第四十三話〈前編終了〉

今回の戦いで八峡義弥は左目の眼球、視界を失った。

滑栄教師は傷を治すが、欠損部位を治す術式は持ち合わせていない。

今は包帯で保護をしており、肉体の方は一日で治った。


永犬丸士織はその後実家へと戻った。

如何に厭穢が憑いたとて犬の厭穢。

犬憑が専門である永犬丸家ならば幾らでも対処出来る。

はじめ、永犬丸統志郎は彼女の心が壊れないか危惧していたが。

今の永犬丸士織ならば大丈夫なのだろうと言う判断だった。


そして永犬丸統志郎は宗家から戻った。

結果的に言えば、現当主は封印と言う形でこの世から去ったらしい。

永犬丸統志郎自体は殺害では無く封印と言う方向で行動した為に。

どうにか命を失わずに済み、尚且つ早めに帰宅出来たのだと言う。


犬の厭穢討伐から早くも一週間が経過していた。

八峡義弥は屋上で黄昏ている。

本日は朝から夕方まで、贄波阿羅教師との訓練が続いていた。

連日の大雨であった為に、今まで出来なかった訓練を今日で消化したのだ。

そのため八峡義弥の体は既に疲労し切っていた。

体には保健室にある花天印の塗り薬を塗りたくって、包帯を巻いている。


「やあ」

「我が友」


そんな八峡義弥の隣に。

既に半裸になった永犬丸統志郎が近寄ってくる。


「あ?」

「あぁ、イヌ丸か」

「どうだ?ワン子の奴」


八峡義弥は、永犬丸士織の事を聞いた。

重体患者であった八峡義弥は医療施設に入院しており。

その間に、永犬丸士織は実家へと移っていた。

だから、彼女のその後など、八峡義弥は知らなかった。


「我が妹は」

「必死になって頑張っているよ」

「今は、永犬丸家の式神を調伏しようとしている」

「素晴らしい向上心だった」


「そうか」

「そりゃ、良かったな」


ぶっきらぼうに八峡義弥は呟く。

永犬丸士織が、八峡義弥の言葉で変われたのならば。

消えない傷跡も、勲章として誇れる事が出来る。


「ありがとう、我が友よ」


感謝の言葉を、永犬丸統志郎は吐いた。

その言葉を聞いた八峡義弥は、「はっ」と鼻で笑った。


「俺ァ何もしてねぇよ」

「偉そうな事は言ったが」

「厭穢を仕留める寸前まで追いやったのはお前だ」

「厭穢を斃したのも、ワン子だ」

「俺は何もしてねぇ」


結局。八峡義弥が居なくても。

自体は穏便に済ます事が出来たのだろう。

永犬丸統志郎が幽世へと落ちていれば。

永犬丸士織は責任を背負う事なく、平和に暮らせた。

八峡義弥が発破をかけたから。

彼女は、祓ヰ師としての覚悟を決めたのだ。


「それでも」

「そうだとしても」

「我が妹は」

「我が友の言葉で変わった」

「ボクでは無理だった」

「我が友の、お陰だよ」


永犬丸統志郎が選択出来なかった事を。

八峡義弥がやって見せたと、永犬丸統志郎は言う。


「……その事なんだけどよ」

「俺ァ、やっぱり」

「あのセリフには後悔しかねぇよ」


要約して言えば。

『人は何かを背負って生きている』。

その台詞を、八峡義弥は後悔していると言った。


「ワン子にはあぁ言っちまったが」

「実際の所、あのセリフは俺に対するブーメランだ」

「俺は別に、何を背負う気はねぇし」

「後悔だ懺悔なんざ、するつもりもねぇ」


あの時の言葉は全て出任せだ。

とは言い難い。少なからず、八峡義弥はふとした拍子に後悔し、懺悔する。

その瞬間に、考えるなと、罪を忘れようとしている。

それでも、思い出してしまう、何度も、それを繰り返している。


「でもな」

「後輩に言っておいて」

「手前は何もしないってのは」

「最高にダサいよな」


だから。と八峡義弥は付け加えて。


「少なくとも」

「先輩であり続ける為にゃ」

「多少の責任って奴を背負わなきゃならんらしい」

「面倒だけど」

「仕方がねぇ事だ」

「後輩の為に、キチンと先輩の背中って奴を見せねぇとよ」


永犬丸士織と過ごして。

彼女は変わったと、永犬丸統志郎は思う。

しかし、同時に。

八峡義弥も、永犬丸士織と出会って、変わったと思った。


「だから」

「訓練を逃げずに頑張ったのかい?」


「んだよ」

「見てたのか?」

「まぁ、そうだな」

「努力すりゃあ」

「今よりかはマシになってるだろ」

「これから大忙しだ」

「なんせ、後一年もすりゃ」

「俺も、本当の先輩になっちまうんだからよ」


そう言って八峡義弥は、屋上の柵から遠のき。

下に続く階段へ向かう。

永犬丸統志郎もその後に続こうとして。


「……あぁ」

「そういえば」

「梅雨は、明けたのか」


空を眺めた。

雨だった毎日は。

何時の間にか雲が晴れて黄金に輝く空に変わっている。

八峡義弥との別れの挨拶をしようとした時。

雨だった時を思い出して。


「そう言えば」

「我が友」

「これを返す約束だった」


そう言って永犬丸統志郎は。

八峡義弥のピアスを返そうとして。


「いらねぇよ」

「返すの、遅いからよ」

「気が変わっちまった」


そう言って、永犬丸統志郎は八峡義弥が言う言葉を聞いて笑みを浮かべ。


「そうかい」

「なら、これからも」

「これは、大事に使わせて貰おうか」


再び、ピアスを耳に付け直した。

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