捨てられない挑戦状


「私と恋人の振りしてくれない?」


予測も不可能なその言葉に私の心臓は一瞬止まったかのように見えたがすぐに激しく打ち出す。身体が思うように動いてくれない。背中に流れる冷や汗だけが今私が生きていることを精一杯に知らせてくれていた。


「な、っん、え?」


どうして今この状況で?そんな雰囲気なんて一切醸し出してなかったやん!?

動揺のし過ぎなのか、理由もなく涙が出そうになってしまう。まるでこの部屋だけが外の世界とくっきり切り離されてしまったかのような錯覚。取り残された私達はいったいこれからどうすればいいのだろう。


「私って顔はいいじゃん」


耳に髪をかけるその仕草は私に見せるためのわざとでしょうか。自由だなぁこの人。


「え、まあ…うん」


「もしかしてそうでもないの?」


「いや、違う!可愛いよ、ていうかめっちゃ美人やし…」


ただ自分から言うものだから少し驚いてしまう。ここまで容姿が端麗だと自信も同じくらい付いてくるのだろうか。私には程遠い世界観だ。それ以上の驚きが私を襲っているにもかかわらず考え込んでしまう。


「…なんで私?」


純粋な疑問だった。望なら地味な私じゃなくても寄ってくる男や女は星の数ほどいるだろう。私では当たり前に光る星の輝きがあまりにも足りていない。


「男が嫌いだから」


「それは同意せざるを得ないのですが…それでも私じゃなくたっていいやん?」


「今日見てたでしょ、告白されたところ」


「あっ…気づいとったんや」


「あんなに興奮した顔でこっち見られてたら流石に分かるよ」


「そんな顔しとった!?」


「めんどくさいの」


一瞬自分に言われたかと思って身が縮こまる。


「恋愛って相手のことを気にしてばっかになっちゃうでしょ?気を遣って自分の時間を浪費することになんのメリットも見いだせない」


それは望らしい台詞だった。望の人生設計には誰かと乳くりあう恋愛など必要ないのだろう。


ただそれならそれで矛盾が生じるのではないか。


「じゃあ尚更私と恋人の振りをする理由なんてて」


「恋人がいるという体にしたら断りやすくなるでしょ。それに叶にとっても悪い話じゃないと思うけど」


「私にとっても…?」


「うん。二日前のこと覚えてる?」


それは私たちが初めて顔を合わせたあの夜のことを言っているのだろう。覚えてるも何も私には忘れられない経験となったのだ、普通ならトラウマレベルよ。最悪の出会い方と言ってもいいかもしれない。


「うん」


「元カノに、振られたって泣いてたじゃない」


前振りもなく痛いところをついてくる望にいったい人の心はあるのだろうか。望の前で泣いた記憶は無いのだけれど。


「まあ…そうね」


まだアルコールの抜けてない頭の中は軽く靄がかっていて元カノの顔がなかなか出てこない。額に手を当てながらちょっと真剣に考えてみる。

真剣に今の状況を打破する戦略を練ってみる。


ダメだった。全然頭働かないんですけど…


「私が忘れさせてあげるよ。あの時の叶、酷い顔でほんとに辛そうだった」


「いやだからそういう問題じゃ…」


「それに私、叶の顔好きだし」


なんですと!?爆弾発言を私にくくりつけておきながら望は涼しい顔でビールを口につける。


「振り、だとしても好みの顔と付き合いたいと思うのは普通でしょ。恋愛に興味はないけど狙った獲物は取り逃さないって決めてるから」


まるで肉食獣の目だ。その目に映っているのはとって食われる小動物。つまり私。


私はじっと望を見つめる。相変わらず頭のてっぺんから足先まで完璧と言っていいほど整っている。ビールを持つその容姿ですら惚れ惚れしてしまいそうだ。


「裁判長…ここには質疑応答の場があったりします?」


「誰よ裁判長って、どーぞ」


「なんというか…実はまだ元カノの存在を引きずってまして、次の恋愛にいくモチベーションも勇気もないというか、あはは…」


「大丈夫」


一体どこからその自信が湧くのだろう。強い眼差しにあてがわれて私の何かがまた跳ねた。


「絶対に叶は私を好きになる。そして元カノのことなんてすぐに忘れちゃうから」


そこまでハッキリ言われてしまうとそうなのかもしれない、なんて騙されそうになる。しかし自分で言うのもなんだけど私の中の元カノという人物は言ってしまえば、私の生きる価値であって糧だったのだ。それを失った今、ほいほいと簡単に乗り換えれるほど私は乗り継ぎが上手くはない。


「もう一個聞いてもいい?」


「off course」


外国の裁判長になっていた。


「その…望は私の事…好きではないんよね?あの、恋愛の意味で…」


美人すぎる望は挑発するような目線をこちらに向けて言う。



「好きにさせてみてよ」



恋を知らない我儘な姫君が無茶振りを投げつけて私を困らせる。どこまでいっても末原 叶という人物は押しに弱く、そして少しだけ意地っ張りのようだ。


「先に好きになるのは…そっちやけん」


あまりにも小さい声での宣戦布告はちゃんと相手にも伝わったようだ。ほんとに私らしくない。いつもみたいに逃げ出せばいいのに、今はそうしたくないと思ってしまう自分がいる。

自分の望む未来を釣り上げたい。そのために必要なことはまず、細く切れそうな釣り糸を垂らさなければいけない。私の釣り糸はこの重さに耐えられるだろうか。


「これからよろしくね、叶」


「こちらこそ、望」


釣り上げるのは大物だろうか、それとも空き缶だろうか。

そのどちらでも私は後悔しない自信があるだろうか。


さっきまで青く澄んでいたはずの空には曇天が広がっており、ポツポツと雨が降っていた。その雨は私の弱い決意を洗い流してしまいそうなほど強い豪雨へと変わってしまう。

生憎傘も持ってきていない。それに加えて身体はアルコール漬けにされて動けない。

何よりも一番大きな足枷が私の右手に繋がれて離れてくれやしない。望の手ってこんなにもあったかいんだ。


ああ、親に連絡入れなきゃ。


今日はもう帰れないみたいです。

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