The Witness

"The Witness"は、"Braid"の開発者が制作したパズルゲーム。プレーヤーは無人の島を歩き回り、そこらじゅうに設置されているパズルを解きまくっていく。

 雰囲気は伝説のパズルアドベンチャーゲーム"Myst"に近いが、"Myst"のように、何をどうすればいいか自体がわからないということはない。島の各所には看板のようなものが立てられており、そこにはパズルが表示されている。設問はすべて一筆書きパズル。プレーヤーはスタートからゴールまでを一筆書きで繋げばいい。


 ただし、各パズルには▲や●などといった記号が書き込まれている。記号にはそれぞれに意味があり、プレーヤーはそれらの記号が何を意味しているのかを推測して、一筆書きを完成させなければならない。

 記号の意味を具体的に書き記したヒントは一切ないが、パズルにはチュートリアル的なものがいくつかあり、それらを解くことで、記号の意味をある程度までは理解できるようになる。そうしたら、その知識を用いて実践問題に取りかかるわけである。


 島はいくつかのエリアに分かれており、ほとんどのエリアには最初から行けるようになっている。プレーヤーは好きなエリアから初めていいし、あるエリアで行き詰まったら別のエリアに行ってもいい。


 パズルの数は500以上。ただし、一応のエンディングに到達するには、半分もクリアしなくていい。



 島には景観のいいスポットがたくさんあり、いろいろ見どころが隠されている。そのため、島を探索するオープンワールドゲームとしても楽しめるが、あくまでこのゲームの本質はひたすらパズルを解くことであり、パズルゲームが好きでないと楽しくない。パズルが得意かどうかはそれほど関係ない。重要なのは、パズルに挑むこと自体にやりがいや喜びを感じられるかどうかである。


 そして、今時珍しいことだが、必ず方眼紙と鉛筆(シャーペン)と消しゴムが必要になるゲームである。このゲームをクリアするまでプレイした人で、紙を使わなかった人はいないだろう。



 大半のパズルはフェアなもので、純粋に論理力や発想力、努力と根性でなんとかなる。しかし、一部のパズルには問題がある。


 まずは温室のパズル。部屋の中が真っ青だったり真っ赤だったりする。プレイしていると発狂しそうになる。

 次に、色の付いた池のパズル。パズルが保護色になっていたりする。色覚異常のある人はもちろん、正常でも見づらい。

 そして、一応のエンディング直前のパズルダンジョンにあるパズル。このダンジョンにあるパズルの中には、がれきの中に挟まっていて見づらいものや、ノイズが走っていて見づらいものがある。

 毎回言っていることだが、視点で殺すゲームはクソゲーである。保護色にしたり、発狂しそうな色味にしたり、ノイズをかけてパズルを見づらくするなんて阿呆な所業としか言いようがない。


 私は、これらのアンフェアなパズルに関しては、攻略サイトで答えを見て解いてもいいと思う。真面目に解く価値などない。馬鹿らしい。


 また、このゲームには一部、制作者の底意地の悪さを露呈するような仕掛けがいくつかある。

 ひとつは木の上のパズルで、制限時間内に押す必要のあるボタンが、隙間から見えていること。隙間から押せそうで押せないようになっている。「ズルしたいんだろ? 簡単にクリアしたいんだろ? 残念でした! 真面目に解けやアホ」と言われているようで腹が立つ。わざわざ隙間を作っておきながらぎりぎり押せなくしているんだら、本当に意地が悪い。

 もうひとつは"Braid"にもあった、1時間ばかり待ちぼうけしないと解けないパズル。これはほぼ全部のパズルをクリアした人向けの隠し要素だが、マジでやめて欲しい。詳しくは後述する。


 クソな部分はあるものの、全体としてみればとても良く出来たゲーム。パズルゲーム好きなら是非プレイして欲しいし、特に、パズルも好きだけどオープンワールドも好きな人、"Myst"や"The Talos Principle"などが好きならまず間違いなく楽しめるから、こんなもんは読むのをやめてプレイして欲しい。



 ……というわけで、この先はネタバレありで、私のプレイ経緯をざっと紹介。



 そもそも私はこのゲームを買うかどうか、結構迷った。"Braid"は素晴らしいパズルアクションゲームだったが、隠し要素の星探しがあまりにエグかったからである。

"Braid"は名作だと思うが、二度とやりたくないゲームでもある。もし星探しレベルのエグい問題ばかりのゲームだったらと思うと、なかなか踏ん切りが付かなかった。


 実際プレイすると、パズルの9割はフェアでやりごたえがあるものだった。ほとんどのパズルはシンプルかつ奥が深く、発想力や観察力が重要で、解き方さえわかれば複雑な手順を延々とこなす必要のないものだった。ただ、一部にはやはり悪問もあったわけだが。それについては先に述べた。

 私は、"The Witness"は9割良ゲー、1割クソゲーだと評価している。



 このゲームの面白いところは、チュートリアル問題だけだと、マークの意味を微妙に誤解することがあるところだろう。

 私は結構長い間、白黒マークを「白と黒の境目を通過する」だと思っていた。そして、その理解でもほとんどの問題は解けてしまう。

 しかしあるとき、その理解だと解けない問題が出てくる。はじめは「このゲーム、バグってるんじゃないの?」とゲームのせいにするが、やがて、自分の理解がそもそも間違っていたのではないかと気付く。

 これはたとえると、ニュートンの万有引力でほとんどの物理現象は説明が付くものの、あるところで説明が付かなくなってしまうことと似ていると思う。ニュートン万歳だった科学者達は、あともうちょっとでこの世の物理現象を全て知ることができると本気で思っていた。しかし、アインシュタインの重力理論が登場し、さらには量子力学などのわけのわからんものまで登場して、科学者達はいかに自分達が井の中の蛙だったかを知ることになるのである。

"The Witness"で体験できるのは、大げさに言えばそうした科学者達の気分である。自分はこのパズルを完全に理解したと思っていたのに、あるとき、実は間違っていたことに気付くのである。


"Braid"も、科学者の心理をテーマにしたストーリーをバックボーンにしていたから、こうした仕掛けは意図的なものなのかもしれない。"The Witness"でパズルを解くことは、科学者が試行錯誤しながら自然の法則を理解していく過程と意図的に重ね合わされている可能性はある。



 通常のパズルについては、私は全て自力で解いた。解くのが難航したパズルについて。


 一番行き詰まったのは枯山水のある建物のパズル。まずそもそも、窓のシャッターの開け方がわからなかった。最初は、ゲームが進展したら開くものだと思っており、後回しにしていた。しかし、一向に開く気配がないから、なんか開け方があるのかと気付く。シャッターの開け方は、知ってしまえば超簡単なのだが、本当になかなかわからなかった。思い込みの恐ろしさである。


 そして、シャッターを開けたら開けたで、解き方がわからない。解き方を理解したのは、あの建物の裏手にある洞窟のパズルを解いてから。あのパズルは本来、枯山水の建物のパズルを解いた後で、その応用編として解くパズルになっているが、私は一番先に解くことになってしまった。


 解き方がわかったので、これで止めを刺せるかと思ったら、最後のひとつで行き詰まる。どうやっても解法がわからない。「影の右に合わせるの? もしくは左?」とか、さんざんいろいろ試しても解けず、方眼紙に回答候補を何度も書いては消し、最後にはスクリーンショットを撮影して、フォトショップで画像を合成までしたが解けず。しまいには考えられる限りの回答を総当たりしたが、それでも解けない。結局、1日半かかっても解けなかった。


 私はコントローラーを握ったまま床に倒れ込んで、横目でモニターに映る問題を眺めながら、ぼーっとしていた。

 そのとき、脳内でもう一人の自分が語りかけてきたのである。


「お前はアホか。仮に今やっているような総当たりで解けたとして、お前はそれで納得できるの?」


「いや、納得できない。総当たりでしか解けないなら最低なクソパズルだと思う」


「このゲームがそんなクソパズルゲーだと思うか?」


「いや、思わない。保護色パズルとかはクソだが」


「ならもっと論理的に考えろ。総当たりとか馬鹿なことをするな。時間の無駄だ」


「じゃあどうすればいい」


「まず、今考えているアイデアを捨てろ。お前、右と左の複合で解くというアイデアで、どれだけやったと思ってるんだ。1日半だぞ。それだけやって解けないなら、解法そのものが間違っているんだろうが」


「でも他に材料がない」


「よく考えてみろ。今、お前はなぜ総当たりをしているの? これだと思う解法が見つかっていないからだろ?」


「確かにそうだ。左はスタート位置が目印になっていて、この位置以外に焦点を合わせる選択肢はない。一方で、右は横にマスをずらしても焦点が合う。つまり、1点に絞れていない」


「だったら、アイデア自体が間違っているんだ。違うか?」


「そうかもしれないけど、他に材料がない」


「材料はないんじゃなくて、見つけてないだけだ。間違った考えに固執しているから他のものが見えなくなるんだ。解法は他にある。そして、それは明白な要素で、パズルの周辺に必ずある。お前のそのクソアイデアは間違ってるんだからさっさと捨てろ。そしてよく探せ」


 探せっつったって、思い当たるところは全部見たぞ。言うだけなら簡単だよ。無責任な奴め。

 と、自分の心の声Aに毒づきつつも、寝っ転がりながらコントローラーを操作して視点をぐりぐりしてみると……確かにそこには、明白な要素が転がっていた。木の枝が床に落ちていたのである。

 見つけてしまえば、なんでこれに気付かなかったんだ? と思うが、間違った解法が正しいと信じ込んでいる内は、それが見えなくなってしまうわけである。



 三角パズルも、毎回適当にやったら解けてしまったために解き方がよくわからなくて、終盤で悩むことになった。

 結局、一旦戻って三角パズルを片っ端からスマホで撮影して見比べて、ようやく法則を理解した。



 竹林の波形型パズルは、最初は全くわからなかったのだが、たまたまそのとき、長時間プレイして疲れていたので、画面をそのままにして小休止を取った。

 しばらく画面をぼーっと見ていると、ふと、鳥が鳴いているのに気付いた。それが暢気な声だったので、私は心の中で八つ当たりした。「人が悩んでいるのに暢気にさえずってるんじゃねえよ、鳥ども!」と。

 そのとき、気付いたのである。このゲームで鳥が鳴いているのはいままで聞いたことがなかった。この竹林でのみ鳴き声が聞こえる。そして、パズルの形が波形ということは、音が関係している可能性が高い。もしかして、この鳥の声が答えなのか? と。


 竹林パズルが解けると、難破船のパズルの解法もわかる。あそこも、このゲームでは珍しく、規則的に音が鳴っている。

 ただし、難破船パズルの音は種類が多く、音数も多いので、ただ聞き取って理解するのはかなり大変。結局私は録音して、波形編集ソフトでカット。音楽制作ソフトのACIDで音を並べて順番を確認した。



 そして、エンディング。エンディングで行き詰まったってどういうこと? と思うかもしれない。

 このゲームでは、一応のエンディングを見ると、そのままゲームが終了してしまうのだが、エンディングを見た時点では多くのパズルが未解決。オートセーブされたデータから続きができる。


 というわけでデータをロードしたのだが、すると、エンディングで入るエレベーターの中から始まって、扉が閉まっていて出られないのである。

 扉を開けりゃいいわけだが、開けたときのスイッチは外側にあって届かないし、閉めたときに入れたスイッチは消えている。


 ……もしかして、嵌まってる?


 なんで嵌まっている状態のデータをオートセーブするんだよ、このクソゲーは……と思いつつ、一旦ゲームを終了して、ひとつ前のデータをロードする。すると、かなり前まで戻されてしまうことがわかった。なんと、例のクソノイズパズルが未攻略のデータだった。

 私はもう、クソノイズパズルは二度とやりたくなかった。解法はわかっているが、そんなことは問題ではない。クソなパズルに触れるだけでおぞましい。拒絶反応が起きるのである。あれをまたやらなければならないと思うだけで頭痛がして吐きそうになる。


 しょうがないから、またエレベーターに嵌まっているデータをロードする。しかしやっぱり、エレベーターから出られない。エンディングに行くスイッチしか見当たらない。


 私は発狂した。


「なんでエレベーターに閉じ込められたデータなんだよ! 意味ないだろ! で、なんでそのひとつ前のデータがよりによってクソノイズパズル未攻略のデータなんだ! やり直したくないんだよ! ノイズはもう嫌なんだ! ちくしょう、クソゲーめ! クソクソクソ!」


 このセリフは心の中ではなく、マジで声に出していた。本気で泣きそうになりながら、必死でエレベーターの中でぐりぐりしてみた。もしかしたらすり抜けバグとかが発生して、エレベーターから脱出できるんじゃないかと思ったのである。


 しかしどうしても脱出できなくて、絶望に打ちひしがれたそのとき、ついにエレベータを開けるスイッチを見つけた。すんげえわかりにくいところにあった。


 私は感動に涙した。エンディングなんか比べものにならないほどの感動が溢れた。ああ、ありがとう、神様。俺は自由だ! 自由って素晴らしい! そして開発者は地獄に落ちろ!


 ……いやほんと、なんで扉を閉じた状態でオートセーブするんだか。これは偶然ではない。間違いなく悪意に満ちたトラップである。



 そして、風景パズル。

 風景パズルに初めて気付いたのは、例の1日半行き詰まった枯山水のある建物のところ。

 このゲームをさんざんやっていると、ふと、風景がパズルに見えることがある。

 最初は、ちょっとこのゲームをやりすぎだよな、と思うだけだが、あるとき、やっても無駄なんだけど、と思いつつ、何気なくパズルを解くときのように一筆書きをしてみる……と、マジで解けてしまうのである。


 え? つまり、これってたまたまパズルに見えるんじゃなくて、本当に隠しパズルなのか!


 このことに気付いたとき、このゲームの世界が一変する。実はこのゲーム、思った以上にパズルだらけだったのである。

 このゲームには観光スポットがたくさんあるが、この観光スポットはただ見て楽しむものではなく、その中にパズルを探して見つけ、解くという隠し要素が紛れ込んでいたのであった。


 このゲームの各所にはオベリスクがあり、最初は単なる謎めいたオブジェクトにしか見えないが、実は、風景パズルのヒントになっていることがわかる。オベリスクによって風景パズルの数がわかり、また、どういう形をしているかもわかる。そしてそれは大きなヒントになる。たとえば、左右対称だったら水面を利用したパズルの可能性が高いし、線がきれいな直線だったら人工物だとわかる。


 ただ、オベリスクの面による分類が予想外で、あれでかえって惑わされることもある。街と視聴覚室が同じ面だったり、洞窟と温室が同じ面だったり。湖のオベリスクは逆に、分類が細かすぎてわかり辛い。


 船を使ったパズルや、最初の砦のパズルなどは、起点や終点は簡単に見つけられるものの、途中の道がない、というタイプだが、こういうのは可能性を絞り込んで消去法でやっていけぱいずれ解ける。


 パズルを再利用するタイプのものは、なまじ正解のパターンを知っているだけに、そこから発想を発展させるのが難しいことがある。


 一番難しいと感じたのは、特定の位置や角度からでないと起点や終点が全然見えないタイプのもの。パズル自体は単なる一本線だったりしてめちゃくちゃ簡単だが、見つけるまでが苦行。


 最後まで残ったのは、竹林オベリスクの枯山水の面の3番目の直線と、湖オベリスクの花畑の2つ、あとは温室の2つだった。

 このうち、温室の赤色の部屋のやつは攻略サイトを見て解いた。あの温室に長くいると本当に気分が悪くなるし、発狂しそうになる。健康に悪いので、無理しないことにした。

 枯山水の3番目と花畑は、オベリスクの分類に惑わされた。探す場所が間違っていたせいで長いこと発見できなかった。正しい場所を探してしまえば、見つけるのは苦労しなかった。



 隠しエンディングについて。

 表のエンディングがあまりにあっさりしたものなので、隠しエンディングは必ずあると思っていたが、私はずっと、チャレンジのクリアが隠しエンディングへの条件だと思っていたため、見つけたときはびっくりしたというか、拍子抜けした。単に風景パズルのひとつを解いたつもりだったのに、それが隠しエンディングへの道を開くパズルだったのである。


 隠しエンディングへのパズルを解くには、別の場所で示されている解法を覚えておく必要がある。私はたまたまその解法を見かけたとき、どこかで使うと思って、ちゃんと紙に書き写していた。そのため、すぐに解法はわかった。


 隠しエンディングはムービーとなっていて、パズル中毒になっちゃった人が、

いちいち丸いものに反応したり、ドアを開ける前にカギを回したりする様を映したものとなっている。

 面白いのは、壁の額縁にパズルが飾ってること。なのに、そのパズルには全く反応しないで、現実にある、パズルでもなんでもない丸いものにのみ反応する。


 作品分析的な側面から考察すれば、パズルをあえて解かないのは、現実世界でパズルを解いたらどうなるかをぼかすためだと思われる。

 ゲームの世界では、パズルを解くことで道が開かれる。その法則から行くと、額縁に飾られたパズルを解くと、ドアが開いたり窓が開いたり、あるいは光のパーティクルが飛んで音がしたりするかもしれない。しかし、現実にはそんなことは起こるわけがない。

 もしあの映像でパズルを解いてしまうと、何かが起こるか、何も起こらないかの二択になってしまう。すると、あの映像の世界が、現実世界なのか、ゲームの世界なのかが確定してしまう。作者はそれを確定することを避けたのだろう。あの世界が現実なのか、ゲームの世界なのかをぼかすために、パズルを解かなかったのである。


 では、なぜパズルを飾っているのかというと、現実でゲームの世界の様子を再現したらどうなるかを再現するため。

"The Witness"の世界では、当たり前のようにそこら中にパズルがある。しかし、現実にパズルがそこら中にあったら、一気にシュールになる。そのギャップを描きたかったのだと考えられる。

 壁にパズルを飾っているだけで、Pink Floydのムービーみたいな雰囲気になってしまうのが面白い。



 チャレンジについて。

 チャレンジは、洞窟の奥底で待ち受ける、プレーヤーへの最大の試練。風景パズルは実績に絡まないが、チャレンジはクリアすると実績が解禁される。というわけで、このゲームを真にクリアしたという証が欲しければ、クリアしなければならない。


 チャレンジは4つのセクションで成り立ち、出題される問題はランダム。制限時間があり、時間内に全て解かなければならない。このチャレンジに関しては攻略サイトを見ても意味がない。完全に実力勝負である。


 チャレンジは、レコードを再生すると開始される。レコードはグリーグの『ペール・ギュント』から「アニトラの踊り」と「山の魔王の宮殿にて」の演奏を再生する。演奏が終わると時間切れ。

 このゲームでBGMが流れるのはチャレンジの時だけ。その選曲が『ペール・ギュント』なのは、もちろん意図があってのことだろう。


『ペール・ギュント』は自分探しの物語。主人公のペール・ギュントは、波瀾万丈な人生を送ってはいるものの、その節々では結婚から逃げ、トロルの王の座から逃げと、何も決断することなく逃げ続け、何も得ることなく過ごす。

 そして、彼が死を迎える直前に、お前の人生は善でも悪でもない中途半端なものだから天国にも地獄にも行けないと宣告される。そこで、ペール・ギュントは自分の人生が凡庸ではなかったことを証明しようとする。

 つまりこの選曲は、ゲームプレイの総仕上げにチャレンジに挑戦して実績解除を狙おうとするプレーヤーを、ペール・ギュントに見立てたものなのだろう。

 ペール・ギュントは結局、それを証明することはできなかったわけだが、それが開発者のメッセージなのだろう。つまり、実績を解除しようがしまいが、そんなことは何の証明にもならんぞ、という。余計なお世話である。


 私はパズルゲームで急かされたくない。なので、タイムアタックは極力しないことにしている。

 しかし、チャレンジをクリアしないと、実績はともかく、隠し動画がひとつ解禁されない。この動画は観たい。

 それで何度か挑戦したのだが、どうもクリアは望み薄な感じだった。先に説明したとおり、チャレンジの間には「アニトラの踊り」と「山の魔王の宮殿にて」が演奏されるのだが、「山の魔王の宮殿にて」は短いため、これが流れる頃には少なくとも最後のセクションまで到達していなければまず間に合わない。

 しかし、3つ目のセクションに入った頃にもう再生されていることが多く、酷いときには1つ目で入ってしまう。


 こりゃ無理だろうな、とかなり諦め気味だったのだが、風景パズル探しが行き詰まって、息抜きにグリーグでも聴くかと思って何の気なしにやってみたら、妙に簡単な問題ばかり出てきた。おかげで「アニトラの踊り」が終わらないうちに最後のセクションまで行ってしまった。

 最後の円柱問題で若干手間取ったものの、かなり余裕を持ってクリア。「魔の山」のイントロにちょろっと入ったあたりで終わった。

 どうやらこのチャレンジ、ランダムなだけあって、出題の難度に波があるらしい。


 というわけで、チャレンジクリアの報酬として、最後のムービーを見ることができたわけだが、その中身は2002年に行われたBrian Moriartyの講演となっている。ゲームでは、講演の音声データと一緒に、夜空に浮かぶ月の映像が流れる。そして、チャレンジをクリアするくらいこのゲームをやりこんだプレーヤーなら、丸いものを見たらピンとくる。風景パズルである。


 この講演の内容は、ゲームデザインやイースターエッグに関するもので、そのうちのひとつに、Brian Moriartyが昔働いていた電気屋のエピソードがある。

 その店では毎月、安物の電池が無料でもらえる券を配っていたのだが、その電池は店の奥底に眠っている。店の狙いとしては、無料の電池をエサにして他の商品を買って欲しいわけだが、客は無料の電池しか興味がない。客はただ、店内を無駄に歩かされた後、無料の安物電池だけを掴んで帰っていくのである。


 これはつまり、実績やらなんやらをエサにしてプレーヤーにつまらん苦行を強いるのはしょうもない行為だということを示すためのエピソードなわけだが、その講演の音声データを使ってこのゲームの開発者が何をしたかというと、1時間待たないとクリア出来ない風景パズルを仕込むことだった。


 先にも書いたように、この講演の音声データと共に月の映像が流れるのだが、この月はちょっとずつ動いている。で、この月を利用して風景パズルを解くには、この講演を丸々聴かなければならないのである。その時間が1時間。クソ野郎である。"Braid"でもただ待つだけのクソ隠し要素を仕込んでいたが、またやりやがった。


 この講演自体は面白いから聴くことは苦ではないが、1時間、ただじっと待っていなければならないパズルはやめていただきたい。しかも、うっかり見逃したりミスったりすると、もう一回やり直さないといけなくなる。



 オーディオログについて。

 このゲームでは、オーディオログが各所に散らばっている。中身はいろんなテキストの朗読。ただ、隠しエリアに置かれているログの中には、朗読者がメタ・フィクション的なことを話しているものもある。それによると、これらログは思索を深めるためにあるらしい。


 視聴覚室では、先に書いたBrian Moriartyの講演以外にも、講義や講演、あとはよくわからんショート・ムービーなどが見られるが、これらも思索を深めるためのものなのだろう。


 つまり、"The Witness"の舞台となる島は、プレーヤーが思索を深めるために作られたわけである。

 そう考えてみると、いろいろ納得する。確かにあの島は思索にはちょうどいい環境である。静かで、四季折々のいろんな風景が見られる。

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