この手の温もりは


待ち合わせはこの前行ったドーナツ屋の目の前にある小さな駅。大きな時計台の真下で、という連絡が届いていた。本当になんというか、私の意見に耳を貸さないというか…まあ最近は望の振り回されにも慣れてきたものだが。

都会から少し離れたところにある駅というのもあり、人通りは少ない。休日の朝だからいつもよりはご老人の数も多い気がするが。

そんなふうにボーッとのんびり談話しているおじいちゃん達を眺めていると、望が駅の階段からやってくるのが視界の隅に写った。


「おはよう」


すぐにはその挨拶を返すことが出来なかった。いつもより大人っぽいその服装に見蕩れて動けなかったからだ。元が美人なだけあって人通りの少ないこの場所では浮いている。

いつも大学に来てくる服装とは一変しているしこっちが驚いてしまう。もしかして、デートって意識しているとか?

ショップに置いてあるマネキンと同じ服を買えばいいや、なんて自分に合わない服装しか選べないオシャレもどきな私とは段違いだった。「おはよう…」望から放たれている見えない光から逃れるように被っていたキャップに目元を隠す。


「なに?」


「いや、なんでも」


妙な空気感に浸っていたら望と目が合った。なんともチグハグな距離感。

というか望と私が釣り合って無さすぎて周囲の視線が痛い。私を哀れんでるように見えてしまう。


「可愛いね」


「へっ!?」


海底に沈む小さい貝の殻に引きこもってしまいそうになった私を望はいとも簡単に拾い上げてきた。

唐突な台詞に顔から火花が散ってしまいそうだ になる。普通なら望が言うと嫌味にしか聞こえないのだが、その瞳は真剣そのものでこちらは、とちってしまう。冗談なら冗談って言ってください。


「行こっか」


優しく掴まれた手首がカッと熱くなってしょうがない。これじゃあ本当にデートみたいではないか。恋人がするような、そんな感じの。あれ、でも今は私たち付き合ってるんだっけ?あれ?

困惑しているのは望のせいだ。

温もりが欲しくて、愛おしくて繋いだ手を今は、ほどけそうにない。これが愛なら良かったなんて。

相当マヌケな顔をしている私とはうらはらに鼻歌でもしそうなくらいご機嫌な望の顔が斜め上にいた。うわぁ…身長高ぇ…


「切符は買ってあるから、はい」


そのままぽんと手渡された切符を見つめる。私の知らない地名がそこには書かれていた。

「ありがとう」手首に掴まれていた望の手はいつの間にか私の手のひらと結ばれている。手汗大丈夫かな、なんて変な心配ばかりが頭をグルグルと徘徊しては離れない。

望の体温を忘れる日が来て欲しくないなんて願ってしまうのは傲慢だろうか。

望はちゃんと"恋人のフリとして"デートを成功させようとしているだけなのに。

少しは恋がどんなものなのか理解出来たのだろうか?


「えと、お金払うけん。いくら?」


「いいよ、時間ないし行こ」


有無を言わさない内に引っ張られながら改札を通り過ぎる。もう既に止まっていた電車に二人で乗り込んだ。

駅前とは違い電車の中には結構な人で埋まっていたが何とか二人分の席を見つけて隣同士で座る。席に座ってからも右手に感じた温もりが冷えることは無い。望の手って意外ににちっちゃいんだな、なんて。


何を話せばいいのか分からない。いつもなら自然と話題が口から出てくるのに望があまりにも…綺麗だから。デートだと強く意識してしまったのだろう。

最終的に捻り出したのは全く平凡な会話だった。


「結局どこ行くん?」


「内緒だってば。うーん、じゃあヒントをあげる」


一本立てた人差し指を唇に添えながら望はそんなことを言い出した。なんだヒントって、まあ暇つぶしにはなるんかな。


「ヒントって?」


「私の大好きなところです」


望の大好きなところ…毎日と言ってもいいほど私のそばに望はいたが好きな物や嫌いな物なんかは分からない。というか、知らない。

けど弁解させて欲しいのは私がそういうのに無頓着だとか望の事がどうでもいいとかそういう訳で無いのはちゃんと言っておきたい。

だってここまで一緒にいる人のことを何も知らないのなんて気持ち悪くない?

だけど望には隙がないのだ。好きなものを探ろうとしても、望のもっと深くにある…何かを掴みたくてもサラリと躱されているようで。


「えーと、遊園地とか?」


「ぶー、それありきたりなデート場所言ってるだけじゃん」


「…分かるわけないやん」


こうして隣に座っているのに、こんなにも近いのに私はやっぱり何も知らない。本当は聞きたいことが沢山あるんだよ、今でも風俗で働いているの…とか。けどそれを聞いても望は答えてくれないような気がする。

私を拒絶する望を見たくなかったのだ。当の本人は「やっぱり叶は…叶だよね」と何でもなさそうに頷いているだけ。こちらの気も知らないで。


「望だって私の事何も知らんやん!」


「知ってる。叶のことならちゃんと知ってるよ」


まるで泣き喚いて地団駄を踏んでいる我が子に向けるような優しい表情でこちらを見つめてくる。少しだけ悲しそうな面影を残しながら。


「じゃあっ…」


「叶はちっちゃい物が好きだよね。よく鞄に動物のキャラキーホルダー付けてるし。甘党なのに隠してるよね、クレープ見つめる叶の目、すっごくキラキラしてた。

それに意外と綺麗好き。私の部屋に落ちてた髪の毛とかよく拾って捨ててくれてるし…あ、そうだホラーが苦手だよね、この前流れてたCMで…」


「もういい…」


「え?」


「もうわかった。望がちゃんと私を見ててくれとるってこと」


惨めだ。

望は私の細かいところ一つ一つしっかりと分かってくれていたのに自分は何も知らない。知りたくても怖くて逃げ出していただけ。私たちの関係は奇妙で誰にも理解されないけれど望はそれでも真剣に考えてくれてるんだ。


電車の動きに合わせて自分の感情も揺れ動く。望は、私の事本当はどう思っているんだろう。どうして傍にいてくれるのだろう。

「ねぇ、望」私だけ立ち止まってちゃダメだろう。「んー?」望の肩に手をかけてこちらを向かせる。それとほぼ同時にその頬を摘んだ。「むっ?」望はなんだなんだと首を傾げる。自分でやっておいてなのだが少々恥ずかしいなこれ。自分の耳が次第に血が通うように赤みが差しているのが分かる。私の指先からははっきりと望が狼狽しているのが伝わってきた。優しく頬を揉んでみる。せっかくの美人が台無しだ。



「教えてよ、望のこと」



小一時間ほどの電車旅だっただろうか。目的地に到着したらしく望が立ち上がる。人でほぼ満席だったはずの席は多くの人がこの駅で降りているようだ。切符代を出させてしまっているけど…この距離だと交通費、結構するんじゃないの?


「ふぅー、疲れたね」


「歳やない?」


脇腹に異変を感じる。ぐにぐにと服ごとお肉を引っ張られた。失礼な。ちょっとだけ茶化しただけなのに。


電車で望と過ごした一時間はとても濃かったように思える。私が考えうる限りの質問攻めをしてみせたのだ。それに望は丁寧に答えていく。これは…もっと早くに行うべきものだったはずなのに。ちなみにカレーが好きらしい。しかも激辛。


だけどやっぱり聞くことが出来なかった物が一つだけある。

『まだあそこで…働いてるの?』

それは私が知らなくてもいいことなのだ。そこまで踏み込む必要は、私たちには存在しない。

普通のカップルと私たちの違いってこの一線が引かれているかどうかなのだろう。


「私に興味持ってきた?」


「…別に、知っとかんとなんか悔しいし」


「もうちょっとで堕ちそうな気がするのにな」


「そんな…安い女じゃないですー」


やっぱりこの女は侮れん。

あれ、でも結局目的地の場所はわからんままやったな。


「んで、どこ行くと?」


「外出て見たらわかるんじゃない?」


全く適当な…だけど気になるので少し早足になりつつ改札を抜けた。

駅からすぐ出た先に大きな建物がポツンと一つだけ建っている。その周りには木が生い茂っており、都会という感じではない。

その大きな建物も一体何なのかはすぐに分かった。

その建物のことを説明する看板には二匹のイルカが向かい合って飛んでいる。


「さっき私が行先は遊園地?って聞いたよね」


「うん?」


いきなり何を言い出したんだこいつ、みたいな目で見るのやめて。


「そしたら望…そんなありきたりな場所じゃないって…言った」


「せやでー」


なんで関西弁やねん、あんた標準語やろ。

あれ?そう言えばどうして標準語…

ここの地元出身なら博多弁のはず。


「それがどうしたんやー」


……


「水族館こそありきたりじゃない!?」


「そう?」


え、恋人がデートに行く場所といえばのトップ3とかに入らないの?私がおかしいの?もしかして、恋に疎すぎ??

まあいいけど…


「てか魚好きなん?」


「うーん、魚が好きというか。あんな狭い箱の中でも自由に動き回っているのを見るのが好き、みたいな感じ」


「ふーん、まあいいや寒いし早く中入ろ」


「…私には、できない事だから」


望の最後の言葉はあまりにも声が小さすぎて私の耳には届かなかった。

一応長袖を着てきているがやはり肌寒い。場所が室内でよかったと本当に思う。

そう言えば水着はなんだったのだろう。一応持っては来ているのだが…


「叶の一番好きなものってさ」


「一番好きなもの?うわ、さっむ…」


「私じゃないの?」


「なんっ…何言って…!?」


「じゃ、行こっか」


そう言って目の前に差し出される望の白い手のひら。えっ、待って待って。頭が追いつかないってば。私が動揺して慌てる姿を見たいがためにそういう言い方をするのは辞めて欲しい。

だけどやっぱり考えてしまう。

…もし私が望を好きだと言ってしまえれば、世界は変わるのかな。


望の一番好きなものはなんだろう。

…私だったらいいなんて考えちゃったらなんだか負けてるみたいで悔しい。


目の前に繰り出された細い指先。今は照れが勝ってしまい素直に繋げないけれど、いつか私が引っ張っていく未来もあるのかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る