PC:パズル

The Talos Principle

 本稿は2015年、2016年に私のwebサイトに掲載した文章を再構成したものである。


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 Steamで"The Talos Principle"をプレイ。

 このゲームについては事前にどういうものかは全く知らなかった。Steamストアの割引セールの中に入っていたのを見てデモをプレイし、気に入ったので購入した。



 本作は一人称視点(背後視点にも切り替えられるが、そうするとプレーヤーがロボットであることがはっきりとわかる)のパズルゲーで、プレイヤーは各所に散らばるパズルチェンバーをある程度好きな順序でクリアしていき、テトリスのブロックみたいなのを集めていく。そのテトリスブロックがドアの鍵となっており、それを集めることで行ける場所が増えていく、といった感じ。

 テトリスとは別に星も各所に散らばっていて、これはクリアに必須なアイテムではなく、より難しいパズルに挑戦したい人向けのものとなっている。


 印象としては、『ワンダと巨像』からアクション要素を削って、代わりに"Portal"っぽくして哲学議論を突っ込んだもの、といったように感じた。広めのフィールドを歩き回る感じは『ワンダと巨像』に似ているし、実際のパズルは"Portal"っぽい。ポータルガンは出てこないものの、ブロックを持ち上げたり、レーザーの角度を変えたり、といったギミックは明らかに"Portal"の影響を受けているだろう。


 パズルの難易度は少し高めで、"Portal"よりは難しく、"Braid"や"Limbo"とはほぼ同格と考えていい。シビアなアクション操作を要求されることはなく、じっくりと考えて理詰めでクリアできる内容。

 基本的に言葉や文字によるヒントはなく、歩き回ったり、見たり、実際にいろいろ試してみたりすることで解き方がわかる、というもの。ヒントの出し方が素晴らしく、さりげないものの、やっているとそのうち気付けるようにできている。ひとつひとつのパズルは短いので、やり直しの負担が少ないのもいいところ。


 オマケ要素である星探しについては頭を使わされる内容で、かなり難度は高い。ただ、30個ある星のうち、27個はどこにあるか明示されており、所在不明の3つも比較的見つけやすい場所にある。そのため「パズルが解けない」以前に「そもそも星がどこにあるかわからなくて探し回る」という無駄な手間をかける必要はない。これは地味だが重要なことである。もし星の所在がわからない場合、怪しいところを総当たりする羽目になり、超絶につまらない体験を強いられることになるからである。

 星が集めきれなくてもゲーム本編にはさほど影響はないので、ライトプレーヤーは無視してもいい。ただ、星関連のパズルは解けたときの達成感がものすごいものが多く、苦労に見合うものは充分にある。



 特徴的なのはストーリー展開の仕方で、基本的に一本道のくせに、プレーヤーの選択意志でストーリーが展開しているかのように見せている。

 本作では、各所にパソコンが設置されており、このパソコンを起動すると、断片的な情報にアクセスできる他、謎の相手とチャットできることがある。そのチャットの内容が哲学の議論というところが、このゲームの面白いところ。プレーヤーはロボットで、相手もA.I.。なのに「人間とは何か」「道徳とは何か」といった議論をするのである。

 チャットでは選択式で相手の問いに答えていくのだが、相手はプレーヤーの選択肢を覚えていて、それを踏まえて議論をふっかけてくる。


 このパソコンでのやりとりは、実はゲームの進行とは何も関係なく、全て無視してもいい。しかし、このチャットがあるからこそ、一本道なはずのゲーム展開が、プレーヤーの選択の結果としてあるかのように錯覚させるようになっている。この仕掛けは独特で面白い。



"Portal"はあらゆる意味で完璧なゲームで、あれと比べてしまうと、"The Talos Principle"はいろいろと気になる点はある。歩き回れる範囲がバズルゲームとしてはやや広すぎて散漫だし、ストーリーや全体の雰囲気も、内容のありきたりさに比べると気取り過ぎな印象。しかし、そうした欠陥を含めて、このゲームは優れた一本だと言える。研ぎ澄まされていないからこその良さがある。



 ……以下はネタバレありの話。





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 私がこのゲームで長いこと行き詰まった謎解きは2つ。


 ひとつは時計の謎解き。A-3という序盤にあるため、まさかゲーム内で完結しない謎解きとは思わず、さんざんチェンバー内を歩き回った。しかし、どうしても何時何分なのかわからなかったので、もしやと思ってQRコードにスマホをかざしてみたが、反応しなかったので、「さすがにリアルにスマホをかざすような謎解きじゃないか」と思い直す。

 しかし、どうしても解けず、行き詰まった挙げ句、じっと読み取れないQRコードを眺めていたら、突然ひらめいたのである。「あ、これ、向きが違うのか」と。


 QRコードをスマホで読み取りさえすればあとは簡単。二桁の数字の羅列がASCIIなのは一目瞭然なので、平文に変換して解読完了。しかし、読み取った内容が「鷲は舞い降りた」なのはシビれるものがあった。


 この時計の謎を解いている最中、ずっと頭にあったのは『ワイルドアームズ』のデ・レ・メタリカだった。こうした謎解きは複雑なものではなく、単純にどこかに「何時何分に合わせればいい」と明記されているはずだと当たりを付けていた。デ・レ・メタリカを自力で解いた経験があったからこそ、この時計の謎も自力で解けた気がする。



 もうひとつはA-5の「箱二つ」のフェンス越しに見えている星。実はこれが一番解くのに時間がかかった。時計は数時間といったところだが、これには半日かかっている。

 電源の線が延びていることは早い段階で気付いていたのだが、入り口側面の反対側にスイッチがあるということに全然思い至らなかったのである。そのためにずっと、どうブロックを積み上げたらフェンスを超えられるのかとか、隣のチェンバーから侵入できないかとか、地雷に箱を乗せたら壁を越えられないかとか、そんなことばかり考えていた。

 ただ、このとき考えた「隣のチェンバーから侵入する」や「地雷に箱を乗せる」などのアイデアは、別のチェンバーの謎解きで使えるものだったため、ここで試行錯誤したことは無駄にはならなかったといえる。



 初回クリア時、私は星が29個しか集めていなかった。残った1つはCの使徒の世界のやつで、恋人の像の謎解きだろうと当たりは付けていた。しかし、後回しにしている内に塔に登ってしまうことになる。

 当初私は、星が全部集まっていないとゲームクリアできないと思っていた。そのため、「30個集まってないし、どうせどこかで行き詰まるだろう」と思って塔を登っていた。しかし、いつまで経っても行き詰まらないので、「まさか、星が足りないとバッドエンディングになるんじゃないだろうな」とだんだん不安になってきた。

 しかし、そんなこともなく、結局ベストエンディングっぽい終わり方をしたので、じゃあ星って結局なんなんだよと疑問に思った。


 エンディングを見た後、バックアップデータからやりなおし、星を30個集めて、改めて塔のエレベーターに行ったらびっくりした。エレベーターが下ったからである。

 そういえば、エロヒムは「塔に登るな」と言っていた。つまり、下るのはOKなのである。星がベストエンディングへの鍵ではないところは皮肉が効いている。パズルに執着しすぎる者は、物事の本質を見失って、パズルの世界の住人になってしまうわけである。星エンディングは、手段が目的に変わってしまった者の末路と言えよう。しかしまあ、パズルを全制覇した人がヘルパーになるのは、理に適っているといえばそうではある。

 余談だが、星を集めた後の最後のテトリスパズルの完成型は美しくて、私はエンディングムービーとか演出などよりも、そっちで感動した。

 余談ついでに言うと、塔を登るときのブロックが赤いのもいい演出といえる。ストーリー展開やエロヒムの言葉などよりも、ブロックが赤いという、たったそれだけの演出の方が効果絶大だという。



 QRコードで登場するキャラクターについて。

 QRコードの情報はゲームクリアには何の意味もないが、雰囲気の演出としてはパソコンと同様に重要な役割を担っている。同じようにこの世界を彷徨い、パズルを解いている、他のキャラクターの存在を感じることが出来るからである。『ダークソウル』のメッセージと似たような効果がある。

 気になったのでざっと登場するキャラをまとめてみると、主に登場する@(D0G、 "%§&$§/$&(#()")、Samsara、Sheep(The shepherd)はすべて1w/Faithの子孫で、1w/Faithは「心に悪意があるヘビが入ることを許した」ことでプログラムが終了している。

 また、もともとアーカイブとソーマ/タロスは別個のプログラムだったが、アーカイブから蛇が生まれ、それがソーマ/タロスプログラムに影響を与えたことで、人間に近い思考ができるAIが生まれるきっかけを作ったようである。これはおそらく禁断の果実のオマージュで、1w/Faithはアダムとイブだと言える。ミルトンライブラリの「ミルトン」は『失楽園』を連想させるので、この辺は意図的な仕掛けだろう。

 @はエロヒムの目的から逸れて名所巡りに没頭した後、不具合を起こして終了。D0Gはアーカイブの蛇に影響されすぎて虚無主義の疑心暗鬼に陥り(@の時に感動していたものにいちいち「意味がない」などと否定的なことを書いている)、最終的にフィールドの外に出て自殺(C-5「光陰矢のごとし」の外にエピタフがある)、%§&$§/$&(#()はこの世界から逃げだそうとした挙げ句におかしくなってしまった様子。

 SamsaraとSheepは、ゲームをプレイしていれば自然と役割は見えてくるが、興味深いのは、Sheepは蛇を怒らせた(つまり、「蛇を黙らせる」実績を獲得した)らしいということ。D0Gに対して「君はアーカイブを真剣に捉えすぎている」とも言っており、ミルトンとは対立関係にあるように見える。



 パソコンのチャットについて。

 蛇とのチャットでは、選択肢次第でいろいろな哲学的議題が出されるが、そのひとつにトロッコ問題の変形がある。

 トロッコ問題とは、ある人が線路の切り替え器の前にいて、そこから線路が二股に分かれており、一方には5人、もう一方には1人が線路の上で動けずにいる。そこにトロッコがやってくる。切り替えなければ5人が死に、切り替えたら1人が死ぬ。この状況で、切り替え器の前にいる人が「切り替えないで5人を見殺しにすること」「切り替えて1人を殺すこと」は、それぞれ道徳的に見て許されるか(この際、法的問題は無視し、また、他の手段は取れないものとする)、という質問。


 これは一種の心理テストとして扱われることが多い。その場合は、「あなた」が切り替え器の前にいるとして、どうするかを問う形になっていることが多い。本来のトロッコ問題では、第三者が下した決断を「道徳的に許されると思うか」を問うている。

 しかし、本来これは心理テストの類いではなく、人間はどういう基準で道徳的判断を下しているのかを考えるための思考実験である。


 統計結果から、こういう状況では、1人を殺して5人を救うのは「やむを得ない(許される)」と感じる人が多いことがわかっている。しかし、1人の健康な人を殺して臓器を取り出し、その臓器で5人を救う場合は、「許されない」と感じる人が多くなる。

 同じ1人を殺して5人を救う行為なのに、なぜ感じ方が変わるのか、といったことを考えることで、人間の道徳観を理解しようとするのがトロッコ問題の本来の役割である。誰かの道徳観をテストするためのものや、何が正解かを問うものではない。

 そもそもトロッコ問題は、功利主義や義務論に対する批判から生まれたものである。人間の道徳観は功利主義や義務論が主張するような単純なものではない、ということを示したところに意味があるわけで、これを単なる心理テストとして捉えると、底の浅い議論しかできなくなってしまう。


 もちろん、本作における蛇の出題は、哲学的、学問的な目的での思考実験ではなく、プレーヤーを批判するためだけに仕掛けてくる。


 蛇からの出題は次のようなものである。

"The Talos Principle"の世界から脱出する方法が見つかって、大勢の仲間と共に脱出しようとしているとする。しかし、その最中にある1人が移動に失敗して、そのせいで全員が危険にさらされている。そのまま放っておくと全員が脱出できないばかりか、プログラムが暴走して何が起きるか分からない。しかし、その1人を消去してしまえば、残りの全員は脱出できるだろう。プレーヤーはその1人を殺すボタンを押せる。それを押すかどうか、という質問である。

 いまいち状況がよくわからないが、脱出プログラム実行中に1人がバグって、そのせいでプログラムが正常に走らず、下手すると全員消滅してしまう危険があるとか、そういうことだろうと私は解釈した。


 この状況はもともとのトロッコ問題からはだいぶ発展したもので、プレーヤーは脱出を主導するリーダーで、その脱出作戦の遂行中に1人が足手まといになっている、という状況になっている。

 こういう場合、リーダーは作戦を完遂する義務と責任があり、個人的な道徳観よりも、社会的責任の方が重要になる。というわけで、たいがいの人は社会的責任や義務感から1人を殺すことを「やむを得ない」と判断するだろう。私もそういう判断をした。

 こうした判断に問題が含まれていることは確かである。国家や組織が大量虐殺を命じたとき、人がしばしばそれを平気でやってしまうのは、道徳観よりも社会的責任や義務感が勝るからである。

 その問題について議論するならまだわかる。しかし蛇は単に「プレーヤーの道徳観はいい加減だ」と批判してくる。道徳観の問題ではないにも関わらず、である。


 おそらく、この蛇が前提としているのはカントの義務論信奉者であり、蛇の批判は普遍的な道徳感があると考えている人に対するものである。つまり、大勢を救うために1人を殺すのはやむを得ないと考えるのは功利主義であり、普遍的道徳とは言えない、という批判である。

 しかし、私は蛇とのチャットで、普遍的道徳なんか存在しないと答えているのだから、そこを批判されても困る。もちろん功利主義も信奉していない。私は量子論やレヴィ=ストロース以降の世界に生きているのだから、いまさらベンサムやカント止まりの哲学観など持っていないのである。


 そもそも、私の道徳観に一貫性がないことを批判すること自体、おかしな話である。道徳観に一貫性があることが本当に正しいのだろうか。トロッコ問題で常に多数を救う選択をする人の道徳観が絶対的に優れていると言い切れるのか。「道徳観に一貫性がある」とはどういう状態を指すのか。


 トロッコ問題は、一貫性がないように見える人間の道徳観に理論を見出そうとするための思考実験であり、それを使って私の道徳観を批判しようとすること自体に矛盾がある。蛇の議論は一般人は騙せるかもしれないが、多少なりとも哲学をかじっている人間を騙すことはできない。舐めてもらっちゃ困る。



 DLCの"Road to Gehenna"について。

 このDLCは本編同様、テキストが多量にあるのだが、発売から数年経過した今でも日本語未対応となっている。このゲームにおけるテキストは、攻略には必要ないものの、雰囲気を演出するものとしては重要なので、翻訳されていないのは辛いものがある。自力で翻訳するにも、量が膨大でかなり大変。

 残念だが、私はパソコンのテキストは無視してプレイした。


 このDLCでは、本編でも度々名前が登場していたUrielとなって、本編よりも辛くなった新規パズルを解いていくことになる。


 パズルの数は20以上と、本編に比べると少ないものの、ひとつひとつのパズルの中身は詰まっているので、ボリューム不足は感じない。


 本編をクリアした人向けなのでチュートリアルはなく、初っ端から難しいものの、シビアなタイミングを要したり、操作が難しめなパズルは本編よりも減っていて、パズルの質は上がっている。

 ただ、ワールド1の"Open Field"のように、無駄にエリアが広いだけのパズルはやめて欲しかった。オブジェクトを広範囲に散らばせることで難易度を上げるのは、いいパズルの構造とは言えない。


 星探しについては、ワールドあたりのパズルの数が減ったことで本編よりも可能性が絞られているため、本編よりも簡単な印象を受ける。本編の時計のように、QRコードをリアルスマホで読み取らないといけないような謎解きも存在しない。一方で、パズル同士を連動させた大掛かりな解法は健在で、こうしたパズルが解けたときの達成感は本編に勝るとも劣らない。


 なお、星のパズルで一番難しいのはワールド1だったりする。難しいというか、面倒くさいというか。なので、ワールド1の星は最後に探した方がいいだろう。

 また、今作では星は全部集めなくても隠しワールドに行けるようになっている。多少の取りこぼしが許されるので、面倒くさいのはパスする手もある。


 隠しワールドは、ワールド内のパズル自体は簡単かつ小粒であんまり面白くない。隠しワールドに入れるプレーヤーは、星集めの際の大掛かりなパズルを解いているわけだから、これじゃ物足りないだろう。

 むしろ、隠しワールドの入り口を探す方が大変だったりする。だいたいどこにあるかは推測できるものの、結構無駄に苦労させられた。


 総評としては、本編をやりつくした人なら、買って損はないDLC。

 ただ、なぜかワールド1は、やたらとプレイヤーのモチベーションを削る要素が多いので、ワールド2からやった方がいいかもしれない。


 あと、これはネタバレには当たらないと思うので一応情報提供しておくと、ワールド3に入ってすぐの真正面の遠くに見える小島は、いかにも何かありそうに見えるが、星や隠しエリアとは無関係である。無駄な時間を費やさないようにしよう。

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