小悪魔とか悪魔とか

 駅について改札を通り抜けても、メグミはハヤテの後を追う。


「電車、オレこっちだから」

「私も同じ電車なの。拾った時に定期見たら、乗る駅も降りる駅も一緒だった」

「ああ、そう……」

「ずっと同じ駅から同じ電車に乗ってたのに会わなかったって事は、乗る時間帯が違ったのかなぁ……。なのにあの時はなんで会えたんだろうね?」

「あの日は用があって、いつもより早い電車に乗ったから。高校に通ってた時と同じ時間の電車」

「すごい偶然ってあるんだね。ここまで偶然が重なると、運命感じない?」

「……さぁ」


(全然感じないよ、ってハッキリ言ったらヘコむかな?)


 どう考えたって、偶然は偶然だ。

 こんなにキレイでモテそうな子が、自分なんかに本気でそんな事を思うわけがないと、ハヤテは心の中で呟く。


「なんか、落ち込んでたの、バカらしくなっちゃった」

「……泣くほど落ち込んでたのに?」


(大方、彼氏とケンカしたとか……オレには無縁の恋の悩みなんだろうな)


「誰もいないと思って音楽室で考えてたら、なんかもう悲しくて、涙出てきて」

「ふーん」

「何があったの?とか、聞いてくれないの?」

「聞いたって、オレにはわからない事だと思うから。ただ話したいだけなら話せば?多分、なんのアドバイスもできないけど」


 ハヤテが答えると、メグミは驚いた顔でハヤテを見る。


「ハッキリしてるんだ」

「嘘ついてもしょうがないから」

「普通、女の子が泣いてたら、優しい言葉のひとつでも掛けて慰めるんじゃないの、男の人って」

「……あいにくオレは、男としてのそんなスキル持ってません。他を当たって下さい」


 キッパリと言い切るハヤテに、メグミは嬉しそうに笑った。


「ハヤテ、正直だよね。嘘つかない」

「口がうまくないもんで」

「うわべばっかりで嘘つきな人よりずっといいよ。そういうとこ、好き」

「ふーん……」


(今の『好き』って何?!よくわからん!!)


 予想外のメグミの言葉に驚きながらも、ハヤテは何食わぬ顔で返事をする。


(この子は男を勘違いさせるタイプの、小悪魔とか言うアレか?)


 ハヤテは、細かい事をいちいち気にするのはやめておこうと思いながら、ホームに到着した電車に乗り込んだ。

 帰宅ラッシュの混み合った車内で、メグミの体がハヤテにピッタリと密着する。


(すげー近いんだけど……。まぁ、こんなに混んでたらしょうがないか……)


 かわいい女の子にこんなに密着された経験のないハヤテは、少しドキドキしながらも、頭の中で言い訳をして平静を装った。

 つかまる場所のなかったメグミの体は、電車が揺れるたびにバランスを崩し倒れそうになる。


(仕方ないな……)


 ハヤテはつり革を持っていない方の手をそっとメグミの背中に添え、倒れないように支えた。


「つかまる所ないなら、適当にオレの服とか腕とかつかんでてもいいから」


 その言葉を聞いたメグミは嬉しそうにうなずくと、ハヤテの胸に顔をうずめるようにして、ギュッとシャツの胸元を掴んだ。


(なんだこれ?!思ってたのと違うんだけど!!やっぱりこの子、小悪魔だよ……。振り回されないようにしなきゃ……)


 電車が次の駅に着くまで、まるで抱きしめているような格好になりながら、ハヤテは胸の鼓動が速くなるのをメグミに気付かれないように、『絶対に勘違いだけはするな』と何度も自分に言い聞かせた。



(や……やっと着いた……)


 揺れる車内で時折クラクラしながらも、なんとかメグミを支え続けたハヤテは、電車を降りて大きく深呼吸した。


(つ……疲れた……。死ぬかと思った……)


「ハヤテ、ありがと。大丈夫?」

「ああ……うん。ちょっと、弱くて……」

「弱いの?何に?」

「香りの強い物。香水とか、香りの強い柔軟剤とか……。満員電車なんて、あっちこっちで主張の強い香りが混ざり合ってもう、拷問みたいで……」

「あっ、ごめん。私、コロンつけてる」

「ああ、うん……そうみたいだね」


 音楽室で話していた時は、さほど気にならなかったメグミのコロンの香りが、電車に乗ってから密着したせいで、急に気になり始めた。

 そして、メグミの髪からは、シャンプーの香りがした。

 それだけならまだ耐えられたのかも知れない。

 問題はむしろ、メグミ以外の乗客から漂う臭いだった。

 香水や柔軟剤などの強い香りに汗の臭いが入り交じり、ハヤテにとっては地獄だった。


「ごめんね。今度からハヤテに会う時は、つけないようにするね」

「え?ああ、うん」


(『ハヤテに会う時』って……ピアノ聴きに来るだけなのに、その言い方はやっぱり勘違いの元だろ……。騙されるな、オレ!!)


 そもそも、相手は3つも年下の高校生で、よく考えたら未成年だ。

 高校生とは思えない、その大人っぽさに惑わされてはいけないと、ハヤテは自分を戒めた。


(オレは一応、大人なんだから……妙な勘違いだけはしないようにしないと)


 改札口を出てその場で別れようと思ったハヤテだが、女の子に暗い夜道の一人歩きをさせるのは如何なものかと考える。


(送ってく?いや、でもそこまでする必要あるのか?)


「家、駅から近いの?」

「15分くらい」

「徒歩?」

「うん」


(仕方ないなぁ……)


「暗いし、危ないから送ってくけど……今日だけだよ。駅遠いんだから、自転車かバスにすれば?」

「自転車だと雨の日困るし、バスは定期代が高いから歩いてるの」

「ふーん……」


 メグミは歩きながら、ハヤテの顔を覗き込むようにジッと見る。


「……何?」

「心配してくれてるの?」

「……別に。誰だって普通に思うんじゃないの。女の子の夜道の一人歩きは危ないって」

「そうかなぁ……。そう思ってたって、『気を付けて帰れよ』の一言で終わるでしょ、普通」

「……じゃあ帰る。オレ普通だし」

「やだ、暗い夜道怖い。送って下さい」


 来た道を引き返そうとするハヤテの腕を掴んで引き留めるメグミを見て、ハヤテは小さくため息をついた。


(ホラ、またそういう事する……。オレだからヘンな気起こさないけど、他の男にそんな事してたら勘違いされるって……)


「今日だけだから。次からはピアノ聴きに来なくていいから、早く帰りな」

「やだ、ハヤテのピアノ聴きたい」

「……わがままだな……」


(……ってか、いつの間にか当たり前みたいにハヤテって呼ばれてるし……)


 ハヤテの腕を掴んだまま嬉しそうに笑って歩くメグミを見ながら、いつの間にか少し強引にメグミのペースに巻き込まれている事にハヤテは気付いた。


(まぁ、今日だけはいいか……。変わった子だけど、悪い子ではなさそうだし……。オレの人生、この先こんなかわいい子と歩くなんて事、二度とないかも知れないし……)


 今日はこんな事を言っていても、そのうち自分の事なんか忘れて、ピアノを聴きにも来なくなるだろうと思いながら、ハヤテはメグミの歩幅に合わせて歩いた。


(今日だけ、今日だけ)


 今日だけと思う反面、『もし彼女なんかいたらこんな感じなのかな』とも、どこかでおぼろげに考えたりもしながら、ハヤテはメグミを家まで送り届けた。


「ここ?」

「うん。ありがとう。ハヤテの家は?」

「全然方向違う。オレんち、駅の向こう側だから」


 駅からまっすぐ自宅に帰れば、歩いて5分程なのだが、メグミを送ったので、ここから更に20分は歩く事になる。


「ごめんね、知らなくて……」

「知ってたら逆に怖い。オレ言ってないし」

「だよね。ありがと、ハヤテ優しいね」

「ハイハイ。じゃあ、オレ帰るから」


 メグミの言葉を聞き流して帰ろうとすると、メグミはハヤテの手をギュッと握って、満面の笑みを浮かべた。

 ハヤテは驚いてメグミの顔を見る。


「ハヤテ、ありがと。またね」

「う、うん……」


(めちゃくちゃかわいい……)


 メグミが手を振って家の中に入るのを見届けたハヤテは、ハッと我に返り、思わず首を横に振ってため息をついた。


(いや……たしかにかわいいよ?かわいいけどさ……何を見とれてんだよ、オレ?相手は高校生だぞ?)


 自宅に向かって歩きながら、ハヤテはうっかり勘違いしそうになっている自分に、しっかりしろと心の中で喝を入れた。


(でも……まぁ……たまにはこんな日があっても、悪くはないかな)


 ハヤテはほんの少しゆるみかけた口元を慌ててギュッと引き締めながら、帰路に就いた。




 翌日から再びハヤテは合唱部の伴奏者の役目を淡々とこなした。

 元々、愛想がいい方でも、口がうまいわけでもないハヤテと、合唱部の部員たちが特別親しくなる事はなかったが、部活の事などのちょっとした会話程度なら交わすようにもなった。

 部員の中にはハヤテの通っている音大を目指している生徒もいて、学校の様子や入試について熱心に聞いてきたりもした。

 合唱部の部員たちと話していると、ハヤテはメグミの事をつくづく変わった子だと思った。

 部員たちはハヤテの事を『澤口さん』と呼ぶ。

 当たり前だが、メグミのように『ハヤテ』と呼んだりはしないし、必要以上に近付いたり、手を握ったりはしない。


(これが普通だろ。やっぱり、あの子は特別変わった子なんだな)


 目の前にいるわけでもないのに、時々、ふとした瞬間にメグミの事を思い出す。

 それに気付くと、ハヤテはまるで自分に言い訳でもするかのように、『あの子はインパクトが強烈過ぎたから』の一言で片付けた。



 木曜日になると、ハヤテはまた、ピアノを弾くために音楽室へ足を運んだ。

 音楽室に足を踏み入れたハヤテは、ピアノのすぐそばの席に、メグミが座っている事に気付いた。


(またいる……)


「ハヤテ!!」


 メグミはハヤテの姿を見ると、嬉しそうに笑って小さく手を振った。


(このかわいさに惑わされるな、オレ!!)


「また来たの?」

「来るって言ったでしょ?ハヤテのピアノ聴きたいもん。1週間楽しみにしてたんだから」

「……まぁいいけど……。邪魔だけはしないで」

「うん、大人しくここで聴いてる」

「あと、今日は早めに帰りな」

「えーっ、やだ。それだと途中までしか聴けないもん」

「いいから。暗くなる前に帰りなさい」

「先生みたい……」


 メグミは少し唇を尖らせて、不服そうに呟く。


(あぁもう……かわいいな、いちいち……)


 ハヤテはピアノの前に座ると、譜面を広げ、今日は何から弾こうかと選び始めた。

 ハヤテのそんな様子を、メグミはジッと見つめている。

 メグミの視線に気付いたハヤテは、思わず小さくため息をついた。


(調子狂う……。あんまりジッと見られてるとやりづらいんだけど……)


 ピアノの発表会などで浴びる視線とはまた違って、今までに感じた事のない視線にハヤテは戸惑った。


(まぁ……気にしないようにしよう……。この子は変わった子なんだから。無意識のうちに視線で男をオトすタイプだな。それとも策略か?オレには関係ないけど)


 ハヤテは気を取り直してピアノに向かい、選んだ楽曲の譜面を見ながらピアノを弾き始めた。

 最初こそメグミの視線を気にしていたハヤテだが、ピアノを弾いているうちにいつしか没頭して、そんな事はもう、頭の中から消えていた。


 2時間ほど経った頃、ハヤテは顔を上げて壁の時計を見た。


(そろそろ切り上げるかな)


 そして、相変わらずピアノの近くの席に座ってハヤテの事を見ているメグミに気付くと、ハヤテは思わずため息をついた。


(まだいたのか……)


「今日はもうおしまい?」

「そうだけど……。早く帰れって言ったのに。外もう暗いじゃん」

「わ、ホントだ。ハヤテのピアノ聴いてると時間経つの忘れちゃって」

「ああ、そう……」


(ピアノね、ピアノ)


 結局、自分の取り柄はピアノだけなんだなと、ハヤテはなんとも言えない複雑な気持ちになりながらも、ピアノ聴きに来てるんだからピアノの事しか頭にないのは当たり前かと思ったりもする。


(なんだ、この感じ……。胸がモヤモヤして気持ち悪いような……)


 今までに感じた事のない妙な不快感を覚え、ハヤテは首をかしげた。


(とりあえず今日はこれで終わり。帰ろう)


 ピアノの上に広げた譜面を集め始めると、1枚の譜面がハヤテの手をすり抜け、ヒラリと床の上に落ちた。

 ハヤテがそれを拾おうとすると、いつの間にかすぐそばにいたメグミが身をかがめて拾い上げハヤテに差し出した。


(いつの間に……)


「ハイ」

「……ありがとう」


 ハヤテがそれを受け取り、他の譜面と一緒に鞄にしまっている間も、メグミは自分の鞄を持って待っていた。


「先に帰っていいんだよ?」

「やだ、ハヤテと一緒に帰りたい」

「……また送らせるつもり?」

「じゃあ、電車降りるまででいい」

「……そういうわけにもいかないでしょ」

「暗い夜道は危険がいっぱいだから?」

「そうですね」


(送れって言ってるようなもんだろ、これ)


 ハヤテはため息をつきながら鞄を持って立ち上がった。


(ホントになんて言うか、強引って言うか、わがままって言うか……)


 学校を出ると、特に何を話すでもなく、駅まで黙って歩いた。

 気の利いた話のひとつでもできればいいのだろうが、これと言って話題もない。


(そんな事できてたら、今頃もう少しはモテてるよ、きっと)


 ハヤテは自分の事を、つくづくつまらない男だと思いながら、ただ黙って歩き続けた。

 駅に着き電車を待っていると、メグミがハヤテに話し掛けた。


「今日も電車混んでるかな?」

「この時間は、いつもそうなんじゃないの」

「そっか……。あっ、今日はコロンつけてないから」

「ああ、うん……」


 メグミの言葉を聞いて、ハヤテは1週間前の車内を思い出し、またあの香り攻めの拷問みたいな電車に乗るのかとゲンナリした。


「私はハヤテとくっつけて、嬉しいんだけどな……。ハヤテはつらいよね」

「え?ああ……うん、つらい」


(オレとくっつけて嬉しい?!この子、頭おかしいんじゃないのか?!)


 思いもよらないメグミの言葉に内心うろたえながら、ハヤテはできるだけ平静を装い、素っ気ない返事をした。


(この子はその気のなさそうな男をオトす趣味でもあるのか?ハンター的な?それで、男がその気になったら急に手のひら返したように冷たくあしらうとか……。それはもう、小悪魔を通り越して悪魔だろ……)


 なんともない顔をしながら、ハヤテは頭の中でぐるぐると思いを巡らせる。

 ホームに到着した電車に乗り込むと、予想通りの混雑ぶりだった。

 176センチと割と背の高いハヤテは、運良く空いたつり革に掴まる事が出来た。

 メグミは他の乗客に押されながら、ハヤテの胸元にしがみつく。


(またかよ!!)


 背中や腕など、他の乗客と触れ合っている事は気にならないのに、胸元にしがみつくメグミの体温だけが、やけにリアルに感じられた。


(なんだよもう……。どういうつもりだ?!)


 この間と違って、コロンをつけていないメグミからは、シャンプーの香りだけがした。


(……いい香りかも……)


 しかし、やはり混雑した揺れる車内のあちこちから、香水や香りの強い柔軟剤と汗の混じった臭いが漂い、ハヤテはゲンナリした。


(オレ……この子のシャンプーの香りだけでいいんだけど……。はぁ、抱きしめたい……)


 朦朧としながらそんな事を思っている自分に気付いたハヤテは、慌ててその思いを打ち消す。


(ナシ!!今のナシだから!!あまりの香りの強さでどうかしてるだけだから!!)


 不可解な自分の思考を、苦手な強い香りのせいにして、ハヤテはまた自分を戒めた。


(勘違いだけはするな、オレ!!この子はきっと誰にでもこういう事するんだ!!……多分)




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