夜の入り口で縁側に座って空を眺める。少女はそうした時間をよく好んだ。特に季節の変わり目ともなると空気の質が刻一刻と変化していくようで、生きている、という感じがした。堅苦しく言うならば、生の実感というものをこの少女は感じているのだ。現代は空白というものがあまりにも少なく、ちょっとした空き時間ですらもスマートフォンで情報を探してしまう。探すという言葉はこの場合、気を遣ったところのある表現で、実のところは受動的に情報を掴まされているに過ぎないのだが、ともかく何もしていない時間、つまり今この場所で感じる時間は濃密に感じられる。空を見上げれば遥か彼方に点滅する光がある。耳を澄ませばどこか遠くで蛙が鳴いている。家の中からは食べ終わったばかりの煮物の残り香が漂ってくる。風はまだ冷ややかで、乾いている。生きている、という感じがした。

 夜の冷気を浴びて冷たくなった床に身を委ねれば、今度は外ではなく内のことが見えてくる。まずは室内の様子を眺める。台所の見える場所には調味料や調理器具が並んでいて、無駄がないといえば嘘になるけれどよく整理されている。電灯は点いているけれど今そこに母親の姿はない。ただ、広い家ながらもどこかに人の気配を感じることができる。そんなふうに空間が巧みに設計されているのか、一人ぼっちになったような不安はない。それから柱に視線を向ける。四十年もの間、この広々とした空間を支えている柱や梁のことを思うと、少女はある時期の自分のわがままを恥ずかしく思う。

 小学生に上がったばかりの頃、少女は親しくなった友人たちのグループの中でお互いの家を紹介する、謂わば内覧会のようなことをやっていた。最初はよその家庭に足を踏み入れることに新しい刺激を受けていた少女だったが、そういう交わり方をしていたから、やがて自分の自宅にも友人を招かなければならなくなった。しかし、少女はどうしてもこの家を紹介することが恥ずかしくてならなかったのだ。理由は色々とあって、近所にはマンションが建ち並んでいるのに平屋であることが古めかしく感じられたり、家の奥まった一室を自室として与えられていることの気恥ずかしさもあり、またそこへ通すまでの間に家族の生活の有り様をまじまじと見られてしまわないかというのが恐ろしいのだった。そしてその根源には築数十年(当時は築三十年ほどだった)ということの重苦しさがあった。自分を守り育て、自分が過ごす場所としてのこの家の価値が、あっという間に転倒してしまったのだ。

 幼い頃のそうした感情を十年経った今でも共有しているというわけではない。結果として友人たちからは立派な家に住んでいると評判だったことも覚えている。だが、あのときの価値観の転倒というものが少女にとっては恐ろしく、幼い頃の感情との断絶があるから、そうした転倒の心理状況が理解できずになおさら恐ろしい。今はただあのときのわがままを恥ずかしく思って、できるだけ家の中をよく清らかに保つことを心がけている。それが自分なりにできるこの家への罪の償い方だと思って。

 不意にスマートフォンが鳴った。何らかの通知が入ったことを報せている。少女は束の間の思索が霧散してしまったことを悔やんだ。何か大事なものを取りこぼしてしまったような気分だった。少女は羽織っていた薄手のカーディガンを脱ぎ、部屋着だけになって自室に戻った。春の風は未だ冬の名残を残していて、やがて布団に籠もる熱気を前借りできないかと感じてしまうくらいだ。少女はそんな取り留めのないことを考えながらやり残していることがないのを確認して、布団の中に潜り込んだ。あの頃、ベッドではなく布団に寝ていることを恥ずかしく思ったし、そもそも和室で暮らしていること自体も恥ずかしかった。少女は、いつかの日のことを再び思い返し始めた。

 今では恥ずかしく思うけれど、あの頃の自分は強かったなと思う。自分の暮らしを否定し、そしてその暮らしを支えるこの家のことを拒否した。それでいてこの家で寝起きをすることに何の疑問も感じなかったのだから、強いというか、図太いというか、何も知らなかったというか。結局はわがままなだけだったのかもしれない。今でも嫌なことや悩みはいくらでもある。その一つ一つに向き合いながら大立ち回りを演じられるとすれば、そのときには本当に強くなれるだろう。いつかそうなりたいと、少女は思った。

 男の子や女の子、学校の教員や両親。色々な悩みのタネが少女の頭の中に浮かび上がる。悩むうちにも時間は流れていく。少女はいつしか部屋の静けさを聴いている。その純度が高まったある極点で、少女は束の間の眠りに就いた。

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