第百六十話〈深夜寝顔〉

永犬丸士織が自宅へと戻る。

玄関を開けると、トコトコと、可愛らしい足音が聞こえて彼女を出迎える姿があった。


「わんっ」


真っ白な毛並みをした、一匹の犬だ。

その場に腰を下ろして、永犬丸士織の帰りを出迎えた。


「ただいま」

「兄さん」


そう言って、永犬丸士織の両手が、兄さん、と呼ばれた犬の顔を揉んだ。

赤い首輪にはネームプレートがあり、銅色のネームプレートには『とうしろう』と書かれてあった。

そう、この白い犬こそ、永犬丸統志郎だった。

永犬丸士織が浜辺から戻って一週間後、職員が一匹の犬を連れて来た。


『永犬丸統志郎です』


そう言われて差し出された犬。

冗談だと他の人間は思っただろう。


『うそ……帰って、来てくれたんだ』

『約束……守ってくれたんだね』

『兄さん』


永犬丸士織はその犬を見て永犬丸統志郎だと理解した。

彼女は自らの兄を、感覚で理解していたらしい。

例えその体が人間じゃなくとも、それが例え獣であろうとも。

永犬丸統志郎としての気高き精神が宿っていれば、彼女はどの様な姿だろうとも、永犬丸統志郎を見つける事が出来るのだろう。


「兄さん」

「詩游はもう寝た?」


深夜の一時頃である。

家中の者は側近を除いて寝静まっていた。

永犬丸士織は自らの部屋に戻ると、側近が彼女の儀式用に扱う衣服を脱がしていく。

そして、永犬丸士織は普通の現代服に着替えると、側近が用意した温めたおしぼりで顔の化粧を取った。

素肌は、学生時代と変わらない艶のある肌であり、化粧が無くとも、彼女の美貌は変わる事は無い。


「ふぅ……」

「ちょっとだけ、疲れたし」

「お風呂に入ってから、寝ようかな」

「兄さんも来る?」


そう永犬丸統志郎に聞くと、彼は「わんっ!」と叫んで彼女の後ろを付いてくる。

猫じゃらしの様なふわふわな尻尾が左右に揺らしながら、二人は屋敷の廊下を歩いていく。

そこで、永犬丸士織はある部屋の前に止まり、永犬丸統志郎を見て人差し指を唇に重ねる。

そぅ、と戸を開ける。

部屋に入るとおもちゃでいっぱいだった。

ゆっくりと音を立てずに布団まで歩くと、其処には、永犬丸士織の面影が残る少年の顔があった。


「………寝てる」


「わふぅ……」


そっと、声を殺して、天使の様に可愛らしい我が子の顔を見てうっとりとした。

これが、永犬丸士織と、八峡義弥の間に出来た子。

名前は永犬丸えいのまる詩游しゅう

どことなく、八峡義弥に顔つきが似ていた。


「………か、さん」

「お、か、さん?」


目を細めて、寝ぼけならが詩游が口を開く。


「ごめんね、おこした?」


そう言って永犬丸士織は、詩游の隣に寝転がって、胸元に手を置いてとんとんとあやす。


「あのね」

「あしたね」

「なたねーちゃんのところ行くよね?」

「おかーさん、ねぼうしたら、だめだよ」


アヒルの様に口を尖らせて、そう言って彼女の腕に掴む。

永犬丸士織は、そう言えば、と。

明日は、二人で出かける事を思い出した。

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