期待と不安(後日譚)

結局、昨日はそのまま何事もなく夜を迎え、窮屈だと分かっていながらも望と同じベッドに寝転んだ。

微かな寝苦しさと共に望と過ごした深夜はなんとも静かなもので、少し身構えていた自分を恥じる結果となってしまう。


「ごめん、叶。今日はちょっと体力使いすぎて眠いから早めに寝るね──期待してただろうけどそれはまたの機会に取っておいて」


「…さいですか」


返答に少しばかり迷った末、適当にあしらっておくことにした。

一体、何に体力を使い果たしたのだとか。何に期待しとかなきゃならないんだとか。妹に何をしたのかとか。とかとか、色々と聞いておきたいことはある。

けどまあ、今夜はいいじゃんか。

眠るときぐらいは安らかな時間を過ごしておきたい。

今日は、疲れた。


「おやすみ、叶」


望がこちらに傾いては伸ばさなくても届くほどの距離で私の髪を撫でる。何度か望の家に泊まりに行ったことはあるけど、その時には必ず寝る前の挨拶で私の名前を呼ぶのが習慣らしい。睡魔に埋もれながらだんだんと細くなっていく瞼で私の瞳を見つめながら呼ぶのだ。夢の中で私のことを探すように。

その瞬間がなんとも愛おしく感じてしまうのだから私も相当、恋人馬鹿なのだろう。


「おやすみ、望」


こりゃ私も習慣になりそうだな、と。

好きな人の名前を呼んで目を閉じる。


それはやっぱり、幸せだった。


***


そして今は昼の一時。


「おかあさま、おかわりをお願いしてもよろしいでしょうか」


「まあまあ…望ちゃん昨日もそうだけどいっぱい食べてくれるのねぇ」


「おかあさまのご飯があまりにも美味しいので」


「ふふ、そう言ってくれるのは望ちゃんだけよ。ほらまだ沢山あるからいっぱい食べてってね」


なんでか私たちが責められたような気がしたような。気の所為かな。目の前に座る父と目が合ってはお互いに肩を縮こませる。結局、母は強しということだろう。

その父の左側、つまり私の右の席はすっぽりと空いていて、食事の跡すら無い。主の所在を聞いたら、どうやら自室に閉じこもってるらしい。

本当にどうしたのだろう。望のことだから暴力に訴えただとかそういう心配はないけれど…


「ごちそうさま」


箸を置いて席を立つ。本当に美味しそうに頬張っている望に声をかけそのまま二階に上がった。自分の部屋に向かう為に階段を登るのは少しめんどくさい。じゃあ一階にあればいいのにとも思ったけれど、その場合はリビングが二階になっちゃうんだろうなぁって上手くいかないもんだ。


途中、妹の部屋を気にかけたが、木製のドアで隔てた向こう側からは物音一つしなかった。もしかしたら外にでも遊びに行っており、家にはいないのかもしれない。黙って遊びに出かけるのも思春期のそれだ。いや、反抗期?


そのまま止まることなく裸足でひたひたと進む。自分の部屋のドアを開け放った途端、和らいだ春の風が出迎えてくれた。影のように差し込む太陽光につい目を細めてしまう。

あー、天気いいなぁ。

閉めていたはずの窓は開いていたが特に驚きはしない。ここは二階なので鍵も別段していなかった。

まだ生ぬるい。そんな空気を肺にいっぱい取り込んで、それを吐き出す。そして一言。


「どうやって入ってきたんですかお嬢さん」


「ちょっとベランダからね、ひょいっと。どう、ロミオみたいやない?」


「どちらかというと空き巣に近い」


「あちゃー」と、ベッドの上でおどけて見せる不法侵入者──楓の隣に腰を落ち着かせる。

去年の冬、うなじの半分までしかなかった髪は今では肩下まで伸びていた。斜めに切られて短かった前髪も目が隠れてしまうほどには放置されっぱ。


「髪、切らないの?」


「んー、もう切る理由も無くなっちゃったし。あいつも、長い方が好きやって…ううん、なんでもなーい」


何かを途中まで言いかけて、バタンと後ろに倒れ込む。ベッドから舞った埃が太陽光に照らされて目に見ることが出来た。

楓は最近、なんだか楽しそうだ。太陽に似た光に当てられて何かが見えたのかもしれない。何かとは、大切なものか、幸せか。


「いい事でもあった?」


何気なく聞いてみる。

特に返答に期待はしていなかったけれど。


「うん、あったよ」


「そっか」


何を見つけたのか気にならなかったと言えば嘘になるのかな。だけど本人が言いたくなったらその時に教えてくれるだろうから。

私たちは昔からこういう関係だったのだから。

腕を枕にして満足そうに目を閉じる楓の横顔が、少しだけ笑っているように見えた。


「…それで何しに来たと?」


「え、理由がないと叶の家に忍び込んじゃいけないの?」


「ダメでしょ…不法侵入って知っとる?」


「分かった、ちゃんと意味があってここにいるから…」


「理由があっても不法な侵入はダメやけどね!?」


はぁ、とため息をついて起き上がる楓を不審に見やったところで、私はようやく気づく。楓が右手に持っている青い袋──私に馴染みのあるゲームロゴが書いてある袋だ。


「まさかお主」


「ふふ、気づいたようじゃのう」


「「マルオカートの新作!」」


意識が覚醒した頃には楓に飛びかかっていた。楓にというよりは、発売から数ヶ月経っても未だ入荷待ちの値札が掲げられているゲーム目当てに、だけど。


「おぉおおお、寄越せぇええ」


「待ってドウドウ!一緒にやるために持ってきたんやし!」


獲物をベッドに押し倒しては目的のものまで手を伸ばす。途中で足を何かにぶつけた気がするがそんなのは気にならなかった。


「なにしてんの」


少し怒気を含んだような冷たい声でこの場を制される。窓から入ってきた春風が軽薄に私の肩を叩くもんだから、心臓が縮み上がるのもはっきりと冷静に感じることができた。

声のした方向に首を回すと壁に寄りかかってこちらをじっと見つめる望の姿が。

じっと見られてるのは、私が楓を押し倒してるなんとも誤解を生みそうなワンシーン。


「えへっ、でへ…」


声にならない笑い声が口から漏れる。押し倒されている楓もやばいと感じたのか関節が固まっているのが伝わってきた。


「…お父様ー」


「違うんですごめんなさいごめんなさい!」


未だベッドの上でヘンテコな格好のままで大きく腕を振る私の姿は、やっぱり滑稽なものにしか見えない。


***


どうして私は自室で、しかもテレビの前で正座させられているのだろう。さながらお預けされた飼い犬のように。


「え、ちょ、望速くない!?」


「違う、楓が遅いだけ」


あのー、そろそろ足が痺れてきたんですが。


「うわ、腹立つ。なんで前走ってんのに甲羅当ててくるん!?」


「後ろにピッタリくっつきすぎ」


というかどうして二人がそんなに仲良いんですか。いつの間に、本当にいつ。

笑ってこそいないが望が楽しんでいることは分かった。ちくっ──あれ?

まあ…いっか。


「あのー…これって4人まで対戦できますよね…?」


「望は反省してなさい」


んぐ、私の失態を見て楓が笑っている。君にも責任の一端はあるはずだよ、いや無いっけ?

「ごめんってば、もう無理だよ」と弱音を吐いてみるが誰も助けてくれそうにない。


「マルカー私もしたいなぁ」


顎を突き出しては不満な顔でめいっぱいアピールする。望と目が合っては、ニコッと微笑まれた。え、怖い。


「ん」


望が「つんつん」声に出しながら足の裏を突ついてきた。

「ひゃあっ」とバランスを崩して横に倒れている間に、「いいよ、はいどうぞ」と青色のリモコンを渡してくる。私のマイコントローラだ。だけどはっきり言ってそんな場合じゃない。

ジンジンと不快な感覚が足先から付け根まで走る。それが去るまでピクリとも動くことが出来なかった。


五分くらい休憩時間を貰っただろうか。


「ばーかばーか!解放されればもう私の勝ちだもんね、マルカーだけは絶対負けないんだから覚えてなさいよ望!」


少し距離をとってそう叫ぶ。


「ふうん」


ネズミを狩るワシのような目付きで見つめられながらも私はできる限り虚勢を貼る。

だけど虚勢は虚勢だし望は望だった。


それから三人でコントローラーを握っては時に叫び、時にずっこけながらもなかなか楽しめた気がする。友達のいなかった私はこんなふうに囲まれながらゲームをするという経験があまりない。するとしたら楓と二人っきりぐらいのもので、それに望が加わるとは思ってもみなかった。あ、後でどうしてふたりが仲良いのか聞いとかなきゃ。



それと…熱い死闘を繰り広げることも無く、楓と私はボコボコにされたのは内緒にしとこう。



台風がすぎた次の日って大抵晴れる、気がする。


「やば、約束あるの忘れてた…あいつ遅刻してきたらめっちゃ怒るんよね。ごめん二人ともお先にドロン!」

楓が早口でそう言い残し窓から這い出ては、ひょいっと隣のベランダまで飛び移る。私の部屋に来た時も同じように入ってきたのだろう。語尾といい行動といい、忍者の末裔なのだろうか。


こんな感じで隣人という台風が過ぎてからはなんとも静かで穏やかな時間が流れていく。望はやっぱり私の膝枕の上で、帰るまでの時間を謳歌していた。落ち着くのかな。


「さっきはやりすぎた、ごめんね」


本当に唐突に、読書を楽しんでいた私の下で寝転ぶ望から謝られた。

そんなふうに素直に謝られると、どう対応していいものかと慌ててしまう。


「え、いや、別に大丈夫、やけど。大したことじゃないし」


「困ってる叶も可愛かったからつい」


「…ばか」


出会った頃の望はなんというか、一定だった。今でも言えることだが望はあまり感情に波がない。それこそ最近よく笑うようになった気もするけど、やっぱりそれでも人と比べれば少ない方だ。怒るところなんて一回も見たことがないと思う。想像すらつかなかった。

それは姉である夕さんに対してならまた違った反応が見られるのかもしれない、のかなあ。家族と恋人じゃ大きく一線を引かれてしまうのだから。家族にしか見せられない面だってそりゃあるだろう、いっぱい。


だけど私はそれが、心底羨ましかった。


「意地が悪いなぁ」


だから嬉しい。からかわれる事が好きなわけじゃないけど、別に。うん、ああ、やっぱり。嬉しかったのか。

だから今、私は笑っているのか。一歩、望に近づけたようで。繋がってるはずの糸が少しだけ見えたから。少なくともあんなふうにおどけた様な感情は楓には向けないだろう。好きな人の特別になれていることがどれだけ素敵なことか。


「そんなにくっついて暑くないと?」


「暑い、けどここがいい」


「ふーん」


私も暑いんだけどなぁ。

そんな台詞は私にだけ見せているであろう望の横顔が──大好きな横顔が見えたから、黙っておいた。


***


「本当に送ってかなくていいと?」


「うん、今はひとりの気分」


…こういう所あるよねぇ。

望は恋人に依存するようなタイプの人間では無いことは付き合う前から──恋人の振りをしている時から何となく気づいていた。

物理的に縛ることはあっても心まで縛ろうとしない望に抱くのは、安堵と少しだけ釈然としない焦燥感。私はこの気持ちになんて名前を付けるんだろう?


「分かった、帰り道気を付けてね」


「うん。お邪魔しました」


「また来てねー、美味しいご飯用意してるから」


いつの間に後ろに立っていたのだろうか。母親が手を振っている。


「ありがとうございました。またご馳走になりに来ます」


おいおい、私に会いに来るんじゃないんかい。そんなツッコミを入れる隙もなく玄関を開けて出ていってしまう。なんとも潔のいい退出だ。


「望ちゃん、いい子ね」


シンっと静まり返った廊下に母の声が響いた。


「幸せそうで良かった」


「…へ?」


ゆっくりと私の隣に立つ母の顔を見上げる。19年間、私を見守ってくれた瞳がそこにはあった。

あまり自己主張をしない母が優しく、包み込むように私に話しかける。


「叶は望ちゃんのこと好き?」


「え、あ、うん。そりゃ好きだよ」


実の母に気持ちを吐露するのは少々恥ずかしい。だけどきっと今は誤魔化す場面じゃない。


「ならいいの。人生最後の日に隣にいて欲しい。そう思える相手が叶にも出来たのなら、きっとあなたを幸せにしてくれるから」


私の頭に手を置いて言う。まるで今の私を見透かすように。


「叶が好きって感情に戸惑えば戸惑うほど、それは愛してる証拠になるからね」


やっぱりお母さんはお母さんだなあ。そんな普通のことを頭の中で繰り返していた。


「お母さんは人生最後の日を一緒に過ごしたい相手は出来た?」


「そうねえ、あなたのお父さんかしらね」


ふふっと笑うその時の母親は歳なんて感じさせない、恋する女の子に見えてしまう。



「えー!望お姉様、帰っちゃったの!?」


階段をドタドタと行儀悪く駆け下りてくる妹の姿が視界の隅に映った。


「お姉様…帰る前くらい声掛けてくれてもいいのに」


流石に二回も聞こえてしまっては聞き間違いにはしておけないだろう。なんだなんだ望お姉様とは。あんたの姉は私一人だけでしょ。


「…あんた、昨日何されたの?」


望には聞けなかった内容を今ここで問いただしてみる。若干聞くのも怖いのだが。


「なーいしょ!」


母が私の肩に手を置いて止めていなければ今頃殴りかかっていただろう。


ああ、本当にもう、疲れる…!

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