孤独な満月
「叶ぇ〜おっそーい」
駅前に新しく出来たというドーナツ屋に来るのはその日が初めてだった。周りを見渡すと学校終わりの高校生がキラキラしている。今日みたいに無理やり誘われない限り、教室の隅で目を通してすらいない本を読んでいた私としては立ち入ることも無かっただろう。
来た瞬間、後悔めいた感情に包まれたがこいつに出会った時から運の尽きは始まっていたのかもしれない。
目の前の幼なじみは急に呼び出したことを悪びる事もなくスマホゲームに興じている。気になって画面を覗き込むとどうやら音ゲーらしい。CMで一度目にしたことがある。
かなり速度のある球体が上から振ってくるのを一つ残らず指で消化していく。背景でカラフルな髪色をした女の子が数人踊っているが逆に集中が切れて邪魔にならないのか。
流れているのは私でも知っている有名なアニメソング。右側に表示されてる数字を見る限りまだ一度もミスっていないらしい。いわゆるフルコンボってやつだ。
「楓、何やっとん…」
「ちょ、今話しかけんで!フルコンでき…ああぁ!ミスった…叶のせいやん…」
「あほ」
どうして私のせいにされにゃならんのだ。こっちはわざわざ重い腰をあげて来てやったのに。
「んで、どうしたんよ」
事前に買っておいた3つのドーナツを机の上に置きながら席に着く。一つは中にクリームが入ってるやつ。残り二つは今季の新作。ドーナツのお供にはオレンジジュースを選んだ。
「いやさっきまで家におったんやけどさ」
「はっ…?ちょっと待って、あんた家隣やん!?」
「うんうん…毎日窓から叶の着替え姿を覗いてますとも。それで?」
「集合場所ここの必要ある!?」
ん?窓からなんだって?今とても重要何かを聞き逃した気が…
「えーいやいつも私の家ばっかじゃ飽きるかなって、てへっ」
今どき『てへっ』なんて使う女子大生がいるか!ほんとにこいつは昔から私の琴線によく触れてきやがる。
私達の家からこの駅まで一体何本のバス停を経由しなきゃいけないと思ってるのだ…
「そんでもって大抵大したことない理由で集合かけるっちゃけん…」
短髪で斜めに切られた前髪が特徴の幼なじみ。大きく、くりくりとした目で楽しそうに笑っている。何笑っとんだ。「あ、いいな一つちょうだい」と伸ばされた手を引っぱたいてやった。楓のことだからお金なんて持ってきてないのだろう。前、本気でこいつに脳みそは存在するのか悩んだことがある。
「ていうか大したことあるし!」
「いやだからその経験がないんやけど」
「かなちゃんは無慈悲だなぁ…」
「誰だよそれ。で、今回は振られたの、振ったの」
わざとらしく肩をすぼめ両手を広げたアクションをしてくる楓を無視して本題に入る。ほんと、こういう所に人間関係の億劫さを感じさせられるのは私が悪いのか。
「おっ、よく分かったねかなちゃん。振っちった」
「いつもこのパターンでしょ。そっか、じゃあもう帰っていい?」
何故いきなりそんなあだ名が定着しているのだ、もう反応してやる気にもなれない。
「ちょいちょいちょいちょいいちょいちょいちょい、まてまて何を帰ろうとしているのかね叶くん」
ゲシュタルト崩壊するわ。途中変な日本語になってるし。
前にこのやり取りをしたのはいつだっけ。確か2週間くらい前だった気がする。…スパン短すぎない?その度に呼び出されるのだからたまったもんじゃない。楓とは違う大学に進学してしまい、腐れ縁も無くなるかなーなんて思ってたのに現実はこれだ。
オレンジ色のトレーにのったドーナツを少しだけかじる。うん。やっぱりドーナツといったらクリームだよね、王道よ。極甘にほっぺが落ちそうだ。どうかこの幸せな気持ちのまま帰りたい。
「私にとっちゃとても重要なことなのよ」
「楓、どうせすぐ彼氏作んじゃん」
「それとこれとは別なの。あーあ、今回は本気で好きになれると思ったのに」
楓は大学生になって告白してくる男を取っかえ引っ変えしているらしい。いやそれは高校の時もそうだったっけ。楓は望とは違う可愛さがある。望が美人系とするのなら楓は小動物に近い可愛さがある。つまりあざとい。
相手が彼女持ちだとしても、その時の自分に他の彼氏がいても来る者拒まずが主義だと豪語していた。しかもそれで割と真剣なのがタチ悪い。だけど結局そんな仮縫いしただけの関係なんてすぐにボロが出てしまうのは当然のことで。
「いつもそうやって最終的には悩んでるけどその反省が活かされたことないよね」
「むー…そういう叶はどうなの。彼女さんとは上手くいっとる?」
楓には私が女の子と付き合ってることは伝えてある。こういう性格をしているので同性と付き合うことには偏見ないようで。そういう所は…うん、なんでもない。
「いや…別れたよ。3日くらい前に」
「ええっ!?」と素で驚いた顔を見せる楓。そりゃそんな目見開くよね。それ目ん玉飛んじゃわない?あぁ、そういえば一週間くらい前に惚気話聞かせちゃってるよ。
「あんなにベタ惚れだったのに…叶、大丈夫なの?」
普通に心配されてしまう。なんでこういう時だけ優しいんだバカっ。
そのまま別れた経緯を説明する。楓は目を閉じてウンウンとただ頷いて聞いてるだけだった。別れ方がシンプルすぎたのでそこまで話すことも無い。楓は全部を話し終えたところでゆっくりと瞼を持ち上げ次の瞬間ドンっと机を叩きつける。
「さいっていじゃん、そいつ!!」
机の上に残った2つのドーナツが少しだけ宙に浮いた。オレンジジュース…はセーフ。
「…でもまぁ、私にも悪い所はあったんやろうし」
「あるわけないやん!あんなに一途でそいつだけに見せる笑顔…どんだけ見せられたと思ってんのよ…」
どうして楓が悔しそうな顔をするのだろう。目の端にはうっすらとだが涙が浮かんでいる。なんだかんだいって友達思いの奴だった。
「てかありえんし、何その別れ方?あまりにも酷すぎでしょ」
それは確かに私も感じていた事だった。基本冷たい所のあった元カノだが別れ方もドライだっだなぁ…
「じゃあ今の叶は…フリーなんよね」
何かを真剣に考え込む楓に今の状況を言うかどうか少し躊躇ってしまう。幼なじみだが唯一と言っていいほどの友達でもあるのだ。嘘なんてつきたくはない。だけど…
『それと私達の関係は内緒にして』
『どうして?』
『付き合ってることは全然公言していいんだけど、今の私たちの本当の関係を周囲に言いふらしたって面倒なことになるだけでしょ』
本当の関係とは仮の恋人だということか。少しだけ胸がチクッと痛んだ気がした。
『分かった』
いくつか決めた望との約束事。その中に本当の関係はバラしてはいけないというものがあった。
今はまだ真実は話せない。でもいつか…
「それじゃその叶…私と」
「新しい彼女できたと!」
楓が何かを言おうとしていたような気がするが私の声にかき消されてしまった。結構勇気がいるんだこれ。
「…え?」
「その…昨日、なんだけど」
自分で言っていておかしいと思う。どうして別れた次の日に新しい恋人ができるのだ。楓ならまだしも元カノ以外他人に興味すらなかったこの私が。
怖くて楓の顔を見ることが出来ない。もし、こんな私に幻滅でもしていたら。
恐る恐る顔を上げると驚きと寂しそうな表情がそこにあるだけ。…寂しそう?
「あっ…そ、そっか…!そっかぁ〜叶も私に影響されちゃったか。今日から私達同類ってことで!」
先程一瞬だけ見せた冷たく侘しげな顔なんて最初からなかったかのようにいつもと同じ笑顔が貼り付けられている。私の見間違いだろうか。
「一緒にしないでください!」
「いいじゃんいいじゃん、それよりどんな人なん?」
どんな人、か。すぐには頭に浮かんでこない。パッと出てきたのは綺麗だとか表情が読めないとかそんな見た目のことだけ。上辺だけしか分からない。本当に私は何も知らないんだな、と気付かされてしまう。例えばほら、今日みたいな休日は望がどんな過ごし方をしているのかさえも…分からない。まだ何も、知らないんだ。
「んー…綺麗で優しい人よ」
ちょっとだけ盛った。優しいとは言ったがはっきり言って攻めるようにこちらを嘲笑うドSだろう。私の頭の中では悪魔のしっぽと耳が生えた望がこちらを見下ろしていた。
「綺麗、か。叶ってそういうタイプが好きなん?元カノさんも確か美人系やったよね」
「え、うーん。そんなことはないと思うけど…」
まあ実際タイプの顔なんですけど。
「私も髪を伸ばせば少しは…」
耳元に垂れた自分の髪をクルクルと指に絡ませながらブツブツと何かをつぶやく楓。その声は店内に流れるBGMのせいで聞き取ることが出来なかった。
もう話すようなこともないのでそろそろ解散かな、なんて残しておいたドーナツを片手で掴む。解散とは言ったが家が隣なので帰り道まで一緒なのだろう。
季節限定の抹茶味を口に放り込む。程よい甘さと抹茶特有の苦みが絶妙にマッチしていてこれもまた美味しかった。もう一個の方は桜味、なんて商品名の隣に書いてあったがどんな味なのか想像がつかない。だけどピンク色のそれはあらゆる未知を感じさせ私の食欲を掻き立てる。私は一番好きなものを最後に残しておくタイプなのだ。
しかし抹茶の方のドーナツに夢中になりすぎたせいで桜味の行方を追うことが出来なかった。いや追うことは出来たのだが見つかったのはあまりにも無惨な姿。
「なんで勝手に食べとんの!!」
「美味しいねこれ、もう一個食べたい」
「自分で買ってきーよ!」
「…これくらい罰、当たらんやろ」
虚ろげな目で窓の方を向く楓の姿に何故だか胸が締め付けられそうになる。たまに楓は何を考えてるのか分からなってしまう。いつもは大きく口を開けて自分の感情をうるさく表しているのに。極たまにだが、遠くへ行ってしまいそうになる。私の触れられない、そんな場所に…
「…叶ってば!」
「えっ、あ…なに?」
「なに?じゃないよボーッとして、ずっと話しかけとったのに。やっぱり元カノのこと引きずっとるんやないと」
「いやなんでもないよ、帰ろっか」
おかしいな、来た時に感じていた腰の重さが別の意味でまた重くのしかかっているような気がするのは。
「だから、一緒には帰れないってば。私カラオケ行くから」
「カラオケ?私も行きたい」
「…今日は一人の気分なの。また今度誘うから!わざわざありがとね、んじゃばい!」
まるで私から逃げるように慌ただしく店内から出ていく楓。その後ろ姿を私は呆然と立ち尽くして見つめることしか出来なかった。本当にどうしたんだ。
仕方ない一人で帰ろう、と来た道を同じようにまた孤独にとぼとぼと歩く。どうにもバスに乗りたい気分になれなかったから徒歩で。楓との絶妙な距離感が今の私の歩みをひたすら、のろくする。
ふと見せる楓のそんな姿はまるで
夜空の満月みたいに
孤独だった。
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