漫画みたいなのは有り得ない

(しまった……。何が好きか全然知らない……)


 ハヤテは駅前のパティスリーで、もう随分長い時間ショーケースを覗き込んでいた。


(ショートケーキ……プリン……モンブラン……この辺が定番かなぁ……。フルーツタルトってのも捨てがたい……)


 メグミに何か手土産をと思い店に入ってみたものの、まだメグミの好みをまったく知らない。

 普段あまりこのテの店に入らない上に、女の子が好みそうな物に疎いハヤテは、何を買えばメグミが喜ぶのかと悩み続ける。


(ホットケーキ焼いてくれるって言ってたし……ここはケーキじゃなくてプリンとかゼリーなんかが無難か?)


 散々悩んだ末、ハヤテはプリンと2種類のフルーツゼリーを2つずつ買って店を出た。


(手土産ひとつ買うだけでも一苦労だな……)


 慣れない事をすると疲れると思いながらも、メグミが喜んでくれるならそれもまた悪くないかなと、ハヤテは少し口元をゆるめながらメグミの家に向かった。


(家の人に会ったら挨拶くらいはしとかないといけないよな……)


 女の子と付き合う事自体が初めてなので、彼女の家にお邪魔する事や、家の人に会う事も、何もかもがハヤテにとって経験のない事で、夕べからかなり緊張している。


(あんなキレイな娘の彼氏がこんな地味な男なんて……どんな顔されるんだろう……)


 素性をいろいろ聞かれたり、言葉には出さなくても今までの彼氏と比べられたりするのだろうか?


(はぁ……自信ないな……。なんて挨拶しよう?名前と、年齢と、音大のピアノ科に通っている事と、それから……やっぱり、『メグミさんとお付き合いさせて頂いてます』とか言うのか?)


 結婚の許可をもらいに行くわけでもないのに、初めて彼女の親に会うのだと思うと、どんどん緊張して顔が強張って行く。


(待ち合わせしてどっかに出掛ける事にすれば良かったかな……)


 夕べ二人で相談して決めたのに、今更『やっぱり出掛けよう』とも言いづらくて、ハヤテはそのまま歩き続け、緊張しながらメグミの家の前に立った。


(別に悪い事してるわけじゃないんだから……そんなにビビる必要ないか……)


 ハヤテは大きく深呼吸をして、思いきってメグミの家のインターホンのボタンを押した。


(せめて嫌な顔だけはされませんように……)


 ドキドキしながら待っていると、玄関のドアが勢いよく開いて、メグミが満面の笑みで抱きついて来た。


「ハヤテ、いらっしゃい!!」

「わっ……!ちょっと待って……」


(おいおい、いきなり家の人がこんなところ見たらなんて思うんだよ?!第一印象、最悪じゃないか!!)


 ハヤテはオロオロしながら、嬉しそうに笑って抱きつくメグミをなだめる。


「あのさ……いきなりこういうのは……」

「ん?どうしたの?」


 メグミはなんともない顔で、抱きついたままハヤテを見上げる。


「あのー……おうちの人は?挨拶くらいは、ちゃんとしとかないと……」

「いないよ?」

「そっか、いないんだ」


 ハヤテはホッとして緊張が解けたのも束の間、一瞬耳を疑って別の意味で緊張し始めた。


「えぇっ?!いない?!」


(い、いない……?それって、完全に二人きりって事……?!)


「うち、父親が単身赴任だし、母親は仕事忙しくて、ほとんど家にいないの。それに私、一人っ子だから、いつも家ではひとり」

「あ……そうなんだ……」


(本当にいいのか……?)


 ハヤテが少しためらっていると、メグミが笑ってハヤテの手を引っ張る。


「ね、上がって。今、ホットケーキ焼いてたんだよ。一緒に食べよ」

「あぁ……うん。お邪魔します……」


(いろいろ考え過ぎなのかな?)


 ハヤテはメグミに手を引かれ、ダイニングに案内された。


「ああ、そうだ。これ……」


 差し出された紙袋の中を覗き込んで、メグミは嬉しそうに笑う。


「ありがとう!!ここのプリン大好き!!」

「良かった」

「ゼリーも美味しそうだね。ハヤテが選んでくれたの?」

「うん。でも、何が好きか知らないから、あれこれ悩んで……」

「嬉しいな。私の事考えながら選んでくれたんだね。ありがと」


 メグミは嬉しそうに笑って、ハヤテの頬にキスをした。


「ふ、不意打ち……!」

「お礼のキス。もっとしようか?」

「いや、もうじゅうぶんだから……」


(まずい……。今日一日この調子なのか?オレ、一日もつかな……)


 ハヤテは相変わらず積極的なメグミの愛情表現にドギマギしながら、メグミの唇の感触の残る頬をさする。


(でもまぁ……こういうところがホントにかわいいんだけど……)



 メグミが淹れてくれた紅茶を飲みながら、シロップをたっぷりかけたホットケーキを二人で食べた。


「美味しい?」

「うん、美味しい」

「良かった」


 メグミはニコニコしながら、切り分けたホットケーキを頬張る。


(あーもう……何してもいちいちかわいい……)


 メグミの笑顔に内心メロメロになりながら、ハヤテはゆるむ口元を隠すように紅茶を飲んだ。


「プリンはおやつに取っとこうかな」

「うん、いいよ。プリンもゼリーもメグミのために買ってきたから、好きな時に好きなだけ食べて」

「うふふ、贅沢。ここのプリン美味しいから大好きなの。後で一緒に食べようね」

「メグミが食べていいよ」

「あーんってしようか?」

「いや、それはいい……」


(ああもう……。やっぱり主導権は完全にメグミに握られっぱなしだ……)


 年下の彼女に翻弄されている自分を頼りなく思うものの、それも悪くないなとハヤテは思う。


(これはこれでいいかな……。かわいいし……)


 メグミが何をしても、何を言ってもかわいい。

 いつの間にかそのかわいさにやられっぱなしになっている自分に気付くと、ハヤテは少し苦笑いをした。


(最初はあんなに『勘違いするな』って思ってたのに……)



 ホットケーキを食べて片付けを済ませると、メグミは、自分の部屋へ行こうとハヤテの手を引っ張った。


(別にヘンな事するつもりはないけど……ホントにいいのかな……。なんか緊張する……)


 自分にその気がなくても、相手はメグミだ。

 何が起こるかわからない。

 誰の目も気にする事のない状況で二人っきりになると、きっとこれでもかと言うくらい体を密着させて甘えて来るのが予想される。


(ここはオレがしっかりしとかないとな。いくらなんでも高校生のメグミに押しきられて、なし崩し的に……とか、それだけは避けたい……)


 いくら親がいない家の中に二人っきりの状況であっても、どんなにメグミが積極的でも、ここだけは譲れない。

 今時、中高生だっていろいろと経験済みなのだろうが、ハヤテにはハヤテなりの考えや価値観がある。

 お互いに高校生とか大学生とか、立場が対等であればまた考え方も変わって来るのかも知れないが、ハヤテは成人している大学生だし、メグミはまだ未成年な上に高校生だ。

 メグミがかつてどんな恋愛をして、どんな経験をしてきたのかは知らない。

 それでもやっぱり、自分にとっては初めての彼女なのだから、ちゃんと大事にしたいと思う。


(経験がなくたって、別に飢えてるわけじゃないからな!!オレにだって理性はある!!)


 メグミに手を引かれながらぐるぐると思いを巡らせるハヤテの気も知らないで、メグミは当たり前のようにハヤテを自分の部屋へ案内した。


「どうぞ、入って」

「うん……」


 ハヤテは緊張の面持ちで、メグミの部屋に初めて足を踏み入れた。

 殺風景な自分の部屋とは違って、愛らしい小物や柔らかな色のインテリアで飾られた部屋は、いかにも年頃の女の子の部屋と言う感じだ。


(女の子の部屋って感じだな……。しかも……なんかいい香り……)


 満員電車でうんざりするような強い香りではなく、さわやかなシトラス系のフレグランスが、ほのかに優しく香る。


「ハヤテ、適当に座ってて。私、飲み物取ってくるね」

「あ、うん」


(人生初、彼女の部屋……)


 ハヤテはメグミに言われた通り、ラグの上に腰を下ろし、ソワソワと落ち着かない様子で部屋の中を見回した。


(漫画の数、すご過ぎだろ……。休みの日は家で漫画読んでるって、ホントなんだ)


 漫画がぎっしり詰まった棚の横には、映画やドラマなどのDVDが、これもまたたくさん並んでいる。

 漫画を読んで、映画のDVDを観て、休日を一人で過ごすメグミの姿を思い浮かべると、ハヤテは少し切なくなる。


(家ではひとりって言ってたな……。やっぱり、寂しいのかな……?オレも子供の頃は似たようなもんだったし……)


 ハヤテは子供の頃の自分を思い出し、苦々しい顔でため息をついた。


(オレは今更なんとも思わないけどな……)


 ハヤテが本棚から1冊の漫画を抜き取ってパラパラとめくっていると、フレーバーティーやスティックコーヒーが入ったバスケットとカップなどを乗せたトレイと、電気ポットを持ってメグミが戻ってきた。


「早速読んでるの?」

「あぁ……漫画、すごい数だなぁって」

「でしょ。私のお小遣い、ほとんど漫画とDVDと本で消えるんだよ」

「買い過ぎだな。今度、なんか貸すよ」

「ホント?嬉しいな。ハヤテ、何飲む?」

「何がいいかな。迷うからメグミに任せる」

「甘いのも大丈夫?」

「だいたいは」

「よし、じゃあこれにしよ。私の一番のお気に入りだから」


 メグミはキャラメルマキアートの袋を選び、カップに入れてお湯を注いだ。


「よく混ぜて……ハイ、どうぞ」

「ありがとう。メグミは何飲むの?」

「私にも選んで」

「じゃあ同じにしよう」

「なんで?」

「なんとなく?同じ物を飲んで美味しさを共有したいかなと思って」

「ハヤテ、おもしろい事言うよね」

「そんな事ないけどな……」


 メグミも同じようにキャラメルマキアートを作って、ふぅふぅ息を吹き掛けて冷まし、カップに口をつけた。


「うん、やっぱり美味しい」


 一口飲んでニッコリ笑っているメグミを見て、ハヤテもゆっくりとカップを口に運ぶ。


「あ、ホントだ。うまい」


 ハヤテが呟くと、メグミはもう一口飲んでカップをテーブルに置き、ハヤテの顔をジッと覗き込むようにして見つめた。


「ん?何?」

「今キスしたら、きっと同じ味がするよ。試してみようか?」


 メグミの一言に、ハヤテは思わずカーッと赤くなり、首を横に振った。


「し、しません!!」

「なんで?」

「なんでも!!」


(はぁもう……。いきなりこれだよ……。先が思いやられる……)


「ふーん……?この間はあんなにキスしてくれたのに、今日はしてくれないの?」

「…………それはもう言わないで下さい……」


(改めて思い出すと、めちゃくちゃ恥ずかしいな……)


「ハヤテ、真っ赤」


 メグミはおかしそうに笑って身を乗りだし、ハヤテの唇にキスをした。

 またしても不意打ちでキスをされたハヤテは、真っ赤な顔でうろたえる。


「うーん……もっとしないと、味はしないね」

「もう……味はしなくていいから……」


(積極的過ぎだろ……。メグミ……まさか、オレの反応おもしろがってる?!)


「あんまり意地悪な事すると、オレ帰るよ」

「帰っちゃやだ。ごめんね、ハヤテ。おわびにいっぱいキスするから許して?」

「それはなんか……おかしくないか?」


(メグミって……キス魔……?)


「とりあえず……せっかくだからなんか読む。どれがおもしろい?」

「少女漫画も読む?」

「普段は読んだ事ないけど……あればなんでも読む」

「じゃあ……これ、おもしろいよ」


 メグミは漫画を本棚から数冊取り出してハヤテに渡した。


「うわぁ……。いかにも少女漫画な絵……」


 座ってメグミから受け取った漫画を読み始めたハヤテが、しばらくすると首をかしげた。


(ん……?なんだ、この展開……)


 そして何ページか読み進めると、今度は眉間にシワを寄せ、怪訝な顔をした。


(えっ?これ、展開早過ぎじゃないか?!)


 そして更に数ページ進むと、目を閉じて首を横に振り、本を閉じた。


(嘘だろ?最近の中高生、こんな激しいの読んでんのか?!全然少女じゃねぇじゃん!!)


 少年漫画とは比べ物にならないほど激しい性描写に驚いて、ハヤテは思わずため息をついた。


(こんなのPTAがよく黙って読ませるよな……。ちょっとしたテレビでもすぐクレーム入れるくせに……)


「どうかしたの?」

「いや……。女子中高生、こんな激しいの読んでるのかって……。少女漫画ってみんなこんな感じなの?」

「あ、それ少女漫画じゃないよ」

「えっ?!」


 ハヤテの反応を見て、メグミは楽しそうにニヤリと笑った。


「ティーンズラブって言うの。大人女子向けのエッチな漫画」

「どうりで激しいわけだ。……って、わざとこれ渡しただろ?」


 ハヤテが横目で見ると、メグミはイタズラが成功した時のような、嬉しそうな顔をした。


「バレた?」

「大人向けって……メグミまだ高校生じゃん」

「でも私、18だよ?」

「確かにそうだけど……」


(絶対これ、もっと前から読んでるよ。女子中高生、マセるわけだ)


「少女漫画もここまでとはいかないけど、激しいのは激しいよ。普通に本屋で売ってるから、小学生だって読める」

「恐ろしいな……」


(みんながみんな漫画みたいな事してるわけじゃないのに、子供を勘違いさせて煽ってどうすんだよ……)


「ハヤテはそういうメンズコミックみたいなの読まないの?」

「あんまり。友達の家に行って暇潰しに本棚から取って読んだら、そういう漫画だったりする事はあるけど」

「なんで?興味ない?」


(それ、この状況で聞くか、普通?!)


「……なくはない」

「ふーん?」

「興味なくはないけど……男がみんなエロい事ばっかり考えてるってわけでもないよ。大体、漫画みたいな事なんて日常では有り得ない」

「そうなの?」

「そうなの?って……男ってみんなそんなもんだと思ってる?」

「違うの?」


 ケロッとした顔で尋ねるメグミを見て、ハヤテは思わずため息をついた。


「あのさ、オレだって一応男だよ?二人きりになったら何されてもおかしくないってわかってるのに、家の人が誰もいない時によく部屋に入れるな」

「うん、ハヤテだったらいい」

「……全然良くない」

「なんで?」

「なんでも」

「また『なんでも』?ハヤテ、私の事あんまり好きじゃないから、私の体にも興味ない?」

「……なんでそうなる?あんまり好きじゃないってなんだよ?好きだよ、めっちゃ好きだよ。好きだから大事にしたいと思うのって、そんなにおかしい?」


 ハヤテが大真面目な顔で答えると、メグミは少し驚いた様子でハヤテの顔をジッと見た。


「大事にしたいって……それ、私の事?」

「逆に聞くけど、メグミ以外に誰がいる?興味ないわけないじゃん、めちゃくちゃ興味あるに決まってる。オレだって男だから、好きな女の子にキスしたいとか抱きしめたいとか触りたいとか、願望だってあるよ。だけど、理性くらいはちゃんとある。それともメグミは、さっきの漫画みたいに、後先考えもしないで所構わずがっつくような男が好き?だったらオレは無理。そういういい加減な事だけはしたくない」


 珍しく強い口調でまくし立てるハヤテの言葉をメグミは黙って聞いていた。

 思わず熱くなってしまった事に気付くと、ハヤテは少し恥ずかしそうに目を伏せて、さっきとは違う穏やかな声でメグミに問い掛けた。


「好きだから大事にしたいってオレは思うけど……メグミは、こんなオレじゃ不満?」


 メグミは涙目で笑って、手を伸ばしてハヤテに抱きついた。


「わっ……」

「ありがと、嬉しい……。私、ハヤテのそういうところ、大好き」

「メグミ……?」


(え……泣いてる……?)


「大事にしたいなんて、そんなにハッキリ言ってくれたのハヤテだけだよ。親にだって言われないのに」


 ハヤテはメグミを抱きしめて、何度も優しく頭を撫でた。


「偉そうな事言って、たいした事はできないかも知れないけど……。メグミを悲しませるような事だけはしないでおこうと思ってる。笑ってて欲しいし……」

「ありがとう……。ハヤテ、やっぱり優しい」


 今まで見た事のない穏やかな笑みを浮かべるメグミを見て、ハヤテは胸の中が温かくなるのを感じた。


(オレ、少しは素直になれたのかな……)




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