浮き足立つって言う事は

「はぁ……」


 ベッドに横になったハヤテは、ひとつため息をついた。

 今までに経験のない胸の痛みと、込み上げてくる熱いため息にハヤテは戸惑う。


(なんだこれ……。ドキドキ……?キリキリ……?モヤモヤ……?ズキズキ……?ギューっとしめつけられるみたいな……胸に穴が空きそうな……?よくわからん……)


 生まれて初めて、『好きだ』と言った。

 メグミを抱きしめて、何度もキスした。


(思い出すとめちゃくちゃ恥ずかしい……)


 自分が自分じゃないような行動を取った事に、ハヤテは思わず赤面した。


(でも……かわいかったな……メグミ……)


 心の中で名前を呼ぶだけでドキドキして、メグミの唇の柔らかさと、抱きしめた温もりが不意に蘇り、ハヤテは更に顔を真っ赤にして頭から布団に潜り込んだ。


(ヤ……ヤバイ……。今日、絶対眠れねぇ!!)


 ハヤテは時折ため息をついては何度も寝返りを打ち、悶々としながら眠れない夜を過ごした。



 結局、一睡もできないまま朝を迎えたハヤテは、あくびをかみ殺しながら学校に行く準備をしていた。


(ねむ……。やっぱり眠れなかった……)


 顔を洗って、赤くなった目と、その下にうっすらとできたクマを鏡で見ながら、ハヤテはため息をついた。

 歯を磨きながら、ハヤテはまた、夕べのメグミとのキスを思い出して視線を泳がせた。


(どんな状況下でも、朝は来るもんだな……)




 夕方になり、ハヤテはいつものように高校へ向かった。


(うぅ……眠い……。オレ……夜までもつかな……)


 途中のコンビニで買ったブラックコーヒーを一気に飲み干し、フラつく足取りで音楽室にたどり着いたハヤテは、あくびをかみ殺しながらピアノの前に座り、必死で自分を奮い立たせた。


(頑張れ、耐えろオレ……。これが終われば……メグミに会える……)



「澤口さん、さようなら」

「あーハイ……お疲れ……」


 合唱部の練習がようやく終わり、部員たちは楽しそうに音楽室を後にした。


(あー……やっと終わった……)


 ハヤテは朦朧としながら譜面を片付ける。

 ピアノの蓋を閉め、譜面を鞄の中にしまっている間にも、睡魔がハヤテを襲う。


(あー……もう……限界……)


 ハヤテはフラフラしながら、いつもメグミがピアノを聴く時に座っている席に倒れ込むようにして座り、机に頭を乗せて目を閉じた。

 ほどなくして、いつものように音楽室に顔を出したメグミが、ハヤテのそばに近付いた。


「ハヤテ……寝てるの?」


 メグミは声を掛けても気付かないハヤテの寝顔を覗き込み、優しく頭を撫でて微笑んだ。


「メガネ、外すね」


 メガネをそっと外すと、メグミはハヤテのすぐそばに膝をついて額を寄せ、ジッと寝顔を見つめた。


「ハヤテは自分をわかってないんだね。ピアノ弾いてなくても、ハヤテはかっこいいよ」


 メグミは小さく呟いて、ハヤテの頬にそっとキスをした。



 しばらくハヤテの寝顔を眺めていたメグミが、ハヤテの体を優しく揺する。


「ハヤテ、起きて」

「んー……」

「起きて。一緒に帰ろ」


 メグミはハヤテの耳元に唇を寄せて囁き、その唇でハヤテの耳たぶにキスをした。

 その感触に驚いたハヤテが目を覚まして身を起こし、キョロキョロと辺りを見回した。


(な……なんだ今の……?!)


 メグミはクスクス笑って、ようやく目を覚ましたハヤテの顔を覗き込む。


「やっと起きた。一緒に帰ろ。もう7時半になるよ」

「あ、うん……」


(近過ぎるから……)


 すぐ目の前にあるメグミの顔にドキッとしながら、ハヤテが慌てて立ち上がると、メグミは笑ってメガネを差し出した。


「よく寝てたね。疲れてたの?」

「いや……まぁ、そうかな……」


(メグミの事で頭がいっぱいで一睡もできなかったとか……さすがにかっこ悪過ぎて言えないんだけど……)


 昨日の今日で、どんな顔をすればいいのかと思いながら、ハヤテは落ち着かない様子で帰り支度を済ませた。


「お待たせ……」

「ん、大丈夫?」

「うん、休んだら少しマシになった」

「良かった。今日は電車にした方がいい?」

「そうだな……遅くなったし……。いつもの電車より空いてるかも」


 学校を出た二人は、久し振りに電車で帰ろうと駅に向かって手を繋いで歩いた。


「合唱部の練習って、土日もあるの?」

「コンクール前とか文化祭前なんかは、土曜も練習するらしいけど。今の時期、基本的に土日は休みらしい」

「ハヤテ、休みの日は何してる?」

「休みの日か……。特に何もしない。家でピアノの練習してる日もあれば、ゴロゴロして本読んだりDVD見たり……。地味だろ?」

「地味って言うか、休みの日をのんびり過ごしてるんだよ。休みの度に出掛けたり特別な事ばっかりしてたら疲れちゃう」

「ふーん……。物は言い様だな……」


 ハヤテはメグミのポジティブさが羨ましいと思いながら、そう言えばメグミは普段、何をしているのだろうと、ふと思う。


(あれ……?付き合ってるとか言って、よく考えたら音楽室から家までの道のりしか一緒にいた事もないし、携帯の番号すら知らない……)


 いつもの帰り道も特に何を話すでもなく、ほとんど黙って歩いていたので、今更ながらハヤテは、メグミの事をよく知らない事に気付いた。


(知らないって言うか……知ろうともしなかったかも……)



 二人が乗った電車はいつもより空いていて、他の乗客に揉みくちゃにされる事も、ハヤテの気分が悪くなる事もなく、次の駅で降りるまで手を繋いだままドアの近くに立っていられた。


「時間ずらせば、全然混み具合が違うね」

「ホントだ」

「でも、私は歩いて帰るのも好き。ハヤテと長い間、手を繋いでられるから」

「電車でも繋いでるけど……」

「あっ、ホントだね。私としては、満員電車もいいんだけどな。ハヤテとくっつけるから」

「勘弁して……」


(なんか恥ずかしくなってきた……)


 改札を出てメグミの家に向かいながら、ハヤテは思いきって、さっき考えていた事を話してみた。


「あのさ……」

「ん?」

「今更だけど……よく考えたら、学校から帰る以外で一緒にいた事ないなって……」

「うん」

「一緒に帰る間に話した事以外は、なんにも知らない……お互いに」

「私の事知りたいって、少しは思ってくれるの?」

「そりゃまぁ……」


(好きだし……)


「嬉しいな。私も、ハヤテの事いろいろ知りたいって思ったけど……なんか、聞いて欲しくなさそうだったから。私の事にも興味なさそうだったし、迷惑かなって」


(たしかにそうかも……)


「オレ、話すのあんまり得意じゃないから」

「そう?私はハヤテと話すの楽しいよ。できればたくさん話したいし、話して欲しい。好きな食べ物とか誕生日とか……ハヤテの事、いろいろ知りたい」


(ホントにかわいい事言うよな……)


「それじゃ……手始めに、休みの日を一緒に過ごしてみると言うのはどうですか」

「それはデートのお誘いですか?」

「うん……イヤなら無理にとは言わないけど……」

「イヤなわけないでしょ。すごく嬉しいよ」

「でも、具体的にどうしようかな……。普段はどうしてる?やっぱり友達と遊んだり買い物したり、流行りの店の行列に並んでたりする?」

「うーん……。そういう時期もあったけど……疲れたからやめたの」

「なんで?楽しくなかったの?」

「たまにはいいけど……いつもいつもじゃ疲れちゃう。無理して周りに合わせても、疲れるばっかりであんまり楽しくないよ」

「ふーん……」

「私も、休みの日を家でのんびり過ごす方が合ってる。流行りのパンケーキ屋さんのパンケーキより、家で作ったホットケーキの方が好きだし……。一日中、ベッドでゴロゴロして漫画読んでたりするよ」

「全巻読破する?」

「するする」

「オレもする」

「ハヤテと一緒にホットケーキ食べて、漫画読んだり、映画のDVDとか観るのもいいな」

「出掛けたりしなくていいの?」

「無理して出掛けなくていいの。二人で行きたい場所があったら行けばいいんじゃない?」

「意外とインドア派?」

「うん、じつはかなりインドア派。見た目だけでいろいろ派手だと思われるけどね」

「そうか……。オレとは真逆だな。まぁ、オレは見た目だけでなく中身も地味だけど……」

「またそう言う……。ハヤテは自分をわかってないなぁ……」

「ん?」

「あのね、見た目も中身も、なろうと思えばいくらでも派手になれるよ。でも、私は無理してそうなる必要ないと思う。ハヤテはハヤテでしょ?」

「うん……」

「私は、ピアノ弾いてない時のハヤテも、メガネかけてないハヤテも、好きだよ。あっ……寝顔も好き。私は、ハヤテかっこいいと思う」

「えっ?!」


(ダメだ……もう脳が処理しきれない……)


 ちょうどメグミの家の前にたどり着き、二人は立ち止まって向かい合う。


「言われ慣れない事を一度にいろいろ言われると、混乱するよ」

「じゃあ、明日ゆっくり話そうね」

「うん。……あっ」


 ハヤテは上着のポケットからスマホを取り出すと、少し照れくさそうに呟く。


「連絡先も知らないから……教えてくれる?」

「うん!」


 メグミとハヤテは連絡先の交換をして、お互いを見合わせた。


「嬉しいな。やっとメールとか電話できる」

「なんで今まで気付かなかったんだろ?」

「ハヤテにとって必要なかったからでしょ?」

「あぁ……なるほど」

「連絡先聞いたって事は、今はハヤテにとって必要って事だと嬉しいな」

「うん、必要って思うから聞いた」


 ハヤテが言い切ると、メグミは嬉しそうに笑ってハヤテに抱きついた。


(わっ……)


 ハヤテは驚いたものの、胸に顔をうずめるメグミがかわいくて、ギュッと抱きしめて頭を撫でた。


「明日……楽しみにしてるね」

「うん。また明日」

「ハヤテ」

「ん?」

「今日は、キス……してくれないの?」

「えっ……」


(道端で恥ずかしいんだけどな……。人、来ないかな?)


 ハヤテは素早く辺りを見回し、誰もいない事を確認してからメグミの唇にキスをした。


「また明日」

「うん」


 お互いに手を振って別れた後、ハヤテはなんとも言えない甘くて幸せな気持ちになりながら、上機嫌で自宅までの道を歩いた。


(なんだこれ、なんとも言い難いこのフワフワした感じ……。浮き足立つってこういう事か?)


 こんな気持ちになるのは初めてで、なんだかくすぐったいような、照れくさいような、そこらにいる人を誰彼構わず取っ捕まえて聞いてもらいたいような、なのに誰にも内緒にしたいような、不思議な感じだった。


(これか?!これが恋ってヤツなのか……?)



 家に帰ったハヤテは、ダイニングで一人、夕食を取りながら考えていた。


(明日はどうしようかなぁ……)


『無理して出掛ける事もない』とメグミは言っていたが、学校からの帰り道以外で初めて会うのだから、やっぱり少しは『デート』らしい事もしてみたい。


(デートって……どこに行けばいいんだ?)


 映画、遊園地、水族館、動物園……。

 思いつくところはいくつかあるものの、現地で見たいものを見て、遊ぶだけ遊んだ後はどうすればいいのだろう?


(まっすぐ帰宅……?それもどうよ……。遠足じゃねぇんだから……。なんかデートプラン立てるだけで疲れそうだ……)


 だからと言って、いきなり部屋で二人きりになるのもハードルが高過ぎる。

 二人っきりで何をしてどう過ごせばいいのか、皆目見当もつかない。


(そもそも、何時間も二人きりで……もつのか?その場の空気を白けさせず長時間女の子を楽しませるなんて、オレにできるわけないし……)


 ハヤテはあれこれと考えながら、残りの御飯を掻き込み、お茶で流し込んで席を立った。

 食器を運びシンクの水桶に浸けて部屋に戻る。


(情けないけど、経験ない事はどうしようもないな……。やっぱりメグミと相談か……)


 恋愛経験のないハヤテにとっては、何もかもが未知の世界だ。

 世間のカップルがどこに行って何をしているとか、部屋での過ごし方とか、どんな会話をしているとか……誰も教えてはくれない。


(習うより慣れろ……?案ずるより産むが易し、とか……?百聞は一見にしかず……は、ちょっと違うか……)


 何事も経験だとは思うものの、主導権を完全にメグミに握られているのも、男としてどうかとは思う。


(やっぱり……いろんな男と付き合って来たんだろうな……モテそうだし……)


 ハヤテより格段に恋愛スキルの高いメグミは、自分をかわいく見せる方法や、男のオトし方、男が喜ぶツボを心得ているのだろう。


(オレもまんまとやられちゃったしな……。そもそも、あれに抗える男なんているのか?)


 ハヤテは軽くため息をついて、メグミの連絡先をスマホの画面に映し出し、メール画面に文章を作成する。


【明日どうする?】


 作成した文章でメールを送信しかけて、ハヤテは首をかしげる。


(業務連絡……?色気もへったくれもねぇな)


 思い直してメールを打ち直すも、結局はたいした文章を考える事ができず、仕方なく短いメールを送った。


【明日、どこか行きたいとことか、何かしたい事とかある?希望があれば聞くよ】


(口だけじゃなくメールもあんまりうまくないんだよなぁ……)


 もう少しまともなメールはできないのかと思っていると、メグミから返信が届いた。


(返信早っ!)


【ハヤテと一緒ならどこでも嬉しいよ】


 その短いメールを読んだハヤテは、照れて思わず両手で顔を覆った。


(な、なんだ……この甘アマな感じ……!!)


 ハヤテは赤面しながら返信する。


【恥ずかしいから、そういうのナシ】


 あっという間にメグミからまた返信が届く。


【だって、やっとハヤテとメールできるようになって、すごく嬉しいんだもん】


【文字で見ると余計に照れくさいよ】


【メールでダメなら、明日直接言うね。

 明日は私の部屋で一緒にのんびりしようよ】


【うん、わかった】


【ホットケーキ焼くから一緒に食べよ。

 それから本読んだりDVD見たり。

 一緒にゲームもしたいな】


【じゃあ、そうしよう。

 何時頃行けばいい?昼頃?】


【できるだけ早く会いたいな……】


【またそういう事を……】


【ハヤテは私に早く会いたくない?】


【……会いたいけど……】


【嬉しい!!】


【11時頃でいいかな】


【うん、待ってるね】


【じゃあ、遅くなったしそろそろ寝ようか】


【早く明日にならないかなぁ……。

 ハヤテ大好きだよ。 おやすみなさい】


 メグミからの『大好きだよ』の一言が照れくさくて、やけに甘くて、ハヤテは顔を真っ赤にしながら、誰にも送った事のない言葉を返信する。


【オレも好き。おやすみ】


 送信してしまってから、ハヤテはあまりの恥ずかしさに悶絶してしまう。


(なんだあれ?!なんだ、あの激甘なメールは?!どう考えてもオレには全然似合わないだろ?!)


 自分には似合わないとわかっているはずの甘い言葉をメールした事に、自分でも驚いた。

 メグミと言う存在がハヤテの中で、どんどん大きくなって、今まで無縁だった『恋』と言うものが、どんどん自分を変えてしまう。


(やっべぇ……。オレ浮かれちゃってるよ、これはもう完全に浮き足立っちゃってるよ!!恋、恐るべし……!!)




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