The Beginner's Guide (4200字)
"The Stanley Parable"の開発者が、Codaと称する開発者が作ったゲームを解説する、という内容の……ゲーム?
私は、ゲームがゲームであることの最大の特徴は、プレイヤーが内容に干渉できることにあると思う。その点で言うと、このゲームも、Codaが作ったとされるゲームも、プレイヤーが干渉できる幅がとても少ない。映画を鑑賞しているのと大差ない。
ただ、作品の世界にプレーヤーが入り込んで体験するという感覚はゲームならではともいえる。映画ではこうはいかない。そういう意味では、これもまた立派なゲームだとも言えるわけである。
いずれにしろ、これはこれ単体でプレイするよりは、"The Stanley Parable"とセットでプレイした方がいいだろう。
また、これは何らかの創作をやっている人向けのゲームと言える。消費者にとってはつまらない「ゲー無」に過ぎないと思う。
以下はネタバレあり。
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[追記 2020.11.1]
この記事は、読んでいる人がプレイしたことを前提にして書いていたが、よく考えると、プレイはしないけどネタバレ記事を読んでプレイした気分になりたいというニーズもある。実況プレイ動画が流行する理由の一端はそれだろう。
というわけで、プレイしていない人向けに話の筋をざっと書いておく。
"The Stanley Parable"の開発者であるDaveyにはCodaという友人がいた。Codaは実験的なゲームをいくつも作っていたが、それを公開することはなく、Daveyなどの知り合いにのみ見せていた。
彼の作品はゲームとして見るとアレだが、ところどころ光るセンスがあったし、なによりCodaの思想や哲学が見え隠れして、それがDaveyとっては魅力的だった。
しかしある日を境に、彼のゲームは荒んでいく。牢屋ゲームや自虐ゲームみたいなのばかりを作って、心を閉ざそうとしているのだ。
Daveyは心配した末に、Codaの作品を勝手に公開して、いろんな人から意見を求めた。
しかし、そのことがCodaにとっては逆効果となった。Codaは"Tower"というゲームを作ってDaveyにプレイさせた。それは、クリア不可能な謎解きが連続しているゲームで、Daveyのようにソースコードを書き換えられる人間にしか、クリア時のイベント演出を見ることはできない。
そしてそこには、Daveyに対する非難が書かれていた。勝手に人の作品を改変したり公開したりするな、と。
それ以来、Codaとは連絡が付かないし、おそらくゲームも作っていないだろう、ということである。
……このように、ストーリーだけ書くと、しょうもない話である。Codaが非難するのは当然だろう。Daveyはお節介なクソ野郎。それだけのことである。
ただ、本作は、Daveyの解説を聞きつつ、Codaが作ったゲームを体験することで話が進んでいく。そこが重要。
ティム・バートン監督の映画に、史上最低の映画監督と評されるエド・ウッドを描いた『エド・ウッド』がある。この作品だけ鑑賞すると、エド・ウッドは映画作りに情熱を燃やす男で、彼を評価しない周囲が悪いように見える。
しかし、エド・ウッドの作品を実際に鑑賞したことがあるなら、エド・ウッドの映画に批判的な彼らの言い分はよく分かる。エド・ウッドの映画を観たことがあるかないかで、印象が大きく変わる映画となっている。
本作にも、それと同じ要素がある。Codaのゲームを体験することが重要なのである。
[追記終わり]
プレイした感じだと、このゲームで語られている話は実話っぽいが、しかし、そうすると、どうしても気になる点がある。Codaが作ったゲームを無断で公開した上に改変して金を取ったら、著作権的な何かに抵触するだろう。そんな法的にヤバそうなゲームが未だにSteamで売られ続けているということは……実はこれ、丸々フィクション?
もしこれが実話だとすると、Daveyはなかなか酷いヤツということになる。どう酷いかは言うまでもないだろう。そもそも法的にヤバい。
しかし、これがフィクションだとすると、相当デキのいい作り話だと言える。かなりリアリティがある。
これが実話だった場合、私が言うべきことは何もない。なので、ここではフィクションだということにしておく。
フィクションだとすると、Codaというのはおそらく、"The Stanley Parable"をリリースする前のDavey自身だと思われる。独り善がりなゲームを作って満足していた、かつての自分ということ。そう解釈すると、いろいろ合点がいく。
Codaはとにかく自分のためだけにゲームを作っていれば満足で、それを公表する気はない。ソースコードを書き換えない限り絶対に解決不能なパズルを入れて、独りで勝手に愉しんでしまうのである。
しかし、Daveyはそれじゃダメだろうということで、勝手にCodaの作品をクリア可能にして公開し、人々に意見を求める。
他者が非公開にしたがっている作品を勝手に改変して公開するのはお節介を通り越していろいろダメだが、これがDavey自身の心の中の葛藤だと解釈すれば納得がいくだろうし、カクヨムで何か投稿している人なら、覚えのあることのはずである。
ここはカクヨムだからカクヨム作者向けな例を出すと、純粋に書くのが好きだからと、自己満足で小説を書くのは楽しい。しかし、カクヨムでランカーになるとか、書籍出版するとか、プロになることを考えるなら、読者のことを考えなければならない。自己満足に浸っている内は商業作家にはなれない。
というわけで、最低限、人様が読めるモノへと書き直して、カクヨムで作品を公開して、読者の反応を見る。カクヨムはシステム上、批判や意見は作者の耳に届きにくいので、自己満足に浸ったままでも活動できなくもないし、そういう人も多いが、それでもPVや星といった数字によって、間接的に知らされることになる。お前の作品は自己満足で終わっているのだ、と。
こうした現実を突きつけられたとき、創作者の中には二つの気持ちが現れる。Codaは、俺はプロになんかなりたくない。好きなモノを作れたら幸せなんだ、と言い、Daveyは、創作物は鑑賞者がいてこそ成立するものだ、自己満足で留まっては先がない、と言う。
これは、どちらが正しいということはない。自身の創作活動が自己満足の趣味のままでいいならCodaの声に従えばいいし、そうでないならDaveyに従うべきだろう。
タイトルが"Beginner's Guide"というのも、私小説的フィクションであることを示唆する。自分が自己満足でゲームを作っていた頃の紹介、というわけである。
一方で、これが実話という可能性もなくはない。というのは私も、作者に無断で公表したい作品があるからである。
高校生の頃、私はカクヨムでも公表している「南国の木漏れ日」などを書いていたわけだが、その当時、同級生に小説を書く人がいた。彼は明らかに私より巧かったし、文章技術まで含めた総合的な完成度という点では荒削りだったかもしれないが、少なくとも心理描写や話の展開の仕方に関しては、プロの作品と比べても遜色がなかった。私は未だに、素人の作品であのレベルのものを見たことがない。
彼は自分の作品を公表しなかった。もしかしたら私にしか読ませなかったのかもしれない。その後、大学生になってから再会すると、もう小説は書いていない、小説を書いていても先がない、と言っていた。
私が彼の作品に抱く気持ちは、DaveyがCodaに抱くものと似ている。私は、彼は作品を公表すべきだと思うし、それに値するだけのデキだと思う。また、彼の作品が世間で認められることが、私の創作意欲にも繋がるはずである。
ただ、だからといって、非公開の作品を本人に無断で公開するか? というと、やるわけがない。それを商業ベースでやらかして、それをSteamが長々と黙認している……というのは、やはり不自然である。
あと、Daveyに抗議するために、わざわざ"Tower"を作ったというのは、やはりどうも嘘くさい。直接言えばいいことだろう。ゲームを作る大変さを考えると、一人に文句を言うためだけにゲームを作るのはありえそうにない。そもそも、たった一人のためにゲーム作りができるだけの執念と熱意があるなら、ゲーム作りをやめたりしないだろう。
また、"Tower"は、他のゲームと比べると突出して良く出来過ぎている。クリア不能な謎解きの果てにあの文章が登場するというくだりは衝撃的だが、逆に、あれだけ他者の心理をピンポイントで突いた演出ができるなら、自己満足の牢獄に嵌まったりしないように思う。
"Tower"が作れる技術があるなら、内省的なゲームを作るにしても、以前からもっと他者に伝わるものが作れていたはずである。
"Tower"以前のゲームは、どれも自己完結していた。他者との対話がないし、解説がなければわけがわからないものも多い。
しかし"Tower"は明確に他者の存在を意識して作られている。ターゲットとなるプレーヤーを的確に苦しめ、クリアできる謎解きを用意し(あれはDaveyのためだけに作られたゲームなので、Daveyだけがクリア出来るパズルを用意するのは理に適っている)、正しくメッセージを届けている。そして、そのゲームデザインは的外れなものではない。ちゃんと人の心を打つのである。
Daveyに対する愛憎が、奇跡的にあれだけの質のゲームを作らせたのだろうか? 私はそんな奇跡が起きるとは思わない。独り善がりな会話や展開に終始するゲームばかり作っていた人が、いきなりたまたま"Tower"を作ってしまうはずがない。
あれとエピローグは、おそらく"The Stanley Parable"の後に作られたものだろう。
[2020.11.1 追記]
この話がフィクションだとすると、Codaの正体にはもうひとつ可能性が考えられる。開発スタッフの習作を寄せ集めて、「街灯」などの要素を加えて統一感を出した、というもの。フィクションであるなら、Codaの作品が全て1人の手によるものである必然はない。
「僕が初めてCodaと会ったのはこのゲームを作っているときだった」みたいな語りは、Daveyとスタッフとの出会いという事実を基に脚色しているのかもしれない。
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