光 第一章  作・奴

道沿いの木はすべて牡丹桜らしかった。雨風が吹きつけて花はすべて街路に落ちてしまっていた。天気雨が強風に乗って横殴りに流れ、あらゆるものを襲った。満開だった花はことごとく水の中で萎れた。


いったいどの雲から雨が降りかかってくるか分からなかった。上空は雲足速く日の光を受けて雨粒が光っている。全身が濡れて冷え、慣れない制服の下の体温が奪われる感覚で身が震えた。我々は記念撮影などをしている悠然とした心持ちをとうに失っていた。新調された制服を、あるいはこの祝い事のために用意しているかもしれない特別な礼服を早々に汚されながら、なおこの瞬間を撮り収めておこうなどとだれが思うだろう。根性のある幾組かだけがカメラを前にして、体を振られながら風雨に笑顔を晒した。朝に整えたばかりの私の髪に重さがあった。


建物の入り口には人の熱を孕んだ湿った空気があった。その中を煩瑣な話し声が幻覚のように聞こえた。熱と湿気と幻聴のような声とに侵されきった身体それ自体が煩わしい。全身に妙な昂ぶりがあるのが感じられた。私は親だの係員だのの案内を頼ってその人波を進み、船と違って後には蹴り波も残さなかった。先頭に立つ母やその後ろを歩く姉が最後列の私をときどき見た。そのたびになぜだかこの人波に紛れて消えてしまいたかった。しめった制服が生ぬるくなって不快だった。


保護者と学生とでは座席がまったく別だった。


「終わったら、入り口の柱のところで待っとくなあ」


母と姉と祖母が学生ばかりの列に私を残して遠くに消えた。私は胸あたりの高さで手を三人に振った。


その演奏会などを開くような洋風のホールが会場であった。そこは外よりも静かで涼しくてよかった。私はその真っ赤な座席とそこからの壇上の眺めとを見比べながらただ端へ隅へと歩いた。後ろからどういうわけとも知れない追尾が二、三人あったから立ち止まりもできずに、結局そういう人のまったくなくなったころに席の一つに座り込んだ。壇上で点検をしている人が良く見えたからそれで満足して腰を落ち着けた。


学生たちは皆友人と幾人か連れ立っているらしくて私のような同期生のない人はかえって目立った。むろん親しい人がいなければあえて群れる義理もないから、そのために一人でいる場合も見られるだろうが、しかしそういう人をも合算しても、やはり複数で固まっているほうが明らかに多勢だった。私は保護者の席がどこにあるのか体をねじって二階席を見た。しばらく探して、ようやくその端に三人が固まって話し込んでいるのを見た。私は何だか苦笑した。


ブザーが鳴り、司会の男が壇上に現れて随分明瞭な声を出した。まだざわめきがあった。別に聞くべくもない話だと思って私は自分の爪を眺めた。昨日の晩に磨いたばかりで、照明の落とされた会場のわずかな光を撥ねた。ローファーの中で縮まっている足の指も、同じように磨いたのだと私は考えた。それが誇らしかった。学校長の話が始まっていた。たしか現代情勢を要約して語っていた。祝辞がしばしば学校の求める学生像を映していると知りながら、しかし私はそこに何の価値をも感じられなかった。そのため、いつから爪を切り忘れるようになったかしらとどこか正解のない推理をしていた。学校長の声が私の思い巡りに阻まれて、遠くに聞こえた。そのうちあのころだろうかと過去を顧みた。たしかにあのときまでは、丹念に爪を切っていた。


祝辞が何十分と続いたか測りそこねたうちに終わってしまった。近くに座っている何人かは眠っていたと思う。私は始終爪を指の腹で撫でていた。後は事務連絡や前に受け取った学生便覧に載ってあるようなことを五件も六件も述べた。我々は小休止に入った。


小休止が終わると部活動と委員会の話に入った。部活動で言えば、この学校は部員一名からでも創設できるらしかった。そのせいで異常な数の部数になっているようだった。たしかにいくつかの聞きなれない名前の例が挙げられていた。私はいずれかの部に所属し置きたい気持ちがあった。けれどもそれは何でもいいわけではなかった。その「いずれか」というのは、いかにも曖昧な言葉であったけれど、あらゆる理由によって到底入部したく思わない部を使ってその輪郭を描き、入るべき部を掴もうと努められるほど、忌避している部に仔細な共通点があるわけでもなかった。ただ運動部というひどく雑な領域だけが私のうちに作られた。それによってある程度のより分けを可能にしながら、やはり後に残る部は文化部などの使い勝手のよい字句にまとめ上げるほど一貫した基体を持ち合わせてもいなかった。それにこの学校の特殊な規則から、「文化部」は可算無限個あるはずだった。私はこの話からすぐに離れた。


部活動の話が済むと、委員化の話題に移った。私は委員会の話は聞き過ごしていいだろうと思っていた。けれども、よく耳視する名称の会の中に、生活委員会と美化委員会というような言葉の違いは別にして、一つだけ聞きなれない委員会があった。だからその説明だけは聞いた。


 「勧善懲悪委員会です。私たちは、日常生活におけるあらゆる不正を許しません。健全な学生生活を推し進め、不健全な学生生活を送る学生の皆さんを懲らします。美化委員会や風紀委員会とは別個に存在する委員会です。美化委員会は美化に特化し、風紀委員会は風紀に特化しています。私たちはそれぞれの委員会が取り扱えない問題を専ら扱い、解決しています。興味のある学生はどうぞ私たちの活動に協力していただけたら嬉しいです」








 家族とは式の後に一度顔を合わせたきりだった。学生は全員が卒業まで寮生活を強いられ、この間は電話や手紙はよいにせよ帰省も面会も許されない。三人は悲しげな顔をして私の頭を撫でたり胸に抱いたりした。目には涙がにじんでいた。私だけが平生の通りの態度だった。多くの学生は家族から離れるためにこの高校に来ているのかもしれない。だいたい高等学校に区分されるかも怪しかった。学校は五年制で、それから大学に編入するかそのまま就職する。「高専」ではないと先生は言った。私も親も最後まで把握しえないまま今日を迎えた。そうして別れた。次に会うのはいつだか分からない。


 寮は一人部屋だけれどそれだけ狭かった。外はまだ家族と名残惜し気に話し込む新入生ばかりそこらにいて、そのざわめきは閉まった窓を通してくぐもって聞こえた。室内は静かだった。廊下にしたって何も聞こえない。上級生の、先輩となりうる人たちは恒例だろうざわめきに何かおもしろさを見出しているのか皆出払っているらしい。私は学生の中で、とりわけ新入生の中でも珍しくさっさと部屋に引き上げていた。家族はいつまでも別れ惜しそうにしていたけれど。荷ほどきを済ませてしまおうとわずかな荷物に手をかけた。校内は制服を着ている必要があるから私服は多くなくても足りた。もしかすると制服からすぐに寝巻に着替えることだってありえる。本も何冊か持ってきていた。校内の売店が充実しているから困らないらしいし、家族から送金が少なからずあるので心配ないはずだ。キャリーケースとか段ボールに地元の匂いが残っている気がした。けれど地元の香りとはどんなものだろう? 実家の匂いというと洗濯洗剤の匂いが浮かぶ。服の匂いだ。きっと同じ洗剤を使っている人ならいくらでもいるだろうが、それでもこの匂いだけは特別だった。荷物が少ないから自然と荷ほどきも早い。すぐに済ませて学生便覧の地図を見返した。広大な敷地と多数の施設。一般の校舎とともに売店や娯楽施設がおせち料理みたいに敷き詰められていた。敷地から出ることができないからこそ内側は多様な建物が林立している。五年間、毎日のように見て回ってもすべての道を歩けないだろう。卒業するまで使わない駐輪場なんかもあるかもしれない。私はすでに地図の上の道を歩いていた。


 そのうち外の騒がしさは遠のいて、廊下の話し声が大きくなった。便覧は窓から差す太陽光線を受けてわずかに読めるくらいになっていた。もう夕食を食べに下へ降りなければならない。決められた時間のうちに食堂で朝、昼、夕の食事が出される。そのときに食堂に行けば食うには困らないようになっていた。部屋にはコンロがないから調理できないけれど、便覧を読むかぎり品目は多いので飽きないらしい。なるほど便覧と一緒に受け取った紙の中にはメニューが八つも九つもあった。これが一週間ごとに入れ替えになってしかも各時間でも品々が違うというから安心した。


実際に食堂へ降りてみれば皆が真面目に食べに来ていて盛況だった。私は苦労して席を探し出すと焼き魚を食べた。


帰ろうというときに話しかけられた。


 「新入生?」とその人は私に向かって座った。後からもう一人来た。私のほうでは何だか体がこわばって「はい」とばかり言った。


 「そんな緊張せんでも。私は三階に住んでる三年生の三島。こっちが同じ三階の三年生の広田」広田さんがあたりの話し声に紛れて何か言った。


 「何階?」


 「四階です」


 「お、いいね。何食べたの?」


 「焼きサバです」


 「サバね。肉より魚が好き?」


 「まあ、はい」


 「残念だけど、九個あるうちの一個しか魚料理ないんだよね。人気ないの」


 「そうなんですか」


 「そう」


 わずかな間と、まわりの喋り声。広田さんはかなり背が高く見えた。


 「そういえば名前は?」


 「篠崎です」


 「下の名前は?」


 「唯一、です」


 「ゆい?」


 「ゆいいつ、です」


 「あ、あの言葉のままの、唯一?」


 三島さんの言い方は「スイーツ」に近かった。


 「珍しいね」と広田さんがようやく言った。


 「絶対あだ名はゆいちゃんでしょ」


 「中学まではそうでしたね」なんて言って笑んだ。


 「じゃあ、ゆいちゃんだ」


 先輩二人はそのまま他の人に話しかけに行った。


 二人との出会いは私に悪くない印象を残した。人づきあいの活発な人に見える三島さんの横に寡黙な広田さんがいる。三島さんが大体を口にし、広田さんが妙な合いの手を差し出した。会話はそうやってまったく流暢に進んだ。微細な会話に終わっても人の心に新鮮な幸福を置いて帰るような二人であった。私は彼女らが他の一人に語りかける姿を側目に見た。形式は似ているようで違うところもあった。それが軽微な相談や激励で相手に好印象を湧かせるのはやはり同じだった。それから以上の型は二人にごく一般であるように私に感じられた。広田さんはほとんど口を開かないままだった。私は階段を上る間も彼女たちの軽妙な声を聞いた。


 廊下に着くころにはもう食堂の騒々しさが煩雑な耳鳴りに変容していた。そうして窓を開け放って風を流している廊下が空であった。部屋はなお空虚だった。しかるべきところに押し入れた本だの筆記具だの服だのが、見返すほどどこか不平があって鎮座しているふうに捉えられた。私はわざとらしく苦笑した。それから急に脱力した。あのわずかなやり取りに以前までの会話よりもいくらも力を込めていた気がして肩が痛みすらした。こんな生活が五年も続くのだ。寮はずっと同じ部屋を使うから、少なくともあと三年はあの先輩と顔を合わせる。明日は寮ごとの歓迎会があるし、その後だってクラスの顔合わせとか部活動見学など社交の場面はあまたある。まだ廊下は人の声が聞こえた。


窓を開くと部屋の明かりにほのかに照らされた林が見えた。それが防風林のように並んでいた。風は冷たかった。林冠の枝葉が風になびいて噂する声のような音で鳴いた。自分の体が冷えて凝固しているとすら思い、寝るも寝ないも、あるいは寝巻に着替えず制服のまま眠るもすべて自身の有する自由であるとはじめて理解した。しかしどれを取っても私の中に不寛容な部分があってそうする将来の自己を嘲った。素裸でベッドに潜っても誰にも知れないだろうと寝心地も判じえない目新しいシーツと枕のあるベッドをぼんやり眺め、何を腹が立ったか乱暴に窓を閉めた。いよいよ静寂になった。私は部屋にあるユニット・バス式の浴槽でシャワーを浴びた。ホテルにあるものと同じ型であって浴槽の横には洋式の便器があり、ごく小さな洗面台があった。けれどもホテルよりずっと狭く部屋で服を脱ぐほかないから妙に気恥ずかしい心地がした。入浴をシャワーだけで済ませるのも意外と経験のない不思議があった。湯船にためた湯につからないときの寒さを知った。


薄手の服ではまだ寒かった。ジャージを着て、水道水を飲むと、体内を水が流れていく感覚があった。私は自分の胃の位置を想像した。服の内側で鳥肌が立つのが分かった。私は静けさに慣れていた。元の家でも自分の部屋にこもれば音などない。ついに食事ができたと告げる母の声がするだけであった。けれどもここでは母の声はなかった。慌しくする姉の声もなかった。姉は六つも上の大学生である。たしか理学部生物学科の人である。姉の興味の矛先に生物があったようには元来私に見えていなかった。成績のほどもまったく了解していないが、父母が褒めているところも見ていなかった。私はいったい姉に何があっただろうと彼女の顔から真意を透かして読み取ろうとしていた。けれどもはっきりしなかった。尋ねても姉はそう明快な返事はしなかった。講義に真面目に出ている様子はうかがえたから誰も口うるさく言わなかった。父母には成績表が届いてあるはずであった。


姉と私とは体格がよく似ていながら、顔のつくりはそれぞれ母親に似るか父親に似るかですっかり分断された。姉は母親に似、私は父親に似た。だから昔から顔で区別がついた。今化粧を覚えている姉はなお私とは他人に見えた。しかし思い返せば、声はほとんど同様であった。背を向けている母に声をかければ、母は私と姉のどちらが話しかけたか一つ分からないと言った。私たちはそれを聞いて妙に得意になっていた。


私は姉を思い出しながら一度肌着に戻って保湿のクリームを塗りドライヤーで髪を乾かした。風が吹きつけて窓が硬い音で時折り揺れた。時計も見ずに私は眠った。


 目覚めると昼近かった。どれだけ眠っていたかははっきりしないけれど、頭の芯が甘い痛みを抱えていた。意識はすぐ明瞭になった。食事を済ませてすぐに校内を歩き回ってみる心づもりでいた。何時からとは決めていないが早いほうがいいのは確かだ。実際に授業が始まるのは次週からであるから、それまでに地理を把握していると助かる。地図を見るだけでは距離とか景色とかを想像しきれなかった。「箱庭」などという格好のいいあだ名とか「監獄」などの人聞きの悪いあだ名を付された学校は広大な土地を塀で囲っているので、中は飽きないほど何かあった。しかしこの予定はうまく運ばれず私は前によろめいた。食堂は朝食と昼食の境の時間にあって閉まっていた。あといくらも待たずに食べられるとは言うから前で待つことにした。ただ何だか落ち着かない。勝手も分からないところでぼんやりしていると知らず識らずのうちに一切から置いていかれてしまうようだった。周囲は日常の通りに事を進めている。私だけは右も左も不案内だから突っ立っている。黙然としていた。そのところに広田さんが来た。彼女を含む集団の皆の胸にある学年証が便覧で見た三年生の色をしていたので、私は一人で妙に緊張した。別に広田さんも昨日話しただけであるし、他は知り合いがいるはずもないから鷹揚としていればいいものを、取る必要もない体勢を取っていた。


 広田さんはひらひらと私に向かって手を振った。


 私も会釈の後で手を弱く振り返した。


 集団は私の手前で止まって同じように入り口の前で待った。部活動の話や授業の話をしている彼女たちは、もう慣れているからか泰然として落ち着いていた。私は耳に届くいくつかの話を聞きながら食堂の様子を見た。もう準備はほぼ終わっているようだった。けれど何が済んでいないのか職員は皆いそいそ動いていた。リノリウムの床を薄いゴム靴で歩く軽くて滑稽な音が鳥の鳴き声のように聞こえた。我々も室内は同じようなスリッパを履いた。だからぱたぱた音を鳴らして歩いた。このスリッパは皆同じ色だった。


 すると正午になって食堂が開いた。私は鶏肉の入った野菜スープを食べた。そこでは大したことは起こりえなかった。私は一人で食事するだけだし、広田さんは集団の中でだいたいを聞き役として立ち回っていた。三島さんがいないのは気にかかったけれど、そのことで私は何もできないから黙っているほかない。広田さんの交友関係が思ったより広いと知ったばかりだ。


その発見を抱えたまま私は食堂を後にして新天地の土を踏んだ。胃液に混じったスープの風味が口に昇って来るように思って不快だった。ただ履きなれたスニーカーで校内を闊歩してよいのには救われた。革靴だったら靴擦れで辟易したろうけれど、その分だけ持ちこたえられた。道は土のところと舗装路といろいろだった。急にアスファルトの上を歩き、また急に土を踏んだ。畑もあったし鶏小屋もあった。図書館の横に靴屋があって、その横から公園様の広場に入れた。手入れのされていないようだった。ベンチと池こそあれ、池は藻が繁茂して底が見えないし、ベンチは足元を草木に捕らわれ苔も生えつつあった。わずかに見える獣道のような歩道も背の低い草が芽を出していた。


日は、高かった。


そのうち風が流れてきた。池は川の水が流れ込んでできたものらしかった。草木に阻まれて実体は判然としないものの、水の音だけは耳をすませば絶えず聞こえ、水気を含んだ冷たい風が同じ方角から来て顔にぶつかった。それはそのまま靴屋のほうに向かって私の体をすり抜けた。木々の上にわずかばかり図書館の角が見えた。風に揺れる木の壁をこする音が時折りして、葉が落ちた。いったい何の木だろうか。図書館は地上部だけでも四階建てだから、木はそれより低くても三階の高さには達している。全部は一様な高さで、地上まで光が抜けず背丈のそれほどない草がいくらか生えていた。日の当たっている池の周りに比べたらずっと少ない。特別の知識を持ち合わせていない私は見当をつけられないから何とも判じえなかった。


 日陰なんかは空気が温まっていないのかそこだけ冷たい。長い靴下を履いてきてよかった。それに今までいた公園も、足元の植物の硬い葉が当たって邪魔だった。素足をなぞられたらどうだったか分からない。道に出てからも聞こえる森のざわめきの中に織り込まれた川流れの音にようやく気がついた。


 そこを抜けると車道があり、道沿いには店もあった。教師と学生が主な客というだけで様子は地元に近かった。車も見たし駐車場もそこらにあった。自動車部がスポーツ・カーを走らせていた。地図を見るかぎり車道は今歩いているところが一本伸びているのと、それに直交するのが一本あるだけで、だいたいは歩くか自転車で徐行しながら進むしかなかった。自動車部の人たちはそれでは満足できないだろう。それに車道は教員の車とか、校内を循環するバスとかが頻繁に行き来しているからその中におとなしくしているほかない。私はしだいに校舎のある地区から離れているらしかった。教員の寮や学校の本部がある地区を抜けて、ボウリング場とラーメン屋を通り過ぎた。映画館もあったと思う。自分が今、街に出たのか学校の敷地内を出ていないのかしだいにはっきりしなくなってきた。どこの施設も学校の名称が入っていた。信号もコンビニもあるからなおさら混乱した。そうして帰りたくなった。まだ住み慣れなくても寮にいるほうがずっと心が落ち着いた。帰るには三十分余りかかるけれど、地図を見ながら別の道を通って少しでも多く道を知っておきたかった。それでちょうど二つの通りの交わる辻に来たとき、引き返さず右折した。この先は左に部活動棟や部活動用のグラウンドと森が広がり、右は校舎と学生寮と体育用のグラウンドがあるはずだ。


 帰るときにはその大通りを進んで、植物園の手前で学生寮の前に出る小道に逸れた。一本道だから地図を見なくてもよかった。植物園の横は研究所があった。立ち止まって入り口の銅板の表札を見たけれど、長々した名前で結局は何を研究しているか分からなかった。ただ「力學」の二文字を認めたから、大雑把に言えば物理学の研究をしているようだ。外壁はレンガだった。植物園はよく見なかった。ガラス張りの建物と熱帯産らしい大きな葉の植物が目に入ったばかりでどうしてかそこに興味は湧かなかった。研究所は高い塀がいつまでも続いていて、通り過ぎるまでに二回、原付バイクに追い抜かされた。なるほどこの小道は走行できるらしい。歩いてばかりも疲れるから自転車でも欲しかった。日陰は変わらず冷たかった。


しばらく歩くと木橋があった。舗装された川の上にあって水の流れはそこにあるにもかかわらず遠くに感じた。木橋の上にいると川上からの風がまた私の体を撫でた。地図を見返すかぎり、ここはさっきの図書館とか公園の川上の側に位置するようで、似たような橋がいくつかあると見える。それで私は公園にいたときの川の流れ方と、木橋のそばの川の流れ方がまったく別な様相であることに気付いた。公園にいるときの川音はもっと石にぶつかりうねるような感があったから、てっきり自然な沢みたいな川があるのだとばかり了解していた。しかしその上流はすっかり舗装されていて、流れの音も静かだった。私はそれを承知できずにしばらく上流と下流とを見比べていた。それでは何も判明しなかった。ただ木の軽い音をいつまでもさせて木橋の上をぐずぐずと歩いていた。木の音が軽快だから面白かったというのもあるかもしれない。そうこうしていると橋の向こうから人が来た。私は顔を熱くして欄干に向かって黙り、来る二人の話を聞いた。一瞬のうちでは二人の学年を把握しきれなかったが、聞けば上級生らしく部活動の勧誘の話をしていた。二人は静かに議論している。


 「でもお菓子なんかで釣るのは卑怯じゃないかな」


 「どこもやってますよ。それに他の部は結構そういうことしてるみたいですし」


 「たしかに卓球部なんかはそうしてるみたいだけど。見てほしいのは活動してる姿だし、来てくれる子だって一番見たいのはそっちだろうし。それに私らは本気で大会目指してる部なんだからそこらへんは真面目な姿を見せないと、向こうが緩い部活だと思ったら申し訳ないじゃん」


 「事前に言えば分かってくれますよ。お菓子は帰り際に渡すとかならうまくいけませんか?」


 「うん」と言って先輩らしい人はちょうど私の真後ろくらいで立ち止まった。声だけは川の音を遮って聞こえるから、欄干にもたれるくらいで体は私のほうを向いているらしかった。


 「売店のチョコとかでいいかな?」


 「全然。買っておきます」


 さっさと歩いていってしまえばいいのだと思い直して私はまた寮に向かった。しばらくして振り返っても二人は木橋で話していた。


 帰りついたのは夕方だった。寮の歓迎会が夜から始まるためか食堂は上級生らしい人たちが忙しくしていた。その中に三島さんと広田さんを発見した。声をかける用もないから探すだけ探し出しておいて特段のことはせずに部屋に戻った。歓迎会はまだ二時間も先である。


 読書のさなかにうたた寝していると、人が呼びに来た。傍目に時計を見るともう歓迎会の始まるころだったから驚いた。本は読んだものかそうでないか分からない。記憶より十ページも読み進めていた。それで戸口に来たのは三島さんだった。彼女は時刻だけ伝えるといそいそと隣の部屋の戸を叩きに行った。実際、廊下は上級生が何人かいたし、制服が型につかない人が集団で食堂に向かっていた。私も顔だけ洗って出た。


 歓迎会といっても大したものではない。夕食を上級生に混じって食べて歓談するだけだった。しかしその歓談が私には不得意だった。飛んできた質問をごく短い返事でやり過ごすばかりで向こうは張り合いがないと見えて別の人と話してしまった。そんなことを何回か繰り返し、それから名前を言うたびに珍しいとか素敵とか批評され、由来は何だと聞かれる。父母に尋ねても満足な回答を得ていなかった。私は適当なことを話して打ち切ってしまった。先輩たちの話す知識はすべて便覧か新入生向けの広報誌に載っているのと相違なかった。だから復習くらいの気持ちで大半を聞き流していた。しかし先輩は得意げである。ろくにそういう冊子を読んでいない者は感心して耳を傾けている。そんなやり合いばかりで二時間が過ぎた。ただそうして歓迎会が終わるかというときになって新情報を持ち込んだ人がいた。たしか黒川さんと言った。「今は五年制の高専みたいな体制を取っているけれど、じきに高等部と大学に分かれてエスカレーター式に七年ここにいるだろう」とその人は語った。まだ噂に過ぎないなどと言って皆への衝撃を和らげようと努めているが、すでに我々のほうでは信じてしまっていた。私にはそのほうがずっとありがたい。他も大体似たようなことを思っているみたいだった。


 後で広田さんを捕まえて証言を得ようとしたが彼女は何も知らなかった。


 ところで、この黒川さんというのは随一の秀才だった。一年生の初めに受けた模擬試験で、すでに一流大学に進めるような判定が出た。本人はこだわりなく文学部を志望にしていて変更については全然と柔軟であった。実のところ五つ書いた希望のうち文学部に相当するのはこれともう一つだけで、理学部と法学部と工学部を一つずつ書いていた。もちろんすべて合格可能の圏内にいる。一年生の初めだから国語と数学と英語でしか判断していないけれど、それでも十分な素養を持っているようだった。現在の彼女はもう三年生になった。別な道に進んでいれば受験の二字が脳裡にあるころだが、気を配る必要はない。けれど二年生になって彼女は理系分野を選択していた。それは多くの人を震撼させた。彼女にいったいどういう意図があってそうなったか誰も判然とは理解していなかった。本人に尋ねても言葉を濁してあえて話そうとはしなかった。黒川さんに生じた謎は噂を作った。彼女はそれにも反論しなかった。三年生の途中から、二年生の最初に分岐する文理の枝々を過ぎてさらに専攻の分岐に行き当たる――これは便覧にも先輩の話にもあった。教員たちは黒川さんが結局どこに行き着くかに目を向けていた。彼女はまず理系に進んだ。それからどうなるかはまだ公には判明していない。


 黒川さんは無口だけれど気品があった。噂の真偽に気をかける人ではないと見えるが、それは個人の性格に従うものだから気品とは関係しない。実際彼女が口を開いたのは、私の知るかぎりはその噂を流布する間だけであって、多くの時間は黙って連れ立った友人が話すに任せていた。黒川さんは別に活発な人ではないようだ。それに友人も何人かあるだけで三島さんや広田さんは極めて事務的な話を交わしただけだと言った。彼女の友人もまた類して秀才だった。文理を問わず、いろいろな方向に能力のある人が取り巻いている。そのうちの一人はロシア語とアラビア語が話せた。他には数学の検定の一級に合格した人もいた。あとも学業や運動競技や芸術で何だか優れた人がいる。こういう学生を下手に失ってしまわないように四年制大学を打ち立てようとしているのかもしれない。






 雨は当分降らない予報だった。雲はいくらかあったが日は遮られずにそこにあった。風はまだ冷たかった。清々しい気分になるから、外に出るのはまったく億劫ではなかった。


 クラスごとの顔合わせのために校舎に行く用事があった。文理の選択をするまではその三十人くらいで同じ授業を受けるから、懇意にしておくべきだろう。午前のうちに済むみたいだった。しかしその用事のためか昨日よりも人の往来があった。寮はいくつもあるけれど、それぞれに続く道から人が出てきていた。校舎に向かう道は結局一つに集約するから道は人ばかりいて混んでいた。自転車を走らせる人もあった。ただ皆が同じ制服を着ていて、身軽だった。それで群だったり個々だったりで同じ方角に向かって歩いている。それが私には不可思議だった。通りはいかにも町にあるような小路であるのに生徒ばかり歩いている。老人も子もなかった。大人もなかった。いるのは女生徒だけだった。皆が水兵服のような制服を着て歩いていた。まったく別な世間が築かれてあると私は思った。


朝日を浴びてそういう人たちを眺めているうちにあっさり校舎に着いた。張り出されていたクラス分けを見て教室に入った。知らない顔の人ばかりが十人も席に座っているのがまた不自然に思われて、あてがわれた席に腰を下ろしても少しも落ち着かなかった。持ってきた本も読み進まないから、やっぱり教室を離れて校舎の中を今一度、見学してみようかと自分のうちに発案したが、廊下で話している人はほとんどなくて来たら真面目に席についているから忍びない。


 私は以前に眠りながら読んだきりの本のページを繰って記憶にあるところまで引き返した。そこは以下のような文から始まっていた。






……大しけの海でひどいめまいのようにうねる高波の音が聞こえた。水を撥ねながら進む車の音もあった。平常は潮の香りが風の中に臭ったが、梅雨になってから重力の強くなっている感覚すら与える湿気と豪雨の中で幻のように嗅がれた。広岡は藤川の喫っているたばこの臭いを思い返した。彼自身の持つ大略的なたばこの臭いに、嗅ぎなれない妙な香りがあるのを知っていた。しかし広岡は尋ねられないでいた。喫煙するときの藤川の目のたたえるうら悲しさが、広岡への軽蔑に思われて彼の口をつぐませたのだった。広岡は不意に藤川の視線に気づいた。まったく凪いでいながら湿り気のある目であった。あるいはその目を他に向けた。やはり悲しい目であった。けれども広岡が見るうちではもっとも純で澄んだ目でもあった。親に叱られた後の、心持を言葉で表せないでいる子どもの顔であった。それが冬の海のような荒涼を秘めながら、危うい美麗を抱えているのを広岡は感じずにはいられなかった。彼女に呼びかけると寂寞の顔は変面のごとく消え失せて、もとの優しい笑みのある藤川に戻ってしまった。そういうゆえんから、広岡は、藤川が喫っているときにはほとんど話しかけないように心決めていた……






それから十ページも読み直してまた同じ箇所に来たところで担任らしい人が来た。学生は知らない間に全員そろっている。担任は男だった。野口と言って、数学の教師だと自分で説明した。「それではよろしく」と一礼した。副担任もいるらしいが所用のために不在だった。私の席は教室の中央くらいにあるから、自然と野口先生の正面にいた。だから顔を上げると目が合う。私はしだいに目を教卓に向けた。


 野口先生は全員に、四角な枠の中に席の位置に合わせて生徒の名前を書いた表を配った。たしかに真ん中に私の名前があった。席順は五十音で、左の窓側のいちばん前から始まって後ろに進み、また次の列の最前に戻るというのを繰り返してとうとう廊下側の列のいちばん後ろが最後であった。私の前の席には品川という人が座っているらしかった。品川は背の高い女だった。しかしその品川という女であれ、聞き覚えのある名前はないように思った。他に黒川という人がいるようだが、あの秀才の黒川さんと関係するかははっきりしない。席は後ろのほうで振り向いて見る気もないから顔もよく知らなかった。秀才の黒川さんの下の名前も承知していないからこの黒川とあの黒川さんとを比較しえない。もちろん野口先生も何も言わなかった。


 副担任は来ずじまいで、野口先生があれこれ話してしまうとすぐに生徒が自己紹介する手番になった。浅井という人が第一番だった。それから阿部、天野といって飯田が喋った。いつまでも自分の番は来ないような気がしてじっとしていたが、上田の次が小野でその後は神田だから、篠崎なんてすぐに来そうだと考えを改めた。もとよりどの人も自分を簡潔にしか紹介せず、歓迎の拍手のほうがよほど時間を取っている気もした。そうやって私の番になった。別に変わったことは言わない。「篠崎唯一です。出身はどこで、中学校はどこで、部活動はまだ考えていない」ばかり言って紹介をやめた。やはり拍手された。私の後ろは島で、十数人がいて最後は矢木だった。吉田とか和田とかの名前はなかった。


 「もっと皆さんは自己表現をしていいんですよ」と野口先生は笑っていた。


 次いで教科書を受け取った。往きは校内靴だけで済んだのに帰りは随分な手土産となった。受け取ったらそのまま帰宅してよいと言うので私はそそくさと寮を目指した。他はいつまでも残っていたように思う。校舎のそばにある食事処に行くか購買部で買うかを考えたが、大きな荷物を抱えたままでいたくなかったので木橋を通って川の音を聞くと急ぎ足で帰って寮の食堂を目指した。


 荷物を部屋に置いてから行くと、食堂は昼食のラスト・オーダーの目前ではあったがまだだいぶ人がいた。予想してもいたが、胸についた学年証を見るかぎり上級生ばかりいた。私は学年ごとの学生証のデザインを思い浮かべて、盗み見た誰それの胸に光る薬指の爪ほどの学生証を見た。どうやら四年生や五年生の人がとくに多いようで少し心細い。ただその中に藤さんという五年生になる人を見つけた。この人とは歓迎会の終わりに小用に立った私が、彼女の学生証を拾ってやったという偶然的の関係がある。それで驚いたのが、藤さんも同じ中学校の出身だと判明したのだ。私は彼女が食堂の前で学生証を落としたのを見て呼び止め、渡したときにわずかばかり話した。それで出身を答えたら、藤さんははっとして、私も同じ出身なの、中学校はどこと尋ねられた。今度は中学校を答えたらさっきよりもますますはっと驚いて、私もそこなの、会ったことはないだろうけれど、すごい偶然ねと言って心底喜んでいた。聞くに母校からここに来るのは年に一人か二人で、今の二年生にはいないらしかった。さらに言えば、藤さんの代は五人来たという。篠崎さんも一人ぼっちなのね、と言って私の肩を抱いた。そのときは何だか体がこわばっていたけれど、同郷の人がいるだけでだいぶ気が楽になった。他の人はどうしていますかと尋ねたところ、専攻がばらばらで寮も別と悲劇的な顔をした。そういうこともあるのかと私は思っていた。しかしそれは五年生に限った話で、四年生になる某はこの寮にいるらしかった。名前は聞いたが忘れている。






 ここに入学するのには随分な苦労をした。試験は学校が特別に用意したものを受ける必要があったし、面接もあった。主には学力を見るらしいが、ときどき面接試験の結果が芳しくないから不合格になる人もいるらしく私はおののいていた。別段の自信も余裕もなかった。試験より二月も三月も前から準備をしても安心できなかった。先生のほうではおおかた合格できるだろうと踏んでいたようで不安の訴えは大丈夫の三文字に丸め込まれてしまった。母は私と同じように不安がっていた。父もそうだった。祖父母は学問の神を祀った神社に何度も参拝した。そのたびに一つ買って帰るから私はいくつものお守りを持っていた。学業成就のお守りの一群は家族と一緒に私を応援しているようであった。受験に際しては、前日から大いに緊張していて記憶が曖昧になっている。ただ先生に解くよう命ぜられた前年度までの問題とは若干の変化があったのを今も憶えていた。それで私は問題用紙に向かいながら当惑したのだった。その結果は言うまでもない。


先に部屋に置いてきた教科書を思い浮かべながらごぼう天蕎麦を食べた。


後は受け取った教科書に漫然と目を通すか持ってきた本を読むかしかなかった。それではじめに教科書を一冊ごと目を通していった。数学の教科書にあった初歩的な問題をいくつか暗算し、現代文の教科書にあった詩を読んだ。短歌や詩を書くだけの感性や資質はぜんたいどこから来るのだろう? 他の教科書も読んだけれどまだ私に不案内ですぐに閉じてしまった。代わりに小説の続きを読んだ。構内では漫画本でも小説でも読んでもいいことになっていた。


私は、五年間世俗とは一種の懸隔があるから、そのうちに非常識な人になりはしまいかとも思っていた。その危惧は、社交の上の作法とかよりもむしろ流行に疎くなることについてだった。そういう点で非常識になったときに、いざ世間に帰したら一体どれだけ苦労するかと今から焦燥していた。テレビはなかった。漫画本とか小説とか、あるいは雑誌が代わりにあるけれど、それで万事において世間並みになれるわけもなかった。実際は多くの先達が卒業している。歓迎会で上級生の顔をのぞいても以上のことに対する不満を抱えてはいない様子だった。それで変に恐れることもないかと一旦は気安くなった。時事は新聞を読めばどうにか行く。私は、追々に現れる芸能人の不祥事が、少なくとも当人のことを大して知りえないだろうと考えると興味の向かうところではないのだと思い直して、この危機を野口先生のように大丈夫の三文字で包んでよそにやった。もちろんこの「大丈夫」というのは「恐れなくてよい」の意味で使っている。


思い巡りが済むとまた小説を開いた。あらすじは次のようなものだ。ここに父母を亡くした兄妹がいる。しばらくは親類の手を借りながら二人で生活したが、心労のために兄は倒れる。兄は友人に助けられて、職を辞し、その人と別な家で共同生活を始める。妹は大学に進学して一人になる。概要はこんな感じだった。一部をつまびらかにすれば、兄は友人に深い愛情を抱いていた。友人は男である。もちろん兄らの生活に異論する人もいるし、干渉する者もある。けれどおおむね二人だけの生活である。一方で妹は些細な縁から隣人と懇意になる。隣人は妹に似た性格だから、類は友を呼ぶか同族嫌悪かいつまでも関係ははっきりしない。ところに父母の一周忌がやって来る。それぞれ親しくなった人から一度、離れて、兄妹は父母の埋まる墓に足をむける……第二編は以上の内容だった。第二編とまで言ったのはこれが短編を五つ集積した本だからだ。私はこの編までを読み終えた。後には三編ある。第三編の冒頭を読めば以下のようである。


「唐木川の上流から川に沿い吹く風は湾に流れた。兼蔵はその風が生きるものが放つ臭いを全部吹き払ってしまう気がして、ややもすると病床に伏せる母がそのまま命を落としてしまわないかと不安がった」


どうやら病気の母とその息子だった。風体のまったく異なる話だ。一方でどちらも父母について死を強く意識される点では似通ってもいた。長さも風体も異なる五編には作者の個人的な主義が織り交ぜられてあった。それが古い絨毯の模様のように何かを表現していた。私は意図をみずから理解したかった。あとがきにもある種の論評にも頼らずに自分で根底に通じている意識を掴みたかった。もう一度だけ第一編を流し読みしてから仮説を立てようとした。第一編は男女の恋愛を書いていた。それ以上に何かを訴える態度は見受けられない文章であった。まったく純粋な恋愛の話として受け止められた。だから私は、ここには筆者の初期の短編集である以外の具体的な関連がないという仮説を立ててみた。残りの三編を読み進めて明らかにするほかなかった。






物語では個人の感覚よりもずっとしばしば人が亡くなる。もしくは命が脅かされている。そうした描写がさまざまの技法によって、多くの場合は間接的に示される。言わずとも直截な描写もある。比喩を使わず、まざまざとその情景を表してしまうのもときとして読者に効す。ただ物語は尋常にない表現を求めることがある。小説的な表現が存在して、その表現はむしろ約束とか不文律として、書く人の脳裡に収納されている。これはもちろん死に限らずあらゆる事象について有効である。物語上にたびたび人の死が立っていて、目につきやすいから取り上げたまでのことだ。しかし私は一人こう考えている。優れた物語は死の要素を欲さない。あるいは、人の生死を描くとその物語の精度は十人並みに止まる。何も死だけが話をだめにするのではない。「多分」と私は独りごちた。それから先は抽象的なイメージだけを思い浮かべた。恋愛や性行為だって、多分、不要だ。そういう事象に頼らずただ付き合いとかやり取りを書ききった物語だけが優れているはずだ。この考えを反芻するとき、連れ立って思い浮かぶのは古典にあるいくつもの物語だった。我々は現在まで語り継がれる古典を妄信的に信奉する。そこには優れた話ばかりあると思う。しかし古典の中には恋愛と交接を描写しているものもある。そうすると私の思想に反する。私はいつもここで立ち止まった。自分で論をこさえながら、また自分で反証の品を持ち出した。そしてそれは一般に称賛されているものだから上手に切り抜けられない。別に古いから現在のどれそれよりよいということもない。技術や知識や情報の面ではむしろ新しさが求められる。では物語はどうだろう? 広く知られている古典や伝承は現在の本に打ち敗れるのだろうか? もしくは、古典や伝承が最近の書物に必ず勝ると言ってもいいか? 私は「ものによる」という曖昧な言葉に逃げようとしていた。そうしてこれが最良の回答だと信じていた。私はいくつかの古い物語を読んだ。その中ではしばしば契りが交わされた。国記にもそういう描写が盛り込まれている。私が無意識に期待していた古典の像とはまったく他の像だった。言うまでもなく純粋な説話もある。だからやはり同じ判断に行き着いて「ものによる」とまた独りごちた。何が優れているかなどは、人によるし、ものによる。


 夕の食事を寮の食堂で済ませた私は人に呼び止められた。一年生だった。


 「仲良くしときたいじゃん。談話室で話そうよ」


 「うん」とだけ返した。私は自分が本来思っていたところの優れていない物語を読みたかったけれど、仲良くしなければならないとふと思ったのでその子についていった。談話室は各階にある。私たちは二階の談話室に入った。


 「何階の人?」その人が尋ねてきた。


 「四階です」


 「クラスは?」


 「一組です」


 「私は二組」


女は長谷見といった。「何て呼んでもいいよ。優花でも長谷見さんでも」


 「あなたは?」と長谷見さんが尋ねた。


 「篠崎唯一です」


 「しのざきゆいいつちゃん、かあ。ふうん。じゃあ、ゆいちゃん、だね」


 「まあそうだね」私は軽く笑んだ。


 「じゃあさ、私はゆいちゃんって呼ぶから、ゆいちゃんも私のことゆうちゃんって呼んでよ。似てていい感じじゃん」


 「うん」


 「ほら、呼んでみて」


 「今?」


 「うん」


 私は長谷見さん以外のどこかに目を向けていた。「ん……ゆうちゃん……」


 「堂々と呼びなよ、もう一回、ほら」


 「ゆうちゃん」


 「そう」長谷見さんは素敵な笑顔を見せた。


 長谷見さんは活発に見えた。他でも一回生と思われる人を捕まえては談話室に連れていって話しているらしかった。私もその一人で、私で六人目だと長谷見さんは話した。彼女は北のほうから来たようだった。


 「天気予報とかで見るかぎりさ、こっちはいつも暖かいかなあって思ってたけどそうでもないね」


 「降るときは冬に雪も降るしね」


 「積もる?」


 「全然。積もってもすぐに溶ける」


 「だよね。私のところはさ、ほらテレビで見るでしょ? 何メートルも積もって、晴れたら道路びしょびしょで、みたいな」


 「うん」


 「あんな感じだよ」


 「雪かきしたことあるの?」


 「そらもうあるよ」長谷見さんは何を思い出したか苦い顔をした。それから遠くを見た。「朝早く起きて、屋根の上とかすごいからお父さんとかと雪かきして。庭なんてなくなったりするよ」


 「雪で埋まっちゃうの?」


 「そう。犬なんて庭駆け回らないから。ずっと暖房きかせた部屋で寝てる」


 二人で大笑いした。


 「ゆいちゃんはさ」とひとしきり笑ってから長谷見さんが口を開いた。「部活入ろうとか考えてる?」


 「あんまり。見学は行こうかなとは思ってる」


 「それなら私も一緒に行っていい?」


 「うん。全然」


 「よし」


しばらく間を置いてから長谷見さんはまた話し始めた。「委員会とか私は考えてるんだよね。ほらあったじゃん。何だっけ、カンゼントウバツみたいな名前の」


「カンゼンチョウアク?」


「そうそれ。なんかかっこいいよね」


「大変そうだけどね」


「まあね。でもかっこいいじゃん。漫画である風紀委員みたいで」


私はひとまず承服した。たしかにあのときの勧善懲悪委員会の姿は印象に残っている。長谷見さんとは委員会に入る意が後にまだ残っていたら本当にその役を買って出ようと決めた。


帰り際、長谷見さんは部屋番号を教えてくれた。私も教えた。長谷見さんは暇になったら部屋を訪ねるかもしれないと私に断った。「うん」とだけ言っておいた。時間はばたばたと過ぎた。


部屋に戻ったときもその目まぐるしさというか、長谷見さんが持っているはずの時間配分の仕方の感覚みたいなものが私の身体にまだあった。談笑のうちに慣れた彼女の流れとふだんの時間の流れはまったく違った。向こうはいくらか速かった。私の生活はだいぶゆっくりだった。けれどその速さに食らいつけないわけでもなく、私はじきに慣れて随分親しくできたと思う。シャワーを浴びたら読書する気もなくなってベランダに出て風に当たっていた。自分はさっきまでの小説の議題を下ろしていた。風を受けて落ち着いた後も長谷見さんとの予定を考えた。それを忘れているのにも気づかなくて、寝る前に何の気なしに本を開いたときにようやく思い出した。それだけ彼女は鮮やかな印象を与える人だった。そうして私はすでに、そういう彼女を気に入っていた。彼女を評価できるほどの関係には至っていないにせよ、私はもう長谷見さんとだいぶ懇意になったように感じた。それは明日の予定が裏付けているとも考えた。もちろん一人では気乗りしないから、連れ立って見学に行く心情は私によく理解できた。それに、相談を重ねてから決定するほうがずっと満足のいく決断をすると容易に予見できた。しかし他方、今日初めて話した相手と出かける彼女をいぶかしんでもいた。少なくとも私のやれる業ではなかった。長谷見さんの持つ交際観が私のものとは異なるようだった。私はいつまでもこちらから仕掛けない性質のある人間であるから、長谷見さんの積極な態度はかなり新鮮に見えた。多くの人はこのくらい楽に生きているかもしれないとも推量した。三島さんは長谷見さんと同じように動くだろう。広田さんとか黒川さんは、まだ十分な付き合いもないけれど、きっと私に似た交際のやり方を貫徹して現在まであるのに違いない。それで今度の長谷見さんは、急に打ち立てられた、一緒に見学する算段を根拠にすれば、やはり積極な人なのだ。私の生活の途上にはこういう質の人はなかった。類似する人間とばかり交わるようになるから当たり前かもしれないし、考えれば私は十五年しか生きていないから、まだ知り合っていなくてもおかしくないだろう。そう片づけた。


それにまた、私は勝手に彼女の声を好いてもいた。他の人よりも断然と聞き入りやすかった。彼女の話に耳を傾けるのは少しも苦にならなかった。そのためますます惹かれているのかも分からない。






早くから出る必要はなかった。食堂で長谷見さんと朝食を食べた後、いつ買ったのか彼女が持っているビスケットを二人で食べた。相手の素性を知ることが今の会話の第一義であるから、自然と、質問と返答が繰り返された。それでも長谷見さんの語りがところによって盛り込まれ、話はいつまでもにぎやかに続いていた。そうして昼食の準備のために食堂がしばらく閉まるころ、そのまま部活動棟の方角に向かった。


長谷見さんはすでにいくつか候補を持っているらしく、見て回る部活動を五つだけ定めていた。私はそんな準備をしていないからついていく考えでいた。しかし長谷見さんが列挙したのは、大概がスポーツの系統で、日ごろよりどことなく運動に疎外されていると心得ている私はにわかに足踏みした。散歩は構わないが、それ以上の要求は免じてほしかった。それで私は長谷見さんに自分の実際を打ち明けた。すると意外と簡単に、二手に分かれるようなことを彼女は言った。彼女もまた室内に落ち着く部活動を敬遠していた。そうして部活動についての所感がきれいに遊離した私たちは、それぞれが好きなところを見学して夕に落ち合うように予定を組み替えた。昨日は部活動の話を掘り下げないでいながら、互いが自分と似た趣向を持ち合わせていると相手の態度を見て勝手に解釈していたので、今日になって起こった衝突に驚いた。けれどその衝突は案外の柔軟さのおかげで大事故を免れた。私はこの予定変更を暗に一大事と思って一瞬、どきどきした。


校舎の前を過ぎて、体育館も越えてしばらくするとあの大通りに出る。大通りをまたいで対岸が部活動のエリアだった。私たちはそちら側に渡ってからすぐに別れた。長谷見さんは「五時に、また」とだけ言い残してさっさと行ってしまった。定まった案もない私はひとまず文化系部活動の部室がある建物に向かった。日差しは柔らかく鬱陶しさがなかった。日陰だけは寒かったが、雲に遮られず地に落ちる日光が建物までの坂道を照らしていた。建物の中はずっと暗かった。そうして静かだった。遠くのざわめきとか、大通りの車の音とか、あるいはそこのグラウンドで活発に動く人の声とかばかりがぼんやり聞こえて、この校舎的というよりは集合住宅みたいな建物からは囁き声も何も聞こえなかった。土足でコンクリートの床に砂利の擦れる音をさせて歩いていると、上階に行く階段のそばに郵便受けを発見した。雑に郵便物が押し込められた受け口もあったが、おおかたはきれいだった。そこには部活動の名前が書いてあった。学校から公認されているものばかりだろう。文芸部とか物理学同好会とか映画研究部とか、聞きなれたような名前が並んでいた。何だか要領を得ない名前もある。アルファベットの略称や、かすれて読めない手書きの字はそれぞれ私に意味をなさなかった。私は建物の外見と郵便受けを思い並べて、あるいは寮と同じみたいになっているかもしれないと思った。一般の住宅のような形式で部屋がそれぞれあって、訪問するには扉を叩くなりインターホンを使うなりしないといけないとしたら、あまり意気込みも用もなく尋ねるのは失礼にならないかとその場でぐずぐずしていた。人の往来はいくらかあった。けれど大部分は一人でいた。私はそのうちに、通り過ぎる一年生らしい人は皆が革靴を履いているのに気付いた。ここでいつまでも突っ立っている私は一人スニーカーだった。しかもそれは新調されない泥汚れのついたスニーカーだったからなお恥ずかしく思った。一年生の多くは艶のある革靴を履いていた。きっと直前に調達したのだ。私はそこに頓着せず今あるものをそのまま持ち込んだ。別に校則に背いているわけではない。スニーカーでも革靴でも、もしかすると下駄でもよかった。ただ私は自分が少数派であることが気にかかった。往来を行くと上級生のうちにはスニーカーを履く人が幾人も見受けられたが、同級の人たちは示し合わせたように新品の革靴で歩いていた。私はこのまったく静かな空間で一人はらはらしていた。自分の無頓着のせいで今ここに必要のない懸念が脳裡に回転していた。


そこにある部活動の名前を読んでも興味は向かなかった。それぞれに向かう気持ちは実際のところ虚だった。強いて見学するなら文芸部だが、読書はしても批評や創作はする気がなかった。とはいえ全然と新しい分野に進む勇気も湧かなかった。ただ字面を見てそれで見学を済ませてしまってもよかった。ただ時間が大いに余るだけだった。歴史研究会や音楽鑑賞部もあったけれど、特別な気持ちもないからわざわざ入部しても名簿に名前があるだけの人になりそうで、それだけはしたくなかった。現在までに手を出している領域について拡大するのがもっとも面白いだろうが、その案を採るとやはり文芸部が残った。それ以外はあっさり切り捨てられた。いつまでも逡巡したけれど私は見学の大義を果たすために文芸部の部室を訪ねる意を決した。正午はまだしばらく先だった。


 部屋は最上階の端にあった。通路はさっき通った坂の方角に面していてうまく日が入った。中の様子を窺えば人がいるようで何だか話し声が聞こえた。その声が自分を誘っている気もして、私はその時だけはためらいなく扉を軽く叩いてからわずかに開けて隙間に首を突っ込んだ。中にいた人は一時に私を見た。


 「見学で……」


 私は室内を見回しながら以上のように簡単に言った。すると知っている顔があったから「あっ」と何だかわざとらしい声を出してしまった。そこに黒川さんがいた。秀才の黒川さんである。私はこの一瞬間で、眼前の黒川さんに密かに秀才と評価した自分を恥じた。人を評するときに知識量や要領のよさを称えるのを個人として努めて避けていたからである。それにこの三年生の黒川さんを秀才と言うとき、図らずとも彼女以外の黒川さんの知性を否定しているようで嫌だった。そういう理由で私は陰で内省しながら表面ではまったく冷静にしていた。目の前にいる黒川さんは黙っていた。


 「見学?」と奥の人が立った。私はその人に手招きに誘われるままその人の横に座った。黒川さんと対面する形になった。彼女は机の上に積んだ本をこだわりなく眺めていて私を見ないので、私のほうでは勝手に彼女の顔を盗み見た。今は真横にいる眼鏡の人が部長と見えて一人で話しかけてきた。


 「中学のときは部活入っていた?」


 「いえ何も」


 「じゃあ創作は? 小説書いたりとか」


 「何もしたことないです」


 「読みはするんだね?」


 「はい」


 私は常に簡単に答えようとしているから、ややもすると冷淡だった、淡白だった。そうしてそれを意に介さず部長らしい人はまだ話した。部長というのは単に始終喋っていたからそう判断しただけで私は実際を知らない。


 「今は、何読んでる?」


 「石川上一郎の『知らない町』です」


 「へえ石川上一郎」とその人は感嘆の声を出した。「朝美さん、知ってます?」


 黒川さんが顔を上げた。なるほど彼女は黒川朝美というらしい。黒川さんは「名前だけは……」と言ってやおら携帯電話を取り出した。調べてくれたか、石川上一郎の紹介をした。部長のような人はそれでも見当がつかないみたいで「ふうん」と言ってそれより先に話をつなげなかった。黒川さんは「映画化した作品があるみたい。『火の川』っていうやつ」と情報を追加したが、それより石川の話が広がることもなかった。


 「好きなの、石川上一郎が?」


 「そうですね」


 「私は夜明ミサが好きかな。ホラー小説だけど、読んだりしない?」


 「ホラーはあまり……」


 「ふうん」


 「石川上一郎を調べるかぎりたぶん純文学みたいなのが好きなんじゃないの、篠崎さん」と黒川さんが間延びした会話に入ってきた。私はそれより黒川さんが自分の名前を憶えているほうに気が向いた。


 「そうですね」とだけ返した。間もなくその人が「知り合いですか?」とどちらにともなく尋ねるのを黒川さんは「寮が同じで」と返した。部長らしきこの人は黒川さんへの態度から二年生に見えた。


 「篠崎さん?」とその人は言った。


 「はい。篠崎です」


 「篠崎、何さん?」


 「唯一です」


 「え?」


 「しのざき、ゆいいつ、です」


 「本名?」


 「はい」


 「ふうん」とその人は言って締めた。


 わずかな間の後でその人は「私が部長の沖です。よろしく」と挨拶した。私もまたそれに一礼した。


 沖さんはやはり部長で二年生であった。また黒川さんは去年の部長らしかった。他にも沖さんは文芸部の説明をしてくれた。年に四回、作品を冊子にまとめて公表し、次にそうするのは文化祭のときだそうだ。それまでに何か書けたら持ってきてもいいし二週に一回は部会を開くから来ればそこで教えもすると沖さんは案内の冊子をくれた。そこには表記についての細かい規則や一年間の日程が書いてあった。そのとき私はページの上に目を滑らしただけで、もう昼時になったと言う二人に昼食へ連れて行かれた。実際もう正午を過ぎていたが、入部の手続きを済ませたような気になってしまっていた。連れていかれた中華料理屋では黒川さんと始終話していた。沖さんは黙って食べていた。


 「篠崎さんは何組になった?」と黒川さんが問うた。


 「一組です」


 「あれ、じゃあ黒川彩って子いない?」


 「いたと思います」私はクラスの誰の顔も記憶していなかった。


 「私の妹だよ」


 「あっそうなんですか」


 「うん。よろしくね」


 「はい」


 後も食べながら出身とか将来とか趣味とかあちこちに話題を変えて話した。私は黒川さんの質問に実直に答えた。時折り付け加えの話をしてみた。黒川さんはそのたび「うん」や「へえ」と返事してくれた。そしてそこには興味の色があった。本当に面白がっているような声を出した。私はそうやって自分に目を向ける黒川さんの向こうに、何も口を挟まず目を向けもしない沖部長の全身が見え隠れしているのを気まずく思った。部室では何か話してくれた彼女が一転して押し黙っていた。黒川さんのほうではそれに少しも取り合わなかった。さらさらとスープを飲みながら私にばかり話しかけた。


 「篠崎さん学校の中は歩いたりした?」


 「少しは歩きましたけど全貌が見えませんね」


 「そりゃあそうだよ」黒川さんは笑った。「広いからね」


 「きっと一度も通らないままの道とかあるんでしょうね」


 「あるだろうね。施設なんかはとくにそうなりそう」


 「でももし四年制の大学までできたらもう少し制覇しやすそうですね」


 「たしかにそうかも」


 この話はそれ以上には広がらなかった。私は噂について黒川さんに聞くつもりもそのときはなかったので話を打ち止めた。一つひとつの話題は上にあるように数口の間に切り上げられた。やはり沖さんは静かだった。


 私はそれで二人と別れた。沖さんは自分の分だけ払って、黒川さんが私の分まで代金を肩代わりしてくれた。私はその料理屋の前で深々と礼をしてから彼女たちの背を見送った。もう一遍部活棟に引き返すか決めかねるそぞろ歩きの途上で黒川さんの呼び方を悩んだ。姉の朝美さんのことは黒川さんとそのまま呼ぶだろうけれど、同じようにその妹の彩さんを級友としてどう呼ぶべきか分からなかった。第一には、やはり黒川さんと呼ぶやり方が浮かんだ。けれど自分のうちに限っては姉妹の両方を同じに呼んで混乱するかもしれなかった。第二に妹は彩さんと呼んで、姉のほうは従来の通りにするやり方だった。しかし親しくもないうちから彩さんと呼んでしまってよいかためらった。私は長谷見さんのように積極的でなかった。そのために最初から名字で呼ばない方法を採るのは気が引けた。長谷見さんに対しては、そう呼べと言われたから将来もゆうちゃんと呼びかけるだろうが、今度はそうも行かなかった。また第三案より後は思い浮かばず、二択をいつまでも選びかねていた。


 部活動のエリアに戻るまで分岐上に身を置いていた。私はさっきの建物の入り口にあるベンチで日に当たってまだ悩んだ。しかし第一案が妥当と言うより他はなかった。結局はそのようにした。


 するとまた暇になった。けれど見学したい部活動もないから困った。文芸部の見学でもうしばらく時間を潰せる見積もりは大きくはずれてしまった。長谷見さんと落ち合うのはまだ先だったし、連絡する手段もないから勝手に帰ることもできなかった。ここにぽっかりと空いた時間を何かで埋めてしまわねばならなかった。けれども私はいまだ急な暇の対処を心得ていなかった。だから唐突に持ち上がった問題の前でじっとしていた。時間は鈍く進んだ。それだけ退屈でもあった。もらった案内の冊子はめくっても読む気になれなかった。それがよくないのかもしれない。私はせっかくの手段を自分の気持ち一つで見送ろうとしていた。そうしてその代わりにじっと静止した。ただ空を見た。上空は風の流れが速いのか雲が遠くの山に波のごとく押し寄せていた。波と違って雲は帰らず、山を越えてしまった。鳥は強風に阻まれて空の同じところを飛び回っていた。たまに高い声調で鳴いた。その鳥が何か私には分からないからただ鳥だと思って眺めていた。鳥は綱のような雲が延々と山向こうに引っ張られる空にいる。私はさらにその下で歩き回りもせずにいる。ただ雲だけは自然に従って無心に流れた。私は一人で無風の中にいた。どこへも流れられないうちに自然と空想に向かった。夏に刷られる文芸部の部誌にいかな小説を試みに出すか考えた。このとき私はすでに入部しているように思っていて、明日もここの四階にある部室に顔を出すかとすら考えた。そうあっても本式に小説を書くのは、目下の課題だった。部に身を置く気になったからには活動に参加しておかないと不義理になる。不義理は回避すべきであると私は理解していた。不義理のまま通しておいて放埓にするのは他者からの疎外をもたらす悪徳であると承知した。それは実が縮小して虚ばかり肥大した忌むべき悪徳だった。一人格の中に芽生えては、その人はがらんどうになってしまうと恐れた。そういう危惧を和らげるためには、すでに挨拶を済ませたようなあそこで精々と執筆してみるしかなかった。それは別に本意に背く義理でもなかったし、個人の中には義理とは名付けられていなかった。まさしく本意として登録されてあった。一応の不義理の回避ではあるが、一方で純粋な意欲も持ち合わせている。私はこの誰に打ち明けるでもない複雑を咀嚼して、自分のうちに弁明した。部にいながら執筆しないのは不義理であって避ける必要があるが、かといって避けることを目的に物語を書くばかりでもないとなぜだかみずからに言い聞かせた。けれど実際がそうだった。そうしてそんな弁解の後に、直接に関わる空想を始めた。それは今までに読んだ物語を思い返す回想の性格も持っていた。その同時性は、以前に読んだものの類似の物語ばかり提案した。私はそれでよいとは承服できなかった。すべては何かの模倣だった。そして模倣であることは私に許しがたかった。けれど模倣という形式でいくつか思い浮かんだ。一度思いつくと、そのうちには冒頭を脳裡に書きだせるものもあった。急に文字に表したくもなった。今ここではそれも叶わないから、私は大事に抱え込みながら続きを考えた。


 ところへ長谷見さんが来た。もう見終わったと笑っていた。私も笑い返した。


 「最初に見学したのが気にいって、もうそれにしようと思う」


 「何部?」


 「ソフトボール」


 「おお、何かかっこいい」


 「そう?」長谷見さんはまた笑んだ。「ゆいちゃんは? 何かいいのあった?」


 「うん。文芸部にしようかなと思って」


 「文芸部?」


 「えっと、小説書いたりするみたい」


 「すごいじゃん。できたら読ませてくれる?」


 「全然。いつできるか分からないけど」


 そのまますぐに帰途に就いた。早道とも近道ともなく、順当に道を進んだ。長谷見さんが選んだのはソフトボール部でも、気楽にやるチームらしかった。多くの運動部にはそうした住み分けがあって、大会出場や優勝を目指すチームであれ、あるいは純粋な運動を楽しむチームであれ、人気があった。長谷見さんは自分の求めるまま体を動かしたいが熱意を持って打ち込むほどでもないようだった。その意思は尊重されるべきだし、実際そうした分類はこの結実にほかならなかった。文芸部にもあるかもしれない、と私は沖部長の顔を思い浮かべた。別に大した意味はない。


 道すがら歓談したばかりで長谷見さんとは寮の階段で別れた。彼女は二階に住んでいた。私は四階だった。それに挨拶も随分とあっさりしていた。「じゃあまた」と言って手をひらひらしただけだったから私は何かしら抱いていた期待に沿わない彼女の態度に拍子抜けした。失望したわけではない。もうしばらく話し込むかと身構えていた気勢を削がれて所在なくなっただけである。その代わりに姉の黒川さんに会った。夕に食堂の麻婆豆腐を食べた帰りの廊下で、黒川さんは私を「篠崎さん」と呼んだ。はいと振り返ると彼女に小冊子を渡された。以前に作った部誌の余りだった。


 「どうせならどんな感じか分かったほうがいいかと思ってね。あげる」


 「わざわざありがとうございます」と私は慇懃に頭を下げてしまった。黒川さんはなぜだかにこにこしていた。


 部屋で私は小冊子を開いた。掌編ばかり七編あった。その中には沖部長の名前も、黒川さんの名前もあった。沖さんの名は那美子といった。それで私は彼女のことをことごとく知った気になった。話はどれも面白かった。それぞれ間の取り方も雰囲気も異なっていた。沖さんの話は思いのほか恋愛に傾いていたので勝手に驚いた。他方、黒川さんの話はどこまでも静かながら影があった。夕方の雑木林ほどに光から離れていた。生きる者の匂いが立ちこめてもいた。そこにただ一人だけ出てきている女はひたすら空しかった、しかし血肉の通う人間であった。生の感覚を求めれば生臭い嫌な現実感がある。そこを脱却すると突き放されたようで空虚になる。どちらかに極まれば他方の入り込む間隙はなくただくどい。黒川さんはその調節を、掌編のうちに上手にやりきっていた。そこには私が排したがっている性の断片すら混じっている。けれどその臭みのない清冽さもあった。あの人は何か重要な技を心得ているらしかった。そうして使いこなしてもいた。そうするのは簡単ではないだろう。すると私は将来のここに自分の名が載るとは思われなくなった。沖さんの話を読んで勝手に比肩できる感を抱きながら、さらには黒川さんの話を読んでひれ伏しもした。勝手に圧倒された。彼女が私に手渡したのは、一種の圧力とも解釈した。全部が勝手だった。勝手にやって勝手に考えた。そこには正解とか不正解とかの分かりやすい区別はなかった。ただ交じり合っていた。そして恐ろしくもあった。私は勝手に恐れおののいていた。


 私は外に出た。外泊許可など取っていないから三十分くらいの散歩で済ますつもりだった。管理人の老婆にもそう釘を刺された。日が落ちるとあたりは急に冷えた。どういうわけか鶏の声が聞こえたが、澄んだ空気の中では闇から鋭く聞こえ、また闇に消えた。校舎へ向かう道を彷徨していると、両側の塀や外灯のために住宅街にいるように錯覚した。いや、自分は今、住宅街の細道を何ともなく歩いている。私は思い直した。学校全体が一つの町として機能しているようなここでは、すべてが行政区の模倣としてある。生徒会執行部や教員らの合議体による為政、校則による法統治が、警備会社による治安維持のもとに行われていると誰かがどこかで言った。それは上級生の全員が首肯する事実であった。何であれ町として存在するここに、外灯も照らさぬ闇から来て私の肌をわずか刺し、またただ耳元でひょうひょう音を立てるだけで背後の闇へと消えていってしまう冷気がしだいに水気を含み熱を持ち始める。すでに春だった。もうしばらくは快い暖かさが続くはずだった。一方で夜気はいつまでも冷たかった。そんな夜気がいつか蒸した熱さをはらむころに夏が来る。同時に夏は次の部誌を作る時期でもあった。そうして私は冷たい風に熱を奪われながら、いったい自分は何を書き何を伝えたいのか考えた。それは簡単な問いとは言えなかったし、実際に答えられもしなかった。黒川さんは、あるいは沖さんは何を思いながら物語を作るのだろう? 私は黒川さんの作品自体からうかがえる、彼女の物語に対する態度とか思想の基礎を掴みたかった。そして素人である自分の将来の物語に、そうした思想を盛り込みたかった。このときには私の心のうちに模倣を忌避する気持ちはあまりなかった。すべてはそれ以前の何かを模倣しているし、まったく新しいものは現在ある物象のうち、いくらもないはずである。もちろん始原なしには模倣しえない。わずかある斬新によって、数多くの二次的な制作物が現れ、さらに三次的、四次的な作品が展開するのが一般であろう。私は自分の未来の制作物が何番目の模造品であるか判じえなかった。黒川さんの掌編ですら、別の物語に似せられているかもしれなかった。しかし彼女の掌編は私には優れて見えた。優れた模造品であればいいかも分からない。私の散歩は思索によって大部分が構成されていた。


 明くる日は健康診断が午後まであった。そのために校舎の横にある体育館まで歩いた。天気はだいたい同じで、雲がありながらも晴れていた。そのせいで体育館の中は蒸していた。診断の結果は言うほどのものでもなかった。身長が少しばかり伸びただけで全体での急激な変化はなかった。私の身体はおおむね健康らしかった。肉少ないこの体のうちではすべてが順調に進んでいるようだった。心臓は変わらず脈を打っているし、痛む箇所もない。同時に歯も診てもらったが、歯石がいくらかあるだけできれいだと言われた。虫歯が現在まで一つもないのが誇りだった。他の項目についても似通っていた。視力も変わりないし、体重は増えてもいないし減ってもいなかった。三センチ・メートルの伸長を除いては、私の体はほとんど同じ状態でここにあった。


 検査の途中に三島さんに会った。広田さんとはまた同じクラスになったと笑っていた。彼女はこれから体重を測りに行くところだった。


 「ゆいちゃんはどうだった?」


 「全然。何も変わりなくて」


 「それがいちばんいいやろうけどね」


 「あ、でも背は伸びました」


 「よかったじゃん」


 そうして三島さんは行ってしまった。広田さんはどこにいたのか分からない。


 同じクラスの人たちより、同じ寮の人たちと懇意にしていることに私は今さらながら気づいた。それは検診の後に長谷見さんと出かけたことでなおさら意識された。私は帰り際、以前に通った木橋をまた通って帰ろうと思っていたところで長谷見さんに呼び止められた。私たちはちょうど、体育館の裏手にある四辻に立っていた。


 「どこ行くの?」と長谷見さんに尋ねられた。


 「向こうから寮まで廻っていこうかと思って」


 「じゃあ、一緒に帰ろう」


 「うん」


 歩きながら、さっきと似たような話をした。長谷見さんは私よりずっとさまざまに変化があったらしいが、虫歯がないことだけは同じだった。「背が伸びて体重そのままなら、逆に体重減ったようなものじゃない?」と彼女は言った。私は何だか感心していた。


 体育館の裏手から東に進むと、前に一人で通った木橋のある道に出る。そこからその道を南に行けば寮に着いた。私たちは橋より二町ほど前のところに出た。「ここから一直線に進めば寮だよ」と私が言うと長谷見さんは「へえ」などと感嘆していた。橋にはすぐ着いた。二人はそこで一時、立ち止まって話した。「ここから向こうに流れるならさ」と長谷見さんは欄干によりかかって下流を見た。「学校の近くに川あってもおかしくなさそうだけどね。あったっけ?」「どうだろう」と私は言った。そうしてしばらく間を置いてから、上流の公園との位置合いを伝えた。川は何度も蛇行していて、建物の間に隠れていると実際を知れないかもしれなかった。長谷見さんは「ああ」と納得したか否か分からない返事をした。私にも分からない話を分からないままに話したから、大体すら霧中にあった。


 「地図、もらったよね?」長谷見さんは振り向いて私の目を見た。


 「もらったね」


 「書いてるかも。帰ろう」


 その後は寄り道なしにさっさと帰った。


 私は長谷見さんの部屋に行った。二人で地図を見て川の流れ方を調べる奇妙な時間を設けることとなった。けれど長谷見さんは一人で真剣だった。その地図は、私も以前携えていた地図であるから、見覚えはあった。そのときに川の形も見たように思うが、結局わずかにも記憶していなかった。川は東側の敷地外にある山から公園や図書館の裏まで進んで北上した後、東西の大通りに沿って今度は西に向かい、すぐにまた南下してそこから蛇行した。校舎はこの蛇行上にあるように書いてあるが、どうやら暗渠になっているようだ。木橋の手前で大きく東に向かうと、また折れて西に流れは進む。そこからは敷地を抜けるまではまっすぐ流れた。「そういえば横の通りって結構な坂だったね」と長谷見さんは言った。そうかもしれない、と私は曖昧になった記憶を鮮明に戻そうとした。結局何だか分からないまま自分の部屋に戻った。


 自分の部屋で、私はまた地図を開いた。大体を言えば、敷地の右下が校舎と寮のある地域であり、右上が部活動の地域だった。そうしてその左横に娯楽施設や売店があって、東西の大通りを挟んで南側は学校の本部とか教員の寮があった。教員は皆ここにいるのか、そんなことはこれから知ることだった。北西のエリアに限らず、大通りに沿っていくつも店があるようだったが、私にいまだ理解できない学校の全体は、まだぼんやりしていた。


 授業が始まるまでの数日を、私は気楽に過ごした。文芸部の部室に顔を出して、そのときそこにいた人と努めて交わりもしたが、いつも沖さんと黒川さんがいたから気苦労もなかった。私は主に黒川さんを中継しながら他の部員と知り合った。相手は同級の者もいたし、上級生もいた。同じクラスの人も二人いて、そのうちの一人は黒川彩さんだった。授業が始まるまでのうちで彩さんが来たのは、私が知るかぎり一回だけだったが、姉の朝美さんと随分親しげに話していたからやはり姉妹なのだと感じ入っていた。彩さんはここに入学する前からすでに物語を書いていたようで、ある人には期待の新人と目されていた。実際に彼女の書いたものを読む機会はなかったが、姉の黒川さんのほうでも妹の作品を全然と期待してよいように扱っていたから、私は密かに気になっていた。しかし以前から創作の趣味がある人は、会ったうちでは彩さんくらいで、皆一様に作るのは不得手であるようだった。そうして皆が試みとして新たに創作を始めるようだった。皆はまた悩んでもいた。いざとなると一文字とも進まずにまんじりとしてしまうと口々に語った。各々が深刻な顔をしていた。姉の黒川さんは「まあそのうち思いつくし、なんなら一ページに収まるような短編でも小説だよ」と励ましていたが、後で同級の新人たちで固まって立ち話をしたときには、ほとんどがそういう短編すら書ききれずにいると困っていた。実際に物語を完結まで書ける人はそういないのかもしれなかった。すると自分のうちに抱え込んでいる物語の冒頭をどう書き出していこうかいまだ懊悩している私の姿は意外と散見されるごく一般な人影に変貌していった。むしろ黒川さんの面影が特殊になった。彼女の影には別な色がついているとすら思った。そしてその立ち話は黒川姉妹の二人に対する羨望とか嫉妬とかを織り交ぜて、ちょっと異様になった。単純な共感が人格の批判にまで及んで、ある種の罵りのような気配すらあった。ここに及んで私はその話し合いから疎外された。一方で私は助かった気でもいた。このようにして伍するうちに、むしろ創作に疎外されることを恐れ始めたからである。批判に向かえば創作から離れる、創作に向かえば批判に取り合っていられない。私は積極的に批判から疎外されようとした。というよりはみずから批判を疎外した。そして創作を受容した。私は適当な理由を言って途中に別れ、校舎の横を歩いて帰るはずの彼女らを避けて木橋のある道を急いだ。






 授業はそうした秘密裡的の疎外の後で始まった。多くの授業は中学課程以前の延長だったし、少なくとも興味のない分野はなかった。私はすべての科目をそれなりに好んだ。体育もその第一義に楽しむことが据えられているためか存外に楽な心持でいられた。私はそういうとき、妹の黒川彩さんとよく話した。彼女も姉とだいたい似た気性の人だった。話始めに短くまとめられた言葉はいろいろの表現で拡大され、またそこから別の話題へ飛散した。そこには分かりやすい連関とか一貫したテーマのような表題が見受けられた。あるいは、彼女はその中にユーモアを交えた。そうして私に新しい知識を与えた。彩さんもまたある種の方向に詳しい人であった。姉が文学を一時期愛していたように、妹は音楽を愛していた。私の知らない何人かの名を教えてくれた。そうしてまた妹の黒川さんは私と同じで運動をどことなく遠ざけていた。


 長谷見さんとは体育の合同授業のときに会った。それ以外では寮の中ですれ違った。彼女の気立ての良さはクラスの人たちによく知れているようで、長谷見さんは多くの人と話していた。けれど私に気づくと遠くからでも合図してくれることもあった。それがうれしかった。時機が合えば寮まで一緒に歩きもした。彼女が話題を持ち出して、私はそれについて二、三のことを話した。その中で長谷見さんもまた何か意見を言った。話題を変えながらそうした応酬をしていると自然と寮の前に着いた。そうしてまた三階に向かう階段の前で別れた。やはり淡白な別れ方であった。


 長谷見さんは、二人で部活動見学に行ったあの日以来、ほぼ毎日のようにソフトボールに興じていると言った。大会に出場する意識がないだけ気負いもしないのかもしれないが、やけに活発にやっていた。私も文芸部の部室に行ってはいたが、二時間も滞在すればすぐに帰るくらいの気勢であるし、会話せずに読書している時間もあった。上級生のやり口をまねしただけとはいえあまりにも受容的な態度で臨んでいる。それとは比較できないほどに長谷見さんの活動ぶりは精力的でよい。準備運動や基礎練習をやった後で九回までの延長なしの試合を日に一度か二度やるという長谷見さんの説明を聞いた。体育の授業ほどに楽な気持ちで試合ができるが、一応の試合であるから皆真剣に闘う。二チーム作れるくらいの人数はいるから、構成を変えながら週に五日くらいはゲームをするようだ。部活動用のグラウンドはプロ野球の試合が同時に六つやれるくらい広く他の部活動を気にする必要なしに好きにできた。それに許可が取れたら体育用グラウンドも使えた。代わりに運動部の部室のある棟はもちろん東西の大通りを越えた北側にあり、部員は道具を片付けて持っていかなければならなかった。長谷見さんもその苦労を体験したらしい。「でも、二時間ちょっとのために部活棟まで歩くゆいちゃんも熱心だよね」と彼女は指摘した。たしかにそうかもしれないと私は一人核心を突かれた気になっていた。けれど実際そうである。長谷見さんは真っ当に勘づいていた。見学した日以来、授業が始まった現在まで、私は部室に毎日通っていた。加えてそのたびに顔を合わせたのは姉の黒川さんと沖さんばかりで、一年生であれ上級生であれ毎日部室にいるのはそれ以外にはいなかった。妹の黒川さんは一日置きくらいに来るだけだった。苦慮する新人たちはまったく来ない。私は何ともなく通っていた。ある会話の中で長谷見さんはそれを「寂し」さから来る行動だと言った。家族と暮らしていた以前までの生活から転回した現状は、あるいは十五歳の私には受け入れがたいだろう。というのは、私はこのときまで長谷見さんの言う「寂し」さを感じていなかったからである。「寂しいからじゃない?」と彼女はこだわりなく言った。私はその簡単な字句を容易には了解できなかった。時間を要した。「寂しいから」部室に通うという因果を一遍では理解できずしばらくその言葉は脳裡に空転した。長谷見さんのほうでも手ごたえがなかったかあれこれに言い換えて説明した。急に家族から離れたからホームシックになっている、先輩たちに囲まれてある種の姉妹関係を見出している、そんなことを言った。そうかもしれない、と私は思った。だが心底からは賛同しなかった。私はどこかでこの意見を疑った。別に疑ってもいいし了解できなくてもいいだろう。しかしただ納得できないというよりは、むしろ実際的な意味を持たないまま納得し終える前に私の表面を滑って行ってしまったから、その結局として納得(、、)できなく(、、、、)なって(、、、)いる(、、)と表現したほうが適切に感じた。私はこの発言に対して正常に頭を働かせられなくなっていた。もしくは(長谷見さん自体は以下のことは口にしなかったけれど)、私がまだ「一人になった」感覚をうまく掴めていないだけかもしれない。私たちは時折り木橋の上でそんな話をした。私はこうした一連の相談はややもすると屁理屈とか詭弁とかでしかないと陰で危惧していた。そしてそれらは無駄かもしれないと恐れた。すべてに結論を出さず、いつまでも「かもしれない」で通している。私は逃げているのかもしれない(、、、、、、)。


 ところで、物語は第一文を思いつき、授業が始まってから書き進めた。事をどう運び、どこに向かうかは一切決めていなかった。この先どうなるかは少しだって分からなかったし、分かりえなかった。そこにいる人物がそれぞれいかに行動し、いかに考えるかを私はひたすら追って書き表した。だから事の細部が明瞭になるほど、曖昧だった構成をも無視して人物たちは放埓に動いた。現実的な秩序はあっても私の期待の裏をかいて話が進むから、場合によると私は自分で書いているはずの物語に驚愕した。途中経過も結末もまったく見当がつかないので霧の中を歩く思いでいた。私は寮に帰ってから、課題を済ませた後で机に向かった。尋常では廊下は静かだった。そうしてその静けさの中で、無心に鉛筆を動かす音が窓越しに届く雨音のように聞こえた。私は夢中で書き進めた。






 授業が始まった日から三日くらい経って委員会への振り分けがあった。クラスのうち多半はクラスごとの係に属し、それ以外の少数が委員会に属した。どちらも決して楽な仕事ではなかった。それぞれは十分に責任を持って担われるべき役であり、学校生活をより快適に過ごすために必要であった。けれどそこには忙しさや仕事の量などの差が避けがたく存在し、それによって人気に多少の差があるのは仕方なかった。とりわけ活動時間の長い部活動に所属する人はそうした面で楽な役職を希望し、また学生間とか教師とかの配慮で比較的優先されてその役に就くことができた。不公平とも言えないしまた公平とも言えない不文律のような示し合わせが、すでに学生のうちに偶然的に知れ渡っている不思議を私は一人で考えた。暗黙のうちにいつのまにかすべての人が(表面上は)それを了解し、結局はそれに従い役職決めが進められた。だからおよそほとんどの委員会は、部活動に所属していない人と責任感のある人が押し込められ、部活動で忙しい人は教室に置いてあるサボテンを育てる係などの閑職を引き受けた。「ウィンドウズ」と私は独りごちた。それから「二千」とも言った。しかしそういう事実からすれば、私が自主的に委員に立候補したのは奇異かもしれなかった。私は以前の約束のままに勧善懲悪委員会に入ろうとした。そして他に誰も希望しないから、簡単に入れた。野口先生は私を一時見た。そうして役職決めの場を遮るように黙った。私はその嫌な視線とだんまりを避けようとして、前に座っている背の高い品川の後ろに隠れた。この女はいつも猫背だったけれど座るときだけは背筋が伸びるから助かった。野口先生がいつまで黙然として私を見ていたかは知らない。知らぬ間に決まったばかりの学級委員長が場を進め、誰彼が折々に手を挙げて希望する意思を表した。私はそのうち髪先を指でいじった。または爪を眺めた。役職決めの時間は野口先生の言葉を借りれば「予想外に早く」決着がついた。


 委員会はその日のうちにそれぞれ集まって顔合わせでもするらしかった。そのために私は部室で談笑する時間をよそにやって、代わりにそこに出席する時間を用意しなければならなかった。けれどみずから望んで入った委員会であるから苦々しくもならなかった。集合箇所は通常は授業をする教室だった。どの学年のどの組が使っているか確認する前に椅子に座りこんでしまったけれど、ひっそりと置かれたままの荷物を見比べて三年五組の教室と知れた。三島さんや広田さんはここだろうか? 私はそれから黒川さんの顔も思い浮かべた。後は名前もはっきりしない同じ寮の人が曖昧に映った。その人たちは、人によると上級生だったか同級生だったかも判然としない像としていつまでも朧だった。しかるうちにすぐ教室は人で埋まって、顔合わせが始まった。委員長の二年生の女は入学式の委員会の紹介をしたその人であったから懐かしい気すらして見ていた。しかし何だかそれだけではない見覚えがあった、聞けば委員長の名前は沖というらしかった。たしかに部長の沖さんと外見は同じだったからどうして気づかなかったのか分からない。けれどこの沖さんとあの沖さんとは双子ということになる。その不可思議な巡り合わせに私は化かされた気がして届く距離にいる委員長としての沖さんを見た。聞き逃したかもとより話していないかはともかく今の私には名を何というか知らないが、その不明瞭を放ったとしても真面目な顔で委員としての心得を読み上げるこの沖さんは、以前まで慣れ親しんだ沖那美子さんとはどこか別だった。同じ型の木椅子でただ木目の違いばかりがあるように二人の微妙な差異が表出しているはずだったが、私はその相違を直感で思えても実感で理解できなかった。ここにいる沖さんは委員会の普段の仕事を明かした。それからそれぞれの仕事の責任者に自己紹介させた。不鮮明な記憶を参照してもその場に立った三人に知っている顔はなかった。三人が簡単に自己紹介してしまうと、今度は我々が一人ひとり自己を紹介する手番になった。ただでさえ簡明だった三人のそれよりもずっと簡明な紹介ばかりで、その場に起立して名前を言うと後は「よろしくお願いします」というような挨拶をしてそそくさと座った。私も同じ様式を取った。三人は各役割に従って簡単ながら役の説明をしていたが、そういう話の種も持ち合わせない我々の形ばかりの挨拶は随分と手短になった。それを咎める人も、自主的に様式を変える人もいないから、場は退屈に進んだ。教室の席を埋めるほどいる生徒すべてがそれを踏襲しても、寮から部室へ行って帰って来るくらいの時間がかかった。


 クラスごとに二人が各委員会に所属するからこの場には同じ一年一組の人が私の他にもう一人いた。何の仕合わせかそれは黒川さんだった。自分の教室を出てここに来る途中の廊下で彩さんと会ってそのまま一緒に向かった。


 「黒川さんはどうしてこの委員会を選んだの」道中で尋ねてみた。


「知り合った人と一緒にやれるから」彩さんはそう返事をした。


沖委員長と各部門の部長とも言うべき責任者のそれぞれの説明のうちではクラスごとの二人組は三年間そのまま引き継がれるという文言があった。他の委員会とは異なってこの委員会は三年もの任期をまっとうする必要があったのだ。私はこの便覧にも書いておらずまた野口先生も言わなかった規則に、沖委員長の厳然な声の下で静かに怯えた。考えてみればこの委員会は美化委員会や風紀委員会の手に余る学校生活上の諸問題をすべて請け負うから、多忙は承知の通りでさらには作法を心得た人間がやるのは合理的である。それを私は一時、圧政に敷かれてしまったと思って眼前の沖さんの声に嘆声をひっそり混じらせた。承知のうえであったはずの多忙な仕事も、人から聞くと突然な不条理に思えた。平日の夕方までの授業の間は尋常の通りに生活できるけれど、放課後はこの仕事のために奔走しなければならなかった。まず委員が駐在する部屋にいて訴えを待ち、訴えがあれば該当する人物に警察のごとく事情を聴く。それから実際的な状況を把握して十人余で合議し、訴えに対し正当な判決を下す。これは校則とか公共の福祉とかのもと、みずからの良心にのっとる必要があって大岡裁きは許されがたいらしく、過去にはここでのみ判断するのは不適当として教員の判ずる所となり、結局退学を命ぜられた学生もいたという。それほどの大事を学生が先に判ずべきかは早急な議論が求められるが、私には裁判めいた合議を早々に見てみたい意欲が先んじていた。黒川さんも大体同じ気持ちらしかった。


日ごとに日没の時刻が後退していく今でもあたりが暗くなるまで委員会は続いた。私は部室には向かわず、校舎のそばにある売店のイート・イン・コーナーで市販のハムとチーズのサンドイッチとコーン・スープを食べた。そこはいつも閑散としているのを知っていたから、人込みを避けたい今の私は二念なくそこを目指した。実際に使うのは初めてだったけれど、居心地は悪くなかった。そばにある大きな窓は室内と横向きの私を暗く映している。このときも人はいなかった。人は皆売店に来て何か買っていくが奥まった隅にあるここまで来ずすぐに出て行ってしまった。あるいは雨宿りに来てもここを知らないのか中を見て回ってからまだ本降りの外に駆け出た。私はそんな姿を見かけるたびに、自分だけが発見している秘境のように思って一人得意だった。校内の読書しやすい場所をたくさん知っているはずの姉の黒川さんでさえ、ここのことは一度も口に出さなかった。私はそれでなおさら誇っていた。あの黒川さんでも知りえない秘密の地に踏み入ったのだと興奮した。だがその興奮の燃えるうちに「ゆいちゃん」と声をかけられて、私は振り返りこそすれどその言葉の実際の意味を了解できずにそこに立ってひらひら手を振る長谷見さんの顔を見た。誤ったパズル・ピースが偶然別の場所にはめ込まれて奇怪な絵を生み出してしまったように、イート・イン・コーナーの入り口からこっちに来る長谷見さんはこの場にまったく自然的でいながらかつ私に不自然的の感を抱かせた。こうした同時の矛盾が私の思考を鈍らせて、一時私は手も振れず声も出せずぼんやり彼女を見た。長谷見さんの発した数単語で構成されているはずの一文のうち「終わったの?」だけを理解した私は曖昧にうなずいた。彼女は少なくともその返事で満足した。


「みんな委員会に入っちゃったから今日は人来なくて。投球練習だけやって終わりになった」


「え?」私はわざとらしいほどの頓狂な声を出してしまった。


「え?」と長谷見さんのほうだけはごく自然な声で反問した。少なくとも私がどうしてそう声を上げたかは分かっていないようだった。私がその後に何も声を出さないと長谷見さんは私が口を開くのを待つか自分が先に何か言うか迷って口をもごもごさせていた。けれど私が先に話し始めた。


「委員会は? 前に同じのに入ろうって言ってた……」


「あっ」と彼女は言った。他の言葉よりずっと明瞭に聞こえた。


「え?」


「いや、言うの忘れてただけで、ごめんだけど入らなかった」


「どうして? 何かあったの?」私は努めて柔らかい声調を保った。


「どうしても」長谷見さんは言葉を探した。「その、私の入ったソフトボール部やと普段忙しいから勧善懲悪委員会、には入られんって言われて、部長から」


「実際、委員会入った人もそれには入ってないみたいだし」と彼女は付け加えた。


「そう」


「うん。もしかしてゆいちゃんは入ったの?」


「うん」


「そっか」


沈黙。


胸のざわめき。


何を言おうとしても喉につかえた。


「でも」ようやく私が言った。「私だってやる気だったし、クラスのもう一人の人とも仲良くなったし、全然、大丈夫」


「本当に? でも、ごめん」


「全然」私は微笑もうとした。






帰途では以前のように世間話をしたと思う。というのは、ふだん話すときにその内容を後から思いだせないだけでなく、さらに私の思考の流れのうちに「でもゆうちゃん私に黙って委員会に入るの止めたよね」という非難がしがらみとして設えられてわずかに流れを淀ませていたからである。長谷見さんの話への相槌とか返事は、そういうものにせき止められて、わずかに遅れた。それはわざわざ指摘するほどでもない違和であるが、一方で相手の心中に徐々にその感を抱かせ、ついに大きくさせるような違和でもあった。私はそれを最初から知っていた。長谷見さんの胸にわだかまりが発現してしまうことは、私が自身の思考に以上のような柵状の不平があると察知した時点から予見していた。そしてまたその考えも似たようなしがらみとして私に残った。以前から自分にそうした特性があることは承知していた。そうして対策案すら考えていた。けれどこの数年で発見された(というよりはむしろずっと前からあったが今時分になってようやく気付いた)癖を、私はどうやっても直せないでいた。あくまでも自覚的でありながらわざと放置しているように思われるほど、その性癖は何度も現れながら一度も対処されなかった。今度の長谷見さんに対するときに出現した同様の癖も、前よりずっとうまく付き合えているように判じながら実際の彼女の返事や私の胸にあるつっかえから考えてみれば決してそううまくはやり過ごせていなかった。


あの委員会にいたとき、私は長谷見さんもどこかに座っているものと思っていた。緊張感に呑まれるあまり見回して探すことはなかったが、どこかにいると暗に了解していた。一人ずつ自己紹介したときに長谷見優花の名前を聞いていないはずでも、聞いたような気になって多くの人の名前を聞き過ごしていた。教室を出るときもそうだった。彩さんと二人でそこを離れる際も、自分の識らないうちに出て行ってしまったのだと思ってとくに気に留めなかった。彼女はもとからいなかったのだ。私は尋常より心持未練のあるような長谷見さんの別れの挨拶を聞いた。彼女はいつもより長くはっきりと手を振って私の目を見た。それは何かを私に伝えるためなのかもしくは彼女があると思っている(と仮定して)私の伝えたいことを読み取るためなのかは分からなかった。けれど長谷見さんは、それこそ違和感を抱くほどに私の目をのぞいた。そうするとむしろ私のほうが薄情な人だった。尋常の長谷見さんがするような淡白な挨拶でさっさと四階に上がった。このとき三島さんも広田さんも見かけなかったし、黒川さんも見なかった。ただ私の心理を診察するごとき長谷見さんの目を最後に見たきりである。


私はその夜はどうしても物語の続きを書く気にならなかった。授業が始まってから一週間は経った。ちょうど生活に慣れたころでもあった。自分に湧いた長谷見さんへの軽蔑の念だけは妙な産物として映った。それは外国製の日用品のように今一つ全体を把握できなかった。理解できても受容しがたいものであった。知覚できても利用しがたいものであった。私は面倒なものを抱えているばかりに、創作に割かれている思考の領域をそうした情念で埋めてしまっていた。情念はうず高く積もってもとあったものを端に追いやり、しかも手の届かないところに押し込んだ。まず目の前にある山を崩す必要があった。私はその大きな山を呆然と眺めた。高さは困難を示し、その困難のせいで思考は奪われた。少なくとも現在の私には崩しえないように感じている。私は部屋を出た。夜風に当たっていればそのうち満足のいく発案が浮かぶかもしれないと思った。このころから夜の散歩を励行してもいた。人通りのない寮の周辺の道は生まれた家の周りほどに静かだった。時折り通る自転車の音と鶏の声だけが昼より大きく聞こえるばかりの夜道だった。あとは、木橋まで行けば川の音が聞こえるし、ところどころある土の道を歩けば砂粒の擦れる音が聞こえた。暗い夜道でこそ単独ではっきり聞こえる音を楽しんだ。そうして暗闇でわずかな光を撥ねる川の流れを見た。木橋の上を歩く音が途絶えて、欄干にもたれかかるころから眼下の川の流水が私に届いた。するとこうも考えた。


――何にしたって、雨の日でなければならない。今日みたいな日は特にそうだ。商店街から少し離れた古いアパート、総菜屋、銭湯、人、人、人。全部が全部、雨濡れでなきゃ、私はどうにも満足できない。夕方、四時くらいに入る銭湯、そこから五分も歩かないところにある総菜屋でコロッケとポテトサラダを買う。六時を過ぎて、四畳半の部屋でひとり、夕食をとると、カーテンもないガラス窓のむこうから、哀しげな音で語りかけてくるものがある。そういう寂しさだけが、癒してくれる。私はそれを知っている。いや、それだけを知っている。薄暗いあかりの下、ラジオが壊れたせいでずっと静かだった。だから雨が必要だ。哀しい音楽が悲しい心を癒すように、小雨のさめざめとした音は、降る間、私の気をまぎらわしてくれる。この気持ちを大事にしたい。


雨はどの時間、どの季節にも映える。夕立、その前後の水の匂い、みぞれと肌寒さ、秋の真夜中の霧雨。心にふうっと吹き抜ける穏やかな風があって、不思議に私を撫でる。耳元のかすかな風音、夏場の風鈴、川の流れる音。川も、一年間ずっと、私に寄りそう。本当はここにいるべきではないのかもしれない。水と共に生き、水のために死ぬような、ただに自分のみならざる生き方。それがいいのだろう。もっと雨に、水にじかに触れるような人生がいる。


夜、明かりを消して、落ち着いた呼吸の中に横になっていると、とても安心する。あえて言うのであれば、暗い中に、自分が溶け込んで、いろいろの境があやふやになって、それこそ、まどろんだ交わりというか、愛のない、まっさらで、感情の起伏のない夫婦生活のような、欲の中の、未知性に富んだ力を秘めているような、そういうべきかどうか、それさえ分からないくらいのもの。必死に表したいくらいの思いでもないけれど、この気持ちは、だれかとともに味わってしまうのが、いつかはいいと、したいと思うようになるだろう。今は雨があるけれど、いつか、雨がなくたっていい日が、きっと来る。もしかしたら、夜ですらなくても。たまに、強く心惹かれる景色がある。それさえあれば、心が救われる時が、いつかどこかであるだろう。穏やかでないといけない。それ以外はいらない。泣くも怒るも悲しむも、寂しさも、何もいらない。そうあるべきでない。そうあってはならない――


思い巡りの中で遠のいた水の音がまた帰ってきた。ややもするときざな考えを私は突き崩してしまった。それは簡単に崩れて一見すると何だか判別がつかないほどだった。


帰りに黒川さんを発見した。黒川朝美さんは何か手にもって寮の裏に行った。私は室外機とかガス・メーターがある横道を黒川さんが横這いに進むのが重大な悪事に思われて、外灯のない路地からじっと見た。しばらくは寮の玄関灯の光が黒川さんの右半身を弱く照らしていたが、奥に進むほど彼女は黒い一個の物体になった。もしかすると自分もそのように見えるのだと私は自分の姿を想像した。それから黒川さんを追った。彼女のそうした行為はいかにも象徴的で、黒川さんの人生のうちにある出来事を挙げていくとき、少なくとも以上の行動にわざわざ一言しなければならないように思った。そうでなければ彼女の一生を語り尽くせず、また彼女の全体を語りえない。私はこだわりなくその細い抜け道を進んだ。当然靴裏の砂の擦れる音が薄暗いなかで耳に届いた。自分の存在を黒川さんに知られてしまってもよかった。それでこの象徴的(と私が思う)行動の真意が隠されたままになっても構わなかった。家中のカーテンを閉めていくようにその細部が一つずつ光から遮られて結果的に外面からは少しも黒川朝美さんの内面が掴めなくなることに何ら恐れていなかった。私は、進みながら考えた、無理にすべてを知ろうとして結局何をも知りえぬ不始末を今一つ分かっていないのだ。だから黒川さんの実際をここで暴こうとしている。事の末尾にある拒否を把握していないから遠慮なしに追い求めている。黒川さんは裏手の広い土地にいた。そこは特別に整備されているわけでもなくまたまったく放置されているわけでもなかった。草が中途半端に伸びているなかに黒い密な闇が彷徨していた。あるいは亡霊かもしれない、と思った。亡霊がごとき蝟集した闇は、実際には回転して明るい面を私に向けた。やはり黒川さんの顔であった。


「あっ、篠崎です」と私は言った。


「ああ篠崎さん」


「どうしたの」黒川さんが近づいて来て暗きにぼんやりと浮かんでいた明るい面ははっきりとした人の顔になった。手に持っていたのは缶コーヒーだった。


「入っていくのを見かけたので」


「バレちゃった」


「何してたんですか?」


「別に」と彼女は言った。「こう、考え事をするときとかさ、何か悩んだときとか、ここに来て考えると考えがまとまりやすいし集中できるの。建設的に考えられるというかさ」


「そういうの、ない?」と黒川さんは同意を求めた。ありますとだけ言った。


「やっぱりあるよね。だからここに来て、あれこれ考えながらコーヒー飲むの」


「お邪魔しましたか?」


「いや全然。何なら話そうよ」疎な闇のなかで黒川さんは笑んでいるように見えた。「今日考えるつもりだったのは、というかここに来るまでも考え込んでたんだけど、習慣って何だろうっていうことを考えるつもりだったの」


習慣?


「たとえばさ」黒川さんは話を続けた。「習慣って、癖とも言い換えられると思うんだけど、癖って大抵は他の人から指摘されて初めて気づくじゃん。だからこその癖っていうか。だから、意識的に新しい習慣を身に着けようとして結果身に着いたものは習慣って呼べるのかな?」


「習慣には積極的の意思が介在しないってことですか?」この際どういう表現をしてもよかった。黒川さんはそれでも話を続けてくれる気がしていた。


「まあそうかな」と彼女はコーヒーを飲んだ。「何というか、自分で習慣化させようとしている時点で本来的に習慣でないものをそうあらしめようとしているわけで、無意識に体に染みつくものとは別だからさ」


「たしかにそうですね」


「堂々巡りな気がしてきた」黒川さんは笑った。そうして不意にさっきまでいた方角を見た。そうして「あそこから隣の寮の裏に行ける」と缶を持った手で示した。空に乾杯するようだった。「あそこからですか?」と私は続きを促した。


「うん。あそこらへんのフェンスを越えて丘を登ったら清風寮だよ」


その寮に住んでいる友だちはいるかと尋ねられた。分からないと言った。すると黒川さんは「彩はたしか清心寮だよ」と言った。清心寮は少し離れている。


私はしばらく黒川さんから離れてあたりを歩いてみた。広い土地と言ってもバスケットボールのコートと同じか少し狭いくらいの空き地だった。私たちの住む寮を囲っているフェンスが地続きにこの空き地を囲っている理由は黒川さんにも分からなかった。彼女は一年生の夏の暑い日にここを見つけたらしい。そのときは根から草が刈り取られていたから人の来るところではあるのだ。「それにそこに食堂の裏口がある」と黒川さんは目で示した。裏口のドアとダクトと小窓が暗いなかに見えた。明かりはついていなかったし、ダクトは静かなままだった。裏手から見て寮の左側面にベランダがあった。ところどころの窓から光が漏れ、その正面にある林に緑のグラデーションを与えている。私は自分の部屋の位置を思い返した。もちろん明かりは消してきた。室内はここよりずっと静かかもしれない。


「篠崎さん」


「はい」疎な闇に溶け入るような黒川さんを見た。


「篠崎さんは……篠崎さんは、夢みるのは無限大だと思う?」


「夢を見るのは……」


「たとえばさ」


「はい」


「稼げるお金は生涯で決まっているはずだよね。だから一人ひとり、稼いだお金でできることも有限だよね?」


「はい」とだけ言った。


「うん。でも『夢は無限大』みたいな言葉もある」


「そうですね」


「それって本当かな」


「夢は」存外と早くに考えがまとまった。「あくまでも自分が考えることですから、おそらく自分が考えられる範囲に限られると思うんです。奈良時代の人がスマート・フォンを想像しがたいように。だから考えることに似てる夢も有限だと思います」


黒川さんはうなずいた。それから「だよね」と言った。「稼げる額も見られる夢も、その範囲は限られている」


「だと思います」


帰ろうかと言われるまま私は黒川さんの後について寮の玄関の前に出た。風はなかった。鶏の声も聞こえなかったと思う。私と黒川さん以外には、寮の管理人すらいなかった。巡回の時間だった。食堂と小会議室と管理人室とトイレしかない一階はひと気もなくひたすら静寂であったが、食堂前にある自動販売機のモーター音が鈍く低い音を立てていた。一人トイレに向かう私を黒川さんは呼び止めた。


「でも有限だと思って諦めていると何もできないよ」

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