Season: A Letter to the Future

 Steamにて"Season: A Letter to the Future"をプレイ。

 日本語音声・字幕訳対応だが、若干字幕と音声の内容が違っていたり、字幕の出るタイミングがズレているなどの不具合がある。プレイにはほぼ支障ない。


 本作は、もうすぐ終わるとされる「季節」を記録に残すため、生まれ故郷の村から自転車で旅立ち、日記とカメラとレコーダーで記録を付けていくゲーム。

 ここでいう「季節」とは、時代のことと解釈すればわかりやすい。



 ウォーキングシミュレーターよりはできることが多く、プレイヤーキャラはジョギングもできるし、自転車に乗って高速移動もでき、写真撮影や音声録音をしてスクラップブックを作ることができるが、基本的にはやっていることはウォーキングシミュレーターに近い。



 別に人類や文明が滅びた後の世界、というわけではないのだが、ほとんど人に出会うことはなく、そこかしこに廃墟や遺物が転がっていて、ポスト・アポカリプス感が漂っている。廃墟マニアは雰囲気だけで結構楽しめるだろう。



 この世界の歴史や文化に関する情報の蒐集や、なぜ、どのように「季節」が終わるのかを調べるといった謎解き要素はあるが、そうしたことをゲーム側がプレイヤーに要求することはない。全く何もせず、ただひたすら自転車を漕いでさっさとクリアすることも可能。

 旅路でプレイヤーが何をどう記録し、それを日記帳に残していくかは、プレイヤー自身が決めることになる。



 日記帳には、写真や収集物を貼り付けたり、スケッチやメモなどを残したりできる。貼り付け位置はある程度自由にカスタマイズでき、結構本格的なスクラップブックが作れる。

 本作で最もプレイヤーの個性が出るところはここ。本作のプレイ経験そのものはプレイヤーによって大きな差は出ないが、何を重要と考え、どう残すことを選択するかは人によってかなり変わる。


 写真撮影に関しては、いくつかのフィルターを使用したりはできるが、あまり凝ったことはできない。写真のサイズは正方形の小さいものだし、ベストポジションを探して山登りしたりとか、望遠レンズを使用したりとか、そういうことをするゲームではない。あくまで簡易的な記録としてスナップ写真を撮る、といった感じ。写真撮影ゲーではないので、そこは勘違いしない方がいい。



 このゲームの特徴は、常にプレイヤーに取捨選択を迫り続ける、ということ。

 その典型は日記帳で、限りある紙面に何を書き込み、何を書き込まないかを決めなければならない。

 その他にも、いくつか重要なシーンでは行動選択肢や会話選択肢があり、選ばなかった方の選択結果は見ることができないし、知ることもできない。


 選択を誤ったらゲームオーバーになるということはなく、プレイヤーが何をどう選ぼうと、あるいは見落とすなどしてスルーしようと、ゲームは淡々と展開し、そして終わる。

 つまり、ゲームクリアのために重要な選択は何一つとしてないのだが、にも関わらず、本作の選択は重い。


 本作はオートセーブとなっており、選択前にセーブして、全ての選択結果を見ることはできない。他の結果を見たかったら、新規にやり直すしかない。

 この仕様が、静かに、容赦なく迫りくる「季節」の終わりを見事に描写している。


 プレイヤーはこの世界の運命を変えることはできない。ただ流されていくしかない。

 時間制限はなく、仮に同じ場所に何十時間留まっても、プレイヤーが何もしない限り、ゲーム内の時間は進行しない。だからプレイヤーは自分のペースでゆっくりプレイできる。

 しかし、ひとたびプレイヤーが行動や選択を行うと、ゲーム内の時は容赦なく流れ、流れた時は逆戻りしないのである。



 プレイ時間はだいたい5時間程度。2周目をプレイすることにより、1周目では気づかなかったことを知ることができる要素はあるので、一応2周はプレイできると思うが、基本的にはリプレイ性はないと考えていい。


 ほぼリプレイ性のない、5時間程度のボリュームのゲームに2800円も出す価値があるのか、というのが、本作を購入する上での一番の悩みどころだろう。

 本作の評判は高いが、その評判を頼りに購入すると、肩透かしを食うかもしれない。


 小規模なインディーゲームなので、そこまで高望みをするべきではない。小さなゲームにしてはよくできている、という程度のこと。


 ウォーキングシミュレーターが好きなら、本作は好きだろう。また、遺跡マニアやスクラップブック作りが好きな人にも合う。

 ストーリーや謎解き要素は期待するほど濃密ではなく、ふわっとした感じで終わるので、そこは期待しない方がいい。



 以下はネタバレあり。






 本作の設定や展開はかなり巧みで優れている。だが、あまりに巧みすぎてプレイヤーがなかなか気づきにくいものにもなっている。



 まず、冒頭の、母親と一緒にペンダントを作るシーンだが、これがどれだけすごいかは、すぐには気づかないだろう。


 このペンダントは、持ち主の記憶や知識、「あなたらしさ」を守る効果があるという。これを作るためには、聴覚、嗅覚、視覚、触覚、味覚に関する思い出の品をバーナーで燃やしてペンダントに込める必要がある。

 このとき、本当に守りたいもの、失いたくないものを選んでね、と言われるのだが、なにしろプレイヤーは主人公のことなんか何も知らないから、何が守りたいもの、失いたくないものなのかわかるはずがない。

 だからその辺にあるものを適当に選ぶことになるのだが、すると、母親はその品にまつわる思い出を話してくれる。


 プレイヤーは、その話を聞くことで、その品にどういう思い出があり、そこから、主人公がどういう人物かを知ることができる。


 問題は、選ばなかった品、である。選ばなかった品にまつわる思い出は、プレイヤーは知ることができない。


 つまり、ペンダントがなぜ主人公の記憶を守るのかと言うと、プレイヤーにその思い出を伝えるから、なのである。そして、ペンダントに込めなかった思い出は残らない。プレイヤーが知らないから。


 このペンダント作りをしているとき、たいがいのプレイヤーは「こんなもん効果あるの?」と半信半疑だと思う。しかし実は、そう疑っているプレイヤー自身がペンダントの効果そのものなのである。



 この仕組みは、別のところで巧みに再利用されている。

 ティエン谷の忘却の神、ヴォイドに祈るシーンである。


 ペンダントは記憶を守る力があるのだが、主人公があえて忘れることを望めば、ペンダントは記憶を失うことを止めないらしい。

 プレイ中はなかなか気づかないが、プレイヤーがペンダントの役割を担っていると考えれば、この設定は必然である。事実、主人公が記憶を失うことを選ぶのは、プレイヤーだからである。


 主人公がヴォイドに何の記憶を失うことを望むかが、また興味深い。主人公は自分の名前を忘れることを祈る。すると自分の名前を忘れるのだが、ここでプレイヤーは気づくのである。そういえば主人公の名前を知らない、と。


 公式の情報によると、主人公の名前は"Estelle"らしい。

 しかし、実際のゲーム中に主人公の名前が登場するシーンは、私が確認した限りでは1箇所しかない。

 それは、眠りの神タイドに祈った際、夢の中で花畑に母親が登場して、去り際に声を掛けるシーン。

 しかしこのとき、母親は主人公のことを「アビー」と呼んでいる。


 この仕組みは面白い。公式情報によると主人公は「エステル」らしいが、ゲーム中に彼女がエステルである証拠は何一つとしてない。実際にあるのは夢の中で母親が「アビー」と呼んでいるシーンだけ。

 しかし、あれは夢のシーンなので、そこで語られる情報はアテにならない。



 本作では、眠りの神タイドは、記憶と忘却の取捨選択を行い、再構成することのできる神だとされる。

 また、戦争の季節を終わらせ、現在の季節が始まったきっかけを作った神でもある。

 タイドは一見、いいことづくめの神のように見える。しかし、記憶の整理が行われるのはあくまで夢の中なので、その記憶は混線し、混乱する。


 そしてこのことが、現在の季節を終わらせねばならない原因にもなっている。

 現在の季節では、時間の感覚が狂ったり、余計な記憶が頭の中に溜まり過ぎたり、逆にいろんなことを忘れすぎたりなど、記憶に関する病気が流行している。その原因は、この季節が眠りによって始まったことと関係している、というわけである。



 このゲームには、記憶の神、忘却の神、眠りの神という3柱の神が登場し、神の力で季節が終わり、始まっている事実を知ることになる。戦争の季節は眠りの神によって終わり、現在の季節は忘却の神によってこれから終わる。

 それで「あー? 結局このゲームって、超自然的でスピリチュアルな話なの? 神がなんとかする話?」と思える。


 しかし、グレイハンズの資料や、木を治療した果樹園の父親の資料など、いろいろ情報を集めていくと、必ずしもそうとも言えないことがわかってくる。

 神の力に見えるのは、実際にはティエン谷にしかない、紫色の鉱物による物理現象に過ぎないようにも描かれている。


 あの鉱物は人々の思い出が結晶化することで生じる。そして、特定の周波数で共鳴し、それが人の脳に影響を及ぼすのだという。

 グレイハンズの研究者は、「神の祈り」の仕組みを機械的に再現することに成功している。そして、忘却の力を利用して現在の季節を終わらせる際も、別にヴォイドに祈っているわけではなく、その物理現象を最大化して行っているらしい。つまり、大量に鉱物を採掘して、洪水を起こすことで大きな水面を作り出し、そこに特定の周波数を発振することで、世界規模の「祈り」を作り出しているようである。


 結局のところ、時代を終わらせるのが神の力なのか、物理現象によるものなのかは、はっきりとはしていない。しかし、これだけスピリチュアルな話に見せかけて、ちゃんと論理的な説明も用意してあるところはうまいと思う。プレイヤーが好きな解釈をしろよ、ということなのだろう。



 グレイハンズの描かれ方も巧み。善なのか悪なのか、なんとも言えない。

 グレイハンズがやっていることは、表向きには軍隊的で高圧的に見える。谷の住民を強制避難させてダムを決壊させて村を水底に沈め、時代を終わらせようとしている。

 しかも、なぜダムをわざわざ決壊させるかの説明を、住民に偽っている。ダムが古くなってもう修理できなくて危険だから、壊れる前に壊してしまうというもの。古くて修理できないから危険、はわかるが、かといって、それがわざわざ爆破して決壊させる理由にはならないだろう。現地住民の間で「グレイハンズはウソつき!」と懐疑派が出るのは当然。ダメな方の共産主義的なにおいがぷんぷんする。


 しかし一方で、グレイハンズの行動は根本的な解決手段であることも事実。

 現在の季節の人達の多くが記憶関係の障害に苦しめられている原因は、ティエン谷の鉱物にある。

 フミオ医師は主人公の故郷であるキャロ村を再構築し、そこで病人を癒すことができたが、それはキャロ村の高台にあるという地形がなくてはできないことだった。全ての人を救うことはできないという絶望に苛まれたまま、フミオ医師は亡くなっている。

 フミオ医師が多くの人々を救った英雄なのだとしたら、グレイハンズはその意志を継ぐものだとも言える。フミオ医師ができなかったことをやり遂げようとしているのだから。



 このゲームに登場する選択肢は、どれを選んでも致命的な変化をもたらすものはない。季節の終わりを食い止めるとか、新たな季節がどのようなものになるかを決めるとか、そんな大きな決定を下すものはない。

 しかし、にも関わらず、選択肢の全てが重い。


 私は基本的に恋愛ゲームが嫌いだが、その理由は、たったひとつの選択肢を間違えるだけでバッドエンドになったりするからである。しかも、わけのわからない理不尽な選択肢で。

 逆に、プレイヤーに散々選択させておいて、それが何の意味ももたらさないのも嫌い。何を選んでも結局彼女にフラれないタイプ。だったら選ばせるなよと思う。

 プレイヤーの意志を反映できないのも多い。選択肢がどれもプレイヤーの望むものでないもの。「この場面なら明らかにYESかNOか以外にも第3の選択肢があるだろ?」というときに、その選択肢がないやつ。あるいは、明らかに正解以外の選択肢を選ぶとゲームオーバーになるから選べず、結局一択と同じというやつ。本当にイライラする。

 恋愛ゲームに限らず、こういう理不尽、または無意味な選択を強いるゲームは結構多い。そして、その度に私はムカついている。


 このゲームの選択肢と、それによって起きる変化は、非常に優れている。どの選択にも正解・不正解は存在しないし、何を選んだっていのだが、それによってちゃんと微細な変化が起きるようになっている。

 そして、明らかに選択肢が不足しているシーンも、ほぼなかった。この場面ならこの選択肢しかないよな、と納得できるようにできていた。


 ゲームの展開に大きく影響するものは一箇所だけ(自分のペンダントを犠牲にしてみんなのペンダントを作るかどうか)。他の選択肢は根本的には影響を与えない。

 自分の名前を忘れるかどうか、という選択すら、ゲームの展開には特に意味はない。そもそも作中に主人公の名前は登場しないのだから。

 にも関わらず、やはりその選択は重いのである。


 これは何気ないことだが、これができているゲームは多くない。プレイヤーが適切に自分の意志をゲームに反映させることができるように作られているのは、本当に貴重なことである。それこそがゲームというメディアの最大の特徴なのだから。プレイヤーの意志が反映されないなら、ゲームとしてプレイする意味がない。映画でも観たほうがいい。



 しかし、記憶を失う感覚を知りたいというだけの理由のために、自分の名前を失うことを選ぶのは、なかなかロックである。普通はまず選ばないだろう。せいぜい、昨日の朝ごはんが何だったか忘れるとか、そういうことにしとかない? よりにもよって名前を忘れようと思う?

 私はあのイベントでこの主人公がすごく好きになった。あんなに穏やかな物腰のくせに、いい度胸してるわ、この姉ちゃん。さすが、村から飛び出して未知の世界へと旅立ちたいと思うだけのことはある。



 このゲームで誰もが思うのは、「え、これで終わり?」という唐突なエンディングだろう。

 これからも主人公の旅は続きそうなのに、なんか終わってしまう。


 終わる理由はわかる。現在の季節が終わったから。しかし、地球の果てにあるという博物殿に行くという目的はまだ達成されていない。

 日記の目的が、現在の季節を記録するためのものだったということを考えれば、季節が終わるところで日記が終わるのは一応納得できる。

 しかし、主人公の旅は終わっていないわけで、その後の旅路については記録を付けなかった、ということ?


 ここで話が終わるのは、制作の都合以外の何物でもないだろう。インディーゲームだからしょうがないところもあるが、残念である。

 博物殿にたどり着いて終わるようにすれば、一応話としては落ち着くのだが、制作者はそうしたくなかったのだろう。だからといって投げっぱなしはどうなんだろう。

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