曖昧な距離感

- 曖昧な距離感 -

無理矢理といえばそれはもう、私の意思などそこには最初から無かったかのように連れてこられてしまった。場所は大学の駅からたった一駅いったところにある小さなアパート。

木造でできたそれは茶色の壁と、黄色くあせてしまった白い屋根による地味っ気を感じる建物がポツンとあるだけ。あんな仕事をしているもんだからお金はあるだろうに。


「何?言いたい事あるならどうぞ」


「ボロっちい…」


「正直すぎ」


コツンと頭を小突かれる。言っていいって言ったのはそっちなのに…

望が今にも崩れそうな脇の階段を慣れたように上がっていくもんだから仕方なく後ろに続いて自分も登る。

二階の一番奥の部屋。もう来ることも無いかもしれない場所をとりあえずは記憶しておくことにした。


「なんで望の家…?」


「別に行きたい場所とかないし」


じゃあどうして私を誘った?口下手なのかそれとも私には話す気がないのか、説明が少ない彼女に少し気疲れしてしまう。

胸ポケットから取り出された小さな鍵をドアノブに挿し込んで捻る。今どきこの様式の鍵も久しぶりに見るものだ。


「どーぞ」


望が私を部屋へと招き入れる。中で一体何をしようというのか、私の本能が警告を鳴らしつつあったが一旦無視する。最近こういうこと多くない?


「お邪魔します」


大学の友人の家へ遊びに来るのは初めてだった。中に入った瞬間、望の存在を強く感じてしまう。望の衣服の匂い、生活感の匂い。鼻腔をくすぐるその香りはこの建物の外観に似合わず女の子らしい甘い匂いで広がっていた。


「お客さん呼ぶ気なんて無かったからスリッパなんて買ってないんだけど、まあ気楽にしてって」


部屋に入ってまず頭に浮かんだ印象が『物が少ない』だった。一人暮らしだからだろう、小さな丸机の近くに置かれたシングルベッドや必要な分しか入らない冷蔵庫。タンスや引き出しは無く服は百均で買ったような籠に直に入れられている。しかし一際目立つ物が一つだけあった。


「本とか読むんやね」


壁伝いに置かれている少し大きめの黒い本棚。白い壁紙と反した分、存在感がピリピリと伝わってくる。


「まあね。漫画とかはあまり読まないけど」


確かに本棚に入っているのはどれもビジネス参考書や私の知らない昔の偉人達が書いた伝記等がだいたいだ。そういえば図書館で会った時も同じような本を読んでいたっけ。

大学一年生にしてもう将来のことを見据えているのか。きっと何も知らない人がこの本棚を見たら、これらの本の持ち主は気難しく人生設計のちゃんとした人なんだなと思うのではないだろうか。実際私がそう思ったし。


「ふーん…どこ座ればいい?」


「そこら辺…ベッドとか?」


「ここでいいかな」


淡い緑色のカーペットに借りてきた猫のようにちょこんと座る。なぜだか望がいつも寝起きしているベッドへと居座るのは気持ちが阻まれてしまった。


「はい、こんなものしかないけど」


目の前に突き出されたのは透明な細長いグラス。麦茶かなと思い飲んでみると烏龍茶だった。ちなみに私は麦茶派。


無言の時間が訪れる。シンクに落ちる水滴の音でさえも聞こえてきそうだった。

今の私は望とぼそぼそお喋りできるような間柄なのか、だいたい今の私たちの関係に名前をつけられるならなんだろう。知り合い以上友達未満?


不意に大きな窓から覗いてくる青く澄んだ空を眺めることに没頭した。雲ひとつない高い高い空。


「天気…いいねぇ…」


「もしかして叶って会話下手?」


「なんてこというの!?」


危ない、素で突っ込んでしまった。失礼な子である。

こちとら友達の家に上がり込んだことさえも無いせいで、こんな不慣れな環境で苦戦しながらも会話を築きあげようとしてるのに…


「お腹空いてない?」


急にそんなことを言われたので咄嗟に自分のお腹と相談してみる。

うん、どうやら緊張の最中であっても空腹はちゃんと私に訴えかけてくる。我が胃袋ながらだいぶ図太い。


「空いたかも」


「じゃあ作ったげる」


そう言って望は立ち上がりながら右手につけていた黒い髪ゴムでポニーテールに髪をまとめる。

わあ、うなじキレー。


「えっ、そんな悪いよ。私何も持ってきとらんし」


何も、とは食材や食器類、もしくは現金だった。美味しく食べさせたあとお金の請求でもされたらたまったものではない…


「いいの、そのつもりで呼んだんだし」


そのつもりとは私に昼食をご馳走することの意だろうか。


銀色に光るシンクにまな板を乗せて望は冷蔵庫を確認しだした。

ちょっと楽しそうな顔をしているのは私の勘違いなのかもしれない。


「何作ってくれると?」


「んー、何がいい?」


「え、決まっとらんの?」


「いや決まってる。聞いてみただけ」


なんだそりゃと笑いながら机の上にだらける。

何だか他人の家だというのに結構楽かも、なんて最初の緊張はどこかへいってしまったらしい。まずいつもの私ならこの家に踏み入ってすらいない。

それは相手が望だからだろうか。

答えはすぐに出たが心の中で濁してしまう。


人参、ピーマン、玉ねぎ。シンク台の上に出された野菜たちを一瞥する。玉ねぎはちょっと苦手だな、なんて口には出さないがまあしょうがない。

私たちはまだ何も知らないのだ。知っていることは少しだけで知らないことは両手に乗りきらないほどあるわけで。


「料理得意なん?」


「一応自分で料理するしかないんで」


一人暮らしだとそういうものなのだろうか。ふと包丁を握った望の後ろ姿が気になった。相変わらずうなじは私の中の何かを誘うようなのだがそこでは無い。

野菜たちを無惨に切り刻む包丁は左手にある。

ああ、望は左利きなんだとまた一つ知らないことが知ってることに変わった。

いつでも自分に変化を作るのは第三者からの影響だけだ。元々、自分から変わろうなんて無理な話。


私は望をどこまで知りたいのだろう。友達といっても相手によって距離感は違うわけで。

知らないことは、どんどん積み重なって私たちの間に大きな壁を作ってしまう。そのまま放っておくとその壁に圧倒されて望のいる側へ行くことも出来なくなる。手遅れになる前に望のことを知りたい。私が他人に興味を持つなんて珍しいと素直に思う。


「何か手伝おっか?」


流石にこのままじゃ手持ち無沙汰でしょうがない。


「料理とか出来なさそうだよね」


またまた失礼なことを言い出したぞこのお嬢さん。まあその通り出来ないのですが。


「むむっ…食器でも出すかー」


くすくすと笑う望に申し訳なさと同時にほんの少しの悔しさを抑えて食器棚へと手を伸ばす。その笑い顔が愛おしくて何度でも見惚れてしまいそうだ。


「あれ」


「どうかした?」


「食器揃っとるんやって思って」


望の家には必要最低限の物しか置いてない。それは一人暮らしなのだから当たり前だろう。だから勝手に食器の類も望の分だけしかないと思っていたのだが。でもまあ確かに食器はいくらあっても便利なものかな。


「叶が来るから昨日買いに行ったの」


「えっ」


えっ、だ。さっきから感じてはいたことなのだがどうして私に対してここまでいい待遇を味あわせてくれるのだろう。わざわざホームセンターまで私のためと足を向かわせる望の姿が思い浮かんでは消えた。


「私が来るの…楽しみにしてたん?」


まあ私はいまさっき誘われたばかりなので楽しみだとかそういう感情は湧いてこなかったのだが。


「…別に」


私に聞こえるか聞こえないかそれくらい小さな声で呟いた望の横顔を盗み見る。ポニーテールであげた髪も細く透き通った顔の輪郭も巧みな職人にでも作られたかのように綺麗で整っている。


少し長く見つめすぎたか、不思議に思ったであろう望がこちらを振り向く。振り向いたその顔に私の胸は準備運動も疎かに飛び跳ねた。


ほんのり火照ったように赤く染ったその頬は先程のやり取りで出来たものだろう。図星を見抜かれて隠すことも出来ずにいた所在無いその感情は頬に赤色としてくっきりと現れてしまっている。


「そっか」


わざわざあえて指摘するつもりもない。指摘したらしたでどんな反応になるのだろう。もっとその赤みは増して顔中ゆでダコみたいになる望の顔が脳裏に写ったがそれは望のイメージでは無いためすぐにかき消してやった。


望に言われる通りに食器棚から指定の食器を取り出す。こうしていると同棲したカップルみたいだななんて場違いな思考が頭を巡る。


並べられたお皿には野菜がたっぷり入ったチャーハンっぽいお米が山のように盛り付けられる。その上から黄色い布団を被せて出来上がりらしい。


「そっちに持って行って」


「ほいほい」


ほんとに小さな丸机なので二人分の皿が乗るか少しだけ不安だったのだがギリギリ置けた。後から来た望の手にはレタスやきゅうりの入ったサラダとケチャップが握りしめられている。


「こういう時ケチャップで絵とか描いちゃわない?」


望の隣に座るのも何だか変だったので真向かいに座らせてもらうことにした。けして望の美しい顔を堪能したいからでは断じて無い。


「んー、自分の名前とか描いちゃう」


しかもフルネームで。末原 叶と。


「自分大好きか」


「そういう望はなんて描くの」


「こうかな」


少し半熟になっている卵に乗せられた赤い文字は少し歪だが叶と書かれていた。


「いや私の事大好きか」


望の口調を真似てみる。そんな冗談が食卓に並べられるくらいに私たちの仲は深まっているのだろうか。


それじゃあお返しにと自分のオムライスには望とデカデカ書いてやる。叶に比べて画数が多いのでこちらはもう識別不可能な無惨な姿になってしまった。


「それじゃ、いただきます」


「いただきます」


早速メインのオムライスへとスプーンを伸ばす。そんな私の動作を一瞬足りとも見逃さないぞというように目の前から熱い視線が送られてくる。ちょっと食べずらいなぁ。


「んっ!美味しい!」


自分で作ると固く焦がしてしまいそうな卵はふんわりと柔らかく、中のご飯とも絶妙にマッチしていた。苦手な玉ねぎの独特な臭さは感じられない。お店で食べるようなケチャップを混ぜだ米ではないのにしっかりと味もついている。


「いぇーい」


当然だ、というような顔つきでピースサインを貰う。可愛いないぇーい。


その後はちゃんとサラダも味わいながら望と学校の話や、たわいもない世間話に華を咲かせることになった。案外普通の女の子なんだなと何故か納得してしまう。


「ごちそうさま」


「お粗末さまでした」


本当に美味しかった。出来るならまたご馳走にでもなりたいものだと勝手にわがままになってしまうほどには。

作ってもらうばかりなのも悪いので食器の片付けは自ら名乗り出る。あらかた済ましたところでさてどうしようかと頭を回転させた。


「もう六時か」


食べている最中もお互いペースはゆっくりだった。それにも関わらず食べ終わったあとも結構喋り続けていたからな。気づけばだいぶ遅くなってしまっている。

もうそろそろ帰ろうかな、なんて考えていたら。


「ちょいちょい」


わざわざそんな効果音を言いながらこちらに寄れいとでも言いたげに誘われる。

なんだろうと思い隣に座ると目の前に出されたのは自分はあまり目にしないビールだった。


「飲める?」


うちは親もお酒を飲まないのでなかなか縁がない。未成年だし。


「未成年なのにビールって買えると?」


望が一浪している可能性など全く考えず口に出したがそういう問題ではないだろう。


「セルフレジ使ったの」


だからそういう問題では無いのだ。なぜ帰ろうかなと考えてる私にビールを勧めるのか。


「もう帰らんと」


「いいじゃん、泊まってってもいいよ」


「流石にそこまでは…」


「いいからいいから」


私は人の押しに弱いのだ。ひたすら弱者である。

気づけば望は既に新しい缶を開けてごくごくと喉に放り込んでいた。いい飲みっぷりじゃのう。


「まあ…いっか」


人生初めてのお酒がまさかビールになるなんて思ってもみなかった。

プルタブに指をかけ一気に引っ張ると小さな部屋に聞き心地のいい音が響く。

お酒を手にしている自分にどこか、こそばゆさと悪いことをしているドキドキを共に強く感じながら。

生まれて初めて、お酒を口にする。


「…にっが!」


口にするよりも先に表情に苦さが現れていたか。そんな私を見ながら望は小悪魔のような顔で見つめていた。

コマーシャルで流れているビールの宣伝はあんなに美味しそうなのにこの仕打ちはなんなのだ。喉の奥にしっかりと存在するその苦みに耐えきれず額にシワが集まる。


先程のオムライスの美味しさを返して欲しい。


「まだまだいっぱいあるから」


また気付かないうちに机の上には大量のお酒が乗っていた。ほんとに今日帰れるかなぁ…

20歳になれば自然にこの苦味を味わえるくらいになるのだろうか。

望は平気そうな顔でもう二本目を開けている。

何故だかその顔に対抗心が湧き、右手に持っていた缶を傾けぐびぐびと無理やり飲んでみた。


お互い無言で缶を傾ける。そうした無言の中で私は何もすることが出来ない。苦味に苦戦しながらも少しずつ、そして確かにビールを消費していった。


「叶はさ」


「…へ?」


頭がぼーっとして上手く機能しない。望から呼ばれたはずなのに反応が少し遅れてしまった。初めての感覚に身体は困惑を覚えながらも程よいアルコールの気持ちよさの中に沈みきっていた。


「今、恋人いないよね」


シンと静まり返った部屋にポツリと呟かれる。その言葉を理解するのにも一苦労だ。

恋人、と表現したのは私が元カノに振られたことを知っているからであろう。


「おらんよ」


自分で自分の発言に驚いてしまう。元カノが居なくなった事実は今でも私を蝕んでいるはずなのだが、こんなにもはっきりと口にすることが出来ることに。


「じゃあさ」


「んー?」


私はこの後の望のセリフを聞いて口に含んだ黄色い液体を汚くも吹き出してしまうことになる。そして思いがけないその言葉に私は身体を硬直させてしまうのだ。そうだよ、ずっとこの子は突拍子がないのだ。



「私と恋人の振りしてくれない?」

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