大四十二話〈負荷背負〉

そこから先は早かった。

永犬丸統志郎は犬の厭穢を牙や爪で削り続け。

八峡義弥は周囲に湧いて出て来る残滓を殺し続けた。

永犬丸士織は、立ち上がり、永犬丸統志郎と八峡義弥の奮闘を眺める。

今の彼女では出来る事は何も無く。

数分の時間を置いて、犬の厭穢は致命傷を負い、肉体を変化させる。


『なんで、なんで』

『なんで私ばかり』

『私が何か悪い事をしたの?』


その姿は永犬丸士織だ。

永犬丸統志郎はその様に心を痛めたが。

八峡義弥はその姿を見ても何も思わない。

厭穢は狡猾だ。人を騙して人を貶める。

その変化も、自分たちを騙す為の罠だと思っていた。


「………それでも」

「可哀そうだとは思うさ」

「けどな」

「どんな正論を吐こうが」

「テメェは厭穢だ」

人類俺らに害を成す存在だ」

「此処で逃して」

「デカいしっぺ返しなんざゴメンなんだよ」


八峡義弥は後ろを振り向く。

立ち尽くしていた永犬丸士織に目線を向ける。

その視線に頷き、永犬丸士織はゆっくりと近づいていく。

ずるずると、体を地面に擦り付ける様に四つん這いで蠢く犬の厭穢。


「我が妹よ」

「今ならまだ」

「やらない選択もある」

「自ら苦しむ選択を選ばなくても良いんだ」


永犬丸統志郎はそう言った。


「生易しいな、お前は」

「けど、もう決めたんだろ?」


八峡義弥は永犬丸士織に士柄武物を渡した。

それを受け取る永犬丸士織は、強く握り締める。


「………はい、私は」

「この責任を、受け持ちます……」

「最後まで、死ぬまで」


そして、永犬丸士織は犬の厭穢に近づいた。

犬の厭穢は、永犬丸士織に気が付くと。

涙を流して、悔しそうな表情を浮かべてか細く吠える。


『また殺すの?』

『なんで、殺すの?』

『ねぇ、私、悪い事をしたの?』


その言葉に、永犬丸士織はぐっと耐えた。

あの日、彼女が殺した犬の姿を思い浮かべる。

彼女にとって忘れる事の出来ない思い出。

彼女にとって忘れてはならない記憶。

永犬丸士織は、犬の厭穢に言う。


「殺すのは、私の意志」

「貴方は、何も悪くない」

「悪いのは、私だから」

「恨んでいい」

「永遠に、殺したい程に」

「どうか私を許さないで」


その言葉を最後に。

永犬丸士織は、犬の厭穢に刃物を貫こうとする。

だが、その刃物は、幾ら力を込めても貫く事は無かった。


「………」


手が震えている。

最後の最期で、永犬丸士織は殺す事を躊躇っている。

その瞬間を狙ってか。

犬の厭穢は、一矢報いるかの様に体を飛び起こす。

そして、彼女に向けて鋭利な牙を向けて噛み殺そうとしたが。


「――――ッ」


彼女の握り締める刃物が、犬の厭穢の胸元を突き刺した。

それで終わりだった。犬の厭穢は力を抜かして。

彼女の体に支えられていくと。


『許さない』

『ずっと、ずっと』

『死ぬまで』

『あなたを、ゆるさない』


呪詛の言葉を吐いて。

犬の厭穢は黒い霧に変わり、彼女に纏わり付く。

永犬丸士織は、ゆっくりと目を瞑り。


「……私も」

「貴方が恨んで死んだ事を忘れない」

「その事実を背負って生きていくから」

「何度も謝るだろうし」

「何度でも、許してと、懇願する」

「それでも私は」

「もう二度と」

「投げ出さないから」

「……ごめんね」


そうして、永犬丸士織は。

呪われた為かゆっくりと、意識を失っていった。

同時に、犬の厭穢が消え失せた為。

幽世の崩壊が始まりつつあった。

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