゃ、まるで世の中の働き方が変わったみたいに言っているが、それは俺とは違う、頭のいい市民どもの話さ。大学を出て、細長いスナック菓子みたいな腕をしてるくせに、俺の年収を数週で稼ぐ連中がいる。奴らは仕事も選べる。」

 「うらやましいと思うかい。」

 リビングスキは言った。うんにゃ、とウィル。

 「俺のお頭は元々学に向かねえ。物心ついた頃に親はいなかったし、金もなかった。それは神様が決めちまったことだ、恨んでも仕方ねえ。それでもリンダは俺について来てくれた。ジェシカの成長も楽しみだ。」

 “Thank the Lord!”。ウィルは大袈裟に天を仰いでみせました。


 「あんたのことも聴かせてくれ、爺さん。どうしてこんな所に住んでる。」

 ウィルは一番訊きたかったことを尋ねました。

 しばらくの沈黙の後、リビングスキはゆっくりと口を開きました。

 「12年前に妻を亡くした時、私は心を失ったんだ。」

 夕陽が波の上を滑って次第にこちらへ近づいてきました。同時に、座り込んだ2人の男の影がグッと伸びます。リビングスキは静かに語りました。

 「どういうことか分かるかね。私の心は、最初に出会ったときから、ずっと妻のものだったんだ。妻は天国へ旅立つとき、私の心も一緒に持っていってしまったのだよ。以来、誰かと通わせる心を失った私にとって、人との交わりに真の喜びを見出すことは難しくなった。私は死人なのだ。この島へ送られてきた人々と、私は何ら変わらないのだよ。」

 そう言ってリビングスキは、地面をポンポンと手で叩きました。

 「寂しくないのかい。」

 ウィルは戸惑いながらも尋ねました

 「寂しかったさ。」

 老人は答えます。

 「でも、寂しさを感じる資格など私にはなかった。私が自ら進んで、全財産を放ってこの島を買い、一人で死のうと移り住んだのだからね。それでも、多少は寂しかった。しかし、今はパーフェクトだよ。心を通わせる必要のない死人たちの存在が近くにあることで、寂しさは紛れている。パーフェクトだよ。」

 ウィルは思わず身震いしました。老人が自己犠牲精神などではなく、社会貢献でもなく、只々自分のためにこの奇想天外なリセプションを行い、墓守を自称していることに、恐怖に近い、共感しえない何かを感じざるを得なかったからです

 もっと言えば、自分や、自分の仲間の作業員たちと会話したり、交流したりするとき、表向きは心を開いているように見せていながら、その実、人に砕ける心などもう持っていないのだという老人に対して、淡い距離感を覚えるより他にありませんでした。

 「死ぬときは一人が良いね。」

 リビングスキは呟きました。

 「どうして。」

 ウィルは聞き返します。

 「何かの間違いで、誰かさんに殺人の罪を着せるようなことはしたくない。誰かに勝手に罪悪感を感じてもらっては困るじゃないか。」

 老人は言いました。ウィルは唾をゴクリと呑み込みます。

 「爺さん、俺には。」

 ウィルは一瞬、躊躇しました。その答えは、聞く前から自分でも分かっているような気がしたからです。それでも、ウィルは聞かずにはいられませんでした。

 「俺には、爺さんが、生きることに価値なんてないと、言っているように聞こえるぜ。」

 それを聞くと、リビングスキは憐れむような目でウィルを見つめます。

 「ウィル。生きることに最初から価値なんてないのだよ。心が何に向かうのかが、重要なのだ。私にはもう、そんなものはない。」


 他の作業員が呼ぶ声が聞こえ、ウィルは振り返りました。出航の時間です。

 「爺さん。」

 ウィルは立ち上がりながら言いました。

 「俺は、生身の身体であんたと出会えて良かったと思ってる。忘れんじゃねえぞ。」

 ああ、とリビングスキは答えます。

 “God bless you.”

 老人は微笑みました。ウィルは顔を強張らせました。それはウィルがかつて受けたことのない、氷のように冷たい祝福でした。


 リビングスキが死んでいるのが見つかったのは、翌週のある朝のことでした。波打ち際にうつ伏せに倒れているのを、島に到着したばかりの作業員が発見したのです。すぐにウィルや、他の作業員たちも砂浜に駆け付けました。

 作業員の一人で救護班の中年の男はしばらくの間、座り込んで老人の冷たい身体を調べていましたが、やがて立ち上がりはっきりとこう言いました。

 「溺死だな。症状から言って間違いないだろう。それも最近だ。昨日かもしれん。」

 「まさか。」

 現場監督はわなわなと手を震わせました。

 「船を使っていて、転覆したのだろうか。」

 他の作業員の一人が神妙な面持ちで尋ねました。

 中年の男は首を横に振ります。

 「昨日は一日中、ここら一帯の海は静かだったという報告を聞いている。夜も、これまでにないくらい静かで、風もほとんどなかったんだとさ。」

 「爺さんの船がいつもの場所にあったのを、さっき見たぞ。」

 これまた別の作業員が言いました。

 作業員たちはざわつき始めました。満を持して現場監督は低い声で唸ります。

 「ということは…。」

 そうだ、と中年の男は俯きつつ、頷きました。

 「確証はないが状況から言って、自殺だろう。」


 2時間ほどで、警察が島に上陸しました。

 鑑識の調べは、中年の男の見立てと一致しました。リビングスキが生きることに執着していなかったのは生前の発言から明らかであること、ウィルはそれを話さざるを得ませんでした。リビングスキの書斎からは、遺書らしきものも見つかりました。そこには、必要であれば自分の家を取り壊して、その下に死者を住まわせても構わないという旨が書かれていました。

 警察はやはり自殺と断定しました。リビングスキには身寄りがいなかったため、簡単な葬儀を経て、島の共同墓地に葬られることになりました。他でもないこの場所であったのはもちろん、一人で死のうとこの島へ来たという彼の生前の言葉をウィルが覚えていたためでした。


 一連の事が済んで、ウィルと救護班の中年の男は夕方の岬に立ちました。

 「どうして自殺なんてしちまったんだ。」

 ウィルは呟きました。そんなこと、決まっているだろう、とザックは言います。

 「お前が一番よく知っているはずだ。爺さんは奥さんのもとへ行きたかったのさ。誰にも迷惑を掛けないように、こんな辺鄙なところに島まで買ったんだぜ。端からそのつもりだったんだ。」

 「じゃあ、どうしてこれまで生きてきたんだ。12年だぞ。」

 ウィルは語気を強めました。

 「そりゃあ、人間誰でも死ぬのは恐ろしいもんさ。決心がついたのがたまたま最近だったということだろう。」

 「そこだよ。何かきっかけがあったはずだ。」

 「きっかけって…。たまたまだよ。」

 「たまたまなわけあるか!」

 ウィルはぐっと拳を握りしめました。

 「12年間何もなかったんだぜ。爺さんはこの島で一人だった。そこで俺たちがやって来た。そして爺さんは自殺した。何か理由があるはずだ。俺たちは、爺さんの死の原因の何か、何かと関係しているはずなんだ。」

 「落ち着け、ウィル。」

 ザックはウィルをなだめました。

 ウィルはグッと涙をこらえます。


 『何かの間違いで、誰かさんに殺人の罪を着せるようなことはしたくない。誰かに勝手に罪悪感を感じてもらっては困るじゃないか。』


 ウィルはハッとしました。爺さんは、本当に心を失っていたのか。いや、失ったことに納得していたのか。どうして、心がないのに人の罪悪感に共感できる?

 「爺さんは、誰にも迷惑を掛けないように、こんな辺鄙なところに島まで買った。」

 ウィルは呟きました。

 「人と通わせる心を失った爺さんが、最後に心を尽くしたこと、それは人と心を通わせる機会を断つことだったんだ。」

 ザックは黙って聞いていました。ウィルの目は、死者のように暗く、色を失っています。

 「もし、俺たちが知らず知らずのうちに、とんでもない『迷惑』を爺さんにかけていたとしたら。そしてその事実が、俺たちに罪悪感をもたらすものであるとしたら。墓守の爺さんはそれを隠すに違いない。」

 ザック、とウィルは言いました。

 「自殺と判明すれば、遺体の解剖はされねえんだよな。」

 「もちろんだ。犯罪性ありと断定されない限りな。」

とザック。

 「何が言いてえんだ、ウィル。言ってみろ。」


 ウィルは声を震わせました。

 「例の致死性のウイルス、自覚症状はあるのか

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