未来への鍵
寝れない。
ふとして目を開ける。どっちにしろ真っ暗だった。瞼を閉じてようが開けてようが変わらず、周囲は闇に包まれているだけ。時計の針は深夜二時をとっくの昔に回っているというのに、頭と目は、はっきりと冴えていた。天井の染みと睨み合っていたら、いつのまにか暗闇にも慣れてくる。
「昼寝なんてしてないのになぁ……」
私以外誰もいない真っ暗な部屋での独白。そのままゴロゴロと何度も寝返りを打っては身体にフィットする場所を探した。しかし眠気はやってこない。枕の位置を変えたって走り出したくなるような高揚感は消え去ってくれなかった。
まずい。これはまずいよ……
明日からは暇で暇でしょうがなかった長い春休みも幕を閉じて、授業が始まってしまう。確か明日は一限からだっけ。望と一緒に取っている授業だ。
つい一時間前にそれを思い出して、周回していたスマホゲームを投げ出してまで布団に潜ったのだから。どうにか脳が休んでくれないと困る。
「誰か起きとったりして」
つい仲間がいないかと、枕元に置いてあるスマホに手を伸ばして電源を入れた。もちろん誰からの連絡も来ていない。というか基本的にこのスマートフォンからは母と楓、たまに望。この三人からの通知しか見たことがなかった。全然スマートじゃないじゃんか……
ゲームのスタミナが溜まったことを知らせる通知だけがロック画面の一番上に表示されている。
私は少し心細くなりながら「そう言えばスマホの明かりが原因で睡魔が遠のく、なんて聞いたことがあるよね」てなことを眠れない頭で考えていた。ふむふむ、なるほど、そういう事か。ここまで眠気が襲ってこないのは寝る前に必死こいてやりこんだスマホゲームのせいだ。
「ま、だからといって寝る前の楽しみを止められるわけないんやけどね〜」
――ポコン
気の抜けた電子音が冷たい部屋の空気を伝わって私の耳に入ってくる。今度はゲームの通知なんかじゃない、確かメッセージアプリの……
『実はブルーライトって睡眠の質とは全く関係がないって科学的にも証明されてたりするよ』
「え、何怖いんだけど!?」
あまりの恐怖に手からスマホが飛び出してしまった。送り主は望。ちなみに最後に連絡を取り合ったのは二日前だ。そろそろアルバイトを始めようかなと望に相談してからは日付が止まっている。
あまり望から連絡をくれる事なんてなかったから少しだけ嬉しかったのに内容が恐怖の塊であった。
『今から会える?』
まだ返信も打っていないのにそんな文章が音を立てて目に飛び込んできた。
今からって……もう既に二時半を過ぎてるんだけど。
「はぁ、全く。毎度毎度迷惑かけられてるのはこっちなんですけど?」
よっと、ベッドから飛び降りる。
「いつも勝手に振り回しておいてさ、私の気持ち考えたことあるんかなぁ」
服に手をかけ一気に脱ぐ。それからお気に入りのパーカーを頭から被って、スポーツ柄の靴下を履いた。
「それで私が毎回ハイハイって飼い犬みたいに言うこと聞くとでも思っとる?」
一応、現金の入った財布をショルダーバッグに入れて玄関のドアをこっそりと開ける。この時間帯だ、家族はみんな夢の中だろう。
「そんなわけないじゃんかねぇ。さ、明日は学校だし早く寝ないと」
いくら春とはいえ、やはり夜中は寒い。その肌寒さに身震いを覚えながら自分の行動が迂闊だったと考え直す。何してるんだ私は。
「返信返さないと流石の望でも悲しむじゃん」
ポケットからスマホを取り出して一番上にあった望のトークを開く。ゆっくりと迷うことなく指先は動いた。
『仕方ないなぁ』
***
前とは違う心境で街灯の光を頼りに道を進む。朦朧とした意識の中で沈んでしまいそうな身体を無理矢理叩き起しながら走るんじゃない。ちゃんと目的があって、会いたい人がいて、はっきりと自分の意思で歩いている道だ。
「これで向かってる場所が普通だったら良かったんだけどね……」
だんだんと目的地の一片が見えてくる。無駄に明るい装飾。しかもそこら辺全体がピンク色だ。
その中でも特に異彩を放つ店。ちょうどその真ん前に、見慣れてしまった人とそのお姉さんが立っていた。あれ、ちょっと帰りたくなってきたぞ。
「えっと……遅くなっちゃった」
「ううん!待ってないわ、気にしないで」
どうして夕さんが答えるのだろう。
「全然。夕姉は仕事に戻っていいよ」
「あらやだ、お姉ちゃんもお話に混ぜてくれないの?」
「……戻っていいよ」
「もう、いけずぅ」
夕さんはそのまま不満そうに口を尖らせながら自分のお店へと戻っていく。本当になんだったんだろう。「じゃあね、叶ちゃん」と、最後に振り向いては何度目かのウインクも貰った。……返しはしないけど。
「えっと……それで、どうしたの?」
隣に立っている望の裾を握って聞いてみる。こんな時間にこんな変な場所に呼び出されるもんだから、ちょっとだけ覚悟してきたんだけど。その覚悟はどうやら意味なかったらしい。
「ただ、叶に会いたかっただけ」
面食らった。頬が解けるように綻ぶのを感じる。
「え、う、うん。そ、そうなんだ」
わずかに目を逸らしながら、熱くなった顔を隠そうと裾から手を離す。だけどそれを拒むように横からスっと手が伸びて私を掴んでしまった。……多分、何も意識していない。
「ちょっと歩こう」
繋いだ手のひらはじんわりと暖かくて、望の体温が私の指先へと流れてくる。
上を向けば欠けた月が私たちを照らしていた。
「あの時、叶が店に来てくれて良かった」
風が凪ぐように穏やかな声。
私に寄り添うように望はゆっくりと地面を踏みしめている。あの時とは、あの時か。
「彼女に振られたからってレズ風俗に泣きながら篭っちゃう頃の記憶なんて私としちゃあ、消したいんですがね……」
人の温もりが欲しいからって、風俗はないだろう。典型的なダメ人間だ。
「私のことも消しちゃうの?」
いきなり捨て犬のような目で見つめられる。……罪悪感が積み上がる音がした。
「ん、望は、違うでしよ。ほら、言葉にならんけど、不幸中の幸い?いや、怪我の功名……あーもうだから、私も望と会えて……良かったって意味!」
今更、言葉を紡ぐのは気恥しい。恋人相手に『好きだ』と伝えるよりも、今の状況は安易に私の鼓動を打ち鳴らせる。
「一緒かな」
「一緒だよ」
出会えてよかったと思う気持ちは、同じだよ。
数分歩いたところで見えてきたのは小さな公園。ブランコと鉄棒、砂場にベンチがある本当に小さな公園だった。きっと近くにある団地の子供たちのために作られたものに違いない。
私たちはお互い無言で、何も言わずその公園へと入っていく。その途中で誰のものか分からないサッカーボールが落ちていた。
「月には手が届かないって思ってた」
公園内にあるベンチから一つを選んでそこに腰かけた瞬間。隣合って座る望が唐突に口を開いた。
「遠くて、いつも見ているだけしか出来ない月が。触れることを何度も諦めた光が、今、隣にあるの」
望は夜空を見上げながら一つ一つ丁寧に言葉を零す。もしかしたら今は雲に隠れてしまっている月を遠目に見透かしているのかもしれない。
「月は遠くから見るよりも、こうやって隣に座って見る方が綺麗だね」
――それなら、風情なんて要らないよね
視線をスライドさせ私に照準を合わせている。私はそんな望から目が離せなかった。少し眠くなってきた頭だからか、ボーッと望を見つめてしまう。やっぱりいつもと同じ顔がそこに、温もりがここにあった。
「私、スマホ使うの苦手だから」
「え、あ、うん。知ってるけど……」
急な話題転換に私の寝ぼけた頭は追いついてくれない。え、何、スマホ?月?何?
確かに機械は得意そうじゃないけれど……
「いつも叶に自撮りを送ってあげようかと思うんだけど、やり方も分からないし」
「なん、てっ!?自撮り!?」
見たい……!モデル級の美顔を持つ望のレア自撮り……!
「叶ってほら……私の顔大好きだし」
バレてた。
「叶が喜ぶことなら何でもしたいって…間違ってる?」
今思えば、出会った頃の望と今の彼女とでは月と太陽くらいの違いがある気がした。……昔はなんというか、狂犬?私に言い放つ言葉にもっと重みがあったような……今じゃ砂糖漬けにされた台詞ばかりが私の身に降り掛かっている気がする。
ううん、と首を横に振るとホッとしたような表情に戻る望。そこには警戒心の一欠片さえも見いだせない。
「機械相手に自分の気持ちを書き込むのが苦手なの」
「機械相手って……スマホのこと?」
「うん。目の前に叶がいるのと、四角い無機物に話しかけるのとじゃ全然違うから」
話しかけてるんだ……
スマホに向かって『叶、叶』って微笑みながら何度も私の名を呼ぶ望の姿が思い浮かんでは心が暖まる。実際は真顔なのだろうけど。
「それで、スマホに頼らなくてもいい方法を一つ考えたんだけどね」
「うん」
なんだろう?通話とかだろうか。いや、それじゃどっちにしろスマホが間に入る。望は通話すらもモタモタと使うことが出来ないかもしれない。流石に考えすぎだろうけれど。
望は一回だけ、外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。吸い込んだ空気をそのまま吐き出すようにして、その先の言葉を私に伝える。
「一緒に住まない?」
……へ?
「へっ!?え、なん、一緒に!?」
あまりにも予想外の一言に私の口からは変な言葉が漏れるばかり。脳なんてとっくの前にショートしてしまっている。
「一緒に住めば朝でも昼でも月のそばにいられるでしょ」
さも当然かのような表情で私の前髪を撫でる望。
「でも、親とか色々さ……」
「それはまた話し合えばいいよ。今は叶の気持ちが重要」
不安要素は沢山ある。それこそ親の説得をどうするべきかとか、いきなりの二人暮しに対しての戸惑いとか、特に大きな壁は金銭問題。
だけど、まあ。そうだね。まずは私の気持がどう答えるか。胸に手を当てて聞いてみる。私はどうしたいのか、望とこれからをどう過ごしたいか。
答えは――
「私も一緒が……いい」
私の告白を聞いて、望が抱きしめてくる。胸の中で望は太陽のように眩しく、笑っていた。
***
――ピピ、ピピピピ
頭上で時限爆弾の針が進むような音がうるさく鳴り響いている。頭が重たい。私はその頭痛から逃げるように枕の上にある目覚まし時計を押し潰した。音が止まる。
隣には幸せそうに眠る望の寝顔。そうだ、ここは望の家だった。
結局、昨日の晩は我が家に帰ることはなく母に望の家に泊まる連絡を入れてそのまま布団に潜ったんだ。まだふわふわとした頭で思い出す。望と一緒に住むことを決めた、昨日の約束を。
「えへへ……」
寝ぼけ眼を擦ることなく望の頬に手をやる。そのまま、気持ちよく二度寝の準備に取り掛かろうとした時だ。中学の頃、友達のいなかった私は修学旅行に行きたくなくて、前日の夜に氷風呂に入った経験がある。今思えばだいぶ黒歴史気味だけれど、もちろん風邪なんてひくわけがなくて、泣きながら玄関のドアを押して学校に向かったんだっけ……だけど、そんなことは今はどうでもいい。
重要なのはその時の氷風呂に浸かった時のような、目が一気に覚めて、頭が麻痺するような感覚が今の私を襲っているということ。
まずい、これはまずいよ……
確か昨日の寝る前にもこんな台詞言ってた気がする。昨日までは春休み。つまり今日からは学校だ。しかも一限から、そしてそれは望も一緒。
「望……!起きて、何寝てんの!!」
こんなんで本当に二人暮し、大丈夫なのかなぁ…困難しか見当たらないのだけれど。
「大学、遅刻するってばぁ!」
失恋中、レズ風俗に出会った話。 銀 @misakanon02
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