期待と不安(当日譚3)
- 期待と不安(当日譚3) -
「お布団もう一枚用意した方がいいかしら?」
お母さんがまじな顔で予想外なことを言う。
「え、なんで?」
「でもそうよね、少し狭いかもしれないけど叶のベッドで二人寝るのもいいと思うわ。こういう時女の子同士っていいわね」
「はい、甘えさせてもらいます」
母は勝手に自己解決を決め、それに望が食い気味に肯定している。何だこの光景。
「ちょっと待って、泊まると?」
「…ダメ?」
首を傾げ伏し目がちに問われてしまえばそれを拒否する気持ちも自然と萎んでいった。
「しょーがないなぁ…」
まあ、いっか。
春休みなんだし。
***
「叶の部屋って感じがする」
「そりゃまあ私の部屋ですからね」
一つ嘆息をついて望をクッションの上に座らせる。部屋で二人きりになった途端、洪水のような安堵感が押し寄せてきた。
「言いたい不満もいっぱいあるけど…望、ありがとね」
「なにが?」
さっきまで行われていた激闘の記憶を廊下の途中にでも落としてきたんか!
望ははてなと首を傾げた。
「当たり前のことだから。叶とずっと一緒にいるには必要なことでしょ?」
どうやら忘れたわけではないらしい。ただ私が感謝の意を述べたことに納得がいってなかっただけか。望らしい、そう思った。
「ありがとうとかじゃなくて叶が欲しい。頑張ったご褒美」
途端、望が体勢を崩して、私にのしかかってくる。下には普段から馴染みあるベッドがあった。
「…う、まだ昼間だし、ね?」
「逆に燃えるよね」
「この変態…!」
だけど本当に頑張ってくれていた手前、強引に引き離すことは阻まれた。いや、これまでに引き離せたことなんてあっただろうか?…記憶にはない。
「こんな私じゃ嫌?」
「…別に、嫌じゃないよ」
「ちゃんと言ってくんなきゃわかんない」
耳たぶに唇を落とされ、結局は敗北宣言にも似た呟きが声から漏れる。
「すき、望のことが大好き。ずっと一緒…だよ?」
お互いのスイッチが入ってしまった音が聞こえる。ここが私の家で、家族がいるのも忘れて、まだお日様が明るく自室を照らしてることさえも頭から蹴っ飛ばしてしまうくらい、好きって感情はそこにあるだけで絶大な力を持っていた。
頭上に見える私の大好きな人の頬にそっと手を伸ばす。望は猫のようにくしゃりと表情を綻ばせたかと思うと私の手を握ってきた。
「温かいね」
「春やもん」
触れた手のひらから望の温もりが伝わってくる。人の肌からしか得られないこの柔らかさはきっと貴重だ。
「望は、たまに我儘だよね」
望がもたれ掛かるように両手を私の背に回して、強く抱き締めた。
「うん。私のお姫様は頑固だからこうでもしないと、ね?」
「それもそうだ」
くすくすと望が笑うものだから私もそれにつられてしまう。
ひとしきり笑いながら実感する。ああ、これが幸せなんだって。
「叶、大好き」
「私も、望が大好きだよ」
抱かれた腕は緩むことなく、鼻先がくっつく程の距離で見つめ合った。望の瞳に映る私が少し色っぽく見えてちょっとだけ恥ずかしくなったけれど。それも全部春の温かさのせいにしちゃおう。
どちらともなく目を閉じる。そのまま唇を重ねるのに時間はいらなかった。
***
「望って意外と不器用…よね」
「どこが?」
元々うちに泊まる予定なんて無かった望はスーツしか持ってきていなかったらしい。風呂上がりに素っ裸で出てこられても困るので仕方なしに私のTシャツを手渡したのだが…
「いや着てる服よ、逆やん」
指摘してる私の方が笑ってしまいそうになる。白Tシャツに印刷されているはずの可愛いひよこのイラストが隠れんぼしていた。「あ、ほんとだ」と言いながら直そうとしない望に呆れつつ。「はい、バンザーイ」わー。望の両手が宙に放り出される。すかさず逆向きのTシャツをくるっと一回転させてやった。
うん、目が合ったねひよこちゃん。
「さ、ご飯までどうしようかねー」
「膝枕ー」
「はいはい」
もう定位置になってらっしゃる。
まあこの場所だけは誰にも譲れないけどね。
「あーあ、次は私の番かー…」
薄暗くなり始めた空をカーテン越しに見上げて、嘆息をつく。
「なんのこと?」
にこにこと何が嬉しいのだろうか、笑っている望は私の気持ちなんてひとつも気にしてないように幸せそうだ。頭をそっと撫でてやる。まるで尻尾を振る飼い犬のようでちょっとだけ可愛い。
「挨拶。私の家は一応OKってことになったけど…次は望のご両親と向き合わないけんし、私にできるかなぁ…」
「うーん、その心配はいらないと思うよ」
「え?」
露骨に嫌な顔を見せた訳では無いが元あった笑顔がきれいさっぱり無くなっており、淡々と話す望がそこにはあった。
まるでただ当たり前のことを何気なく、意味なんてそこには無いぞ、とでも言うように。
「両親、いないから」
──瞬間、空気が凍った
それはさっき父と対峙してたときの雰囲気とは180度違ったものだった。地雷を踏んだとも言っていい。
「そ、それってどういう…」
「姉ちゃん漫画貸してー」
私の声は妹の発言と共にガチャリと開いたドアのせいで空を舞った。
「ん、何か取り込み中やった?」
「いや、えっとその…」
「まあなんでもいいよ」
鼻歌でも歌いだしそうなくらい上機嫌な妹と、膝の上で瞬きを繰り返す望。
私を取り囲む空気だけが違っていた。
「てか勝手に部屋入ってこんでよ」
誰でも恋人とのイチャイチャを見られたら気まずいに決まっている。
「…いつもそんなこと言わんやん」
杏はボソリと何かを呟きながら本棚へ向かい一冊の漫画を手に取った。それは一昨日続刊が発売された私と杏のお気に入りの作品である。ある少女がバイクに乗ったお姉さんと出会っては二人きりで旅をする話。自分には味わえないどこか甘酸っぱい青春を見せられているようで、いつもは気の合わない杏とも夜通し語り合ったものだ。なによりも素直な主人公が可愛い。
そして杏はその場でくるりと身を翻して部屋から出ていく…ことはない。何故かそのままのそりと私の隣まで近づいてくる。「腹立つなぁ」また何か、呟いていた。
「ね、ちょっとどいてくれん?」
視線は私と交わりはしなかった。今この緊迫とした状況で、のんびり膝の上で寝息でも立ててしまいそうなくらい幸せな顔した望に向けたものである。
「…ん?あぁ、はい」
特に何かを思った様子もなくゆっくりと腰をあげる望。やはり眠いのだろうか目を擦りながらボーッと何も無い空間を見つめている。
「ん」
何が気に食わなかったのだろう。そのまま漫画の一ページを開いて座る。私の、膝に。
必然と向かいあわせの状況になる。
「は、?杏、ちょっとなにしてんの!?」
「姉ちゃんは黙っててよ。今いい所っちゃけん」
「今読み始めたばっかよね!?」
自室で読めばいいじゃないか。普段は確かに私の部屋に入り浸っていて、それを叱ることもとくにしてこなかった。しかしどうして、今。
私の膝にお尻をくっつけているのだろう。
素直に気持ちを言葉にして伝えてもいいのなら、「空気読めこのバカ」って叫んでしまいたい。
無言の時間がスライドするように流れていく。五分くらい経っただろうか、望を伺うと無表情で私達二人をじっと見つめていた。それは何かを観察しているような視線に似ている。
「ねえ、そろそろどいてよ」
「むーりー」
今度は足で私の腰をがっちりと挟んできた。体重は軽い方なので別に苦痛ではない。だけど近すぎるこの距離感には困惑する。
「まじでいい加減に…」
無理矢理押し退けようと右手を上げた時。望の言葉によってそれは自然に降ろされた。
「お姉ちゃんのこと大好きなんだね」
…は?
「はい?」
杏は首を傾けてキッと望を睨んでいる。
「いきなり現れてお姉ちゃんを盗られたら誰だって面白くないよね。ごめんね」
私には理解出来ないような事を口走る望にやはり疑問符は止まらない。
望は幼児に向けるような優しい笑みを浮かべ、膝の上で固まっている杏の頭上にそっと手を重ねた。
その仕草に不思議と違和感を感じながら、私は二人の挙動を見ているだけしか出来なかった。
「ちょっと向こうでお話しようか?」と望が杏の手を取って立たせる。
「は、え?」
「すぐに終わるから」
大丈夫だよ、と若干早口に捲し立ててから私の部屋から出ていってしまった。
もちろん手の繋がれた杏も一緒に。望のペースに揉まれてしまっては手の付けようがないのだ。
「…どういうこと?」
一気に人口密度の減った部屋に私の中の空気だけが抜ける。ガス欠を起こしてしまいそうだ。
一冊だけ不格好に抜き取られた跡のある本棚の隙間に視線を移して、なぜだか首の後ろがむず痒くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます